駅前お友達倶楽部―月々3000円の友情ごっこ

森野あとり

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十一

龍也の悪夢【龍也視点】

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「赤星君、大丈夫ですか」

 園長室を覗いたのは、継美の父親だった。

「あ、すみません」

 ソファーに横たえていた身体を慌てて起こした。

「あの、シンは……」
「妻と一緒におやつを食べていますよ。すっかり『ばっちゃん』と呼んでもらえて妻の奴、デレデレなんですよ」

 言っている本人の顔がにやけている。

「全然違うもんだな」龍也がボソリと呟いた。
「え?」
「俺の養父おやの笑った顔と、おじさんの顔……全然違うわ」

 微かな記憶の中の養父の笑顔。きっと幸せな日々もあったはずなのに、今はもう何も思い出せない。

「ねえ、君さえよければ」継美の父親が財布から名刺を取り出し、その裏に何かを書いた。
「これ、うちの住所です」

 ――布恋人『Friend』 リメイクと手作り 榊原悦子?

「妻がね、自宅の一階を改装して手芸のお店をしているんですよ。裏に書いた電話番号が自宅の番号です。つまり……君さえよければ、いつでも来てください。ちょっと遠いですし、それにあんな娘になど会いたくもないでしょうが。ですが、シンはきっと喜びます」
「い、いいのかよ。俺、空気とか読めねえからよ、社交辞令とかわからねえんだ。来ていいって言われたら、本当に押しかけるぜ」
「ええ、押しかけてくれていいですよ。真と菜々子が大きくなっていくのを、君も一緒に見守って下さい」

 ――誰かに似ている。

 にこやかに笑う彼を見て思った。――ああそうだ。
 笑うとしんちゃんに似ていた。一重の目が細くなって見えなくなるのだ。そして目尻に皺を寄せて……。

 ふと佐野氏の笑顔が浮かんだ。

 ――なあ、姉貴。俺、このおっさん、信じてみようかな。

 龍也は榊原悦子の名刺を、大切に財布のカード入れに仕舞った。




「今日はみっともないとこ見せてしまったな。ごめん」

 部室に行けば誰かいたかもしれなかったが、龍也はエレベーターに乗り込むと4のボタンを押した。誰にも会う気になれなかったのだ。

「ううん」

 尚が小さく首を振った。

「あんな昔のことを思い出すなんてさ、思ってもなかった」

 尚は黙って龍也に寄りかかっている。

「すげえ怖かった」
「今も怖い?」
「ちょっとな。でもさ、あのおっさんさ、いつでも会いに行ってもいいって言ってくれたからよ、俺、シンのことはもう、心配してねえんだ」
「おっさんって、榊原さんのこと?」
「そ、シンのじいさん」

 龍也はニッと笑った。

「そうなんだ、良かったあ。僕も音無さんに、しんちゃんたちが引き取られた後も会いたいって、話していたんだ」

 尚も同じことを考えていたのだと思うと、なんだか胸が熱くなった。

「今日さ、気付いたんだ」

 エレベーターのドアが開いた。エントランスのベンチに梨花が座っていた。

「遅かったじゃない。心配したのよ。藤田さんから連絡があって」

 梨花が龍也の前に立った。龍也はさっきの続きを話す。

「俺、自分が手にできなかった幸せな家族ってのを、あいつらに取り戻させたかったんだ。シンとああちゃんが幸せになることでよ、ガキの頃の俺が救われるみたいな?……へへ、相良が言ってたよな。『偽善者』って。それってナオなんかじゃなくってさ、俺なんだ。俺が本当に救いたかったのは昔の俺なんだよ」

