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第三話 復讐の形
吉宗からの喝
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(今の俺では九鬼丸に勝てれへん)
宗次郎は朝の早くから鳥刺しにも行かず、ひたすらサリサリと竿を削っていた。竿を削りながら、九鬼丸から受けた最後の斬撃を、何度も思い返していた。
偉そうに『伊賀者の手下を上総屋から外してくれ』と言ったくせに、せっかく現れた九鬼丸を逃がしてしまった。それに対して、村垣からも伊賀者頭からも、咎めなしではあったが……
そもそもが勝てる相手ではなかったのだ――という結論だけは出したくなく、かといって自分の失態の原因を探ることから目を逸らせすことなどできず、頭の中では目の前にまで迫った九鬼丸の刃が何度も再現されていた。
間合いは見切れていたと思うのだ。二度ほど剣を交わせると、体格差や力では勝てないものの、速さを駆使すればどうにかなるとわかった。九鬼丸の動きはさほど狡猾なものでもなかった。
それなのに、届くと思った切っ先は届かず、追いつくと思えた背中にもするりとかわされ焦った。そして、ただ一度届いた切っ先も、足元に散った血の色に怖気づいてしまったのだ。
「忍びに情けなんぞ……か」
独り言つと、悔しさを伴った情けなさが、腹の底から湧いてきた。情けなさを振り払うように、削った竿を傍らに置くと、台所に向かった。手桶に水を張り、大きく息を吐く。
今度は水屋に置いてある甕を引っ張り出した。この甕にはトリモチが入っている。甕の蓋を開け、またもや大きく息を吐いた。それから先程の手桶に指を浸し甘茶色のトリモチを親指分くらいの文量だけ取り出すと、蛤の殻の窪みになすりつけた。
トリモチを入れた蛤と水桶を大事に抱えると、とぼとぼという表現がぴったりなほどに、肩を落として再び仕事部屋に戻った。
その様子を、まるで呆れたような目で雲雀が眺めていたことに気付いてはいたが、相手にする気力も沸かなかった。
手作業をしていれば、この情けない気持ちも紛らわせられるだろうと、無心に手を動かす。
指を水で濡らし、指先でトリモチを少量つまみ出して小さく丸めると、竿先にくっつけた。そこからごく薄く、薄く延ばして細長い帯状にしながら竿先に巻いていくのだ。宗次郎の竿先に巻くトリモチは他の餌差たちのそれよりも薄くて短い。少しでも鳥を傷めずに狩るためだ。
竿の先端から掌分ほどトリモチを巻き切ると、他の物にくっつかないよう気を付けながら、出来上がった鳥刺し棒を濡れ縁に並べていった。蛤に入れたトリモチが無くなれば、再び台所脇の水屋へ向かう。
手持ちの竹を全て使い切ったことに気付いた時には、すっかり陽が高くなっていた。
息を吐き切り、ようよう情けなさの原因に目を向けた。原因なんぞ、初めから痛いほど理解している。出遅れるのは九鬼丸が言うような「情」だの「優しさ」だのという、如何にも甘くて清廉な感情の所為ではない。そこに横たわるのは、ただの弱さだ。血の色を恐れる、ただの腰抜け。
(このままやったら、俺は九鬼丸に勝てれへん)
血を怖がること。九鬼丸を未だ憎めないこと。どちらも宗次郎から勝機を遠ざけるには十分の要因である。
おまけに乙八の死に様が、今になって重くのしかかっている。
全ては安房守の仕組んだ謀反が発端である。九鬼丸はそれを実行するただの隠密だ。そう……わかってはいても、最後の最期で、体は動きを止めるのだろう。きっと頭でわかっていても、やはり同じようにあと一歩のところで出遅れて、その隙を突かれる。
