さえずり宗次郎 〜吉宗の隠密殺生人〜

森野あとり

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第三話 復讐の形

後始末

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 ◆

 一連の後始末を終え、宗次郎は戸田領から浦和へと足を延ばし、鳥刺しをしていた。
 何も考えず、何も感じず、ただひたすら歩くだけで一日を費やす日もあった。
 半平太を自身の手で始末したことも辛かったが、やはり九鬼丸のことは、調べが進めば進むほど苦しさが増した。
 未練や恋慕を含むすべての情を弔ったつもりであったが、ふとした拍子に、今さらあれで良かったのかという迷いが首をもたげるのだ。

 籠の鳥を一旦飼育小屋に入れるため、紀伊国屋へ戻ったその日、求馬が訪ねてきた。


「ようやく帰って来たか。出て行くと三日は帰らないと、吉兵衛きちべえ殿に聞いたぞ。仕事熱心なのは良いが、もっと体をいたわれよ」

 求馬は紀伊国屋の主屋ではなく、宗次郎の住む離れの奥の部屋で待っていた。

「いつからいらしたのですか」
「うむ、三日前から通い詰めていた。今日は雲雀ひばりどのに昼餉ひるげまで呼ばれてしもうたわ」

 悪びれず答える求馬に、苦笑いする。

「暇ですか」
「まあな、ようやく全てが片付いたのでな」

 その言葉に、迂闊にも胸が熱くなった。込み上げて来るものをごまかすために立ち上がる。
 裏庭に面した障子を全開にすると、風が入ってきた。

「雨が……雨が降る気がして、それで戻ったのです。しばらく殺生はしたくないと思ったのですが、やはりこれが俺の仕事だから」

 雲雀が入ってきて、二人の間に冷めた麦湯を置いて行った。零れそうな感情を誤魔化すように、湯呑に口をつける。生温い麦湯が喉をすぎて、求馬の言葉と共に、五臓六腑にしみわたっていくのが解る。
 求馬の声はとても優しい。

「辛かっただろう。江戸を離れたかった気持ちはわかる」
「いえ」

 きっと、求馬の方が辛かったと思うのだ。求馬と九鬼丸は本当に気が合っていた。例えそれが九鬼丸の任務で、かりそめの主従だったとしても。

「あの後すぐ、上総屋かずさやは取り潰しとなりました」

 上総屋と小栗組の餌差頭えさしがしらの一人が九鬼丸にたばかられ手を組んでいた。さらに五郎蔵ごろぞうを利用して、美濃屋みのやを巻き込んだ――というのが、上総屋の取り調べでわかった真相だった。
 上総屋が仕組んだ不正は雀の相場だけでなく、翡翠カワセミのように珍しい飼い鳥や、大型の水鳥を大名屋敷や大店の商家へ直売、さらに大名家への御鷹の献上もあった。
 町奉行では、これらがただの越権行為ではなかったことが問題として取り上げられた。
 上総屋が裏で口入屋を営んでいることも明らかとなり、飼い鳥や献上用の鳥の手配は、そうやって裏で雇い入れた餌差札を持たない鳥刺しらを使い、さらにその道筋から公儀の餌差をも利用したということ。それも足がつかないよう、直接の雇い入れは、上総屋の元で働いていた鳥請負人が仕切っていたこと。もちろん、これらの手引きをしたのは、全て九鬼丸であったが、やり方が悪質過ぎた。
 美濃屋に出入りしていた五郎蔵は、宗次郎の読み通り、ねぐらを定めず甲州街道を行き来していた流れの盗賊で、九鬼丸に目を付けられ、美濃屋に潜り込んだらしい。だが、武州の山で鳥刺しを狙った強請に関しては、五郎蔵の独断であったようだ。
 結果、上総屋の亭主と五郎蔵は獄門、美濃屋は島流しとなった。
 しかし、悪事に手を染め、上役の権限を行使し半平太を利用した餌差頭だが、奉行所で裁かれることはなかった。
 餌差頭だけを処分するには、ことが大きくなり過ぎていた。
 餌差頭を裁くには、九鬼丸の関与を表沙汰おもてざたにせねばならない。九鬼丸の存在を明らかにすれば、尾張藩の重鎮を裁くこととなる。
 そうなると、雑司ヶ谷御鷹部屋御用屋敷の責任者である鷹匠頭たかじょうがしらの小栗にも責任を取らせねばならない。これはあまりにも大きすぎる代償である。
 そう判断した吉宗は、宗次郎に餌差頭の始末を命じたのだった。
 もちろん、それについて知る者は、伊賀者頭の川村と村垣以外に誰もいない。
 此度こたびの上総屋の不正に、雑司ヶ谷の御鷹部屋は関わっておらず、尾張徳川家とも無関係であった。――それが、表向きに公表された裁きの結末である。
 九鬼丸の存在も、半平太が死んだ事情も、全ては闇に葬られた。

 暗い面持ちで告げる。

「上総屋が九鬼丸にそそのかされ、五郎蔵と美濃屋、さらに小栗組の餌差頭を利用したとのことでした」

 求馬の目がわずかに細くなり、うれいを宿す。

「しかし、兄の三九郎をやったのは、九鬼丸ではなかったようです」

 真相を知っている刺客が殺された時、九鬼丸の気配がして、さらに乙八殺しの時と同じ毒塗りの吹き矢が使われたことから、すっかり九鬼丸の仕業だと、宗次郎自身も思い込んでいた。

「ではいったい誰が……」
「兄の下で働く同心が、餌差頭が不正に雀を町人から買い上げていることを疑っていたらしく、兄上と背格好も似ていることから間違って襲ったと……」