 梨花が泣きながら龍也を抱きしめた。

「あたしはとっくの前に救われたってのに」
「ゴメンな。もう大丈夫だよ」
「バカ、本当に。辛くなるってわかっていたじゃない」
「大丈夫だよ。だからもう泣くなって」

 こうやって二人で辛い日々を乗り越えてきたのだ。

 尚が少し後ろから、姉弟のハグを眺めていた。




 ――あなたなんか引き取らなきゃ良かった。あなたたちのせいで、あの人は……。

『怖い、助けて』
 ――そんな目で見ないで。
『でも手を繋いでよ』
 ――やめなさい。……………やめないなら、いっそ殺してやろうか?
『そんなのお母さんじゃない、そんなのお母さんじゃないよ』
 ――邪魔だと言っているだろう!
『やだ、痛いよ、お父さんやめて、気持ち悪いよ、怖いよ。姉ちゃん! 姉ちゃん、どこ? お父さんが』
 ――お前まで引き取る気はなかったんだよ……なんだ、その反抗的な態度は!それが親に対する態度か!
『痛いよ。ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、だから姉ちゃんを許して』

 ――なら、お前が死ね。

 ――「タツヤさん、タツヤさん!」

『この声……? 誰かが泣いている』


「タツヤさん、起きて」
「ああ、ナオ」

 それが尚だとわかるのに数秒を要した。でも尚は泣いていなかった。

「ああ、俺、寝てたんだ」
「僕が下に行ってる間に、うたた寝していたみたい」

 ――確か……そうだっけ……?

 まだ夢と現実の境目があやふやで、頭がうまく回らない。
 部屋に戻ってから、喉が渇いていたのに冷蔵庫のジュースが切れていて……尚が一階のドラッグストアに買いに行くと言って出て行った。

 ようやくそこまで思い出した。

「何分くらい寝ていた?」
「さあ。十五分くらいじゃないかな?」

 尚が買って来たばかりのイオン飲料を、コップに入れて龍也の前に差し出す。

「寝汗酷いよ。夢、見たの?」

 ベッドに放置しているバスタオルを手渡された。

「ああ。すっげえ長い夢。昔っから見てた。最近は見ていなかったのによ」
「怖い夢?」
「ああ。お母さんとお父さんがさ、悪霊みたいな姿になっちまうんだ。で、その姿で俺を叱ったり、叩いたり、姉貴を犯したり……なんていうかな、現実と妄想が入り混じったみたいな、でもすごくリアルでさ。夢の中の俺は意気地なしで逃げて泣いてばっかなんだよ。こんなでかくなったのにだぜ。で、起きてすぐは、現実なのか夢なのか分からないんだ」

 尚の顔が引きつっている。こんな話、聞きたくもないだろうなと思いながらも、龍也は今見た夢という毒を吐き出すように話し続ける。

「終いにはお母さんが包丁を持ち出すんだ。……でも現実にはあの人が刃物まで持ち出したことは無かったはずなんだけどな。あ、でも寝ている間に首を絞められたことならあった。あれは、俺が万引きした時。あの夢のラスト、いつも夢の最後はお母さんに殺されてしまうんだ。めった刺しにされて目が覚めるんだ」

 ――あぁあ。また尚を泣かせちまった。こんな話、尚が泣き出すことくらいわかっていたのに。

 尚の目が真っ赤に充血して、今にも涙腺が決壊しそうになっている。

「俺、卑怯だな。ごめん、ナオ」
「意味わかんない。なんで僕に謝るんだよ」

 尚が龍也の頬をつねった。

「痛いよ」
「現実なのか分からないって言うからだよ。こっちが現実。僕がいる方が現実だよ」

 つねりながら泣いている。やっぱり涙は零れてしまった。

「泣くなよ。さっきの夢はさ、ナオに助けられたんだ。お母さんが俺を殺す前に、ナオの声が聞こえた」
「助けるよ! いつだって! いつもタツヤさんのそばにいられたらいいのに、そしたらタツヤさんを助けられるのに!」

 ――あぁあ。大泣きさせてしまった。

 抱きついて泣きじゃくる少年の髪を愛おしそうに撫でる。泣き虫な尚は、きっともう泣けなくなってしまった自分のために涙を流すのだと、そんな風に思う。

 ――今日の『僕』は泣いていたけど、今度あの夢を見ても俺はあいつらに立ち向かえそうな気がするな。


 龍也が悪夢を見たのは、この日のまどろみが最後だった。
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