62 / 82
本編
白虎、邂逅-2
しおりを挟む
夜の間、壁の向こうから聞こえる咳にやきもきしながら、翌朝メイズはマリーを捕まえた。
「調子は」
「良くないね。咳が続いたせいで、体力を消耗してる。熱もまだ下がらない」
「薬は飲んでるんだろう」
「そうだけど、あんまり効果あるように見えないね。ただの風邪じゃないのかも」
険しい顔のマリーに、メイズは拳を握りしめた。
次の島までには、まだ日がかかる。その島に医者がいるとも限らない。このまま何もできなければ、彼女はどうなるのか。
「しっかりしな!」
背中を強く叩かれて、沈みかけていたメイズの意識が引き戻される。
「あんたがそんな顔してたら、他の奴らも不安になるだろ。副船長なんだから、こんな時こそどんと構えててくれないと」
腰に手を当てるマリーを、メイズは複雑な気持ちで見下ろした。遠慮のない物言いをする彼女は頼もしい。比例して、自分を情けなく思う時がある。
「心配なのはわかるけど、カスミのことはあたしらに任せて。むやみに顔出さないこと」
「……わかってる。俺がいても、何ができるわけでもないしな」
人の看病など、したこともない。いても役に立たないのなら、邪魔になるだけだろう。
自虐的に零した言葉に、マリーは目を瞬かせた後、軽く吹き出した。
「そうじゃないよ。女はね、身なりに気をつかえない時に、あんまり人に姿を見られたくないもんなのさ。特に、気になる相手には」
その言葉に、メイズは訝しんだ。奏澄は元々、身なりにそれほど拘る方じゃない。それに、出会った時のぼろぼろな姿も、泣きじゃくる顔も、割とさんざんなところを見てきている。今更何を気にすることがあるのだろうか。
その疑問が顔に出たのか、マリーは苦笑していた。
「乙女心ってやつさ。ま、様子はちゃんと教えるから」
「ああ、頼む」
乙女心。こういう言葉を使う時は、理解しようとするだけ無駄だ。今は言う通りにするしかない。
ざわつく胸を押さえて、メイズはその場を立ち去った。
船長の不調は、この日乗組員たちにも伝えられた。さすがに丸一日以上姿を見せないとなれば、説明しないわけにもいくまい。
身の回りの世話は女性陣が行い、男性陣の見舞いは禁止された。奏澄が気をつかうこと、加えて感染の恐れがあることが理由だ。この船には船医がいない。常備薬程度ならあるものの、薬の調合はできない。複数人が感染し薬が尽きたら、船内での対処は不可能になる。
こうなると、船医がいないことが悔やまれる。レオナルドの話を聞いて不安を覚えた時点で、何かしらの手を打っておくべきだった。
通常、海賊船に船医などいるものではない。医者のような特殊な人間は、いるだけで金に困らない。わざわざ船に乗るメリットがない。金のある商船は長期航海になると雇うこともあるが、海賊船に乗る医者がいるとしたら、それは医学知識のある海賊だ。そんなレアケースは滅多にあることではない。
次見つけたらさらってくるか、と考える程度には、メイズは既に冷静さを欠いていた。
奏澄の体調は、一向に良くならなかった。咳のせいでどんどん体力は消耗され、熱は下がる気配もなく、食べ物も喉を通らなかった。船全体が暗い空気のまま、二日目が過ぎた。
そして発熱から三日目。ついに、奏澄の意識が戻らなくなった。
マリーから報告を受け、メイズはすぐに奏澄の部屋に向かった。さすがにこの段階では、マリーもメイズを止めることは無かった。
「カスミ……!」
メイズが声をかけるも反応はなく、手を握ってもそれはだらりと力が抜け、握り返されることはなかった。熱の高さから汗がひどく、眉は苦し気に歪められている。
メイズは、人間がこんな風に弱っていくのを初めて見た。いや、正確には、初めて認識した。
