駅前お友達倶楽部―月々3000円の友情ごっこ

森野あとり

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尚の問題

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 帰るなり、尚はベッドに寝転んだ。


「ナオ、手を洗ったの? すぐに夕飯よ」

 返事をしない息子に、母がため息を吐いているのが聞こえた。

 返事などできない。
 尚は泣いていたから。

 ――もう、あきらめていたのに……

 突っ伏して泣いていた。

 ――友達なんていらない。恋だってしない!

 それでも、母をこれ以上心配させるのも嫌だった。

 ――もう、散々泣いたんだ。

 枕カバーで涙を拭うと、ぐずぐずと起き上がり、制服を脱いだ。

 痩せた身体。白いシャツの上からそっと、胸を押さえる。
 ほんの少し、柔らかな感触がした。

 悔しくて、ぎゅっとシャツを握りしめた。
 唇を噛みながら、だぼだぼのトレーナーに着替え、一階へ下りていく。

 父親は今日も残業なのだろうか。
 中企業の中間管理職。四月、五月はいつも忙しそうだ。

 夕食は母親と二人きり。
 テレビもつけない静かな食卓。
 味噌汁を啜る音だけが、やけに大きく聞こえる。
 何かを言いたいのか、母親がちらちらと尚の方に目線を向ける。

 尚には何となく、母の言いたいことがわかっていた。
 わかっていつつ、それを話されるのが嫌で、拒絶するかのように母の方を一切見なかった。
 無言の問いかけに、イライラしながら食事を終えようとした時、ついに母親が口を開いた。

「ねえ、ナオ。病院の次の予約、もうすぐよね」

 ほら来た。
 ――やっぱり、そのこと……

「行かないよ」

 ガタン、と音を立てて立ち上がった。

「僕、行かないって何度も言ったよね」
「一度だけよ。ちゃんと聞いたのは」

 母の声が心なしか高ぶって聞こえた。
 冷静を装ってはいるが、彼女は明らかに息子を思いのままにしたくて焦っている。

「行かない。治療は受けない」
「どうして! ナオの為なのよ!」

 結局、母親って生き物は、自分の思い通りにいかなきゃ、こうやってヒステリックに喚くのだ。
 母が『ナオの為』と必死になればなるほどに、尚の心は冷めていく。

「僕の為じゃない。母さんの為だろ?」

 こんな風に、冷たくしたいわけじゃない。
 でも、嫌なんだ。そんな目で見られるのは。

「そんなこと……」
「治療を受けなくっても、僕が生きるには、問題ないんだろ? なら僕はこのままでいい。何も変えたくないんだ」

 母の目が痛くって、尚は視線を落としテーブルの皿を睨んだ。できるだけ冷静な声を作って言葉を足す。

「男でも女でもどっちでもいい」
「駄目よ」
「今は、今は僕は僕のままでいい。……そのうち必要だと思えば、治療する」

 ガチャガチャと乱暴に食器を台所に運んだ。耳障りな音が、母の声を掻き消せばいいと思いながら。

「お医者さまは、第二次性徴期の間から治療をした方がいいって」

 それでも母親の声は尚の耳に届いた。

「……生きて行けるなら、必要の無い治療だよ」
「ナオ一人で決めないで。パパにも」
「僕の体と心だ!」

 性の問題を、父親と相談するなんて考えられない。
 無神経だと腹が立った。

 もうこれ以上、話をしたくなかった。

 この話題だけじゃない。母親と話をすること自体が鬱陶しくなってきた。
 母を傷付けるような棘のある言葉を口にする前に、この場から逃げ出した。


 ――カチャ

 ドアには鍵が無い。
 だから、引きこもっていた小六の時に、自分で掛け金タイプのフックを取り付けたのだ。
 無理やり外から押し開ければ、外れてしまうような代物。それでも尚にとっては、精いっぱいの反抗だった。

 ――「僕の世界には入って来ないで。僕の世界を壊さないで」という主張。

 この小さなカギを、両親は壊さないでくれた。
 だから尚は今、学校に通えている。

 ドアにもたれ、六畳の部屋を見渡す。

 ベッドには大好きなパンダのぬいぐるみ。
 机の上には、アニメのフィギュアが三体。
 サイドテーブルにはパソコンとヘッドホン。本棚には文庫本と少女コミックと植物図鑑が並ぶ。

 FPSゲームが好き。意外にホラーゲームも好き。Kポップアイドルが好き。服はユニセックスなのが好み。読書が好き。でもラノベは苦手。植物図鑑を眺めるのが好き。異世界転生ヒーローのアニメが好き。でも少女漫画も大好き。

 ――ねえ、この部屋を見て、男の部屋だと思う? 女の子の部屋だと思うの?

「ここは僕の部屋だもんねえ」

 手垢で汚れたパンダを抱きしめた。





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