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第三話 復讐の形

相賀家の闇 一

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「上様より、下屋敷の敷地にて町方の不正をゆるした者がいるとの報せを受け、その調べのため我が腹心である中間ちゅうげんを隠密として屋敷に忍ばせておりました。もとより屋敷はおのが藩同様、多少の不正も無いことはないゆえ、そこそこは目を瞑ってやると。しかし役人殺しが関わるとなると、そうも行かぬというのが上様の御達しでござった」

 闇餌差やみえさしの件を包み隠さずさらす求馬に、村垣の方が慌てているが、求馬は構わず話し続ける。

「ところが、その中間を使わせてすぐ、下屋敷に常駐していた家臣の一人が不審の死を遂げ、さらにその中間も消えたのでござる」
「消えた? 消されたのか」

 村垣が問い返した。

「いえ。屋敷に行ったという形跡もなく、あいつの部屋も空っぽで、あいつに……その男に下賜かしした懐刀かいとうだけが、部屋に残されておりました」

 宗次郎にも分かった。九鬼丸は求馬を捨てたのだ。
 最後に見たあの空洞のような無感情の目は、求馬との決別を映し出していたのだ。

「名は……いや、隠密であれば名も無かろうが、差し支えなければ……」

 杢右衛門もくうえもんの問いに対する求馬の答えに、宗次郎は顔から血の気が引いていくのを感じていた。

「通称は九鬼丸。しかし、宗次郎殿が調べた浅井殿の御息女の身投げ。あれに九鬼丸が大きく関わっているとなると、以前から兄、通温みちまさに仕えていた隠密であった〈相賀辰蔵おうがたつぞう〉であると考えるのが妥当であると思われまする」

 宗次郎が抱いた疑念が的中していた。上様の読み通り、戸山荘の件とお美津の件が繋がったのだ。そしてそれを見逃したのは、――己の甘さ。

「兄の帰藩と入れ替わるように、辰蔵が名古屋の城から消えていたことはすでに把握済みであったが、まさかそれと俺が囲っていた小者が同一人物だったとは、ついぞ気付けず……」

 頭を下げようとした求馬より早く、隣に座っていた宗次郎が畳に頭を叩きつけた。

「宗次郎?」

 何も知らない杢右衛門が驚いている。

「私のせいです! 私が兄上を斬らせたのも同じだ!」
「何を言うか。まだ、誰が三九郎を斬ったとも決まっておらぬ。ただの辻斬りやも知れぬでは」
「いいえ! いいえ、九鬼丸の差し金にちがいありませぬ。九鬼丸が乙八おとはちと親しい間柄であったのを私は知っておりました。戸山荘にて私が襲われた時、助けてくれたのも九鬼丸でありました。『餌差えさしとして御公儀に雀を売っているならば、奴らから手を引け』と忠告したのも九鬼丸です。情に流され、目を曇らせたのはこの私に間違いございません。九鬼丸は私の正体に勘付き、その上で……」

 もはや村垣の顔も、父の顔も見ることができなかった。機会はいくらでもあったのに、結局、九鬼丸の正体を見抜けなかったのだ。いや、見抜くことから目を逸らしていた。求馬と親しくなったことで、自ずと尾張徳川家の不利になるような現実から目を瞑ってしまった。
 雲雀ひばりの言うとおりだった。懐に入っても、情を移されてはならなかったのだ。
 失態は大きすぎる。額が畳にめり込むかと思われるほど、宗次郎はその頭を圧し続けた。

「よしてくれ。お前に九鬼丸を逢わせたのはこの俺だ。あいつの素性も知らずに飼っていたのも俺なのだ。全ての責任は俺にある」

 膝を前に進めた求馬に、無理やり顔を上げさせられた。

「して求馬殿、その、九鬼丸とやらの父の名をご存知であろうか」

 杢右衛門の意外な問いに、求馬が再び居住まいを正した。

「父親……でございまするか。名はわかりませぬが、九鬼丸同様、我が城に仕えておった隠密であると聞いておりまする。しかし十年ほど前、ある仕事の折にしくじって敵方に斬られたとか。詳しくはわかりませぬが、もしや……」

 求馬の言葉尻に杢右衛門が問いを重ねた。

「何か心当たりでも」
「いえ、まことか否かは定かではありませぬが、以前、九鬼丸が拙者に、父親の出は紀伊であると漏らしたことがございまして……」

 それを聞いた杢右衛門と村垣が目を合わせ、頷き合った。
 村垣は、そのまま視線を宗次郎に向けた。
 宗次郎は自分の顔が、斬られた三九郎よりも白く生気を失っていることに気付けない程、動揺していた。

「少し、昔の話を聞いてくだされ」

 一瞬で歳をとってしまったような口ぶりで、杢右衛門が語り始めた。ふたをしていた過去に思いを馳せるような遠い目つきで……



 ――あれは、今から十九年前のこと。和歌山は那賀郡ながぐん粉河寺こかわでらという古い寺の門前に、やたら豪華な産着にくるまれた赤子が捨てられておった。

 那賀ながとは、和歌山城から少しばかり紀ノ川を上った地である。
 那賀の東にあった粉河の村に流れる紀ノ川の支流沿いは水鳥が豊富で、古くから紀州徳川家の御鷹場おたかばがござっての、粉河寺のすぐそばに御鷹狩のための御殿ごてんも建てられておった。
 今でこそ在郷餌差ざいきょうえさしが増えておるが、古くは犬を御鷹の餌にしておったゆえ、かの地に住む餌差は二軒かそこらであった。
 その頃はまだ〈生類憐みの令〉のもと、大名の御鷹狩は禁じられておったのだが、我が殿ときたら、和歌山に帰藩の際には欠かさず鷹狩をされるというほどの鷹狩好きでござった。であるから、殿が江戸に御勤めの間も、我ら鷹匠は定期的に粉河の屋敷に出向いていたのだ。

 あの日、わしが粉河の餌差頭である大林を訪ねると、軒先に幼いわらしがおってな、機嫌よう、すずめと戯れておったのじゃ。

 そうよ、その童こそが宗次郎じゃ。

 四年前に捨てられていたという赤子は、〈十吉じゅうきち〉と名付けられ、育てられておった。
 小鳥と戯れ、小鳥を自由に操る様を見て、わしはこの子を引き取りたいと大林に申し出たのじゃ。後は宗次郎の知る通りじゃ。
 その足ですぐに根来衆ねごろしゅうの末裔である男を訪ねた。そのまま十吉を男に預け、武芸を仕込ませ忍びとして育て上げるよう頼んだのじゃ。そしてわしの見込み通り、十吉は天賦てんぶの才を発揮し、見事、忍びとしての技も武術も身に着けて育っていった。そして相変わらず、小鳥を操るのも得意であった。

「あの日、十吉……つまり宗次郎を預けた男の名は、〈相賀周作おうがしゅうさく〉という」

 黙って杢右衛門の話を聞き入っていた求馬が、その名を聞くや、驚きに目を見張る。

「相賀……ということは、つまり、九鬼丸は宗次郎の兄、であるのか」

 見開かれた求馬の眼が、ゆっくりと宗次郎を見下ろす。
 だが杢右衛門は軽く首を横に振った。

「いや、そうではござらぬ。周作しゅうさく殿には正蔵しょうぞうという名の兄がおりましてな、本来家督を継ぐのは正蔵であったが、彼奴は紀州を去ったゆえ、残った周作が家を継いでおったのです」
「何ゆえ、正蔵殿は紀州を去られたのでござるか」
「もとより、豊臣秀吉によって滅ぼされた根来衆の残党は、尾張徳川家に召し抱えられておりまする」
「そうじゃ。我が藩の隠密のほとんどは根来衆の末裔にござる」
「そして残りの遺臣いしんも今では江戸で根来鉄砲隊として配置されてござるのは周知のとおり。しかし、ひっそりと和歌山に残り、紀伊徳川家に仕えていたのが相賀家でござった。彼らは主に紀伊徳川家、隠密の手先として働いておりました。つまり」

 杢右衛門の言葉尻を求馬が拾う。

「つまり、紀伊徳川の正式な家臣ではなかったと」
「そのとおりにございまする。そこが尾張殿に囲われた根来衆残党との大きな違い。いつ切り捨てられるか危うい影の立場に嫌気のさした正蔵は、紀伊領を抜け、以来行方知れずでござった」
「まさか、それが九鬼丸の……」

 求馬の瞳が泳ぐ。

「しかし、このような残酷な偶然が、あって良いものか! それがまことであれば、宗次郎と九鬼丸は……」

 我が事のように悔しさをにじませる求馬に、円座する全員が項垂れた。だが杢右衛門が語った真実は、その推測をはるかに超えて壮絶であった。

「その正蔵と周作が、今から十年近く前、和歌山城下にある相賀屋敷で殺されるという騒動が起こりましてな」

 全く違う話の流れに、求馬が怪訝な顔になった。それまで求馬と目を合わせていた杢右衛門の視線が逸らされ、その視線は深くこうべを垂れる宗次郎に注がれた。

「何か家督についてのもめ事でもあったのでしょう。周作と正蔵が言い争い、お互いに刀を抜いたところで、屋敷に通っていた小者が慌てて人を呼びに出たのでござった」
「俺が駆け付けた時には、二人とも死んでいたがな」

 争いの顛末を見届けたのは村垣であったようだ。

「俺が見た時にゃ、背中に刺し傷を負って傷だらけの周作殿と、その下敷きになった十吉。さらに刀を持った若い男がおって、正蔵は火箸ひばしでこめかみを突かれて死んどった。いってえ、誰がどいつを殺したんかさっぱりわからん有様で、その若い奴が多分、周作殿を刺したんやろが、まんまと逃げられてしもた。その後はさっぱり……」

 重苦しい空気が、部屋の底に渦巻いているようだった。宗次郎はその重苦しさから顔を出し、足りない空気を求めるように叫んだ。

「ちゃう! 俺が、俺が、伯父貴を殺した! 俺が九鬼丸の親父さんを殺したんや!」

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