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第9話

「あの日の川越線_05」

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 奈美さんがカメラマンを目指すきっかけになったのは、キハ110系の写真を見たからだと言った。
 川越駅でその写真を見せてくれた人は、当時まだ中学生ぐらいだったとも言っていた。
 どうやら奈美さんは、その中学生が俺だったと思い込んでいるらしい。
 だが俺は、俺には2つ下とはいえ女の子に自分の写真を見せた覚えがない。
 そうはっきり否定できる根拠が俺にはあった。
 中学1年の頃に入っていた写真部で、電車の写真を女子部員に見せたところ、「“鉄オタ”キモい」とからかわれた。
 先輩には部活以外で撮影したものは持ち込み禁止と言われ、バインダーごと没収された。
 そのバインダーは後日バラバラにちぎられて、ゴミ回収置き場に捨てられていた。
 最初から返却するつもりはなく、顧問の先生はその事実すら知らなかった。
 部活中は、部費で購入したカメラは先輩たちが独占。
 備品で購入したカメラ雑誌も先輩たちの手元から離れることはなく、1年生はいつも部室の掃除ばかりやらされていた。
 先輩たちは全くの素人で、カメラの知識はほとんどない。
 部活中も女子部員をモデルにして、適当にシャッターを切って遊んでいるだけ。
 真剣にカメラを志すなどという意識すら感じられない。
 全くの時間の無駄遣い。だから俺は3ヶ月で帰宅部になった。
 その後は放課後に自宅近くで撮影したり、現像やプリントの勉強をしていた。
 こうなると当然、学校での友達もできず、女の子たちとも距離を取る癖が身についていた。
 「そんな時期に駅であった女の子と写真を見せ合うなんて、とても無理…なんだけど、なぁ…」
 独り言を言いながら、奈美さんが言っていた“桜吹雪の流し撮り”の写真が気になっていた。
 流し撮りなんて高等技術を使えるはずがない。
 ネガストッカーをペラペラめくりながら、それらしい写真を探す。
 大量のネガも綺麗に整理しておいたおかげで、奈美さんが見た頃より前の日付のものだけでよかった。それでも50冊以上あったが(汗)…。

 その中に川越駅で撮った103系3000番台の写真が見つかった。
 「あれ? なんかおかしいなあ」
 川越駅であることは確かだが、アングルがおかしいことに気づいた。
 しかし、ネガでは小さすぎて、しかも色調が反転してるためよく解らない。
 デジタルならすぐにPCで画像チェックできるものの、フィルムでは無理だ。
 ところが“捨てる神あらば拾う神あり”というほど大げさではないが、俺がフィルムカメラを使っていた時には、もうPCで画像を加工することが当たり前だったので…、
 「これこれ! フィルムレコーダー! 捨てなくてよかったぁ」
 …一人でテンションあげてしまった…。
 俺が使っていたのは、オフラインでも使える6インチモニター付きのものなので、ネガをセットすればそのまま画像の確認ができる。
 そして…。
 「ああ、そうかぁ。これ、東上線のホームから撮ったやつだ」
 103系3000番台が西武線との交差を乗り越えてくるシーンだが、この辺りはJRのホームからではカーブの先になるため見えないのだ。
 「そういえば…、川越駅では東武のホームからしか撮ったことがなかったなぁ」
 ぼやけていた記憶が蘇ってくる。
 しかし、やはり女の子と写真を見せ合ったなどという、甘酸っぱい思い出はなかった。
 「やっぱり…勘違いですよ? 奈美さん…」
 もしかしたら…という淡い期待があったが、いくら考えても奈美さんと出会っていた記憶は全く見つけられなかった。
 落胆した最悪の気分であっても、時は容赦なく進みEV-E103系の試乗会の日がやってきた。
 編集長にはなぜか“ヘタレ”と罵られるし…、俺の何が悪いのか? 全く心当たりがないのに…。
 奈美さんとも顔を合わせにくい。
 奈美さんも同じじゃないかな? などと考えていたが…、

