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一章
八話
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田んぼ道を歩き、式場のお寺に着く。
そこまで大きくはないが、草木の手入れや細かいところの掃除までしっかりと行き届いた綺麗なお寺だった。
少し早く着いたみたいで準備する人達が忙しく動いている。
そんな人達の間を抜け、美波の棺の傍に座る美波の母、桜井朱里(さくらいあかり)に声をかける。
「美波のお母さん、こんにちは」
「あっ、大雅君、遠いのに今日はわざわざありがとうね」
「いえ、そんなことないですよ」
気丈に笑顔を見せてくれてはいるが、その表情は虚ろで心はここになかった。頬はやつれ艶のあった髪はぼさぼさになってしまっている。化粧で隠してはいるが、昨日も泣いたのか、若干目の周りが腫れぼったい。
美波の母は依然会った時よりも一回り以上は老け込んでいた。
『……お母さん……』
後ろで浮遊する美波が心配そうな声をあげる。
「大雅君……本当にありがとうね」
その言葉を皮切りに朱里がぽろぽろと言葉を落とす。
「実はね、いつも言ってたのよ。〝大雅がいるから今の私があるの。男と女という関係以上に……人間として感謝してるし、尊敬もしてる。面と向かっては恥ずかしいし重いって思われるから言わないけど、死んで来世があるとしたら、また大雅を見つけて愛せると思う〟って、真剣な表情で言ってたわ」
「……そうなんですね」
大雅は嬉しさと悲しさを抑えながら、ちらりと後ろを振り返り、美波の顔を伺う。
『……や、やめてー!』
美波は両手で顔を覆ってはいるが、耳は真っ赤になっていた。
それとともに感情の高ぶりが存在感を強めており、透けて先が見えるような体は若干濃くなっていた。
「そして、いつもその後に〝だからね、もし……もし万が一よ、大雅が他の人のことを好きになったら、私は気持ち良く送り出してあげたいと思ってるの。……変だよね、こんなの〟って、笑ってたわ」
悲しそうな笑みを浮かべて朱里が語る。
その言葉のひとつひとつに娘への無念が痛いほど伝わってくる。
「でも、まさかこんな形でお別れになるとは思ってなかったから、言いたいことも言えなかったし……やり切れなくて……」
鼻を啜り、嗚咽を漏らす。
朱里と大雅、そして幽霊となった美波しかいないその空間に飾られた花の匂いとカラスの鳴き声が心に響く。部屋全体を包む悲哀がその全てを重くしていた。
「大雅君ももっと言いたいこと、あったんじゃない?」
「……そう、ですね」
朱里の問いに大雅は口籠らせながら答える。
美波の顔を見ることは出来なかった。
「でも、あなたみたいな人が一緒にいてくれて幸せだったと思うわ。ありがとうね。……それとこれは美波と私からの最後のお願い」
朱里が姿勢を正し、大雅の方に向き直る。
正面から見る朱里は想像以上に疲弊しており、今にも倒れてしまいそうなほど脆かった。
「大雅君はまだ若いわ。……だから、これからは美波のことは忘れて他の人と幸せになってちょうだい。美波もそれをきっと望んでいると思うわ。だから……お願い、ね……」
零すまいと目に溜めていた大粒の涙が自身の服に垂れる。
口を抑え嗚咽を漏らさないようにするが、指の隙間から漏れる声は悲痛の極みだった。
何度も泣いたはずだ。
それなのに枯れることのない母の涙が大雅の心を抉り苦しい。
ぎゅっと心臓を握られては離され握られては離され……それを繰り返すかの如く細かい痛みが胸全体を襲う。
「…………」
大雅は眉間に皺を寄せ奥歯を強く噛みしめる。
美波の顔を伺うことも、朱里のお願いにすぐ返事をすることも出来なかった。
――おそらく美波のお母さんの言うことは正しいだろうし、長い目で見ても建設的である提案であることは理解出来る。美波のやり残したことは解消したいし、それで美波にも安心して欲しいと思っている……しかし、果たして、それは今すぐにしなければいけないことなのだろうか……まだ美波と一緒にいてはいけないんだろうか……美波は絶対に成仏しなくてはいけないのだろうか…………。
大雅の頭の中をぐるぐると回る葛藤という名の電車が煙を上げる。
やがてその燃料は尽き、熱を持ったまま止まる。
「……姉さん。葬儀屋の人が呼んでるよ」
朱里の弟、美波の叔父に当たる人が後ろから呼ぶ。
「ああ、分かったわ。すぐに行く」
朱里が腰を上げ、一度大雅にお辞儀をした後、叔父とともに部屋を後にした。
残された部屋で大雅は再度考える。
――いつかは自分の中で踏ん切りをつけて前を向かなくてはいけないと思っている。いつまでも止まっていては美波に負い目を感じさせてしまう。それは理解している。……しかし、果たして、その決断を僕は下すことが出来るのか。その決断に僕自身は心から納得することが出来るのだろうか。そもそもそれはいつの話なのだろうか。明日? 明後日? 一か月後? 一年後? 十年後? それ以上?