そこにはきっと、斬られてもなお「やったのは九鬼丸やない」と言ってしまう自分がいるのだ。そう言って死に行く己の姿が、あまりにも容易に思い描けてしまうことが悔しくて情けない。
「宗次郎さん、お客様でございます」
悶々としていた思考が、雲雀の呼びかけで中断された。
「主屋の客間にお通しされているそうです」
おそらく求馬が来たのだと、腰を上げた。
――「求馬もお前も甘すぎて、喉がむせ返っちまう」
吐き捨てるように放たれた言葉の刃。今度は浴びせられた台詞の一つ一つが頭の中で繰り返され、益々心が重くなった。
そぼ降る雨の間を縫うように主屋へと急ぎ、濡れ縁から上がった。
重い心を引っ提げたまま、どういう顔をして良いのかもわからず、黙って襖を開いた。と、前を見て呼吸が止まった。
「う、上様」
一拍置いて、はっとして慌て、頭を擦りつけた。
「ふん、誰が訪ねてきたと思ったのか知らぬが、そのように暗い顔で現れると、辛気臭うてかなわん」
上座に坐した将軍吉宗から苦言を賜り、益々顔が上げ辛くなる。
「さっさと来ぬか。これでも忙しい身なのじゃ」
「は、ははっ」
慌てて吉宗の前に座るも、部屋には将軍と自分の二人きり。何を言われるか……よりも、どう対応するのが正しいのか分からず、ただ黙して畳を見ていた。
「尾張の忍びを逃したようだな」
いきなり核心を突かれ、思わず顔を上げた。
宗次郎と目が合うと、吉宗の眉が下がった。
「斬られたのか」
喉元の浅い切り傷を扇子の先で指される。
「そう泣きそうな顔をするな。別にそれを叱る気はない。奴が根来修験者の一人であることくらい、こちらも掴んでおる。おぬしが敵わなかったとて仕方なかろう。おぬしより強い忍びだった、ただそれだけじゃ」
思いがけぬお言葉に胸が詰まった。唸りともつかない声が、喉の奥からせり上がり、宗次郎はそれを必死でこらえた。しかし、すぐに吉宗の声色が変わった。
「で、奴はまことに、てめえが斬れねえほど強えのか」
「申し訳」
「おいおい、間違うなよ。俺は詫びろと言っとるんじゃねえぞ。『てめえに勝てねえ相手だったのか』と、聞いてんだよ」
ほとんど恫喝にも近い物言いに、宗次郎は肩を縮み上がらせた。
「よもや、情けをかけたとか言うんじゃねえだろうな。自分の父親の仇に対して」
吉宗はすでに何もかも知っていた。
答えを窮する宗次郎に、こんこんと言い聞かせるように続ける。
「本気でてめえよりも強い相手なら、こちらも手を変えねばならぬ。だが、俺の考えでは、てめえの方が奴よりも強いはずだ」
「それは買いかぶりでございまする!」
心の中では、無責任なことを言ってくれるな!――と叫んでいた。それを見透かすように、呆れた声が落ちてきた。
「よう、そのような言い草ができたものよ」
宗次郎は武士としての躾がなっていなかった。だから平気で言い訳をする。
「しかし、父は九鬼丸の父親に負けました! 九鬼丸は父を負かした男の息子です」
将軍に向かって、勝てない言い訳など口にする家臣がどこに居ようか。だが吉宗もその言い訳に対し、真っ向からへし折りにかかった。
「だがな、てめえの技は親父を超えておる。村垣のお墨付きじゃ。奴は城の伊賀者の中でも抜きん出て強い。その奴がてめえの腕を認めてんだよ。もっともらしい言い訳など口にするな、たわけが!」
宗次郎はうつむき下唇を噛んだ。
「そのお前が勝てぬ理由はただ一つ」
吉宗が膝を前ににじった。近寄られた分だけ圧を感じ、息苦しさに耐えながら、続く言葉を死刑宣告を待つような気分で待った。
吉宗がただ一言だけ放った。
「てめえには覚悟がねえ」
「死ぬ覚悟なら、いつでもできておりまする! 次こそは相打ちとなってでも!」
弾く様に返した答えに、間髪入れず断じられた。
「てめえに無いのは、生き延びる覚悟なんだよ、阿呆が」
もう、何が正しい答なのかわからなくなる。阿呆と言われて、目が点になった。
