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第三話 復讐の形
決闘
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九鬼丸の独白を聞いた半平太の顔が歪む。
「こいつを抱き込むようお前んとこの餌差頭にささやいたら、この男もまんまと乗っかりやがった。所詮、武士とて、金には目がくらむのさ」
「きたねえ」
半平太のつぶやきが九鬼丸に届いた。
「ああ、汚くて上等。お前を巻き込んだのは宗次郎に復讐するためだからな。何にも執着しねえ宗次郎が大切に想うもの。それらを葬ってやろうと思ったのさ」
「だから兄上も」
宗次郎が歯噛みする。
九鬼丸が二度、瞬きをした。
「ああ。……ああ、そうだな。上総屋の用心棒をまとめていた男に、『邪魔な鷹匠がいる』と告げたら襲ってくれた」
ニヤニヤと嗤いながら答える九鬼丸に、激しい怒りを感じた。
(何にも執着しないだと……)
奥歯がギシギシと嫌な音を立てる。
どれだけ、己がお前に執着して、悩み悔やんで、苦しんだのか……その身を削られるような葛藤を……何も知らなかったかのように策を練った――そのことに、怒りを超えて憎しみが沸く。
心に焔が立ち上がるのを自覚した。叶わぬ恋に絶望して火を放った娘のように、初心で穢れの本当の意味など知りもしない柔らかだった心がズタズタに引きちぎられていくのを生々しく感じていた。その傷口から流れた血に注がれた火は、心臓を焼き尽くすかと思えるほど醜く熱い。
「俺が何に執着していたのか……」
しぶきを立て、九鬼丸の元へ走る。九鬼丸を見据えた目は乾き、瞼の下の細い血の道筋までわかるほど血走っていた。
「お前こそ、何もわかっていなかったくせに!」
宗次郎の助広が九鬼丸に届く前に、九鬼丸が土手の上まで跳び上がった。それを追って、宗次郎も土手の上に駆け上がる。
葦やススキに間に茨や片栗の蔓が横切る河沿いは酷く足場が悪かった。九鬼丸の姿を探そうと顔を捻った途端、背の高いススキの青葉が頬をかすめ、ザリとした鈍い痛みが走る。
「くそ」
思わず悪態を吐く。草に紛れて九鬼丸の気配が消えた。ススキの葉が風にそよぐ度に、視界を邪魔する。宗次郎はその場に佇み、顔を掠めて揺れる葉を避けず、じっと五感を研ぎ澄ました。
目の前の葦の間で枝を広げた雑木に、イソヒヨドリが留まった。辺りを警戒する事もなく、ヒヨヒヨと甲高い声でさえずっている。それより遠く、湿地になった場所には澄ましたシロサギが片足立ちをして辺りを観察していた。
野鳥のいない方角に耳を傾け、目を閉じた。
サワワ――と草の擦れる音に、神田上水の川音が混じる。その合間にわずか、ビチャと湿った音が入った。
そこだ!
脚は動かさず、上半身だけで振り返り、袖に隠した繰小刀の刃を投げる。
ガキン!という金属音が聞こえ、それが躱されたことを知ると同時に、音の方向へと駆けた。
だが、そこにいたのは息を切らせた半平太で、その首には九鬼丸の左腕が巻き付いていた。
「やめろ! くそっ」
悪足掻きをする半平太の首に、刀が当てられた。
「ぐっ」
「半平太さん!」
「さあ、どうするよ。宗次郎」
勝ち誇った風でもなく、冷ややかでもない。あの時――求馬を捨てた時と同じ、空虚を宿した瞳で九鬼丸が宗次郎に決断を迫る。
「こいつを見殺しにして、俺を殺るのか。それとも、こいつの命乞いでもするか」
宗次郎の方を見据え、半平太が手にしていた刀を草むらに捨てた。
「ちっ、好きにしろ。俺にだって武士としての矜持くらい持ち合わせている」
だが、宗次郎の目は半平太ではなく、九鬼丸だけを見ていた。
九鬼丸の背中の向こう側が明るくなった。朝日が昇ったのだ。
まっすぐな白い光を見た時、様々な迷いや感情が消えた。九鬼丸の無表情に隠された感情も、半平太の事情も、この計画の裏にありそうな黒い企みも。全部、朝日が燃やし尽くしてしまったかのように、宗次郎の心はまっさらになった。
「九鬼丸……言っておくが、俺がお前を討つのは仇討ちでも復讐でもない。上様に謀反したからだ。……だが、今なら命乞いをさせてやる」
「ほう、言ってくれるじゃねえか」
「謀反に通ずる不正に手を貸す人間を、御鷹狩の行列に加えられると思うか」
宗次郎の物言いに、半平太が絶句した。
「おい、そりゃ、どういう意味だ」
