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一 予兆
佳奈1
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――その事件が起こったのは、今から十二年も前のことである。
当時、三十を過ぎたばかりの多嶋は、並川署に赴任して二年目。生活安全部少年課の一係主任だった。
並川と言う町は、まわりを山と丘陵地に囲まれた小さな盆地で、昭和の頃は農業が主要産業という田舎だった。平成に入ってから東側の丘陵地に工業団地ができ、それに伴い、周辺の山も新興住宅地として開発の手が入ったことから、都市部のベッドタウンとして人口が増えたという街である。
確かに昔と比べれば人口は多くなったが、所詮は住宅街。そのほかの地域は未だ農地と山が面積の大半を占めている田舎には違いなく、殺人や強盗といった凶悪犯罪は多くない。人手不足の感は否めないが、それでも以前に勤務していた県庁所在地の署と比べると、ずいぶんのんびりしたものだった。
定時はとっくに過ぎているものの、宵のうちに帰宅できる有難さに感謝しながら、多嶋は席を立った。
ロビーですれ違ったのは上司である中村警部。
「おう、もう帰るのか」
身体を動かすたびにビール腹が揺れている。
「すみません。ちょっと、向陽台のスーパーが閉まる前に帰りたいんで」
不便なのは、だいたいどこの店も閉店時間が早いことだ。二十四時間営業、しかも年中無休という都会のディスカウントストアが懐かしい。コンビニ飯にもいい加減飽きてきた。
「仕事が速いのは良いことさ。で、あれか、ついでに例の小学生を拾うのか」
「あ、ええまあ。それも、できれば」
ばつの悪い思いで、頭を掻く。多嶋の心中を見透かしたように、中村が小声で忠告する。
「かまわないが。だが、あまり一個の家庭に深入りするなよ。面倒ごとに巻き込まれてから後悔しても遅いんだぞ」
「もちろんです。わかっています」
これ以上、詮索されてもたまらない。そう判断した多嶋は素直に返事をして、その場を立ち去った。
多嶋は先ず、署からほど近い駅前のローカルスーパーで自身の買い物を済ませた。それからさらに車を走らせ、隣駅の住宅地の中にあるスーパーの駐車場に車を停めた。
車を下り、しばらく辺りをうかがっていたが、そのまま敷地内にあるゲームセンターの方へと歩き出した。
「見つけたぞ」
多嶋は目的の少女を見つけるや、正面に回って仁王立ちになり進路を塞いだ。
ここはこの近辺にあるスーパーの中でも一番大きい商業施設だ。敷地内にはホームセンターやドラッグストア。百円ショップや全国チェーンのハンバーガーショップ、ゲームセンターもある。ただ、都会のそれと違うのは、だいたいの店が9時、遅くとも10時で閉店してしまうことだ。
どう見ても小学生にしか見えない少女は、多嶋と目が合うと、しまった――と言うような表情をした。
艶やかな真っすぐの髪、すらりとした手足に人形のような小さい顔。大人びた表情の彼女は、大勢の中にいても目を惹く。
多嶋の方に向き直ると不満そうな声を出した。
「もう少し遊びたかったのになぁ」
遊んでいるというよりも、灯りの点いている明るい場所で時間を潰しているだけと言った方が正しい。
「無理だ。もう9時を過ぎただろ。もうすぐゲームセンターも閉まるぞ」
ほら――と、多嶋が腕時計を示す。
「知ってる。でもあの人はまだ帰っていないよ」
「だから俺と一緒に帰るんだ」
初めの頃は、見つけただけで逃げ出していた。
「じゃあさ、あの人が帰って来るまで、多嶋さんがいてくれるんだったら、帰ってもいい」
だが今ではすっかり懐いて、まるで多嶋に見つけられることを待っているかのようにも思えるのだ。
「ん~、それは無理だ。あと、あの人とか呼ぶな。『ママ』だろ」
「ママの資格なくない?」
尻上がりの言葉尻に、多嶋は何も答えることができなかった。
「だいたいさ、仕事が終わってる時間なのにさ、全っ然帰って来ないの。そろそろ施設に入れられてもいい案件だと思うんだけど。ネグレクトってヤツでさ」
背中まで伸ばし放題の髪を、まるで大人のような仕草でかき上げる。
「それでもママはちゃんと毎日帰って来るだろう」
「最近はそうでもない」
愛らしい唇を突き出す。
ネグレクト――と彼女が言うほど、彼女の母親は娘を放置していない。彼女の身なりは少々ちぐはぐなものの洗濯されている。髪は伸びきってはいるがシャンプーの匂いがするし、痩せているが栄養失調ではない。
だが、母親の愛情を感じるには至らない程度に、娘は母親に無視されていた。