「てめえの親父は、死なすためにてめえを庇ったのか」
言われ、脳裏をよぎったのは、父の最期の言葉。
――「生き延びろ」
「死ぬことで俺の役に立つのなら、なんぼでも死ね!」
激しいお言葉に目頭が熱くなる。だが吉宗の声は次第に柔らかくなる。
「だがな、死体が何の役に立つと思うのじゃ。てめえに足りねえのは、俺のために生きる覚悟だってのが、まだわからねえのか」
茫然とした。
(上様のために生きる覚悟……)
「てめえの意地やら根性やら、あるいは武士道か。そんなもん、俺にゃどうでもいいこった。俺の下で働く覚悟さえありゃあ、しくじって死んでも惜しんでやる。だが、てめえにその覚悟がねえから、その技に迷いが出るんだろうが」
(上様の下で働く覚悟……)
今更だった。そんなものは初めから持ち合わせていなかった。殺生人というのが嫌で、血を見るのが嫌いで……それでもそれが自分に課せられた使命だから……これが生きるべき道として用意されていたものだから……
「お前にとって、俺は命を懸けるにふさわしくねえ将軍か」
思いもよらなかった台詞に、咄嗟に伏せていた目を上げ、大きく頭を振った。
「なあ、宗次郎よ。江戸を牛耳るということは、日本という国を治めるっちゅうことじゃ。紀伊の御城の殿様でおるのとはわけが違う。良いか?」
次の言葉を待つ宗次郎の眼を吉宗が見据えた。その目をかっと見開くと、威圧感に満ちた声で怒鳴るように言い放たれた。
「よく聞きやがれ、宗次郎! 俺が腹ぁ括って将軍に居座ったのとおんなじように、てめえもさっさと腹を括りやがれって言ってんだよ!」
まるでやくざの親分が子分に叱るような言い草であった。
「わかったか!」
「ははっ」
思わず宗次郎が頭を畳にこすり付ける。それを見届けるよりも早く、吉宗がその場に立ち上がった。
その気配を察したかのように、襖が開けられる。慌てて立ち上がった宗次郎を見返りもせず、吉宗は紀伊国屋を後にした。
宗次郎は朝の早くから鳥刺しにも行かず、ひたすらサリサリと竿を削っていた。竿を削りながら、九鬼丸から受けた最後の斬撃を、何度も思い返していた。
偉そうに『伊賀者の手下を上総屋から外してくれ』と言ったくせに、せっかく現れた九鬼丸を逃がしてしまった。それに対して、村垣からも伊賀者頭からも、咎めなしではあったが……
そもそもが勝てる相手ではなかったのだ――という結論だけは出したくなく、かといって自分の失態の原因を探ることから目を逸らせすことなどできず、頭の中では目の前にまで迫った九鬼丸の刃が何度も再現されていた。
間合いは見切れていたと思うのだ。二度ほど剣を交わせると、体格差や力では勝てないものの、速さを駆使すればどうにかなるとわかった。九鬼丸の動きはさほど狡猾なものでもなかった。
それなのに、届くと思った切っ先は届かず、追いつくと思えた背中にもするりとかわされ焦った。そして、ただ一度届いた切っ先も、足元に散った血の色に怖気づいてしまったのだ。
「忍びに情けなんぞ……か」
独り言つと、悔しさを伴った情けなさが、腹の底から湧いてきた。情けなさを振り払うように、削った竿を傍らに置くと、台所に向かった。手桶に水を張り、大きく息を吐く。
今度は水屋に置いてある甕を引っ張り出した。この甕にはトリモチが入っている。甕の蓋を開け、またもや大きく息を吐いた。それから先程の手桶に指を浸し甘茶色のトリモチを親指分くらいの文量だけ取り出すと、蛤の殻の窪みになすりつけた。
トリモチを入れた蛤と水桶を大事に抱えると、とぼとぼという表現がぴったりなほどに、肩を落として再び仕事部屋に戻った。
その様子を、まるで呆れたような目で雲雀が眺めていたことに気付いてはいたが、相手にする気力も沸かなかった。