目を細め、助広の切っ先を二人に向ける。
「九鬼丸……つまり、安房守様の狙いは、上様の御命を狙うことも躊躇しない裏切り者を御鷹役人の中に潜り込ませること」
「まさか! たかがカワセミを買ってもらっただけのことだぞ!」
苦笑いで誤魔化そうとする半平太を、宗次郎が一瞥する。
「金を貰えば、貧しい直参なんぞ、すぐに寝返るもんさ。なあ? 九鬼丸」
「そうだ、そのとおりさ。ならば、この男も一緒に斬るがいい」
九鬼丸の顎が上がり、見下した笑いが口元に浮かんだ。
「やれるものならな」
九鬼丸の右腕が刀を半平太の頭上に振り上げられた。
同時に半平太が体を翻し脇差を抜く。しかしその切っ先の向く先は九鬼丸ではなかった。己に向けられた二本の刃でもって全てを察した宗次郎は、草を蹴るとその切っ先に向かって跳んだ。
宗次郎は叫んでいた。
「俺を舐めるな! 俺は将軍のお抱え殺生人だ!」
まっすぐ握りしめた助広は、半平太と九鬼丸を同時に貫いていた。
二人分の肉の感覚が、柄から手に伝わる。踏みにじられた草の蒼臭い匂いと共に鮮血がほとばしる。
奥歯を食いしばっていた口を開き、震える声で告げる。
「相賀辰蔵、および斎藤半平太。謀反の意志ありとみなし、その御命……」
宗次郎の袖を斬った半平太の脇差が、その手から落ちた。
宗次郎は静かに目を閉じる。
「……頂戴仕る」
グボッ――半平太の口から呻きと血の泡が溢れる。更に力を加え刃を捻り、横に押せるだけ押した。
「ぐはっ……あ……ぁ」
立てなくなった半平太の分、手にかかる重さが増した。
「ああ、迷いのねえ、いい判断だ。……てめえは強い隠密になれるだろうよ。俺の、見立てた通り……な」
耳に九鬼丸の低い声が届く。九鬼丸の刀が振り下ろされることはなかった。
ぽんと、頭に何かが載った。それが九鬼丸の掌だと気付いた時にはもう、二人の体は草むらの中へと崩れて落ちていた。
「こいつを抱き込むようお前んとこの餌差頭にささやいたら、この男もまんまと乗っかりやがった。所詮、武士とて、金には目がくらむのさ」
「きたねえ」
半平太のつぶやきが九鬼丸に届いた。
「ああ、汚くて上等。お前を巻き込んだのは宗次郎に復讐するためだからな。何にも執着しねえ宗次郎が大切に想うもの。それらを葬ってやろうと思ったのさ」
「だから兄上も」
宗次郎が歯噛みする。
九鬼丸が二度、瞬きをした。
「ああ。……ああ、そうだな。上総屋の用心棒をまとめていた男に、『邪魔な鷹匠がいる』と告げたら襲ってくれた」
ニヤニヤと嗤いながら答える九鬼丸に、激しい怒りを感じた。
(何にも執着しないだと……)
奥歯がギシギシと嫌な音を立てる。
どれだけ、己がお前に執着して、悩み悔やんで、苦しんだのか……その身を削られるような葛藤を……何も知らなかったかのように策を練った――そのことに、怒りを超えて憎しみが沸く。
心に焔が立ち上がるのを自覚した。叶わぬ恋に絶望して火を放った娘のように、初心で穢れの本当の意味など知りもしない柔らかだった心がズタズタに引きちぎられていくのを生々しく感じていた。その傷口から流れた血に注がれた火は、心臓を焼き尽くすかと思えるほど醜く熱い。
「俺が何に執着していたのか……」
しぶきを立て、九鬼丸の元へ走る。九鬼丸を見据えた目は乾き、瞼の下の細い血の道筋までわかるほど血走っていた。
「お前こそ、何もわかっていなかったくせに!」
宗次郎の助広が九鬼丸に届く前に、九鬼丸が土手の上まで跳び上がった。それを追って、宗次郎も土手の上に駆け上がる。
葦やススキに間に茨や片栗の蔓が横切る河沿いは酷く足場が悪かった。九鬼丸の姿を探そうと顔を捻った途端、背の高いススキの青葉が頬をかすめ、ザリとした鈍い痛みが走る。
「くそ」
思わず悪態を吐く。草に紛れて九鬼丸の気配が消えた。ススキの葉が風にそよぐ度に、視界を邪魔する。宗次郎はその場に佇み、顔を掠めて揺れる葉を避けず、じっと五感を研ぎ澄ました。
目の前の葦の間で枝を広げた雑木に、イソヒヨドリが留まった。辺りを警戒する事もなく、ヒヨヒヨと甲高い声でさえずっている。それより遠く、湿地になった場所には澄ましたシロサギが片足立ちをして辺りを観察していた。
野鳥のいない方角に耳を傾け、目を閉じた。
サワワ――と草の擦れる音に、神田上水の川音が混じる。その合間にわずか、ビチャと湿った音が入った。
そこだ!
