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第二話 因縁

暗躍する忍び

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 宗次郎は乙八おとはちと直接会ってみようと考えていた。
 正直、ああいう手合は苦手である。年頃の女子おなごも苦手だが、明らかに男色とわかる類いの男はもっと苦手だ。
 だから求馬や九鬼丸の距離の近さにも、初めはぎょっとした。武士同士、刀の柄が当たる距離には近付かないことが礼儀だと思っていたからなおさらだ。おまけに二人ともやたら、触れて来るものだから困る。
 だが、なぜか嫌悪感はない。恥ずかしくてたまらないが……
 しかし、乙八のように色を売る手合は無理なのだ。あれは自分にも同じように触れてもらいたがっている仕種だ。媚びを売るふしだらさに嫌悪する。
 だからこそ会って、本当の為人ひととなりを確かめなければならないと感じた。


(神楽坂向いて行くのも何日ぶりやろ)

 それほど経っていないはずだが、戸山屋敷の近くでずっと雀を追っていたこともあり、ずいぶん久しく思えた。

「と、その前に」中ノ橋を渡って、川沿いの道を選ぶ。

 紀伊国屋から筑土明神つくどみょうじんに行くには、中ノ橋を渡ってすぐ武家屋敷の間の道を行くのが近いのだが、実は今朝、角吉かどよしからつかいの者が来て呼ばれていた。

 どうせ呼びつけたのは求馬だと思っている。求馬の方でも上様から促されてお美津の件を探っていたはずだ。

(あちらはあちらで、何を掴んだんやろか)

 九鬼丸はお美津の件を探ることに反対していた。それでもきっと、あの我儘な求馬に押し切られて動いていることぐらい想像に難くない。九鬼丸がお美津と乙八の関係を知っていたのが何よりの証拠だ。
 だとしても、どこまで掴めたのだろうか。お美津が自分の兄君の遣いと会っていたと知った時、求馬はどうするのか。

「ごめんください」

 昼にはまだ早いというのに、すでに賑わっている店内を見渡し求馬の姿を探すも、いつもの席は知らない三人組の男が昼酒を愉しんでいた。

「あら、お待ちしていましたよ」

 宗次郎の姿を見止めた女将おかみが、奥からわざわざ出て来て迎えてくれた。

「あの、求さんは?」

 宗次郎の耳元に、女将が口を寄せた。

「それがね、求さんじゃないんだよ。求さんの上役だとかでさぁ。あたしが言うのもなんだけどさ、見るからに怪しい人相なんだよ」

 嫌そうな顔で奥の座敷を一瞥する。

「無愛想で嫌な感じだよ」

 案内された席には、手拭いで顔を覆った大柄な男が独り、ちびりちびりと酒をすすっていた。

(まさか!)

「うえ」
阿呆あほうが、お忍びの意味が無くなるような真似をするな」

 「上様」と言いそうになった口を扇子で封じられ、下げようとした頭にゲンコツが落ちて来た。

「そこに座れ」

 言われなくとも座りますよ――心の中で言い返し、げっそりした表情を隠さず、将軍吉宗の前の席に着いた。

(なんやねん。雲の上の御方は下々しもじもを驚かせたり、からかうんが趣味なんか)

 どういう態度を取るのが、この場合の礼儀であるのか見当もつかず、ただ下を向いて正座をする。
 いつも求馬が座っていた席にいる三人組の一人の肩が揺れた。

(笑われた?)

 どうも知らぬ顔だと思ったら、上様の御付きの者らしい。衝立ついたての向こう側の客もそうに違いない。周りは上様が連れてきた伊賀者に囲まれているというわけだ。

「まるで叱られた小僧だな」

 ククっと喉を鳴らして笑う吉宗は、相当人が悪いと思う。

「尾張の冷や飯食いが、おもろい報せを持って来よった」
「……お美津さんの件でしょうか」
「ああ」

 ぐびり、湯呑に入った酒を喉に流し込むと、さらに声色が低くなった。

「して、お前が探り当てた下屋敷の件だが、あれも求馬に探らせようと思う」

 思わず宗次郎は顔を上げた。

「内の者の手引きかも知れぬのに……でございまするか」
「そうじゃ。敢えてあ奴にさせることに意味がある」

 こうやって、江島や間部も陥れたのだろうか――と、村垣に教わった話を思い出す。同じように、求馬も陥れられるのだろうかと。
 しかし求馬はその殿に、『おもろい報せ』を届けたのだ。つまり、第一の関門はうまく抜けたと考えてよい。
 少し考えた。喋って良いことと悪いことの区別が難しい。だが、宗次郎の好奇心の方が勝った。

