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四章
三十五話
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相変わらずの喧騒だが、周りを見ると店先の物を片付けている人が多い。
「帰るまで本降りにならなければいいですが……」
空を見上げ心配そうに寛大が言う。
「そうね。でも、今はそんなことより、勝手に抜け出した言い訳を考えないと」
そう言い、八千代が、うーん、と唸りながら歩いていると、ふと道の脇で腹を抱え蹲る子供が目に入る。
寛大もそれには気づいたようでちらりと視線を送るが、特別何かをすることはない。周りの人も寛大同様、その子供を横目で見はするが、それ以上のことはしない。
少しずつ景気が良くなってきたとはいえ、皆まだまだ生活していくのに苦労している時代。そんな時代に得体の知らない子供を気にかけているほどの余裕は誰にもなかったし、下手に声をかけて面倒なことに巻き込まれたくない、という気持ちは強い。
それに見ればその子供の服はぼろぼろで肘や裾はところどころ破けており、顔全体を覆うほど無造作に伸びた艶のない髪と手足に付いた無数の擦り傷や切り傷が痛々しい。
体格は小柄で恐らく寛大よりも年下であろうが、その子供の傍にはおよそその体格では持てないほどの炭が転がっていた。
町で買った炭を家に運ぶ途中なのか、それとも炭を町に売りに来たのか、詳細は不明だが、いずれにせよ、その子供が貧乏な家庭の子供であることは明らかであった。
その子供を八千代がじっと見る。
「八千代様、行きますよ」
寛大がそう促すが、その刹那、八千代はその子供の傍に駆け寄っていた。
「君、どこか痛いの?」
八千代が腰をかがめ、声をかける。
その子供が腹を抑えたままゆっくりと八千代の方を向く。
子供と目が合った八千代はその容貌に一瞬目を見開く。
痩せこけた頬、落ち窪んだ眼球、かさかさに乾燥した肌。
そのどれもが十分な栄養が取れていないことを如実に物語っていた。
しかし、八千代が驚いたのはそんな容貌だけではなく、その子供の瞳にあった。
左目は髪と同じ黒だが、右目は紅玉が如く深く濃い紅色に輝いていた。
「その目……」
八千代がそう言いかけた途端、子供は反射的に右目を右手で隠す。そして、牙をむき睨む。露骨に敵愾心を露わにするその様子は野生の狼にそっくりであった。
この時代に両の瞳の色が違う人がいないわけではない。しかし、その数は極めて少なく極々稀な存在であった。
まだ多様性が認められていない時代において、両の瞳の色が違う人は忌み嫌われていた。何をしたわけでもなく、ただただ生きているだけで災いを呼ぶだとか、悪魔の生まれ変わりだとか、噂され後ろ指を差されてしまう。農作物の実りが悪い年などは、天への奉納として、こういう人が生贄に選ばれる。
悲しいかな、それが当たり前の時代であった。
「お腹が痛いの?」
依然として警戒する子供を恐れることなく八千代は近づく。
そして、その頭に触ろうとした時、子供はむき出しになった歯で八千代の手に噛みついた。
「っつ!」
反射的に手を引くと、親指の付け根辺りにくっきりと残る歯形とともに血が垂れていた。
「八千代様! 大丈夫ですか⁉」
少し引いたところで見ていた寛大が駆け寄り、すぐさま傷口を持っていた手拭いで抑える。
「私は大丈夫よ。ありがとうね」
手拭いを器用に結ぶと、改めて子供に向き直り笑みを浮かべながら声をかける。
「驚かせちゃったわね。ごめんなさい。でも、君、お腹痛いんでしょう? 地面に蹲るくらいだから、早く医者に見せないと……」
八千代が、この辺だとあそこが近いか、などと独り言ちる。