「とりあえず帰ろう、佳奈」
多嶋が手を差し出す前に、佳奈が多嶋の手を握った。
当時、三十を過ぎたばかりの多嶋は、並川署に赴任して二年目。生活安全部少年課の一係主任だった。
並川と言う町は、まわりを山と丘陵地に囲まれた小さな盆地で、昭和の頃は農業が主要産業という田舎だった。平成に入ってから東側の丘陵地に工業団地ができ、それに伴い、周辺の山も新興住宅地として開発の手が入ったことから、都市部のベッドタウンとして人口が増えたという街である。
確かに昔と比べれば人口は多くなったが、所詮は住宅街。そのほかの地域は未だ農地と山が面積の大半を占めている田舎には違いなく、殺人や強盗といった凶悪犯罪は多くない。人手不足の感は否めないが、それでも以前に勤務していた県庁所在地の署と比べると、ずいぶんのんびりしたものだった。
定時はとっくに過ぎているものの、宵のうちに帰宅できる有難さに感謝しながら、多嶋は席を立った。
ロビーですれ違ったのは上司である中村警部。
「おう、もう帰るのか」
身体を動かすたびにビール腹が揺れている。
「すみません。ちょっと、向陽台のスーパーが閉まる前に帰りたいんで」
不便なのは、だいたいどこの店も閉店時間が早いことだ。二十四時間営業、しかも年中無休という都会のディスカウントストアが懐かしい。コンビニ飯にもいい加減飽きてきた。
「仕事が速いのは良いことさ。で、あれか、ついでに例の小学生を拾うのか」
「あ、ええまあ。それも、できれば」
ばつの悪い思いで、頭を掻く。多嶋の心中を見透かしたように、中村が小声で忠告する。
「かまわないが。だが、あまり一個の家庭に深入りするなよ。面倒ごとに巻き込まれてから後悔しても遅いんだぞ」
「もちろんです。わかっています」
これ以上、詮索されてもたまらない。そう判断した多嶋は素直に返事をして、その場を立ち去った。
多嶋は先ず、署からほど近い駅前のローカルスーパーで自身の買い物を済ませた。それからさらに車を走らせ、隣駅の住宅地の中にあるスーパーの駐車場に車を停めた。
車を下り、しばらく辺りをうかがっていたが、そのまま敷地内にあるゲームセンターの方へと歩き出した。
「見つけたぞ」
多嶋は目的の少女を見つけるや、正面に回って仁王立ちになり進路を塞いだ。
ここはこの近辺にあるスーパーの中でも一番大きい商業施設だ。敷地内にはホームセンターやドラッグストア。百円ショップや全国チェーンのハンバーガーショップ、ゲームセンターもある。ただ、都会のそれと違うのは、だいたいの店が9時、遅くとも10時で閉店してしまうことだ。
どう見ても小学生にしか見えない少女は、多嶋と目が合うと、しまった――と言うような表情をした。
艶やかな真っすぐの髪、すらりとした手足に人形のような小さい顔。大人びた表情の彼女は、大勢の中にいても目を惹く。
多嶋の方に向き直ると不満そうな声を出した。
「もう少し遊びたかったのになぁ」
遊んでいるというよりも、灯りの点いている明るい場所で時間を潰しているだけと言った方が正しい。
「無理だ。もう9時を過ぎただろ。もうすぐゲームセンターも閉まるぞ」
ほら――と、多嶋が腕時計を示す。
「知ってる。でもあの人はまだ帰っていないよ」
「だから俺と一緒に帰るんだ」
初めの頃は、見つけただけで逃げ出していた。
「じゃあさ、あの人が帰って来るまで、多嶋さんがいてくれるんだったら、帰ってもいい」
だが今ではすっかり懐いて、まるで多嶋に見つけられることを待っているかのようにも思えるのだ。
「ん~、それは無理だ。あと、あの人とか呼ぶな。『ママ』だろ」
「ママの資格なくない?」
尻上がりの言葉尻に、多嶋は何も答えることができなかった。
「だいたいさ、仕事が終わってる時間なのにさ、全っ然帰って来ないの。そろそろ施設に入れられてもいい案件だと思うんだけど。ネグレクトってヤツでさ」
背中まで伸ばし放題の髪を、まるで大人のような仕草でかき上げる。
「それでもママはちゃんと毎日帰って来るだろう」
「最近はそうでもない」
愛らしい唇を突き出す。
ネグレクト――と彼女が言うほど、彼女の母親は娘を放置していない。彼女の身なりは少々ちぐはぐなものの洗濯されている。髪は伸びきってはいるがシャンプーの匂いがするし、痩せているが栄養失調ではない。
だが、母親の愛情を感じるには至らない程度に、娘は母親に無視されていた。
「とりあえず帰ろう、佳奈」
多嶋が手を差し出す前に、佳奈が多嶋の手を握った。
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