手作業をしていれば、この情けない気持ちも紛らわせられるだろうと、無心に手を動かす。
指を水で濡らし、指先でトリモチを少量つまみ出して小さく丸めると、竿先にくっつけた。そこからごく薄く、薄く延ばして細長い帯状にしながら竿先に巻いていくのだ。宗次郎の竿先に巻くトリモチは他の餌差たちのそれよりも薄くて短い。少しでも鳥を傷めずに狩るためだ。
竿の先端から掌分ほどトリモチを巻き切ると、他の物にくっつかないよう気を付けながら、出来上がった鳥刺し棒を濡れ縁に並べていった。蛤に入れたトリモチが無くなれば、再び台所脇の水屋へ向かう。
手持ちの竹を全て使い切ったことに気付いた時には、すっかり陽が高くなっていた。
息を吐き切り、ようよう情けなさの原因に目を向けた。原因なんぞ、初めから痛いほど理解している。出遅れるのは九鬼丸が言うような「情」だの「優しさ」だのという、如何にも甘くて清廉な感情の所為ではない。そこに横たわるのは、ただの弱さだ。血の色を恐れる、ただの腰抜け。
(このままやったら、俺は九鬼丸に勝てれへん)
血を怖がること。九鬼丸を未だ憎めないこと。どちらも宗次郎から勝機を遠ざけるには十分の要因である。
おまけに乙八の死に様が、今になって重くのしかかっている。
全ては安房守の仕組んだ謀反が発端である。九鬼丸はそれを実行するただの隠密だ。そう……わかってはいても、最後の最期で、体は動きを止めるのだろう。きっと頭でわかっていても、やはり同じようにあと一歩のところで出遅れて、その隙を突かれる。
そこにはきっと、斬られてもなお「やったのは九鬼丸やない」と言ってしまう自分がいるのだ。そう言って死に行く己の姿が、あまりにも容易に思い描けてしまうことが悔しくて情けない。
「宗次郎さん、お客様でございます」
悶々としていた思考が、雲雀の呼びかけで中断された。
「主屋の客間にお通しされているそうです」
おそらく求馬が来たのだと、腰を上げた。
――「求馬もお前も甘すぎて、喉がむせ返っちまう」
吐き捨てるように放たれた言葉の刃。今度は浴びせられた台詞の一つ一つが頭の中で繰り返され、益々心が重くなった。
そぼ降る雨の間を縫うように主屋へと急ぎ、濡れ縁から上がった。
重い心を引っ提げたまま、どういう顔をして良いのかもわからず、黙って襖を開いた。と、前を見て呼吸が止まった。
「う、上様」
一拍置いて、はっとして慌て、頭を擦りつけた。
「ふん、誰が訪ねてきたと思ったのか知らぬが、そのように暗い顔で現れると、辛気臭うてかなわん」
上座に坐した将軍吉宗から苦言を賜り、益々顔が上げ辛くなる。
「さっさと来ぬか。これでも忙しい身なのじゃ」
「は、ははっ」
慌てて吉宗の前に座るも、部屋には将軍と自分の二人きり。何を言われるか……よりも、どう対応するのが正しいのか分からず、ただ黙して畳を見ていた。
「尾張の忍びを逃したようだな」
いきなり核心を突かれ、思わず顔を上げた。
宗次郎と目が合うと、吉宗の眉が下がった。
「斬られたのか」
喉元の浅い切り傷を扇子の先で指される。
「そう泣きそうな顔をするな。別にそれを叱る気はない。奴が根来修験者の一人であることくらい、こちらも掴んでおる。おぬしが敵わなかったとて仕方なかろう。おぬしより強い忍びだった、ただそれだけじゃ」
思いがけぬお言葉に胸が詰まった。唸りともつかない声が、喉の奥からせり上がり、宗次郎はそれを必死でこらえた。しかし、すぐに吉宗の声色が変わった。
「で、奴はまことに、てめえが斬れねえほど強えのか」
「申し訳」
「おいおい、間違うなよ。俺は詫びろと言っとるんじゃねえぞ。『てめえに勝てねえ相手だったのか』と、聞いてんだよ」
ほとんど恫喝にも近い物言いに、宗次郎は肩を縮み上がらせた。
