駅前お友達倶楽部―月々3000円の友情ごっこ

森野あとり

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胸の痛み

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 日が暮れて未沙が帰って行った。未沙はみんなと会える時間を増やすために、休日のバイトを夕方以降のシフトに変更したのだと言う。

「せっかくナオちゃんともっと遊べるって思ってたのに。辞めちゃヤだよ」
「じゃ、中間考査をサボタージュしたナオには、追試対策の勉強を明日からだね」

 相変わらずの鬼先生っぷりを発揮して、竜平も帰った。

 静まりかえった二人きりの部屋に、アスファルトの臭いが窓の外から流れ込んできた。雨が降り出したようだ。
ゲーム機の電源を落とし、次郎長にも別れを告げた後、龍也が尚に声を掛けた。

「じゃあ、俺たちも帰るか」
「僕、帰りたくない」
「え?」
「なんでもない」

 聞き返されたから誤魔化した。梨花のヘルメットを抱いたまま、尚はじっと立っていた。

「ナオ、そろそろ帰らないと雨が本降りになっちまう」
「僕が帰った後、タツヤさんはどうするの」
「俺か……」

 少し考えている。

「少しだけ町中を流して、で、帰ったら姉貴の所で食わしてもらおうかな」
「雨なのに走るの?」
「土砂降りじゃなきゃ、問題ないよ」

 夜の街を走るグラディウスを想像する。その想像の光景に、尚の胸がキュッと締め付けられた。

「胸がね、痛いんだ」
「あ、もしかして、骨! ああ、気付かなかったよ、悪い! まだ完治してなかったのに、バイクの後ろとかきつかっただろ」

 勘違いした龍也がオロオロし始めた。

「あ、兄貴に頼んで車を出してもらおうか? それとも」

 ――「ナオは、素直じゃないんだな」

 竜平の言葉が尚の頭の中でリフレインした。

 ――素直になったら……。

「ねえ、タツヤさん。僕ね、家に電話して今日はタツヤさんとこに泊まるって言ってもいい?」
「は?」
「胸が痛いんだ、だから。迷惑?」
「いや、もちろんいいけど、大丈夫か?」

 龍也が尚の提案に戸惑っている間にも、尚は家に連絡を取っていた。

「あ、父さん、あのね……」

**

「何の電話だったの?」

 夕食の支度をしていた妻に代わって電話に出たものの、さて、この情報をどう伝えたら良いものか。

「いや、ナオがね」
「ナオだったの。もしかして遅くなるとか?」

 ――ほらこれだ。これで夕飯はいらないなんて伝えた日には……。
 気が重くなったが、尚の父親は勇気を出して伝えた。

「ナオが赤星君の所に泊まりたいってさ。いいだろう?」
「ちょっと! それ、許可したの? あなたってば」
「いや、ほら胸の傷が痛いみたいなことも言っていたから、好意に甘えさせてもらったら」
「なら、迎えに行くわよ」

 ため息が出そうになった。
 傷が痛むなんて、口実に決まっているじゃないか――言いたいのを我慢して、妻をなだめる。

「あいつももう中三なんだよ。あまり過干渉なのは、反抗期の男子に逆効果だと思うがね。それに男同士の話もあるだろう。相手が赤星君だったら信用できるよ」
「……あなたがそう言うのならいいけど。でもせめて、夕飯を作る前に言って欲しかったわ! ほんとにもう!」

 彼女は物わかりの良すぎる夫に精一杯の苛立ちをぶつけ、台所に引き返した。


***

「いいって」

 笑顔でスマホを返した。

「そっか。じゃあ、ここでもう少しゲームでもするか?」

 ちゃんと親の許可が取れたってことで安心したのか、龍也の表情が和らいだ。

「うん、でもお腹空いたよ」
「それじゃ、そこのファミレスにでも行くか」

 ――あ、胸の痛いの治っちゃった。ま、いっか。

 けれど食事の後、龍也の部屋に帰ると再び胸に「キュン」と小さな痛みが戻って来た。右手の拳を胸の真ん中に押し付ける。

 ――ここじゃないよなあ。

 少しずらして、みぞおち辺りを探った。

「どした? やっぱ痛むのか? 兄貴んとこへ鎮痛剤貰いに行こうか」

 尚の隣に座り、心配そうに覗き込んだ。

「ううん、そんな我慢できないって痛さじゃないんだよ。こうね『キュッ』て、なるんだ」
「まるで初恋みたいな感じだな」

 「キュッ」という表現が龍也の想像力を逞しくしたようだ。〈初恋〉という陳腐な言葉に尚が真っ赤になった。
 なんとなく元気のない尚の肩を、龍也が左腕で引き寄せた。その腕は筋肉が硬く盛り上がって逞しい。

 ――僕に無いものばっか、持ってるんだ。

 龍也に近付くと、鈍く光る耳のピアスに一つずつ触れた。

「ずるいな、タツヤさんば」
「なんでだよ」
「こんなにかっこいいのに、僕に無いものばっか持ってる」
「見た目なんて、あんま意味ないぜ」
「それって、自分がイケメンって自覚してるんだ」
「そう言うけどさ、ナオだってすごく魅力的だよ。気付いてないみたいだけどさ」

 ――僕のどこが? 僕なんかさ……

 再び胸がキュッとなる。キュンキュンして苦しくてどうしようもないのに、こんなに近くにいる〈お友達〉に、それを伝えることができないなんて。
 頭を龍也の肩に押し付けた。

 ――「ナオは、素直じゃないんだな」

 目を閉じる。

「僕は」
「え?」
「僕がお友達倶楽部を辞めなきゃならなかったとしても、タツヤさんには僕を追いかけて欲しかったんだ」

 目を閉じたまま言った。言ってはいけないと思いつつも、吐き出したい誘惑には勝てなかった。

「それって、大いなる迷惑ってやつでしょ」
「迷惑なんかじゃ」龍也のセリフは中途半端に止まった。
「僕ばっか、こんなに胸が痛いのに、ずるいよ」

 わがままで自分勝手な思いなのだ。それでも分かって欲しいのだと、その言葉を口にできない代わりに、尚は顔を龍也の胸にうずめた。
 泣くもんか。絶対泣いちゃだめだよ。
 泣けば龍也は慰めてくれるだろう。欲しいのは慰めの言葉なんかじゃないのだ。

「ナオ、どうしたんだよ。この間から変だ」
「変だよ、変だもん」

 顔をぐりぐりと龍也の胸にこすりつける。涙をうまく止められないから、龍也のシャツで拭った。

「言いたいことがあるんだったら、はっきり言えよ。俺さ、鈍感だからよ、心を読むとかできないんだよ。だから、ちゃんと言ってくれ」

 尚の頬を掴んで、自分の方に向けさせた。
 やっぱり尚は泣いていた。真っ赤になった目はシャツに擦られたせいで腫れていた。 

「ゴメン。俺、ナオを泣かせてばっかだな。でも」
「そんなの……わけないじゃん」

 聞き取れなかった。

「え?」
「そばにいて欲しいなんて……お金が無くっても、それでもずっとそばにいて欲しいなんて、言えるわけないじゃん!」

 思い切り龍也に体当たりした。不意打ちを食らった龍也が、尚を抱いたまま仰向けに倒れた。

「なんだよ、タツヤさんのバカ! バカあぁぁぁ」
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