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銀細工の平かんざし

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 藤田の部下だという巡査は、明くる日の朝八時過ぎに現れた。

「片山ぁ、言います」

 ……朝っぱらから元気だな。

 藤田とは違い、愛想のいい若者だ。警視庁の役人には珍しい。言葉の雰囲気から江戸っ子ではないことがわかる。

「上方の人?」

 坊ちゃんが尋ねた。

「ええ、戊辰戦争の折に、江戸へ乗り込んだ口ですわ」
「へえ、若く見えるのに」

 子供が大人に『若く見える』はないだろう――と、思わず吹き出しそうになった。
 だが、片山も真面目に答えてやがる。

「奉公に入った先の店がつぶれたせいで食いっぱぐれましてね、あの頃は志士になるか、新選組にでも入ったら食えるっちゅう噂で、ちょいと剣術をかじっていたのが幸いしまして、戦のどさくさに紛れて新選組に拾ってもろたんですわ。言うてまだガキでしたからね、隊士やのうて、ただの使いっぱしりでしたけど。ほんで、ぼうっとしてたら京に置いてかれてしもて、ほうぼうの手で江戸にたどり着いたころには、局長の首は刎ねられとるわ、戦はとっくに北へ移動してるわ。ほんまにまあ、何やらしても愚図な男です」

 からからと笑うが、波乱万丈すぎやしねえか。それをこの若い巡査は、何でもないように笑い飛ばした。

 笑っていた片山が真顔に戻って、上着のポケットから手ぬぐいを取り出した。
 何かを包んでいる様で、それを掌に載せて広げると、ご丁寧に更に紙包みが現れた。

「藤田警部補から、一日限りやということで預かってきました」

 つまみ上げるように丁寧に開くと……
 それは銀細工のかんざしであった。平かんざしと呼ばれる物で飾りの部分は平らで丸く繊細な菊の透かし模様となっていて、飾りの先の棒は先端に向かって細く尖っている。元は美しい銀色だっただろうが、紙に包まれたそれは、まだらに酸化して全体が黒ずんでいた。

「けっこうでかいな……まるで花魁おいらんの前かんざしかこうがい(髪をまとめるための棒状の髪飾り)だな。どちらかと言えば玄人くろうと女が付けていそうな……。あまり町の女が付けるような意匠いしょうじゃねえ」

 自分が女に贈るとすれば、もっと小振りで控えめなかんざしがいいな。こういう大振りの物は品が無くて好かん。
 ふと、坊ちゃんと目が合った。少し(いや明らか)小馬鹿にしたように言われる。

「そりゃそうだ。なにしろ、菱屋に落ちていたってことは、芸者か遊女の物に違いないだろ」

(ああそうか!)

 藤田に預かったと言っていた。菱屋に落ちていた物なのだ。

「芸者衆は派手な髪型にしないし、半玉は花かんざしだから、多分菱屋に呼ばれた遊女の物だ。まさかこれが」

 坊ちゃんに、片山がにっこりと笑みで応えた。

「さすがですね。藤田さんが一目置くだけあるわ。そうなんです。警視庁では、これが小林殺しの凶器ではないかという見方をしてます」

 言われてみたら、確かに喉を突き刺すには丁度いい大きさと長さだ。

「しかし、あの日、あの時間に娼妓は呼ばれてへんのです」

 そうだ、小林殺しは昼間の所業。
 坊ちゃんがかんざしを手に取って眺めながら言った。

「そうだよね。たしか、昼食の席に芸者さんを呼ぶなんて贅沢だなあと思ったんだよね」
「はい、あの日は小林さんが石川さんを毛利家に紹介するために寄った席やったらしく、席には毛利家の財務を任されていた方もご同席されていたらしいですわ」

 片山の説明に、坊ちゃんが眉を寄せ反論した。

「毛利様が高利貸に金を? それは無いだろ」
「毛利様というよりも、その財務担当の方が金を借りたかったのではないかと」
「なりほど、つまり警視庁ではその借金の方向からも調べを進めているということだな」
「あああっ、俺としたことが!」

 片山が自分の口を押え、もだえる。

「ぶふっ」

 どうも、この男、警視庁で働いてはいるが、口が軽い。つい、苦笑いが零れちまった。

「大丈夫だよ、僕は口が堅いから。というよりも、僕はその線を疑ってはいないからな」

 意味深な言い方をして、平かんざしを片山に返した。ちらりと横目に見ると、花細工の根元に黒くこびりついた汚れに気付いた。

「巡査殿、まさかだと思うが、こいつぁ、厠から上げた物ですかね」

 けろりとした顔で答える。

「はい、そうですよ。警部補と菱屋さんの立ち合いのもと、下肥屋に糞尿を汲み取らせて凶器の探索をなさったそうで、そりゃあ、臭かったらしいですわ」

 片山は話しながら、鼻をつまんで顔をしかめた。

 だから紙に包んで、さらに布にも包んでいたのか――と、妙な納得をした。

 ――ああ、あれに触れなくてよかった。


 その後すぐに、三人で菱屋へと向かった。

「茶々、何処にいましたか」

 背負子しょいこから降ろすと、さっそく菱屋の亭主に挨拶して、挨拶の後に出た質問がこれだった。
 対し、菱屋は歯切れの悪い言い方と言うか、何と言うか……

「え、ええ、茶々ですね、その折は御迷惑おかけしました」

 別に迷惑など被っていないんだがな。結局呼ばれたものの話を聞いただけで、猫探しはしていないのだから。
 まあ、妙な事件に巻き込まれちまったが、これは菱屋のせいでも何でもねえ。

