駅前お友達倶楽部―月々3000円の友情ごっこ

森野あとり

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十一

現実と不安と

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「外泊するならするって、最初に言ってよね!」

 予想通り、母親の機嫌は悪かった。夕食の間中、ずっとぼやいていた。

「気にするな。男同士、話したいことだってあっただろう」

 母が台所に立ったのを確かめて、父が耳元で囁いた。

「うん、ありがとう」

 父は完全に尚を男として認めていた。母だってそうだ。それなのに病気が分かってから何かが曖昧になっていた。自分の中に女子に似た部分を見つけ、もしかしたらそのまま手に入れて良いものなのかもしれないと、奇妙な期待を持った。〈治療する〉という選択肢は、そんな曖昧な部分を殺してしまう事だと思い込んでいたのだ。

「父さん」
「ん?」
「僕さ、ちゃんと治療をしようと思う」
「ナオ……」

 思わぬ会話の流れに、父はテレビから尚の方に顔を向けた。

「その方が、身体にはいいんでしょ」
「ナオの場合はきちんと外性器の形成手術をすれば、女性との性交渉だって可能になるさ。なんだ、急に。好きな女の子でもできたのか?」

 思わずかぶりを振った。

「ちち違うよ!」

 真っ赤になって否定する。

「まだ早いと思って、父さんからは上手く助言をしてあげられなかったな。すまない」

 父が尚の方へ体を向けた。

「……そういう話、まだ早いのには違いないよ」

 真っ赤になりながら呟いた。

「そう言うんじゃなくてさ、僕、相良君に負けたじゃん。もっと強かったら、あんな風にボロ負けしなくて済んだのにって思うとさ」
「まさか、治療したら男らしくなれると思ってか?」

 やや呆れた感情を、父の顔から読み取った。

「そのまさかだけど。悪い?」
「あのな、良く聴け。女にだって強い人はいっぱいいる。ナオの言う強さは、ナオの疾患とは全くもって無関係だ……でもやっと前向きに考えられるようになったんだな。それだけでも、親として救われるよ」

 優しい父の態度に、ずっと反抗的だった自分に後ろめたさを感じ、言い訳をしてみた。

「父さん、僕はね、ほんとは曖昧なこの体のこと、嫌いじゃなかったんだ。でもさ……みんなそんなの変だって言うからさ。だから拗ねていただけなんだ」

 性分化疾患……この疾患を持つ人の大半は、自身の性に対して心の揺らぎはなく、むしろ不完全な性的機能を持ち合わせた身体の現状に悩みを抱いている。そこは性同一性疾患と区別されなければならなかった。そんな中で、この不完全で曖昧な体を好きだという尚の嗜好は異色だった。尚自身もそのことが心の中に疾しさとしてくすぶっていたのだ。

「ナオ、お前の好きなものが女の子っぽいものであっても、それはそれでいいんだよ。自分で自分を否定することはない」
「うん」

 治療の中に何か答えの一つが見つかるような気がしていた尚は、やや意気消沈した。その尚の表情に、十分な答えを用意してあげられなかったと感じたのか、父はさらに現実的な話をした。

「でもそれと治療は別だ。停留睾丸じゃない、つまり精巣が正常な位置にあるナオには癌の心配(停留睾丸は将来精巣癌になる確率が高い)は無いから急いで手術しようとか思わなくていいんだ。尿道下裂は早めの措置がいいかもしれないね。せめて彼女ができる前に。で、その胸はね、嫌になったのなら夏休みにでも病院に相談に行くか。ただ、それを取り去ったところでさっきの強くなるって話とは別物だけれどね」

 龍也から借りたTシャツはぶかぶかだった。その首繰りを広げて、中身を覗く。

「あれでしょ。今取ったところで、成長期の今はまた膨らんでしまうんだよね」
「可能性はあるが、ホルモン投与で抑えられると聞いているよ」

 だから医者も早急な形成手術を勧めていない。

「じゃあ、まだいいや。それに形成手術は佐野先生って決めてるんだ。ありがと。父さん」

 無邪気に笑ってみせた。

 部屋に入ると、音を立てないようにそっと鍵を落とした。ベッドに寝転び、さっきの会話を思い返しながら左手でそっと性器に触れた。未だに勃起すらしたことのないこの小さな附属物――父だってわかっているはずだ。形成手術をしたところで、おそらく将来、自分の子供を抱くことはできないだろう。そう考えると、セックスなんて自分にとっては不必要だと感じるのだ。

 前向きに考えれば考えるほど、避けられない現実が目の前に立ちはだかる。

 受験、将来の夢、大人になった自分、恋、エッチなこと、結婚……子供。

 それらは尚にとって、明るいビジョンをもたらす要素ではなかった。そういう暗い未来を考えたくなくて、今の自分を受け入れるという選択をしていたにすぎない。それだけに、治療という現実的な会話は、後からじわじわと不安を生み出していた。
 それでも父は、そうやって治療のことを考えられるようになった尚に、「救われる」と言った。

 ――こんな出来損ないの僕が産まれて、父さんや母さんが一番辛かったのかもしれないな。

 子供らしい勘違いに溢れた思考に浸った。こんなにも狭いのに、一人のベッドの広さに不安感が煽られる。
その時、机の上のスマホが光った。寝転がっていた身体を起こし、それを手に取って開いた。

 ――ナオ、寂しくて泣いてるんじゃね?

「もう、タイミング良すぎだってば」

 ――泣いてる。タツヤさんが泣かしたんだよ

 舌を出している絵文字を貼った。

 ――明日またハグしてやるから、泣くな。おやすみ
 ――うん! おやすみなさい。明日またね

 小さな画面に目をやると、既読の文字が増えた。その小さな文字に、安心感を覚える。

「また明日」


 中三の五月……ここに留まっては居られないことを、蒸し暑い夜が教えてくれた。
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