さえずり宗次郎 〜吉宗の隠密殺生人〜

森野あとり

文字の大きさ
18 / 46
第二話 因縁

大奥の女

しおりを挟む
「宮井殿から先日の件について報せを受けている」

 その夜、きちんと玄関から訪ねて来た村垣が開口一番に告げたのは、戸山荘に入って行った闇餌差やみえさしに関することだった。
 珍しく、雲雀ひばりも同席して二人の会話を聞いていた。

「ああ、尾張の……あれをどうするおつもりですか。追わないのですか。追えと言うのなら、下屋敷に忍び込むくらいはやれますが」

 雲雀が初めに言っていた。『村垣の持ってくる仕事は碌なもんじゃない』と。

 ――「殺生は鳥だけで済まぬやも知れませんね」

 全く彼女の言った通りになった。四人も殺してしまった。だが、これで終いではない。むしろこれから、なのだ。
 だが村垣の話は思っていたものと違った。

「もう少し待て。尾張殿がかかわっているか否かを確かめてからだ」
「どうやって」
「そこは俺たちが検する。その先は上様次第や」

 政治的な交々こもごもが絡んでくるということである。むしろ、その言い方では、事実を探ること自体から逃げているようにも勘繰れる。

(なら勝手にしろ)

 役人が一人殺されている。宗次郎自身も殺されかけた。だが、その命とまつりごとを天秤にかけたとして、重さの傾きまでは口出しはできないのだ。
 村垣の用件はそれだけではなかったようで、話が済んだにもかかわらず、雲雀も席を立たなかった。

「で、先日の身投げの娘やが、確か、元大奥の使つかばんをしていたらしいな」

 村垣が雲雀の方を見た。

「ええ。あの人は月光院様にお仕えしていたの。大奥にいるとき、あの人を張っていたことがあったから、此度の身投げに引っかかりを覚えるのよ」

 宗次郎には全く話が見えない。

「どういうことだ」

 雲雀が姿勢を正して宗次郎の方に向き直った。

「八代目将軍には、実は上様と尾張の殿様の御二方が候補に挙がっていらしたのです」

 宗次郎が江戸に上がる前の話である。

「ですが、六代目将軍様の御正室であらせられる天英院様の御支持を受け、紀伊の御殿様が将軍と御成りあそばされたのです。こういったいきさつもあり、上様の息のかかったくノ一が大奥には絶えず数人、常に奥の動きを見張っております」

 宗次郎の知らない城内の、しかも大奥の内情であった。

「一年も前になりますが、七代目将軍様の御母堂、月光院様に間部まなべ一派の尾張安房守あわのかみ様がお近づきになったとの密告があり、様子をうかがっていたのです」
「その……『あわのかみ』とは、どなたのことだ。間部一派とは、上様と反目する派閥なのか」

 宗次郎には幕府の、特に上層の人間関係についての知識はない。雲雀が説明するも、まるで意味がわからなかった。

「安房守様とは、尾張の弟君にあらせられる松平安房守通温まつだいらあわのかみみちまさ様にございます。兄君の尾張殿を支持しておられたのが先の将軍様の側近であった間部越前守まなべえちぜんのかみ様です」

 一から説明している雲雀を見て、村垣が渋い顔をした。

「うーむ、先ずは宗次郎殿に此度の将軍御世継までの派閥争いを知ってもらわねばならぬな」

 己はただの殺生人。れと言われた相手を追い詰め始末するのが仕事だと思っている。だから勢力関係の構図などまるで興味はない――とばかり宗次郎は将軍の周りのことなど、気に掛けたこともなかった。せいぜい御側役の名と位を覚えるのが関の山である。
 しかし、村垣のにがり顔をみるにつけ、そうも言っておられないのだと悟り、黙って雲雀の話に耳を傾けた。

「実は、先の将軍様は年端もいかぬ幼君だったこともあり、その御側用人であった間部越前守様と新井筑後守あらいちくごのかみ様(新井白石)が後ろ盾となり、まつりごとを牛耳っておりました。その御二方、特に間部様に月光院様が大いに肩入れをなさって、一方で、譜代大名一派を推しておられたのが六代目将軍様の御正室であらせられた天英院様で」