ガルルルル、と唸り声を上げ警戒しながら見ていた子供の牙が徐々にしまわれる。
その瞳から不信感は残っている様子だが、警戒レベルが下がっていることは事実だった。
空から落ちる水滴一粒一粒が大きく、そして量が増えてきた。
「……八千代様、こういうことはあまり言いたくはありませんが」
寛大がそう前置きを言い、言葉を継ぐ。
「どこの誰かも分からない子供、ましてや忌み子」
「寛大!」
八千代が人目も憚らずに大声を上げる。その声には人を圧するには十分なほどの力が籠っていた。
寛大の肩が一度びくっと震える。
さらに雨に備え外の品物を中にしまっていた町の人々も足を止めて八千代達を見やる。
「その言葉は二度と使わないで! もし次使った場合は、いくらお前でも許さないわよ! 分かった⁉」
「……は、はい。ごめんなさい」
寛大が体と声を震わせながら頭を下げる。
「分かればいいのよ。私の方こそ、急に大きな声を上げてごめんね」
八千代が寛大の頭を優しく撫でる。
撫でられる寛大は目を細めながら頬の力を緩める。まさに飼い猫そのものであった。
八千代としても最愛の弟の頭を撫でるのは好きなので、このまま撫でていたい、という衝動に駆られるが、今はそれよりもやることがあった。
八千代が寛大の頭から手を離すと、寛大は名残惜しそうな表情を浮かべる。
「君、立てる?」
お腹を抑えながら八千代を睨む子供に手を伸ばす。
手拭いに滲む血が痛々しく、そして再度拒絶されるかもしれないという不安が残りはするが、そんなことは今の八千代に関係の無いことだった。自分が何をされようが痛がる子供を医者に見せることの方が大事だったのだ。
子供は目を泳がせながらも恐る恐る手を伸ばす。
その手は顔同様、骨格がくっきりと分かるほど痩せており、まさに骨と皮だけの状態であった。
八千代が一瞬悲しそうな表情を作り、子供の手を取る。
雨が強く降る中、八千代は寛大と子供の三人で医者の元へと向かった。
その子供こそ佐々木虎之助本人であった。
「帰るまで本降りにならなければいいですが……」
空を見上げ心配そうに寛大が言う。
「そうね。でも、今はそんなことより、勝手に抜け出した言い訳を考えないと」
そう言い、八千代が、うーん、と唸りながら歩いていると、ふと道の脇で腹を抱え蹲る子供が目に入る。
寛大もそれには気づいたようでちらりと視線を送るが、特別何かをすることはない。周りの人も寛大同様、その子供を横目で見はするが、それ以上のことはしない。
少しずつ景気が良くなってきたとはいえ、皆まだまだ生活していくのに苦労している時代。そんな時代に得体の知らない子供を気にかけているほどの余裕は誰にもなかったし、下手に声をかけて面倒なことに巻き込まれたくない、という気持ちは強い。
それに見ればその子供の服はぼろぼろで肘や裾はところどころ破けており、顔全体を覆うほど無造作に伸びた艶のない髪と手足に付いた無数の擦り傷や切り傷が痛々しい。
体格は小柄で恐らく寛大よりも年下であろうが、その子供の傍にはおよそその体格では持てないほどの炭が転がっていた。
町で買った炭を家に運ぶ途中なのか、それとも炭を町に売りに来たのか、詳細は不明だが、いずれにせよ、その子供が貧乏な家庭の子供であることは明らかであった。
その子供を八千代がじっと見る。
「八千代様、行きますよ」
寛大がそう促すが、その刹那、八千代はその子供の傍に駆け寄っていた。
「君、どこか痛いの?」
八千代が腰をかがめ、声をかける。
その子供が腹を抑えたままゆっくりと八千代の方を向く。
子供と目が合った八千代はその容貌に一瞬目を見開く。
痩せこけた頬、落ち窪んだ眼球、かさかさに乾燥した肌。
そのどれもが十分な栄養が取れていないことを如実に物語っていた。