考えれば考えるほど浮かんでくる疑問の種は芽吹くのを今か今かと待っていたが、今の大雅にはそれを成長させる肥沃な土壌もなければ水もなかった。
そこまで大きくはないが、草木の手入れや細かいところの掃除までしっかりと行き届いた綺麗なお寺だった。
少し早く着いたみたいで準備する人達が忙しく動いている。
そんな人達の間を抜け、美波の棺の傍に座る美波の母、桜井朱里(さくらいあかり)に声をかける。
「美波のお母さん、こんにちは」
「あっ、大雅君、遠いのに今日はわざわざありがとうね」
「いえ、そんなことないですよ」
気丈に笑顔を見せてくれてはいるが、その表情は虚ろで心はここになかった。頬はやつれ艶のあった髪はぼさぼさになってしまっている。化粧で隠してはいるが、昨日も泣いたのか、若干目の周りが腫れぼったい。
美波の母は依然会った時よりも一回り以上は老け込んでいた。
『……お母さん……』
後ろで浮遊する美波が心配そうな声をあげる。
「大雅君……本当にありがとうね」
その言葉を皮切りに朱里がぽろぽろと言葉を落とす。
「実はね、いつも言ってたのよ。〝大雅がいるから今の私があるの。男と女という関係以上に……人間として感謝してるし、尊敬もしてる。面と向かっては恥ずかしいし重いって思われるから言わないけど、死んで来世があるとしたら、また大雅を見つけて愛せると思う〟って、真剣な表情で言ってたわ」
「……そうなんですね」
大雅は嬉しさと悲しさを抑えながら、ちらりと後ろを振り返り、美波の顔を伺う。
『……や、やめてー!』
美波は両手で顔を覆ってはいるが、耳は真っ赤になっていた。
それとともに感情の高ぶりが存在感を強めており、透けて先が見えるような体は若干濃くなっていた。
「そして、いつもその後に〝だからね、もし……もし万が一よ、大雅が他の人のことを好きになったら、私は気持ち良く送り出してあげたいと思ってるの。……変だよね、こんなの〟って、笑ってたわ」
悲しそうな笑みを浮かべて朱里が語る。
その言葉のひとつひとつに娘への無念が痛いほど伝わってくる。
「でも、まさかこんな形でお別れになるとは思ってなかったから、言いたいことも言えなかったし……やり切れなくて……」
鼻を啜り、嗚咽を漏らす。
朱里と大雅、そして幽霊となった美波しかいないその空間に飾られた花の匂いとカラスの鳴き声が心に響く。部屋全体を包む悲哀がその全てを重くしていた。
「大雅君ももっと言いたいこと、あったんじゃない?」
「……そう、ですね」
朱里の問いに大雅は口籠らせながら答える。
美波の顔を見ることは出来なかった。
「でも、あなたみたいな人が一緒にいてくれて幸せだったと思うわ。ありがとうね。……それとこれは美波と私からの最後のお願い」
朱里が姿勢を正し、大雅の方に向き直る。
正面から見る朱里は想像以上に疲弊しており、今にも倒れてしまいそうなほど脆かった。
「大雅君はまだ若いわ。……だから、これからは美波のことは忘れて他の人と幸せになってちょうだい。美波もそれをきっと望んでいると思うわ。だから……お願い、ね……」
零すまいと目に溜めていた大粒の涙が自身の服に垂れる。
口を抑え嗚咽を漏らさないようにするが、指の隙間から漏れる声は悲痛の極みだった。
何度も泣いたはずだ。
それなのに枯れることのない母の涙が大雅の心を抉り苦しい。
ぎゅっと心臓を握られては離され握られては離され……それを繰り返すかの如く細かい痛みが胸全体を襲う。
「…………」
大雅は眉間に皺を寄せ奥歯を強く噛みしめる。
美波の顔を伺うことも、朱里のお願いにすぐ返事をすることも出来なかった。
――おそらく美波のお母さんの言うことは正しいだろうし、長い目で見ても建設的である提案であることは理解出来る。美波のやり残したことは解消したいし、それで美波にも安心して欲しいと思っている……しかし、果たして、それは今すぐにしなければいけないことなのだろうか……まだ美波と一緒にいてはいけないんだろうか……美波は絶対に成仏しなくてはいけないのだろうか…………。
大雅の頭の中をぐるぐると回る葛藤という名の電車が煙を上げる。
やがてその燃料は尽き、熱を持ったまま止まる。
「……姉さん。葬儀屋の人が呼んでるよ」
朱里の弟、美波の叔父に当たる人が後ろから呼ぶ。
「ああ、分かったわ。すぐに行く」
朱里が腰を上げ、一度大雅にお辞儀をした後、叔父とともに部屋を後にした。
残された部屋で大雅は再度考える。
――いつかは自分の中で踏ん切りをつけて前を向かなくてはいけないと思っている。いつまでも止まっていては美波に負い目を感じさせてしまう。それは理解している。……しかし、果たして、その決断を僕は下すことが出来るのか。その決断に僕自身は心から納得することが出来るのだろうか。そもそもそれはいつの話なのだろうか。明日? 明後日? 一か月後? 一年後? 十年後? それ以上?
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