「よもや、情けをかけたとか言うんじゃねえだろうな。自分の父親の仇に対して」
吉宗はすでに何もかも知っていた。
答えを窮する宗次郎に、こんこんと言い聞かせるように続ける。
「本気でてめえよりも強い相手なら、こちらも手を変えねばならぬ。だが、俺の考えでは、てめえの方が奴よりも強いはずだ」
「それは買いかぶりでございまする!」
心の中では、無責任なことを言ってくれるな!――と叫んでいた。それを見透かすように、呆れた声が落ちてきた。
「よう、そのような言い草ができたものよ」
宗次郎は武士としての躾がなっていなかった。だから平気で言い訳をする。
「しかし、父は九鬼丸の父親に負けました! 九鬼丸は父を負かした男の息子です」
将軍に向かって、勝てない言い訳など口にする家臣がどこに居ようか。だが吉宗もその言い訳に対し、真っ向からへし折りにかかった。
「だがな、てめえの技は親父を超えておる。村垣のお墨付きじゃ。奴は城の伊賀者の中でも抜きん出て強い。その奴がてめえの腕を認めてんだよ。もっともらしい言い訳など口にするな、たわけが!」
宗次郎はうつむき下唇を噛んだ。
「そのお前が勝てぬ理由はただ一つ」
吉宗が膝を前ににじった。近寄られた分だけ圧を感じ、息苦しさに耐えながら、続く言葉を死刑宣告を待つような気分で待った。
吉宗がただ一言だけ放った。
「てめえには覚悟がねえ」
「死ぬ覚悟なら、いつでもできておりまする! 次こそは相打ちとなってでも!」
弾く様に返した答えに、間髪入れず断じられた。
「てめえに無いのは、生き延びる覚悟なんだよ、阿呆が」
もう、何が正しい答なのかわからなくなる。阿呆と言われて、目が点になった。
「てめえの親父は、死なすためにてめえを庇ったのか」
言われ、脳裏をよぎったのは、父の最期の言葉。
――「生き延びろ」
「死ぬことで俺の役に立つのなら、なんぼでも死ね!」
激しいお言葉に目頭が熱くなる。だが吉宗の声は次第に柔らかくなる。
「だがな、死体が何の役に立つと思うのじゃ。てめえに足りねえのは、俺のために生きる覚悟だってのが、まだわからねえのか」
茫然とした。
(上様のために生きる覚悟……)
「てめえの意地やら根性やら、あるいは武士道か。そんなもん、俺にゃどうでもいいこった。俺の下で働く覚悟さえありゃあ、しくじって死んでも惜しんでやる。だが、てめえにその覚悟がねえから、その技に迷いが出るんだろうが」
(上様の下で働く覚悟……)
今更だった。そんなものは初めから持ち合わせていなかった。殺生人というのが嫌で、血を見るのが嫌いで……それでもそれが自分に課せられた使命だから……これが生きるべき道として用意されていたものだから……
「お前にとって、俺は命を懸けるにふさわしくねえ将軍か」
思いもよらなかった台詞に、咄嗟に伏せていた目を上げ、大きく頭を振った。
「なあ、宗次郎よ。江戸を牛耳るということは、日本という国を治めるっちゅうことじゃ。紀伊の御城の殿様でおるのとはわけが違う。良いか?」
次の言葉を待つ宗次郎の眼を吉宗が見据えた。その目をかっと見開くと、威圧感に満ちた声で怒鳴るように言い放たれた。
「よく聞きやがれ、宗次郎! 俺が腹ぁ括って将軍に居座ったのとおんなじように、てめえもさっさと腹を括りやがれって言ってんだよ!」
まるでやくざの親分が子分に叱るような言い草であった。
「わかったか!」
「ははっ」
思わず宗次郎が頭を畳にこすり付ける。それを見届けるよりも早く、吉宗がその場に立ち上がった。
その気配を察したかのように、襖が開けられる。慌てて立ち上がった宗次郎を見返りもせず、吉宗は紀伊国屋を後にした。
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