今までは、いたとしても見えていなかった。生きるも死ぬも、どうでも良かった。それはただの現象に過ぎなかった。
同じ団の人間がいつの間にか姿を消しても、死んだのか、としか思わなかった。人間が動かなくなれば、それはもうただの肉の塊だった。命というものを、意識したことが無かった。奪うも奪われるも、物と同じだ。殺すのは、金品を奪うことと何ら変わりはなかった。奪われる方が悪い。弱いものが淘汰されるのは、自然の摂理だ。
知らなかった。一人の人間が、誰かにとって神にも等しい存在になり得ることを。命が、取り返しのつかないものだということを。力だけが、生きる術ではないことを。世界が、それほど残酷ではないことを。
知らなかった。奏澄に、出会うまでは。
自分の理解の外にあるものを、切り捨ててきた。わかろうとはしなかった。だから容易く奪えた。誰かの神を殺してきた。これはその罰なのかもしれない。
だとしても。
それを大人しく受け入れてやる義理は無い。
元来海賊など、自分本位な生き物だ。根底はそうそう変わるものではない。
神でも悪魔でも、邪魔をするなら殺してやる。
殺してやる。殺せるものなら。殺して助かるなら。殺せばいいなら、いくらでも血を被るのに。
怒りの矛先がわからない。腹の底に渦巻くものを吐き出すこともできず、メイズは唇を震わせた。
とにもかくにも、どこかの島に降りる必要がある。この船の中ではできることが限られている。海の上では医者も探せない。風土病のようなものなら、医者がいなくても現地の人間が対応できるかもしれない。
なんとか、島に。
「調子は」
「良くないね。咳が続いたせいで、体力を消耗してる。熱もまだ下がらない」
「薬は飲んでるんだろう」
「そうだけど、あんまり効果あるように見えないね。ただの風邪じゃないのかも」
険しい顔のマリーに、メイズは拳を握りしめた。
次の島までには、まだ日がかかる。その島に医者がいるとも限らない。このまま何もできなければ、彼女はどうなるのか。
「しっかりしな!」
背中を強く叩かれて、沈みかけていたメイズの意識が引き戻される。
「あんたがそんな顔してたら、他の奴らも不安になるだろ。副船長なんだから、こんな時こそどんと構えててくれないと」
腰に手を当てるマリーを、メイズは複雑な気持ちで見下ろした。遠慮のない物言いをする彼女は頼もしい。比例して、自分を情けなく思う時がある。
「心配なのはわかるけど、カスミのことはあたしらに任せて。むやみに顔出さないこと」
「……わかってる。俺がいても、何ができるわけでもないしな」
人の看病など、したこともない。いても役に立たないのなら、邪魔になるだけだろう。
自虐的に零した言葉に、マリーは目を瞬かせた後、軽く吹き出した。
「そうじゃないよ。女はね、身なりに気をつかえない時に、あんまり人に姿を見られたくないもんなのさ。特に、気になる相手には」
その言葉に、メイズは訝しんだ。奏澄は元々、身なりにそれほど拘る方じゃない。それに、出会った時のぼろぼろな姿も、泣きじゃくる顔も、割とさんざんなところを見てきている。今更何を気にすることがあるのだろうか。
その疑問が顔に出たのか、マリーは苦笑していた。
「乙女心ってやつさ。ま、様子はちゃんと教えるから」
「ああ、頼む」
乙女心。こういう言葉を使う時は、理解しようとするだけ無駄だ。今は言う通りにするしかない。
ざわつく胸を押さえて、メイズはその場を立ち去った。
船長の不調は、この日乗組員たちにも伝えられた。さすがに丸一日以上姿を見せないとなれば、説明しないわけにもいくまい。
身の回りの世話は女性陣が行い、男性陣の見舞いは禁止された。奏澄が気をつかうこと、加えて感染の恐れがあることが理由だ。この船には船医がいない。常備薬程度ならあるものの、薬の調合はできない。複数人が感染し薬が尽きたら、船内での対処は不可能になる。
