さえずり宗次郎 〜吉宗の隠密殺生人〜

森野あとり

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第三話 復讐の形

九鬼丸との対決

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 御鷹部屋から帰ってすぐ、宗次郎は上総屋かずさやを張ることにした。戸山荘で五郎蔵ごろぞうたちが口にしていた鳥問屋である。そこに黒幕が現れるはずだと、敢えて取り調べをせず、泳がせていたのだ。上総屋を常に御広敷伊賀者おひろしきいがものの忍びが張っていた。

「伊賀者の見張りは最小限に留めてください。できれば無くてもいい。今日から俺が見張ります、九鬼丸が現れるまで。ついでに岡っ引きの手下にも下がらせてもらえるとありがたい」

 村垣にそう告げると、大いに反対された。

「そいつぁ、危険すぎる。お前の親父さんをやったのがほんまにそいつやったら、一対一でぶつかるのは危険だ」
「私も反対です。それにその方が、今も尾張徳川家と繋がっていないとは限りませんよ」

 雲雀も村垣の言うことに賛同する。

「んなことはわかっとる。求さんの元を去ったとしても、元々、あいつは安房守あわのかみ様の手下や。だからこそ、安房守様が上総屋らの不正にかかわっているという証拠を消すためにも、上総屋に近づくこともわかっている」
「せやから、俺らの手下と岡っ引きが常に」
「せやから、いつまで経ってもあいつは現れんのや。そないな気配に気付けん男やない」
「やったら、余計に危険やないか! おまんが勝てるという確証なんぞねえだろ! 宗次郎まであいつの手に」
「だったら、村垣さんだけ来てくれたらええ。わかりやすい見張りはいらんっちゅうことや」

 宗次郎が村垣を睨んだ。

「仕方ねえな。んじゃ、お頭に話を付ける。宗次郎さんも一緒に来い」


 ◇

 村垣の案で、宗次郎は藩士の格好を装い、紀州藩士らと共に浅草御蔵に向かった。

 上総屋は浅草の御蔵前片町おくらまえかたまちに店を構える水鳥問屋である。
 浅草御蔵には幕府の米蔵がずらりと並び、ここ片町は直参(幕府直轄の家臣)への切米きりまい(俸給)を請け負う札差ふださしを筆頭とした商人らの町であった。
 川を埋め立て造られた八本の船入り堀には雄大な大川から絶えず船が出入りしている。更に向こう岸にある本所との間を渡し舟が行きかっていた。
 御蔵前片町は堀の隣を流れる支流、鳥越川の橋を渡ってすぐにあった。この賑やかしい通りの札差へ、紀州藩士らと共に入り、その後、独りここに留まった。こうすることで、九鬼丸と上総屋の眼を欺こうとした。
 そしてこの商家の二階の窓から、宗次郎は上総屋の間口を睨んでいた。

「大変ですなあ。しかし上総屋さんも、何をやらかしたのやら」

 蔵宿くらやど(札差のことを武士はこう呼んでいた)の番頭のお国は上方なのか、その言葉尻に上方言葉の名残を感じる。彼は探るように言うと、宗次郎に茶を差し出した。
 その茶を受け取り、宗次郎は野次馬根性丸出しの番頭に答えた。

「いえ、上総屋さんがどうとかではなく、ある人物を探しているだけなので」

 上総屋が怪しい――などという噂が立つと面倒だ。という用心からの牽制であったが、番頭は思い出したように言った。

「そういえば、最近では餌差さんの出入りが減っておりましたなあ。ちょっと前は、人相の悪い鳥刺しらが出入りしていたのでね、嫌な気がしていたのですよ」
「以前はもっと出入りがあったと?」

 番頭が格子窓から上総屋の間口を覗いた。

「ええ、梅雨入り前は、もっと大きい鳥籠を背負った男らが出入りしておりましたな。最近ではそのお方もとんと見ませんが。ま、水鳥は冬鳥が多いよって、夏場になると魚を卸したりもしているようですからねえ」

