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第三話 復讐の形
翡翠色の小鳥
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――「腹を括りやがれ」
あのひと言が耳から離れない。
宗次郎はぽつんと取り残された客間で、放心したように座り込んだ。
将軍を見送った吉兵衛が、客間に入ると宗次郎の隣に座った。
「なあ、宗次郎はん。武士の仇討ちやら、ついでに言うと命を懸けるいうことそのものを軽く考えるわけやないけど」
そう前置きしてから言った。
「もう、過ぎたことはええんとちゃうやろか。親父さんを殺されたことも、お前さんが誰ぞの親父さんを殺めてしまったことも。今はただ、江戸を治める将軍様のお抱えなんや。その仕事にだけ邁進できたら、お前さんに負けはあらへんと思うで」
そうやな――と、今は素直に思えた。
あの田舎の大将みたいな吉宗公が、将軍として腹を括っているのだ。だったら、自分如きが、何を迷い悩む必要があるのか、と。
足りなかった覚悟とは何なのか、くっきりと見えた気がした。
「次は負けません」
吉兵衛に告げると、宗次郎は再び上総屋に向かった。
◇
上総屋を再び見張るのには理由があった。
村垣の放った手下によると、やはり九鬼丸は新たな仕事を上総屋に持ち込んだらしい。上総屋が新たに用心棒と思われるごろつきを雇ったこともわかった。すでに五郎蔵はじめ美濃屋が捕まったことで、上総屋もその身辺を整理して悪行を慎むかと思われたが、逆であったようだ。
美濃屋が餌鳥調達の仕事を奪われたことで、上総屋の取り分が増えたのだ。油断した上総屋は、美濃屋が癒着していた大名や鷹役人との取引を一手に引き受けようとしているらしい。
泳がせておくという、御広敷伊賀者頭――川村の策は成功したのである。
ただ美濃屋と違うのは、自分の雇っている鳥刺したちの手を汚させなかったことだ。上総屋を出入りする鳥刺したちに不正はなく、正しく奉行所に届けられた数だけの餌差札を配り、正しい相場で取引をしていた。この辺りは抜け目がない。
(それなのに九鬼丸の仕事を引き受けたとなると、こちら側の誰かが上総屋の暖簾をくぐるってことだ)
当然、あれから九鬼丸は姿を見せない。御広敷伊賀者の手下と交代で張り込みを続けて数日後。
このところ聞こえていた遠雷は、本格的な夏を連れてきたらしく、今年最初の蝉の声が聞こえる朝だった。
見慣れない餌差姿の男は、鳥籠を大切に抱えるようにしてやって来た。
蔵宿の勝手口に続く路地にて通りを見張っていた宗次郎の口から、思わず声が出た。
「まさか」
菅笠で隠れているが、顔を見なくてもわかった。たった五か月足らずであったが、寝食を共にし、鳥刺しとしての技を教えた相手なのだから。
「半平太さん」
宗次郎は男のすぐ背後から声をかけた。
肩を大きく跳ねさせ、男がその場に立ち止まった。
「宗次郎……お前さん、なんでここに」
「その籠の中、雀ですか」
半平太の問いかけは無視して、大層に抱えている葛籠を指した。
「す、雀じゃねえけど……」
口の中で言葉を濁し、半平太が目線を下げた。
「その籠の鳥を売って稼ごうって魂胆ですか」
「ちょ」
「ちょっとくらい、目を瞑れと言いたい?」
畳みかけると、半平太がぐっと唇を固く結んだ。それでも宗次郎の口は止まらない。なぜなら、腹が立って仕方がなかったから。
まさか、半平太がこの件に関わっているとは、露ほども思わなかった。
「そんなにお金が足りなかったのですか。ならば、傘貼りや櫛削りの内職でも良かったでしょうが」
「下世話なことを口にせんでくれ!」
矜持を傷つけられた半平太が怒鳴った。
武士が商いをして金儲けをすることは厳しく禁じられているが、貧しい下級武士や浪人たちには、内職や庭での野菜作りなど、多少の金策には目を瞑ってもらえた。
それでもだ。
公儀の餌差や鷹匠が、将軍以外の者に飼い鳥用や下賜や献上用に鳥を江戸近郊で捕まえ、売りさばくことは禁じられている。