「ちょっと待て」

 雲雀の話を、宗次郎が途中で遮った。

「つまるところ、幕府内の派閥争いは、六代目将軍様の御正室と御側室との勢力争いやったと?」

 やたらと複雑に聞こえるが、要するに女同士の喧嘩っちゅうことやんけ――と。

 雲雀がからかうように言った。

「あら、ご理解が早いですこと」
「おまえ、馬鹿にしているだろ」
「いいえぇ。まあ、平たく申しますと、そういうことです。ですが、実際には、七代目将軍様が御隠れになられると、月光院様は天英院様と手を組まれて、我が殿様を推すこととなったのですがね」

 つまり月光院様は、間部たちが支持していた尾張殿を裏切ったということか。いや、尾張殿というよりは、間部を裏切ったということだ。

「なぜ、そのようなことに」
「紀州の殿様が将軍になられるのは、すでに六代目様の遺言であったと私どもは伺っておりますが、定かではございません。ですが、尾張殿を推していた間部様と新井様は失脚。同時に、安房守あわのかみ様も後ろ盾が無くなり、幕府内での権力も失っていきました」
「……で、その安房守様が月光院様に近づいたというのは、怪しいことなのか」
「先の将軍様の御母堂につけ込んで、悪しき企てをたばかっているのでは、と用心したまでです。まあ、安房守様というのは、そういう御方だということです」

 なるほど――と、宗次郎は頭の中を整理する。

「では、浅井殿の娘さんはどういう関係が」
「上様の改革の一つに、大奥の節倹(予算節約)があり、それに関して大奥から強い反発がございましたの。で、その折、月光院様に安房守様が御近づきになられたので、私どもは月光院様を張っていたのです。その月光院様から安房守様の従者ずさへ使わされていた使い版が浅井様のお嬢様、お美津さんなのですよ」

 ようやく、話しのあらましが見えた。だから雲雀はお美津さんのことを知っていたのだ。
 ここまで黙って聴いていた村垣が口を開いた。

「だが、安房守様は昨年、尾張殿の手で帰国を命じられたと聞いちゃある。案ずるに及ばんやろ。それに月光院様に限っては、上様より吹上御殿を拝領なさっとる。何を不満に思う必要がある」
「ええ確かに。しかも安房守様が尾張に戻られた後、お美津さんも大奥の節倹に則り暇を出されたので、私たちもこの件に関しては手を引きました」

 結局、はかりごとの火種は消えたと判断したわけだ。
 だが……宗次郎の感じている不可解さを村垣が代弁するように呟く。

「それにしても、戸山荘も尾張。娘と関係があるかどうかはともかくとして、浮かび上がった安房守様も尾張け」

 天井を仰ぎ見た村垣の言葉に、宗次郎が同意した。

「なんだか気持ち悪いですね」
「ああ、気味がわりぃ」

「私は……」
 何かを言いかけ、雲雀が口をつぐんだ。

「言うてみぃ、見当違いでも何でもええ」

 村垣に促され、雲雀が神妙な面持ちで答えた。

「私、お美津さんは殺されたんじゃないかと……」

 それを聞いた宗次郎は、喉に刺さった小骨が抜けたような気持ちになった。

「実は、お美津さんが遺した草履に恋文らしき歌が添えられていたんだ」

 宗次郎があの時の状況を改めて説明すると、村垣が聞き返した。

「歌?」
「はい、崇徳院すとくいんという方の古い和歌です。お美津さんの手ではなかったことから、男から贈られたものだろうと浅井殿は思われたようです。あれを見せられた時から、どうも、あの身投げに納得がいかねえというか……引っかかっていて……」

 だからつい、雲雀に話してしまったのだ。
 宗次郎はあの日の状況を、村垣にも詳しく説明すると、村垣が眉間の皺を深くした。

「ほいじゃあ、お前さんは、お美津さんの恋の相手が殺しの下手人やと」
「いや、そうではない。むしろ、そんな単純なもんじゃないような気さえする」

 月光院と安房守の件といい、それに携わっていたお美津の死といい、どこかで何かが引っかかっているが、その本質が全く見えないでいる。それが気持ち悪い。
 ただなんとなく、お美津を死に追いやった恋が、ただの恋ではなかったような気がするのだ。むしろ、恋はただの見せ掛けではないかとすら思える。
 気がする――だけでは、検分のしようもないが。