こうなると、船医がいないことが悔やまれる。レオナルドの話を聞いて不安を覚えた時点で、何かしらの手を打っておくべきだった。
通常、海賊船に船医などいるものではない。医者のような特殊な人間は、いるだけで金に困らない。わざわざ船に乗るメリットがない。金のある商船は長期航海になると雇うこともあるが、海賊船に乗る医者がいるとしたら、それは医学知識のある海賊だ。そんなレアケースは滅多にあることではない。
次見つけたらさらってくるか、と考える程度には、メイズは既に冷静さを欠いていた。
奏澄の体調は、一向に良くならなかった。咳のせいでどんどん体力は消耗され、熱は下がる気配もなく、食べ物も喉を通らなかった。船全体が暗い空気のまま、二日目が過ぎた。
そして発熱から三日目。ついに、奏澄の意識が戻らなくなった。
マリーから報告を受け、メイズはすぐに奏澄の部屋に向かった。さすがにこの段階では、マリーもメイズを止めることは無かった。
「カスミ……!」
メイズが声をかけるも反応はなく、手を握ってもそれはだらりと力が抜け、握り返されることはなかった。熱の高さから汗がひどく、眉は苦し気に歪められている。
メイズは、人間がこんな風に弱っていくのを初めて見た。いや、正確には、初めて認識した。
今までは、いたとしても見えていなかった。生きるも死ぬも、どうでも良かった。それはただの現象に過ぎなかった。
同じ団の人間がいつの間にか姿を消しても、死んだのか、としか思わなかった。人間が動かなくなれば、それはもうただの肉の塊だった。命というものを、意識したことが無かった。奪うも奪われるも、物と同じだ。殺すのは、金品を奪うことと何ら変わりはなかった。奪われる方が悪い。弱いものが淘汰されるのは、自然の摂理だ。
知らなかった。一人の人間が、誰かにとって神にも等しい存在になり得ることを。命が、取り返しのつかないものだということを。力だけが、生きる術ではないことを。世界が、それほど残酷ではないことを。
知らなかった。奏澄に、出会うまでは。
自分の理解の外にあるものを、切り捨ててきた。わかろうとはしなかった。だから容易く奪えた。誰かの神を殺してきた。これはその罰なのかもしれない。
だとしても。
それを大人しく受け入れてやる義理は無い。
元来海賊など、自分本位な生き物だ。根底はそうそう変わるものではない。
神でも悪魔でも、邪魔をするなら殺してやる。
殺してやる。殺せるものなら。殺して助かるなら。殺せばいいなら、いくらでも血を被るのに。
怒りの矛先がわからない。腹の底に渦巻くものを吐き出すこともできず、メイズは唇を震わせた。
とにもかくにも、どこかの島に降りる必要がある。この船の中ではできることが限られている。海の上では医者も探せない。風土病のようなものなら、医者がいなくても現地の人間が対応できるかもしれない。
なんとか、島に。
0
あなたにおすすめの小説
異世界もふもふ死にかけライフ☆異世界転移して毛玉な呪いにかけられたら、凶相騎士団長様に拾われました。
和島逆
恋愛
社会人一年目、休日の山登り中に事故に遭った私は、気づけばひとり見知らぬ森の中にいた。そしてなぜか、姿がもふもふな小動物に変わっていて……?
しかも早速モンスターっぽい何かに襲われて死にかけてるし!
危ういところを助けてくれたのは、大剣をたずさえた無愛想な大男。
彼の緋色の瞳は、どうやらこの世界では凶相と言われるらしい。でもでも、地位は高い騎士団長様。
頼む騎士様、どうか私を保護してください!
あれ、でもこの人なんか怖くない?
心臓がバクバクして止まらないし、なんなら息も苦しいし……?