鳥の乱獲に繋がり御鷹場が荒れるという理由が表向きであったが、何よりも、それを求める商人や大名家、旗本屋敷らとの癒着を許さないという、将軍の思惑があったからだ。
吉宗が復古させた御鷹狩故事は、あくまでも軍事であり、将軍家への主従関係を示すための形式なのだ。
半平太……いや、下級の幕臣である餌差役人や鷹匠同心らのほとんどが、その重さを理解できていなかった。
「ではなぜ」
宗次郎が手を伸ばすと、半平太はそれを避けるように籠を己の脇へと引き寄せた。
「ピーーー」
しっかりとした網目の籠は外から中身が見えない。だが籠の中から聞こえてきた甲高い声は明らかに雀ではなかった。バタタと中で暴れる羽音を聞いても、多くの小鳥を押し込めている音ではない。
「それ、やっぱり飼い鳥用ですよね」
しかし、メジロの鳴き声でもなさそうだ。それに餌鳥や食料用であれば、せめて十羽以上でなければ買ってもらえない。
通りを行きかう人の数が増え始め、言い争う二人を怪訝な顔で眺めながら通り過ぎていく。
「こんな所で話もなんですから、こちらへ」
宗次郎が半平太の手を引いた時、その腕から籠が落ちて蓋が開いてしまった。
「おいっ」
半平太が慌てて籠を手元へ寄せたが、手の間から、美しい青緑色の小鳥が顔を出した。長く黒いくちばしを閉じたまま、辺りをうかがっている。
「それ……」
「とある、偉い御方からの頼みなんだ。もう、金も貰っちまった。見逃してくれ」
押し込もうとした半平太の手を、宗次郎が払い除けた。
「あ、やめっ」
その隙に、翡翠色をした小鳥は完全に鳥籠を脱し、橙色の腹を見せて飛び立った。
「あああ! まて待て!」
半平太が慌てて籠を置き、すぐさま竿を構えるも、翡翠色の小鳥は素早く飛び立って水路沿いに植わった柳の木に留まった。
「翡翠なんぞ、どうやって。あれは鳥籠では飼えませんよ」
「んなこた、知るか! 番でという注文なのに、逃がしちまったらどうしようもねえじゃないか!」
言いながらも諦めきれないのか、竿を手にカワセミを追って走る。宗次郎はその姿を冷ややかな目で見ていた。
「ついでに聞きますが、ほかにも頼まれて、雀や鳩を上総屋から仲介してもらうとか、……まさかしていませんよね」
半平太がまるで化け物でも見るような顔で、宗次郎の方を振り返った。
その顔を見て、宗次郎は彼のしてきたことの大枠を悟ってしまった。半平太の見ている前で籠の蓋を開け、残った一羽も逃がす。
「やめろ!」
慌てる半平太を無視し、宗次郎は唇に指を押し当てると、
「ピーィーイィィ」
抑揚をつけた甲高いさえずりを真似た。
宗次郎のさえずりに気付いたカワセミは、もう一羽を待つようにこちらを見ると、大きく羽ばたいた。そして二羽で交差しながら数度に分けて水路に停留した舟や石に着地しつつ、美しい羽根を見せびらかすように水路を低く飛び交うと、そのうちどこかへと飛んで行ってしまった。
膝をついた半平太に近づき、手を伸ばしたが、宗次郎の手は乱暴に弾かれた。
「なんで邪魔をする。お前とは関係ないだろ! 御鷹屋敷を出て行った奴に文句を言われたかねえよ」
顔を紅潮させた半平太に向かって告げた。
「……俺は今、鳥屋の不正を追っている。鳥見やお奉行の狗だと思ってくれていい」
半平太がぎょっとして目を見開く。
「さっき、雀のことを言った時、もしやと思ったが」
「なあ、半平太さん、カワセミって普通には飼えない鳥ですよね」
「んなこた、俺らには関係ねえ」
半平太は自分の菅笠をひったくるように外すと、地面にたたきつけた。
「それに、あれの巣のある水辺は禁猟地でしょ。ちゃんと江戸の外で獲ったのですか」
「……そんなこと言っていたら、まともに鳥刺しなど」
その考えの甘さに怒りを抑えきれなくなった。
「何言うちゃある! 半平太さんは餌差やろ! 真面目に雀と鳩だけを追ってたらええやんか!」
ああ言えばこう言う。自分の罪を軽く考えている半平太が歯がゆい。半平太の法被の衿を掴んで引き寄せた。