 全く別の商売なのによく観察しているものだと、差し出された茶をすすりながら、同じ方向に目を向ける。番頭の言う『人相の悪い男』は、鳥請負とりうけおいの佐助らのことだろうと考えられる。
 しかし、宗次郎がこの二階を借りて三日が過ぎたが、まだ目当ての人物は現れていない。村垣は、九鬼丸が現れる前に鷹役人か餌差役人が上総屋を訪ねるかもしれねえ――と案じていた。

 捕らえられた五郎蔵の自白によると、上総屋は五郎蔵ら以外に、御公儀の餌差らにも仕事を請け負わせていたらしい。その証言から、奉行所では上総屋に出頭させようとしたのだが、上総屋に金を貰って働いている役人をあぶり出すには、泳がせる必要があると判断して今に至る。
 
(しかし、黒幕が九鬼丸なら、俺らの動きはわかっとるやろ。さっさと上総屋から手を引くためにも、新たな仕事を公儀の餌差らに引き継がせるはず……あるいは、口封じのために動くはずだ)

 パサササ

 窓のさんすずめが留まった。
 雨だ。
 雨宿りの雀は四羽。宗次郎は差し入れに貰った握り飯の米粒を窓の隙間から差し出すと、その内の一羽が気付いてついばんだ。隣の雀にもやろうと指を伸ばした時、傘を差した見慣れない男が、上総屋の勝手口の方へと回るのが見えた。
 いつも出入りしている業者や客ではなかった。
 雨に濡れないよう尻を端折った男の腰には、大小の刀が見えた。
 宗次郎は、そいつが店の敷地内に入ったのを確認すると、すぐに蔵宿を出て、同じように上総屋の裏口に回り込み、葦簀よしずの陰に身を隠した。
 心の臓が大きく跳ねている。もしや相手にこの音が聞こえやしないかと、馬鹿な心配をしてしまうほどに、冷静さを欠いていた。

(あの身丈、大股で歩く後ろ姿……)

 待つ時間はわずかであった。
 雨が気配を消したのか、男は宗次郎の前を、何食わぬ顔で歩き去って行った。

「おい! 気付いているんだろ。待てよ!」

 葦簀の陰から飛び出し、鳥越橋を渡ろうとしていた男の背中に向かって、大声で呼び止めた。

「ふう」

 いつもの飄々とした表情で九鬼丸が振り返った。そして大きな息を吐いた。

「待てと言われて待つと思うのか。相変わらずだな」

 激しくなった雨足に、宗次郎の乱れた前髪から雫が落ちた。しかし、それを払う間に九鬼丸が消えてしまいそうな気がして、指一本動かせずにいると、九鬼丸の方から近寄って来た。

「なあ、十吉」

 その名に、迂闊にも肩が跳ねる。

「やはりそうか。名が違っていたから、気付くのが遅くなっちまった。お前が鷹匠の養子だと知った時から疑ってはいたのだが」

(そんな寂しそうな顔をするやなんて)
 ズルい――と、宗次郎は軋む心の内を悟られぬよう、九鬼丸に向かって睨みを利かせた。

「俺はあんたにとって、かたきなのか」

 九鬼丸がにやりとした。

「だったら、俺もてめえの親父の仇だろうが」

 降りやまない雨が二人の距離感を惑わせる。だがすでに九鬼丸は宗次郎の間合いの中に居た。

「それを知って、なぜ俺を斬ろうとしねえ。だからてめえは甘いってんだ。求馬もお前も、甘すぎて喉がむせ返っちまう!」

 言い終える前に傘は九鬼丸の手を離れ、瞬時に宗次郎も後方へ跳んだ。

「てめえに親父を殺された後、俺は一人で尾張へ逃げ帰った。俺たちの仕事は交代で紀伊に入っていた藩主の監視だったんだ。だが、親父は違った。てめえの親父を、尾張の隠密おんみつに引き込もうと考えていたらしい」

 九鬼丸の口から、正蔵と周作の争いの原因が明かされた。

「いいや。あいつが欲しがっていたのは、てめえだ」

(俺?)

 あの日の正蔵の、獣のような血走った目が過る。

「お前の才に俺の親父が惚れたのさ。俺よりも強くなると親父は言いやがった。だが、あいつが本当に惚れていたのは、十吉の肌と顔と、その淡い瞳の色だったらしい」

(だから、力づくで……)

「ま、お前を襲ったものの返り討ちに遭ったがな。お前が今でも血を怖がるのは、あの時の記憶があるからだろうな。その手で人を殺したからなのか、親父がてめえを庇って死んだからなのか。それとも俺の親父がてめえを犯したからなのか」

 九鬼丸の口角が目いっぱい引き上げられると、それはすぐに大きく開かれ、心をえぐる怒号が吐き出された。

「だからてめえは甘いってんだよ! いいか、あの後一人逃げ帰った俺は、腹を斬るはずだった。あんな糞みてえな男でも、俺の親父には違いないからな。それを見捨てて帰ったんだ、当然だろ。だがな、通温みちまさ様は死なずに帰って来て偉かったと、お褒め下さった」

 九鬼丸の口から語られた過去が、言葉以上に壮絶だったことくらい、容易に知れた。
 激しくしぶきを上げる雨。
 宗次郎の脚元からみて来る寒気は、決して梅雨寒つゆざむの所為だけではない。
 「甘い」と連呼される通り、己の甘さと情けなさを痛感してしまうと、いつしか九鬼丸に対して、恐れを覚えていた。

「『仇討あだうちなど何の役にも立たぬ。これからの忍びは武術ではなく知恵で動け』と諭され、親父に替わって通温様に仕えることとなったのさ。求馬に近づいたのも、奴が紀州殿に気に入られているからにほかならねえ」

 話しながらもじりじりと間合いが詰まる。

「そ、そんなこと、ばらしちまってええんかよ」

 寒さからなのか、あるいは怒りなのか、宗次郎の声が震えた。

「求馬はとっくに知っているだろうよ。紀州殿の鼠は、かなり優秀らしいからな」

 遠く、九鬼丸の背後で、黒い雲の間に閃光が走った。それに目をやった瞬間、雷鳴と共に刀が振り下ろされた。
 辛くも助広で受け止めたが、体格差は否めない。宗次郎は弾き飛ばされ、足を滑らせた。しかしそれも想定内であった。濡れた地面に手を突くと、崩れた体勢のまま九鬼丸の頭上まで飛んだ。 
 着流しの裾がスパッと切り裂かれ、もう一瞬遅かったら足を失う所だったと、息を呑んだ。

 刃と刃がぶつかった金属音と共に、火花が散る。

 間合いを推し量ったかのように、遠雷えんらいのとどろきを聞いた時、足元に赤い花がボトトと落ちた。
 花びらに見えたそれは、九鬼丸の血だった。九鬼丸の腰に切っ先が届いたのか、脚に血が垂れていた。

「宗次郎よ。お前がどれほど強かろうが、俺には勝てねえんだよ。なぜかわかるか」

 雷鳴の中に九鬼丸の笑い声が響く。目の前に迫った白刃に、あの日の光景が重なった。

「忍びに情けなんぞ、何の意味もねえってことを、その頭に叩き込むんだな」

 情けなどかけた気も無ければ、躊躇したつもりもなかった。それなのに、次の一撃を繰り出せたのは、九鬼丸の刀が自分の喉を切り裂く寸でのところで、刹那、宗次郎は死を覚悟した。
 チリッとした痛みを首元に感じた時、九鬼丸は宗次郎から離れた位置まで跳んでいた。

「大丈夫か!」

 走り寄ってきたのは、行商人姿の村垣だった。宗次郎の脚元には、村垣が投げたであろう十字の手裏剣が転がる。

「すまん、助けが遅れちまった」

 詫びる村垣を押しのけ、叫ぶ。

「九鬼丸ーっ!」

 しかし叫んだところで、すでに九鬼丸は声の届かない所まで走り去っていた。
 ザアザアと雨が激しく降る中、白くかすんだ九鬼丸の背中が、さらにぼやけて滲んでいく。

 村垣がいることも忘れ、宗次郎は涙を流していた。

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