「あの……殿とのは何をご存知であらせられまするか」

 おずおずと尋ねた宗次郎に対し、吉宗は何事もないようにさらりと答えた。

「存じる……か。ふん、知っておるというよりも、心当たりを探ろうってだけだ。浅井の娘の件を探らせたら、面白い奴がかかったからな。もしや戸山の件も、そ奴の仕業であろうかと踏んだまでだ」

 上様の心当たり――まさか。

「……もしや、名古屋……でありましょうか」

 声を潜めつつ問うた。

「阿呆のふりをして、やはりさといのう。さすがは」

 吉宗が言いかけた言葉を、ハッとしたように飲み込んでしまった。だが、続いたであろう誉め言葉を、宗次郎自ら否定した。

「いいえ、私は確かに阿呆でございます。未だ真実が見えませぬ。川村殿の御息女に色々教わって、初めて物の形が見えつつあるというほどに、世間知らずでございました」

 今になって理解する。なぜ雲雀ひばりが自分の側に置かれたのか。
 所詮、田舎育ちの武芸馬鹿である自分には、隠密としての知恵も知識も足りないのだ。

 それを聞いた将軍が鼻を鳴らす。

「ふん、何もかも見通せたら、わしとて苦労はせん」

 そしてずいっと体を前のめりに近づけると、声を低くした。

「さて、その下屋敷の件だが、名古屋で隠居しておるはずの弟君の意志を感じてのう。あれは、わしにだけでなく、兄である藩主にも恨みを抱いておるゆえ」

 弟君とは、名古屋に帰された松平安房守通温あわのかみみちまさを指していることは明白だ。

「浅井の娘が奥で女中をしていた頃、日本橋の船宿で会っていたのが、弟君の手下である忍びの者だという所まで突き止めたのだが、実はその忍び、すでに名古屋の城から消え、行方知れずだという報せが届いたのじゃ」

(通温の隠密……)

 立花楼で女中に扮したくノ一が見たという、中間ちゅうげんの格好をした遣いに違いない。

「その者の名は」
相賀辰蔵おうがたつぞうという」
「まさか!」

 うっかり、声を上げてしまった。『相賀』は宗次郎の育ての父の苗字である。

「お主の父と同じく、根来衆ねごろしゅう末裔まつえいであろう。尾張徳川は根来の残党を抱えておるからな」

 宗次郎は無意識に首筋を擦っていた。ついぞ忘れていた腹の中の石ころが、ごろごろとうごめく。

「戸山の件、その忍びの暗躍が臭わねえか?」

 忍び崩れなどではない。尾張に雇われた正式な隠密……しかも、同朋……
 宗次郎の胸がかき乱される。

「お前を襲った奴らと言い、役人を殺した奴と言い、それ相応の腕を持つ武芸者であろう。しかもお前が見たという用心棒はたかが三人。もっとあの屋敷には潜んでおろうよ」

 宗次郎もそれは考えていた。いったい何人規模で雇っているのかと。

「一応、御先手組おさきてぐみ美濃屋みのやに乗り込んだが、あのことに関わっていたのは亭主と番頭だけだった。ほかは用心棒すら雇っておらぬ」

 だとすると、やはり尾張の下屋敷の中……あるいは上総屋かずさや
 思案する宗次郎の顔を見て、不意に吉宗がにやりとした。

「しかし、尾張の末っ子。あの男は兄と違い、無欲で正義感も強い。此度こたび沙汰さたで、下級の家臣だけが罰を受けたことに憤りを見せておったわ」

 せやろな――と思う。あの男ならば、胸を痛めていそうだ。

 ――「弱い者いじめは許せなくてな」

 見ず知らずの商人を助けようと、己の身分も顧みず、往来で無頼漢ぶらいかんに立ち向かった無謀さを思い返す。

「で……じゃ。お主の方は、いま少し浅井の娘の件を深く調べよ」
「はっ」
「わしの読みが正しければ、この二つの件、いずれどこかで繋がるであろう」

 煮売り屋の座敷で平伏するわけにもいかず、軽く頭を下げるにとどめたが、吉宗は意に介する様子も見せず、「おい、勘定だ」と、小銭を置いて一人で出て行ってしまった。
 続くように、やはり三人組も席を立つ。続いて、二人組の浪人姿の男たち……みな、チラリと宗次郎の顔を窺うようにして店を出た。

(御広敷伊賀者……か)
 あれほど優秀な忍びを抱えていつつ、己に殺生人を託す意味は何なのだろう。彼らはまるで忍びだとは感じさせない雰囲気で店を出て行った。きっとどこかで見張られていたとしても、気付くことなどできないな――と、嘆息する。

 さて、本当に上様の読み通りであろうか。

 上様御一行が帰ってから、少し遅れて角吉を出た宗次郎が向かったのは、揚場町に面した軽子坂かるこざか
 武家屋敷を抜け、雲雀が言っていた地獄――岡場所の色茶屋を目指した。

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