「ええか、誰に頼まれたんか知らんが、あの鳥の行方が大名屋敷やったりしたら大事やど」
声を落として脅すと、半平太が唾を飲んだ。
「め、メジロやホトトギスは岡鳥屋で売っているじゃねえか。舶来の九官鳥だって」
「例えば、メジロを捕らえておふみちゃんに贈り物としてあげるくらいなら目を瞑っちゃる。御上かてそこまで小うるさいことは言わんやろ。けどな、商人と手を組んで金を儲けとるってことが御上に知れたら、どないなるか分かるか」
「くそったれ! 俺は頼まれただけじゃ!」
宗次郎は熱くなってしまった自分の態度を正すように大きく息を吸うと、務めて冷静に問い質した。
「正しい取引で得た鳥なら問題ないんです。なにより、上総屋絡みの不正に首を突っ込んどるいうのが危ないんや。いったい誰に頼まれたんです」
翡翠を飼うなどと突拍子もないことを言い出すのは、大きな屋敷にそれなりの池を持っている大名や大身旗本屋敷からの依頼としか思えない。そしてそれを仕組んだのは、九鬼丸。何食わぬ顔で、公儀の餌差を巻き込み、尾張家の屋敷内で起こっていた不正から目を逸らさせようという魂胆なのは見え見えだ。
尾張藩の家臣が裁かれた後も、上総屋は不正を続けたという既成事実。その不正に関わっていたのは、安房守ではなく鳥役人であった――というオチ。それこそが九鬼丸の罠であるというのに。
まんまと雑司ヶ谷の御鷹部屋は抱き込まれてしまったのだ。
がっくりと項垂れた半平太が力なく答える。
「頭の代理なんだよ。まともに雀を獲れねえ俺なんかを、重宝して使ってくれているんだ。これ以上、俺の顔に泥を塗らんでくれ。幕臣なんてもんはな、どの組に入ったところでやるこた一緒なんだよ。紀州藩士のお前らには分からねえと思うがな」
泣き言を垂れられ、宗次郎は半平太から手を放した。
(餌差頭……か)
「いいですか、『お奉行が上総屋を張っていた』とかなんとか言って、この仕事から手を引いて下さい。次に仕事を頼まれる前に、俺が何とかします」
最後まで、鳥刺しの技をものにするまで、半平太の側についていたら……こんなことには。
宗次郎は戻れない過去を悔やんだ。
あのひと言が耳から離れない。
宗次郎はぽつんと取り残された客間で、放心したように座り込んだ。
将軍を見送った吉兵衛が、客間に入ると宗次郎の隣に座った。
「なあ、宗次郎はん。武士の仇討ちやら、ついでに言うと命を懸けるいうことそのものを軽く考えるわけやないけど」
そう前置きしてから言った。
「もう、過ぎたことはええんとちゃうやろか。親父さんを殺されたことも、お前さんが誰ぞの親父さんを殺めてしまったことも。今はただ、江戸を治める将軍様のお抱えなんや。その仕事にだけ邁進できたら、お前さんに負けはあらへんと思うで」
そうやな――と、今は素直に思えた。
あの田舎の大将みたいな吉宗公が、将軍として腹を括っているのだ。だったら、自分如きが、何を迷い悩む必要があるのか、と。
足りなかった覚悟とは何なのか、くっきりと見えた気がした。
「次は負けません」
吉兵衛に告げると、宗次郎は再び上総屋に向かった。
◇
上総屋を再び見張るのには理由があった。
村垣の放った手下によると、やはり九鬼丸は新たな仕事を上総屋に持ち込んだらしい。上総屋が新たに用心棒と思われるごろつきを雇ったこともわかった。すでに五郎蔵はじめ美濃屋が捕まったことで、上総屋もその身辺を整理して悪行を慎むかと思われたが、逆であったようだ。
美濃屋が餌鳥調達の仕事を奪われたことで、上総屋の取り分が増えたのだ。油断した上総屋は、美濃屋が癒着していた大名や鷹役人との取引を一手に引き受けようとしているらしい。
泳がせておくという、御広敷伊賀者頭――川村の策は成功したのである。
ただ美濃屋と違うのは、自分の雇っている鳥刺したちの手を汚させなかったことだ。上総屋を出入りする鳥刺したちに不正はなく、正しく奉行所に届けられた数だけの餌差札を配り、正しい相場で取引をしていた。この辺りは抜け目がない。