しかし、八千代が驚いたのはそんな容貌だけではなく、その子供の瞳にあった。
左目は髪と同じ黒だが、右目は紅玉が如く深く濃い紅色に輝いていた。
「その目……」
八千代がそう言いかけた途端、子供は反射的に右目を右手で隠す。そして、牙をむき睨む。露骨に敵愾心を露わにするその様子は野生の狼にそっくりであった。
この時代に両の瞳の色が違う人がいないわけではない。しかし、その数は極めて少なく極々稀な存在であった。
まだ多様性が認められていない時代において、両の瞳の色が違う人は忌み嫌われていた。何をしたわけでもなく、ただただ生きているだけで災いを呼ぶだとか、悪魔の生まれ変わりだとか、噂され後ろ指を差されてしまう。農作物の実りが悪い年などは、天への奉納として、こういう人が生贄に選ばれる。
悲しいかな、それが当たり前の時代であった。
「お腹が痛いの?」
依然として警戒する子供を恐れることなく八千代は近づく。
そして、その頭に触ろうとした時、子供はむき出しになった歯で八千代の手に噛みついた。
「っつ!」
反射的に手を引くと、親指の付け根辺りにくっきりと残る歯形とともに血が垂れていた。
「八千代様! 大丈夫ですか⁉」
少し引いたところで見ていた寛大が駆け寄り、すぐさま傷口を持っていた手拭いで抑える。
「私は大丈夫よ。ありがとうね」
手拭いを器用に結ぶと、改めて子供に向き直り笑みを浮かべながら声をかける。
「驚かせちゃったわね。ごめんなさい。でも、君、お腹痛いんでしょう? 地面に蹲るくらいだから、早く医者に見せないと……」
八千代が、この辺だとあそこが近いか、などと独り言ちる。
ガルルルル、と唸り声を上げ警戒しながら見ていた子供の牙が徐々にしまわれる。
その瞳から不信感は残っている様子だが、警戒レベルが下がっていることは事実だった。
空から落ちる水滴一粒一粒が大きく、そして量が増えてきた。
「……八千代様、こういうことはあまり言いたくはありませんが」
寛大がそう前置きを言い、言葉を継ぐ。
「どこの誰かも分からない子供、ましてや忌み子」
「寛大!」
八千代が人目も憚らずに大声を上げる。その声には人を圧するには十分なほどの力が籠っていた。
寛大の肩が一度びくっと震える。
さらに雨に備え外の品物を中にしまっていた町の人々も足を止めて八千代達を見やる。
「その言葉は二度と使わないで! もし次使った場合は、いくらお前でも許さないわよ! 分かった⁉」
「……は、はい。ごめんなさい」
寛大が体と声を震わせながら頭を下げる。
「分かればいいのよ。私の方こそ、急に大きな声を上げてごめんね」
八千代が寛大の頭を優しく撫でる。
撫でられる寛大は目を細めながら頬の力を緩める。まさに飼い猫そのものであった。
八千代としても最愛の弟の頭を撫でるのは好きなので、このまま撫でていたい、という衝動に駆られるが、今はそれよりもやることがあった。
八千代が寛大の頭から手を離すと、寛大は名残惜しそうな表情を浮かべる。
「君、立てる?」
お腹を抑えながら八千代を睨む子供に手を伸ばす。
手拭いに滲む血が痛々しく、そして再度拒絶されるかもしれないという不安が残りはするが、そんなことは今の八千代に関係の無いことだった。自分が何をされようが痛がる子供を医者に見せることの方が大事だったのだ。
子供は目を泳がせながらも恐る恐る手を伸ばす。
その手は顔同様、骨格がくっきりと分かるほど痩せており、まさに骨と皮だけの状態であった。
八千代が一瞬悲しそうな表情を作り、子供の手を取る。
雨が強く降る中、八千代は寛大と子供の三人で医者の元へと向かった。
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