 九鬼丸が消え、おまけに半平太の死体が神田上水近くの草原で発見されたことを知ると、餌差頭は身の危険を察したのか、夜のうちに御鷹屋敷を抜け出した。もちろん、江戸城の伊賀者により奴の行動は把握されていたのだが、本人は気付いていなかった。その逃走中に宗次郎が目の前に現れたのだ。
 すっかり『三九郎を傷つけたことへの仇』だと勘違いした餌差頭は、思いがけず自らの罪を暴露したのだった。

 ――「てっきり、同心の喜之助だと勘違いしちまっただけだ。ほれ、あいつがいつも御鷹を据えて歩いていただろうが。そ、それに、そもそも、命まで取るつもりはなかったんだよ! ちょいとと脅したら、黙ってくれるかと踏んだだけで」
 頼むから見逃してくれ――と、みっともなく泣きながら頭を地面にこすり付けていた。

 ――「それで? それで機会があれば、上様の御命すら狙おうとでもけしかけられていたのか」

 そう問いかけた時の餌差頭の顔は、まるで宗次郎の中に閻魔でも見ているかのような表情だった。蒼白の顔で震えていたのは、宗次郎の言葉が図星だったのか、それとも『そんな濡れ衣まで着せてくれるな』と懇願していたのか。そこまではわからなかったし、知るつもりもなかった。
 ともかく、餌差頭の思わぬ告白に、残っていた僅かな同情心は霧散するように消え失せた。だから、幕臣である奴を始末することにも心が揺れることはなかった。

「幕臣の分際で、同じ部屋の同心を脅そうとするなんぞ、許されません」
「しかし、そのことだが……そもそもの発端は、我が兄であったのだ。兄、通温みちまさは、とある奥の御方と手を組み、上様の信用失墜を目論んでおったそうだ。それが当主の知ることとなり、国に帰されたのが一年前」

 求馬が漏らした尾張の暴露話に、宗次郎の顔に焦りが浮かんだが、それを意に介していない様子で求馬が続ける。

「その、大奥の御方と兄を繋いでいたのが相賀辰蔵おうがたつぞう……つまり九鬼丸であった。兄は国に帰されたが、辰蔵は国を出て、江戸にて『九鬼丸』の名で、俺に近づいたのだ」
「ではやはり、お美津さんは……」

 せめて、お美津さんには関与していてほしくなかった――それが本心だった。だが当然、求馬の推察は無情である。

「大奥を出た後、再び辰蔵と出会ってしまったのだろうな。しかも名を変えて今度は俺に仕えていることにも気付いた。兄上は未だ陰謀の続きをしていたのだから、九鬼丸の正体を知っているお美津は邪魔だったのであろう。己から目を逸らさせるために、偽りの恋を仕掛け、そして消した……というのが、導ける真相だな」
「では、なぜ、九鬼丸は私に嘘を吐いたのでしょう。九鬼丸は確かに言ったのです。我が兄を襲うよう指示したのは俺だと。私を苦しめるためにそうしたのだと……」

 自分のために兄や半平太を巻き添えにした――そのことが九鬼丸への怒りを確固たるものにした。だから許せなかったのだ。それなのに、それが狂言だったという真実が、あまりにも苦しかった。
 求馬の表情も冴えない。

「それが全て噓だったと、俺は気付けず」
「……九鬼丸の……それが九鬼丸の矜持だったのだろうな。お前に憎まれたまま死ぬことが」

 その言葉に、ぐっと拳を握り込む。
 
「では、下屋敷のカワセミは……」
「ああ、あれか。あれは九鬼丸が尾張の殿様からの要望だと偽って、上総屋に持ち掛けたのだ。つがいで十両。色が鮮やかであればもっと出すという条件だったらしい。戸山屋敷の庭師が喋りおった」

 話し終えると、求馬はゆっくりとした仕草で、麦湯を喉に流し込んだ。
 宗次郎は最後に聞きたかったことを問うた。

「それで、その、安房守あわのかみ様は今」
「うむ、ついに蟄居ちっきょ(閉門による自宅謹慎、あるいは一室謹慎)を命じられた。それでも、消えた命の数を思うとな……甘い沙汰だと思うが。尾張と紀伊の間に不穏があったとは知られたくないという、上様の計らいだ」
「そうですか……」

 ここでも、九鬼丸の存在は消されたのだ。
 だが、宗次郎には見た事もない通温みちまさという男を恨む気にはなれなかった。
 九鬼丸は、通温からの命というだけで動いていたのではないと思うのだ。

 紀州で殺された父のかたきや、逃げ帰らざるを得なかった屈辱を含め、己の不運を晴らそうとしたのではないか。さらに、尾張徳川家ではなく紀伊徳川家が天下を取ったことも、彼の復讐心に火を点ける要因となったのだろう。
 吉宗を陥れることが、己の運命に対する復讐だったのではないか。ただ、通温も月光院も、尾張徳川家ですら、その九鬼丸の復讐に利用されただけではないか……と。

(ほんで、その復讐の最中に現れた俺こそが、九鬼丸の不運の根源なんやさかい……)

 恨まれても仕方がなかったのだ――と、空虚が心に満ちた。

「全ては終わったのだ。宗次郎、お前はよくやったと思うぞ」

 宗次郎を見つめる求馬の目は慈愛に満ちていた。

「かたじけないお言葉にございます」

 何気ないねぎらいの言葉であったが、それが思いもよらぬ琴線に触れ、胸が詰まってしまって、宗次郎は肩を震わせながら頭を下げた。
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