「あの後、蔵の鍵が閉まっていないことに気付いた丁稚が猫を見つけてくれまして。そのぉ、誰かが入った時に一緒に紛れて入り込んだのでしょう、お騒がせしてすみませんでした。ほんとうに」

 ぺこぺこと何度も頭を下げるが……

(蔵の鍵が開いていたって? じゃあ、そこに賊が潜んでいたってこともあり得るじゃねえか)

 俺がとっさに考えた可能性に共感する者はいなかったようで、巡査と坊ちゃんは、菱屋の言い訳などさらりと受け流していた。
 坊ちゃんなんぞ、聞き終わらないうちから厠の方に一人で這って行ってしまった。

「片山さーん、さっきのかんざしを」

 横着にも、振り返りもせず、手だけを差し出した。
 慌てて追いかけた片山が、先ほど見せた銀細工の平かんざしを、包み紙ごと坊ちゃんの掌に乗せると、坊ちゃんはかんざしを手に握ったまま、『立入厳禁』と張り紙されている扉を開けて、厠の中に入っていった。何の躊躇もなく。
 俺なんぞつい反射的に目を閉じたというのに。

 そっと目を開け、恐る恐る中を覗く。

「うわぁ……」

 思わず口に手をやっちまう。
 小林の血が濃い茶色に変色して、そこかしこに痕を遺していた。黒々とした部分は血だまりだった所だろう。乾いた今も惨状を伝えるに十分の禍々しさを放つ。

「あれから全く手を付けていない状態です。賊が捕まるまでは手を付けるなとの指示でして。営業を許してもらえただけでもありがたいことですが、うちとしてはさっさと取り壊してしまいたいものですよ」

 菱屋も怖々といった様子で中を覗いていた。

 坊ちゃんはと言うと、かんざしを手にしたまま跪き、動かない方の脚を血痕の上に投げ出していた。こうしないと中腰の姿勢が取れないからだ。そうして左の壁を手でなぞった。

「ここ、手型がある」

 片山が菱屋を押しのけ覗き込んだ。

「ほんまや。殺された仏さんのもんじゃないですか」
「小林さんにそんな力が残っていたとは思えないな。あの傷だと即死だったはず。喉に手をやることすら叶わなかったはずだ」
「つまり、殺した人物の手型やということですか」

 坊ちゃんは片山の見解には答えず、手にしたかんざしとその血痕らしき滲みをじっと見比べていた。

(神通力か)

 ああやってじっと見比べているのは、手の中のかんざしとあの滲みに何か繋がりを感じたからだ。例えば『念の色』とか……。

 よく坊ちゃんが言う『念の色』が、具体的にどういう色彩なのか、俺にはまるで分らないが、失せ物を探す時、そういう〈色〉や〈影〉など視覚的なものを頼りにしているのは間違いなかった。

 坊ちゃんは壁に手を添わせながら、
「いつもは失せ物を探すのですがね、此度は持ち主を探ろうって魂胆ですよ」と、一番後ろで中を覗き込んでいた菱屋に向けて言った。

「え、では、それの持ち主が小林様を殺したというのですか」
「持ち主ねえ……そうとも限りませんが。これで刺されたことには違いなさそうなのですが……」

(妙だな)

 今まで物探しに同行した中で、こんな風に不明瞭な反応を示したことが無かった。坊ちゃんが言い淀むことなど、めったと――いや、まったく無いと言って過言ではないのだ。それなのに……

 答えを知りたそうに菱屋が重ねて尋ねた。

「では、女の仕業ですか」
「……とも限らないということです。菱屋さんはこのかんざしに見覚えは無いとおっしゃったそうですね」
「え、ええまあ。遊女らの中には、平かんざしを使ってなさる方は大勢おりますし、そう言えば春木屋のミネさんも大振りのかんざしを好みますからね。でも割と昔からよくある形なので、見たことはあっても、はっきりと誰のだとは……」

 菱屋は言葉尻をもごもごと濁した。

「昔からということは、最近の流行りの形じゃないってことかな」
「そうですねえ。最近ではべっ甲の笄をたくさん挿すのが目立っておりますかねぇ。この手のかんざしも先が二股になったものの方が多いのでは……」

 その答えに納得したのか、それ以上何も見つけられなかったのか、坊ちゃんは程なくして厠から出て来た。
 手を伸ばす坊ちゃんを腕に抱え、濡れ縁に置いた背負子に座らせた。
 顔を見るに、もう帰ると言い出すだろうと思ったからだ。
 案の定、坊ちゃんがいとまを告げた。

「一旦帰ります」

 菱屋が眉を寄せる。

「かんざしの持ち主は」
「うーん、それが重要じゃないという気がしてきたので」
「えっ」

 菱屋が困惑した顔をした。
 俺も同じような気持ちだった。坊ちゃんの思惑の意味が汲み取れない。

「いったい何が見えたのですかい」

 帰りの道すがら、背中の坊ちゃんに問うてみる。

「見えたというか、見えなかったというか。かなりねじ曲がった意志を感じたことだけは確かだよ。ねえ、このかんざし、もう少し預からせてもらうことってできないかな」

 片山に頼むも、藤田の許可がないと無理だという答えしか返って来なかった。

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