どうやら私は恐怖耐性のなさすぎる聖獣に変身してしまったらしい。いや恐怖だけで死ぬってどんだけよ!
人間に戻るためには騎士団長の助けを借りるしかない。でも騎士団長の側にいると死にかける!
……うん、詰んだ。
★「小説家になろう」先行投稿中です★
『身長185cmの私が異世界転移したら、「ちっちゃくて可愛い」って言われました!? 〜女神ルミエール様の気まぐれ〜』
透子(とおるこ)
恋愛
身長185cmの女子大生・三浦ヨウコ。
「ちっちゃくて可愛い女の子に、私もなってみたい……」
そんな密かな願望を抱えながら、今日もバイト帰りにクタクタになっていた――はずが!
突然現れたテンションMAXの女神ルミエールに「今度はこの子に決〜めた☆」と宣言され、理由もなく異世界に強制転移!?
気づけば、森の中で虫に囲まれ、何もわからずパニック状態!
けれど、そこは“3メートル超えの巨人たち”が暮らす世界で――
「なんて可憐な子なんだ……!」
……え、私が“ちっちゃくて可愛い”枠!?
これは、背が高すぎて自信が持てなかった女子大生が、異世界でまさかのモテ無双(?)!?
ちょっと変わった視点で描く、逆転系・異世界ラブコメ、ここに開幕☆
ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました
大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――
「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」
透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。
そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
---
【完結】平凡な魔法使いですが、国一番の騎士に溺愛されています
空月
ファンタジー
この世界には『善い魔法使い』と『悪い魔法使い』がいる。
『悪い魔法使い』の根絶を掲げるシュターメイア王国の魔法使いフィオラ・クローチェは、ある日魔法の暴発で幼少時の姿になってしまう。こんな姿では仕事もできない――というわけで有給休暇を得たフィオラだったが、一番の友人を自称するルカ=セト騎士団長に、何故かなにくれとなく世話をされることに。
「……おまえがこんなに子ども好きだとは思わなかった」
「いや、俺は子どもが好きなんじゃないよ。君が好きだから、子どもの君もかわいく思うし好きなだけだ」
そんなことを大真面目に言う国一番の騎士に溺愛される、平々凡々な魔法使いのフィオラが、元の姿に戻るまでと、それから。
◆三部完結しました。お付き合いありがとうございました。(2024/4/4)
面倒くさがりやの異世界人〜微妙な美醜逆転世界で〜
蝋梅
恋愛
仕事帰り電車で寝ていた雅は、目が覚めたら満天の夜空が広がる場所にいた。目の前には、やたら美形な青年が騒いでいる。どうしたもんか。面倒くさいが口癖の主人公の異世界生活。
短編ではありませんが短めです。
別視点あり
【完結】異世界召喚 (聖女)じゃない方でしたがなぜか溺愛されてます
七夜かなた
恋愛
仕事中に突然異世界に転移された、向先唯奈 29歳
どうやら聖女召喚に巻き込まれたらしい。
一緒に召喚されたのはお金持ち女子校の美少女、財前麗。当然誰もが彼女を聖女と認定する。
聖女じゃない方だと認定されたが、国として責任は取ると言われ、取り敢えず王族の家に居候して面倒見てもらうことになった。
居候先はアドルファス・レインズフォードの邸宅。
左顔面に大きな傷跡を持ち、片脚を少し引きずっている。
かつて優秀な騎士だった彼は魔獣討伐の折にその傷を負ったということだった。
今は現役を退き王立学園の教授を勤めているという。
彼の元で帰れる日が来ることを願い日々を過ごすことになった。
怪我のせいで今は女性から嫌厭されているが、元は女性との付き合いも派手な伊達男だったらしいアドルファスから恋人にならないかと迫られて
ムーライトノベルでも先行掲載しています。
前半はあまりイチャイチャはありません。
イラストは青ちょびれさんに依頼しました
118話完結です。
ムーライトノベル、ベリーズカフェでも掲載しています。
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる