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エピローグ
涙のち笑顔
しおりを挟む六月吉日。
しんちゃんとああちゃんが、榊原夫婦の家に引き取られて行った。もちろん継美も一緒に。
六月に入ってからも、尚は相変わらずお友達倶楽部に行っている。小遣いの三分の一を支払って。
*
「霧島、お前って女だったのかよ?」
クラスメイトが驚きの声を上げた。
体育の着替えの時だった。
「違うよ、こういう病気なんだ。うまくホルモンが働かないって病気。変だけど気にしないで」
尚は平然とその彼に言い返した。
いつもわざと遅れて着替えていたから、更衣室には尚一人だった。油断して上半身素っ裸になっている所に遭遇した彼は、驚きで口をあんぐりと開けたままだ。
はたと正気に返って言った。
「ああ、それでいつも……。うん、気にしねえよ、そんなこと。病気だったら仕方ねえじゃん。堂々としていればいいんじゃない? あ、でもさ、やっぱ目の毒だから、すっぱで堂々はやべえ」
そいつは「でへへ」とだらしなく笑った。
「だよね」尚もつられて笑う。
――なんだ、こんなたわいのない事なんだ。
「早く行こうぜ。今度の球技大会は、俺達三Cが優勝するんだからな、霧島も真面目に練習しろよな」
「うん、足引っ張らないように頑張るよ」
体育館シューズの紐を、キュッときつく結んだ。なんだかこの夏は楽しくなりそうな予感がした。
**
そして夏休みに入る一週間前の日曜日。
次郎長を除くお友達倶楽部のメンバー四人は、音無の車に揺られ、神奈川の片田舎に来ていた。
コンパクトカーの後部座席から龍也が首を出し、大きくため息を吐いた。
「う~、狭かったあ」
車から降りるなり大きく伸びをする。
「しょうがないでしょ。女の子を後ろに座らせるわけにもいかないから」
いつもは一つにまとめている髪をかき分けながら、音無が車から降りた。
「ごめんねえ、タツ」
未沙が悪びれた様子もなく、ぺろりと舌を出した。
「それにしてもいいところね。遠くに海。緑は豊かだし。ねえ、リュウもそう思わない?」
「ああ、そうだな。しかし良かったんですかね。僕たちまで」
竜平が少し不安そうに尋ねた。
「いいのよ。あなた達がみんなでこの結末に導いてくれたのだから」
音無が、「ほら早く」と彼らを手招きする。
山を切り開いた簡素な住宅街。人通りの少ないアスファルトには逃げ水が揺れている。
「たっちゅ! たっちゅ、来たよ、ママ、たっちゅ、来たあ!」
メルヘンチックな家の影から、しんちゃんが飛び出して来た。
「タツヤさん、しんちゃんだ。憶えていてくれたよ」
尚が龍也の手を握る。興奮しているのが手の汗でわかった。
「……」
龍也は無言で家の敷地に入った。
家には門扉が無く、赤や黄色や紫の明るい花がこんもりと植えられたコンテナが幾つも並べられ、来客を迎えていた。小さな庭の端っこでシンボルツリーが気持ちのいい木陰を作っている。
「ようこそ」
榊原夫婦がああちゃんを抱いて姿を現した。
「もうママ! 早くってばあ」
続いてしんちゃんに引っ張られ、栗色の髪をボブスタイルにした若い女性が玄関から出て来た。
「あの、ありがとうね。来てくれて」
その女性が、おずおずと礼を言う。
「もしかして、ツグミさん?」尚が尋ねた。
「うん。髪、色を変えたの。お母さんぽいでしょ、この方が」
照れ臭そうに視線を斜め下にずらす。
「あたし、ここでやり直すことにしたの、この子たちと。庄司とはちゃんと離婚できたし、ヒロトにもヒロトのお母さんにも謝って来た。佐野先生にもお礼に行ったよ」
継美の父親が大きくドアを開けた。
「ほら、外は暑いから、とにかく中に入って」
「わーい」としんちゃんが手を上げて喜んでいる。
「いこ、タツヤさん」
「タツ?」
「どうしたの。タツ」
龍也は動けなかった。
――だってよ、前が見えね……
目の周りに熱が集まって来る。なぜだか継美の顔も、しんちゃんも、おっさんもぼやけてしまうのだ。
――あれ、俺、泣いてんのか?
泣いても無駄だと悟った日から、涙は涸れてしまった。もうすっかり泣くなんてこと忘れていたのに。
――嬉しくっても出るもんなんだな。
「行こう、タツヤさん」
尚の汗ばんだ手が、龍也を引っ張った。
振り返り笑った尚の顔が、うんと昔の自分の顔とシンクロする。
少年の龍也ははちきれんばかりの笑顔で誘う。
――「ほら、僕も幸せになれたじゃん」
その手に引かれ、龍也は明るい家へと入って行った。
その頭上には、真っ白な夏雲が、真っ青な空に輝いていた。
完
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