「村垣殿。戸山荘の件について新たな下知があるまで、お美津さんのことを探っても良いですかね」

 この気持ち悪さを払拭したいだけなのかも知れないが、探ってみるべきだという己の勘を信じてみたかった。

「……別に悪くは無いだろうよ。お前の仕事は鳥刺しだ。その足でどこにでも行けるだろ」

 ひねくれた返答であったが、宗次郎と雲雀は目を合わせ、小さく頷き合った。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】『紅蓮の算盤〜天明飢饉、米問屋女房の戦い〜』

月影 朔
歴史・時代
江戸、天明三年。未曽有の大飢饉が、大坂を地獄に変えた――。 飢え死にする民を嘲笑うかのように、権力と結託した悪徳商人は、米を買い占め私腹を肥やす。 大坂の米問屋「稲穂屋」の女房、お凛は、天才的な算術の才と、決して諦めない胆力を持つ女だった。 愛する夫と店を守るため、算盤を武器に立ち向かうが、悪徳商人の罠と権力の横暴により、稲穂屋は全てを失う。米蔵は空、夫は獄へ、裏切りにも遭い、お凛は絶望の淵へ。 だが、彼女は、立ち上がる! 人々の絆と夫からの希望を胸に、お凛は紅蓮の炎を宿した算盤を手に、たった一人で巨大な悪へ挑むことを決意する。 奪われた命綱を、踏みにじられた正義を、算盤で奪い返せ! これは、絶望から奇跡を起こした、一人の女房の壮絶な歴史活劇!知略と勇気で巨悪を討つ、圧巻の大逆転ドラマ!  ――今、紅蓮の算盤が、不正を断罪する鉄槌となる!

『五感の調べ〜女按摩師異聞帖〜』

月影 朔
歴史・時代
江戸。盲目の女按摩師・市には、音、匂い、感触、全てが真実を語りかける。 失われた視覚と引き換えに得た、驚異の五感。 その力が、江戸の闇に起きた難事件の扉をこじ開ける。 裏社会に潜む謎の敵、視覚を欺く巧妙な罠。 市は「聴く」「嗅ぐ」「触れる」独自の捜査で、事件の核心に迫る。 癒やしの薬膳、そして人情の機微も鮮やかに、『この五感が、江戸を変える』 ――新感覚時代ミステリー開幕!

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

【完結】『江戸めぐり ご馳走道中 ~お香と文吉の東海道味巡り~』

月影 朔
歴史・時代
読めばお腹が減る!食と人情の東海道味巡り、開幕! 自由を求め家を飛び出した、食い道楽で腕っぷし自慢の元武家娘・お香。 料理の知識は確かだが、とある事件で自信を失った気弱な元料理人・文吉。 正反対の二人が偶然出会い、共に旅を始めたのは、天下の街道・東海道! 行く先々の宿場町で二人が出会うのは、その土地ならではの絶品ご当地料理や豊かな食材、そして様々な悩みを抱えた人々。 料理を巡る親子喧嘩、失われた秘伝の味、食材に隠された秘密、旅人たちの些細な揉め事まで―― お香の持ち前の豪快な行動力と、文吉の豊富な食の知識、そして二人の「料理」の力が、人々の閉ざされた心を開き、事件を解決へと導いていきます。時にはお香の隠された剣の腕が炸裂することも…!? 読めば目の前に湯気立つ料理が見えるよう! 香りまで伝わるような鮮やかな料理描写、笑いと涙あふれる人情ドラマ、そして個性豊かなお香と文吉のやり取りに、ページをめくる手が止まらない! 旅の目的は美味しいものを食べること? それとも過去を乗り越えること? 二人の絆はどのように深まっていくのか。そして、それぞれが抱える過去の謎も、旅と共に少しずつ明らかになっていきます。 笑って泣けて、お腹が空く――新たな食時代劇ロードムービー、ここに開幕! さあ、お香と文吉と一緒に、舌と腹で東海道五十三次を旅しましょう!

処理中です...