脚は動かさず、上半身だけで振り返り、袖に隠した繰小刀の刃を投げる。
ガキン!という金属音が聞こえ、それが躱されたことを知ると同時に、音の方向へと駆けた。
だが、そこにいたのは息を切らせた半平太で、その首には九鬼丸の左腕が巻き付いていた。
「やめろ! くそっ」
悪足掻きをする半平太の首に、刀が当てられた。
「ぐっ」
「半平太さん!」
「さあ、どうするよ。宗次郎」
勝ち誇った風でもなく、冷ややかでもない。あの時――求馬を捨てた時と同じ、空虚を宿した瞳で九鬼丸が宗次郎に決断を迫る。
「こいつを見殺しにして、俺を殺るのか。それとも、こいつの命乞いでもするか」
宗次郎の方を見据え、半平太が手にしていた刀を草むらに捨てた。
「ちっ、好きにしろ。俺にだって武士としての矜持くらい持ち合わせている」
だが、宗次郎の目は半平太ではなく、九鬼丸だけを見ていた。
九鬼丸の背中の向こう側が明るくなった。朝日が昇ったのだ。
まっすぐな白い光を見た時、様々な迷いや感情が消えた。九鬼丸の無表情に隠された感情も、半平太の事情も、この計画の裏にありそうな黒い企みも。全部、朝日が燃やし尽くしてしまったかのように、宗次郎の心はまっさらになった。
「九鬼丸……言っておくが、俺がお前を討つのは仇討ちでも復讐でもない。上様に謀反したからだ。……だが、今なら命乞いをさせてやる」
「ほう、言ってくれるじゃねえか」
「謀反に通ずる不正に手を貸す人間を、御鷹狩の行列に加えられると思うか」
宗次郎の物言いに、半平太が絶句した。
「おい、そりゃ、どういう意味だ」
目を細め、助広の切っ先を二人に向ける。
「九鬼丸……つまり、安房守様の狙いは、上様の御命を狙うことも躊躇しない裏切り者を御鷹役人の中に潜り込ませること」
「まさか! たかがカワセミを買ってもらっただけのことだぞ!」
苦笑いで誤魔化そうとする半平太を、宗次郎が一瞥する。
「金を貰えば、貧しい直参なんぞ、すぐに寝返るもんさ。なあ? 九鬼丸」
「そうだ、そのとおりさ。ならば、この男も一緒に斬るがいい」
九鬼丸の顎が上がり、見下した笑いが口元に浮かんだ。
「やれるものならな」
九鬼丸の右腕が刀を半平太の頭上に振り上げられた。
同時に半平太が体を翻し脇差を抜く。しかしその切っ先の向く先は九鬼丸ではなかった。己に向けられた二本の刃でもって全てを察した宗次郎は、草を蹴るとその切っ先に向かって跳んだ。
宗次郎は叫んでいた。
「俺を舐めるな! 俺は将軍のお抱え殺生人だ!」
まっすぐ握りしめた助広は、半平太と九鬼丸を同時に貫いていた。
二人分の肉の感覚が、柄から手に伝わる。踏みにじられた草の蒼臭い匂いと共に鮮血がほとばしる。
奥歯を食いしばっていた口を開き、震える声で告げる。
「相賀辰蔵、および斎藤半平太。謀反の意志ありとみなし、その御命……」
宗次郎の袖を斬った半平太の脇差が、その手から落ちた。
宗次郎は静かに目を閉じる。
「……頂戴仕る」
グボッ――半平太の口から呻きと血の泡が溢れる。更に力を加え刃を捻り、横に押せるだけ押した。
「ぐはっ……あ……ぁ」
立てなくなった半平太の分、手にかかる重さが増した。
「ああ、迷いのねえ、いい判断だ。……てめえは強い隠密になれるだろうよ。俺の、見立てた通り……な」
耳に九鬼丸の低い声が届く。九鬼丸の刀が振り下ろされることはなかった。
ぽんと、頭に何かが載った。それが九鬼丸の掌だと気付いた時にはもう、二人の体は草むらの中へと崩れて落ちていた。
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