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十
「やめないで」
しおりを挟む「で、その女の人、どうなったの?」
未沙が尚の前にカフェオレを置いた。
尚と龍也が部室に帰ったのは既に五時過ぎ。バイト帰りの未沙が部室に顔を出していた。竜平も帰らずに残っていた。
「ああ、園長が来たらさ、観念したみたいでよ、素直に連れて行かれたわ。俺たちはそのまま帰って来たから、後のことは知らねえけど」
龍也は画面向こうの次郎長とゲームをしながら答えた。
「いくつくらいの女だった?」スピーカーから次郎長の声。
「まだ二十そこそこって感じかな。でも見た目はもっと幼く見えるぜ。ミサのが大人っぽい」
竜平が龍也を追及する。
「しかし、そのまま帰ったにしては、遅かったじゃないか」
「ああ、児相に寄っていた。どうせ休みでも、音無さんは居るだろうってナオが言うからさ」
尚の方をちらりと見る。尚は眠っていた。まだ体が本調子じゃないのか、ソファーに座ったかと思うと、知らぬ間に居眠りをしていた。
「ナオの奴、余程ツグミに腹が立ったんだろうな。俺、あんな風にきつい言葉を吐くナオを始めて見たよ」
「にしても、すごい偶然だね。それに、あそこにしんちゃんが保護されてるってさ、よくわかったと思わない?」
未沙が竜平に向かって言った。
「どうせ、お前の仕業だろ。な、次郎長」
竜平が次郎長にも聞こえるように、龍也の方に向かって言う。
「まあね」マイク越しに次郎長が答える。
「タツが施設に行ったって聞いたからさ、放置されていた元〈ナナコ〉のアカウントにメッセージを入れてみたんだ、ダメもとでね。『子どもにそろそろ会いに行ってやれよ』って。それにしてもあいつ、笑う程に喰いつき早かったな」
龍也が呆れた。
「で、情報流したのか。それ危険じゃねえ? もしヤバい奴だったらどうすんだよ」
「平気だろ。お前がいるし、警察だって張っている。ナオのことがあってから、けっこう警戒してるっぽいよ。それに個人名や施設の名前を悟られるような、へまなカキコはしねえもん。それでもあの場所が分かったってことは、母親本人だからさ」
「お前らしいやり方だな。ま、それはそうと、児相に行って何か分かったのか」
竜平がソファーから、オフィス机の方へ移動して来た。
「ああ。風俗店店長の父親さ、親権放棄を認めたってよ。むしろ、さっさと手を切りたがっていたそうだ。それとツグミの実家にも顔を出して来たってさ」
「その男ってヤクザとつながってんだろ。だったら、ドラッグじゃないにしても、妙な薬物の違法販売なんかに関わっていた女とは、さっさと手を切りたかったんじゃないの? あ、しまった!」
――ドォォォォ
次郎長の兵器が壊され、ゲームの画面が真っ白になった。
「あああ、またやられちまった。なあ、この〈GGGP〉ってヤツ、チートじゃね? 抜けようぜ」
「そうしよっか」
全く興味のない戦場の画面を眺めながら、竜平が更に尋ねた。
「で、そのツグミの実家については何か言っていたのか」
「ああ、ごく普通のサラリーマンの家庭だってさ。何の問題もない……ああ、ツグミのこと以外はな。結婚して近くに住む兄と、家から大学に通う妹がいるって言っていたな。警察から連絡があったのに、娘の居場所が分からないからどうしようもないって、嘆いていたってさ。で、もし、娘が捕まったり、そのまま育児放棄しなきゃならなくなったりしたら、自分ちで引き取るって言ってくれたみたいだ」
「放棄しなきゃならない状況だから、捨てたんだろう。さっさとその両親に引き取ってもらうべきだね」
竜平が、フンと鼻を鳴らした。
「そうだな。音無さんもそんなこと言っていた。だから近々、その両親が二人に会いに来るってさ。あ、次郎長、俺やっぱ、抜けるわ」
「おけ。マイクは繋いだままにしとくわ。勝手に喋っていてくれ。俺は便所」
ゲームのコントローラーを竜平の前に置いて、向かい側のデスクに座った。
「じゃ、一応は一件落着ってことなのね……の割には、ナオちゃん、ハッピーそうじゃ無いけどさ」
未沙が眠っている尚の髪にそっと触れる。その様子に、龍也は寂しそうな眼差しを向けた。
「このままその家に引き取られたら、きっともう会えないからな。そしたらそのうちきっと、シンもナオのことを忘れちまうだろ。まあ、ナオって奴はさ、見返りなんか欲しがる奴じゃないからさ、それでいいって思っているみたいだけどよ」
言いながらガサガサと引き出しの中を引っ掻き回した。
「けど、寂しいよね」
「まあな」
「タツ、何を探している」
竜平が机越しに覗き込んだ。
「お友達倶楽部の契約書なんだけどさあ、あれ、どこ仕舞ったっけ」
「それなら棚のクリアファイルの中だ」
立ち上がり、スチールの棚からクリアファイルを取り出すと、龍也の前に差し出した。
「今更なんでこんな物、必要になった?」
「……ナオがさ、契約更新を迷ってるからさ」ボソリと答えた。
その小さな声をマイクが拾っていた。
「な、ナオ、やめるのか?」
次郎長が再び会話に参入した。
「いや、辞めねえけどさ、多分……またシンに会うって約束もしてたしさ。でもほら、塾がつぶれたじゃん?」
「ああ、塾代の差額でねん出していた三千円が払えなくなったってことだよな」
竜平が冷静に答えた。
「だからさ、ナオの契約書の金額を変更したいんだけどさ……いいか?」
尚の契約書を取り出した。
「いいよ、あたしは。タツのお友達なんだもん。タツが決めた通りでいいんじゃない?」未沙が軽く答えた。
「言ったでしょ、タツの自由にしていいんだよって。みんなそれぞれに気楽に友達でいられる方法を選んだだけなんだもん。ナオちゃんにも重荷にならないでいて欲しいと思わない?」
「そうだな。金を払っている限りは遠慮しなくて良いってのが、メリットだったんだ。ちょっとした負荷を掛けた方がナオの為にはいいかもしれない」
「そう言うリュウはどうなんだよ。どうせお前もここを辞めるんだろ」
スピーカーから聞こえる次郎長の声は、明らかに不機嫌だった。
「受験だからね。仕方がないだろ」
竜平はクールに答える。
「やめないで!」その声に竜平が振り向いた。
尚が起き上がった。
「ナ、オ……?」
「僕、塾をやめたから勉強について行けなくなっちゃうかもしれないのに、見捨てないでよ」
真っ赤になりながら俯き、上目遣いに訴える。
「ナオは……」
竜平が尚の前に座り、顔を覗き込んだ。
「ナオは、素直じゃないんだな」
尚がふいっと視線を横にずらす。
「ふふ、いいよ。なら来月もここに来ようかな。人に勉強を教えるってのは、良い復習になるからね。そうだな、じゃあ、ナオには千円。この塾に通う代金だ。それなら小遣いの範疇だろ」
尚がコクンと頷いた。
「じゃあ、ここの金額を千に書き直しっと」
龍也がナオの契約書の金額欄の『3』の数字を修正テープで消した。
「一人で黙ってないで、そ、相談くらいしろ、馬鹿、ナオ」
画面の向こうから次郎長の声が聞こえた。それが嬉しくて、でも照れくさくて、ちょっと口を尖らせてみた。
「だってさ……でも……ありがと」
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初回公開日時 2019.01.25 22:29
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