(それなのに九鬼丸の仕事を引き受けたとなると、こちら側の誰かが上総屋の暖簾をくぐるってことだ)
当然、あれから九鬼丸は姿を見せない。御広敷伊賀者の手下と交代で張り込みを続けて数日後。
このところ聞こえていた遠雷は、本格的な夏を連れてきたらしく、今年最初の蝉の声が聞こえる朝だった。
見慣れない餌差姿の男は、鳥籠を大切に抱えるようにしてやって来た。
蔵宿の勝手口に続く路地にて通りを見張っていた宗次郎の口から、思わず声が出た。
「まさか」
菅笠で隠れているが、顔を見なくてもわかった。たった五か月足らずであったが、寝食を共にし、鳥刺しとしての技を教えた相手なのだから。
「半平太さん」
宗次郎は男のすぐ背後から声をかけた。
肩を大きく跳ねさせ、男がその場に立ち止まった。
「宗次郎……お前さん、なんでここに」
「その籠の中、雀ですか」
半平太の問いかけは無視して、大層に抱えている葛籠を指した。
「す、雀じゃねえけど……」
口の中で言葉を濁し、半平太が目線を下げた。
「その籠の鳥を売って稼ごうって魂胆ですか」
「ちょ」
「ちょっとくらい、目を瞑れと言いたい?」
畳みかけると、半平太がぐっと唇を固く結んだ。それでも宗次郎の口は止まらない。なぜなら、腹が立って仕方がなかったから。
まさか、半平太がこの件に関わっているとは、露ほども思わなかった。
「そんなにお金が足りなかったのですか。ならば、傘貼りや櫛削りの内職でも良かったでしょうが」
「下世話なことを口にせんでくれ!」
矜持を傷つけられた半平太が怒鳴った。
武士が商いをして金儲けをすることは厳しく禁じられているが、貧しい下級武士や浪人たちには、内職や庭での野菜作りなど、多少の金策には目を瞑ってもらえた。
それでもだ。
公儀の餌差や鷹匠が、将軍以外の者に飼い鳥用や下賜や献上用に鳥を江戸近郊で捕まえ、売りさばくことは禁じられている。
鳥の乱獲に繋がり御鷹場が荒れるという理由が表向きであったが、何よりも、それを求める商人や大名家、旗本屋敷らとの癒着を許さないという、将軍の思惑があったからだ。
吉宗が復古させた御鷹狩故事は、あくまでも軍事であり、将軍家への主従関係を示すための形式なのだ。
半平太……いや、下級の幕臣である餌差役人や鷹匠同心らのほとんどが、その重さを理解できていなかった。
「ではなぜ」
宗次郎が手を伸ばすと、半平太はそれを避けるように籠を己の脇へと引き寄せた。
「ピーーー」
しっかりとした網目の籠は外から中身が見えない。だが籠の中から聞こえてきた甲高い声は明らかに雀ではなかった。バタタと中で暴れる羽音を聞いても、多くの小鳥を押し込めている音ではない。
「それ、やっぱり飼い鳥用ですよね」
しかし、メジロの鳴き声でもなさそうだ。それに餌鳥や食料用であれば、せめて十羽以上でなければ買ってもらえない。
通りを行きかう人の数が増え始め、言い争う二人を怪訝な顔で眺めながら通り過ぎていく。
「こんな所で話もなんですから、こちらへ」
宗次郎が半平太の手を引いた時、その腕から籠が落ちて蓋が開いてしまった。
「おいっ」
半平太が慌てて籠を手元へ寄せたが、手の間から、美しい青緑色の小鳥が顔を出した。長く黒いくちばしを閉じたまま、辺りをうかがっている。
「それ……」
「とある、偉い御方からの頼みなんだ。もう、金も貰っちまった。見逃してくれ」
押し込もうとした半平太の手を、宗次郎が払い除けた。
「あ、やめっ」
その隙に、翡翠色をした小鳥は完全に鳥籠を脱し、橙色の腹を見せて飛び立った。
「あああ! まて待て!」
半平太が慌てて籠を置き、すぐさま竿を構えるも、翡翠色の小鳥は素早く飛び立って水路沿いに植わった柳の木に留まった。
「翡翠なんぞ、どうやって。あれは鳥籠では飼えませんよ」
「んなこた、知るか! 番でという注文なのに、逃がしちまったらどうしようもねえじゃないか!」
言いながらも諦めきれないのか、竿を手にカワセミを追って走る。宗次郎はその姿を冷ややかな目で見ていた。
「ついでに聞きますが、ほかにも頼まれて、雀や鳩を上総屋から仲介してもらうとか、……まさかしていませんよね」
半平太がまるで化け物でも見るような顔で、宗次郎の方を振り返った。
その顔を見て、宗次郎は彼のしてきたことの大枠を悟ってしまった。半平太の見ている前で籠の蓋を開け、残った一羽も逃がす。
「やめろ!」
慌てる半平太を無視し、宗次郎は唇に指を押し当てると、
「ピーィーイィィ」
抑揚をつけた甲高いさえずりを真似た。
宗次郎のさえずりに気付いたカワセミは、もう一羽を待つようにこちらを見ると、大きく羽ばたいた。そして二羽で交差しながら数度に分けて水路に停留した舟や石に着地しつつ、美しい羽根を見せびらかすように水路を低く飛び交うと、そのうちどこかへと飛んで行ってしまった。
膝をついた半平太に近づき、手を伸ばしたが、宗次郎の手は乱暴に弾かれた。
「なんで邪魔をする。お前とは関係ないだろ! 御鷹屋敷を出て行った奴に文句を言われたかねえよ」
顔を紅潮させた半平太に向かって告げた。
「……俺は今、鳥屋の不正を追っている。鳥見やお奉行の狗だと思ってくれていい」
半平太がぎょっとして目を見開く。
「さっき、雀のことを言った時、もしやと思ったが」
「なあ、半平太さん、カワセミって普通には飼えない鳥ですよね」
「んなこた、俺らには関係ねえ」
半平太は自分の菅笠をひったくるように外すと、地面にたたきつけた。
「それに、あれの巣のある水辺は禁猟地でしょ。ちゃんと江戸の外で獲ったのですか」
「……そんなこと言っていたら、まともに鳥刺しなど」
その考えの甘さに怒りを抑えきれなくなった。
「何言うちゃある! 半平太さんは餌差やろ! 真面目に雀と鳩だけを追ってたらええやんか!」
ああ言えばこう言う。自分の罪を軽く考えている半平太が歯がゆい。半平太の法被の衿を掴んで引き寄せた。
「ええか、誰に頼まれたんか知らんが、あの鳥の行方が大名屋敷やったりしたら大事やど」
声を落として脅すと、半平太が唾を飲んだ。
「め、メジロやホトトギスは岡鳥屋で売っているじゃねえか。舶来の九官鳥だって」
「例えば、メジロを捕らえておふみちゃんに贈り物としてあげるくらいなら目を瞑っちゃる。御上かてそこまで小うるさいことは言わんやろ。けどな、商人と手を組んで金を儲けとるってことが御上に知れたら、どないなるか分かるか」
「くそったれ! 俺は頼まれただけじゃ!」
宗次郎は熱くなってしまった自分の態度を正すように大きく息を吸うと、務めて冷静に問い質した。
「正しい取引で得た鳥なら問題ないんです。なにより、上総屋絡みの不正に首を突っ込んどるいうのが危ないんや。いったい誰に頼まれたんです」
翡翠を飼うなどと突拍子もないことを言い出すのは、大きな屋敷にそれなりの池を持っている大名や大身旗本屋敷からの依頼としか思えない。そしてそれを仕組んだのは、九鬼丸。何食わぬ顔で、公儀の餌差を巻き込み、尾張家の屋敷内で起こっていた不正から目を逸らさせようという魂胆なのは見え見えだ。
尾張藩の家臣が裁かれた後も、上総屋は不正を続けたという既成事実。その不正に関わっていたのは、安房守ではなく鳥役人であった――というオチ。それこそが九鬼丸の罠であるというのに。
まんまと雑司ヶ谷の御鷹部屋は抱き込まれてしまったのだ。
がっくりと項垂れた半平太が力なく答える。
「頭の代理なんだよ。まともに雀を獲れねえ俺なんかを、重宝して使ってくれているんだ。これ以上、俺の顔に泥を塗らんでくれ。幕臣なんてもんはな、どの組に入ったところでやるこた一緒なんだよ。紀州藩士のお前らには分からねえと思うがな」
泣き言を垂れられ、宗次郎は半平太から手を放した。
(餌差頭……か)
「いいですか、『お奉行が上総屋を張っていた』とかなんとか言って、この仕事から手を引いて下さい。次に仕事を頼まれる前に、俺が何とかします」
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