 当日の集合時間30分前には、何事もなく奈美さんはごく普通に現れた。
 「おはよう。今日もよろしく」
 こういうところはさすがに『プロ』だと感心した。
 「おはようございます。お久しぶりです。今日もよろしくお願いします」
 ちょっと硬い挨拶を済ませたら、話が途切れてしまった。
 しばらくの間、気まずい沈黙が続いたが…、奈美さんは一度大きく息を吐いたら、
 「あ~、もうこういうの苦手なの。まだ時間があるからちょっと付き合って!」
 そう言うや奈美さんは、俺の手を引っ張って、改札口に向かって行った。
 「あ、あれ? どこ行くんですか? そっちは東上線ですよ?」
 「いいのよ! ただ、入場券買うから待ってて」
 と言って、奈美さんに東上線の有人改札口に引っ張って行かれた。
 ※ICカードは入場券としては機能しないので、有人改札で入場券を買わなくてはなりません※
 東上線の下りホームに降りると、川越市駅よりの先端まで行く。
 「あ、ここ。懐かしいなぁ」
 「私の父はたまにここで東上線上り列車の写真を撮ってたわ」
 「へえ、そうなんですか。あ、確かにここなら直線だから、無理なく10両編成が撮れますね」
 「そして川越西線が西武線を越えてくるところもね…」
 「そうなんですよ。JRのホームからじゃカーブでよく見えないんですよね」
 「私がカメラマンを志したってこの前話したよね? その写真を見せてもらったのがここなの…」
 先日、奈美さんが言ってた場所だ。
 「え? あ、そうか奈美さんは東上線の写真撮ってたんですよね?」
 「ううん。その時は私はまだ小学生で、電車は好きだけど写真は全く撮ってなかったわ」
 「あれ? ここで中学生と見せ合った写真に感動したんじゃないんですか?」
 (ハァ~)奈美さんが落胆のため息を吐いた。
 え? なんで??
 「もういいわ。集合時間だから戻りましょ」
 明らかに機嫌を損ねている。
 もしかして、俺は何か地雷踏んだ?
 でも本当に、俺は撮影中に一度たりとも女の子と写真を見せ合ったことはなかったんだけど…。
 奈美さんが何を根拠に、その中学生が俺だと思い込んでるんだろうか?

 EV-E103系の試乗車は定時に川越駅を発車した。
 往路の川越線内はバッテリーによる走行をするということで、ドア上部の案内表示にはバッテリーからモーターに流れる電力がグラフィカルに表示されていた。
 VVVF制御なので、加速時の音は他の車両とほとんど同じだ。
 ただ、発車直前にパンタグラフを下ろしたり、パンタグラフが架線に接していないので、窓を開けていても架線が擦れる音が聞こえてこない。
 そんなところは少し新鮮だった。
 発車直後の西武線を越えるための上り勾配も全くモタつきがなく、そのあとは比較的なだらかで曲線もないので、あっという間に西川越駅に到着した。
 減速時の電力回生時に唸るような音が少し大きかったのが気になったくらいだ。
 もっともそれも車体剛性や遮音性が高いために、既存の209系より大きく聞こえたのだろう。
 そのことにハッキリ気づいたのは入間川の鉄橋を渡る時だった。
 明らかに高音が抑えられていた。というより、すごく重々しい走行音だ。
 車重は各車が38トン前後。つまり軸重(車軸一つにかかる車重)当たり約10トンなので、205系のモーター車より2割増し。209系のモーター車だと4割も重いことになる。
 これは搭載されている蓄電池によるところが大きく、偶然にも103系3000番台に近い。
 ちなみに烏山線の“EV-E301系”は40トン前後なので、軽い分はアルミ車体によるところだろう。
 最近ではどの車両も車重を軽くする一方だったので、この重量感は逆に結構ハマりそうだ。

 奈美さんは走り始めてからモニターや車内の写真を撮りまくっていた。
 ただ、半ばヤケになってたような気もしたけどね(汗)。
 高麗川から八王子までは架線集電での走行だ。
 架線が擦れる音が聞こえるように、パンタグラフ下の窓が再び開けられていた。
 確かにシューという音が聞こえている。
 「この区間は全く普通の電車として走ってるけど、蛇行してる時は充電してるらしいわ」
 「ということは絶えず集電はしてるんですね?」
 その分、架線電圧は下がるが単線なので、他の列車にはほとんど影響はない。
 「もし上下線で電力供用してたらどうなるんですか? 他の電車は加速するための電力は足りるんですか?」
 「その場合は自動的に充電OFFになるそうよ?」
 「へぇ、妙なところもハイテクなんですね」
 架線電圧が一定以上下がると充電しないようだ。

 八王子では、八高線ホーム先にある留置線に入り、ここまでの走行に関する説明が行われた。
 その後、ホームに戻ると希望者のみ降車が認められた。
 俺たちはもちろん復路も乗車して川越まで戻る予定だ。
 往路は熱心に撮影していた奈美さんは、復路はずっと俺の隣の座席に座ったまま黙り込んでいた。
 入間川を渡り、川越駅に着く直前に奈美さんは慌てたように口を開いた。
 「あなたのあの写真、あれが私をカメラマンにさせたの」
 「え? な、奈美さん? いきなり何を…」
 「あの写真なの! 間違いなくあのキハ110系の写真なのよっ!」
 「ち、ちょっと、奈美さん。ここじゃアレだから川越に着いたらどこかで話しましょう。それまで待ってください」
 奈美さんが突然言い出したのは…それより俺に全く覚えがないのに、ここでこじれたら本当に奈美さんとの関係が終わってしまいそうで恐ろしかった。
 だから強引に口を閉ざさせた。

 「全然覚えてないのね!」
 再び東上線の下りホーム先端部に着いた途端に奈美さんは、不愉快オーラ全開のセリフで俺の身を切り刻んだ。
 「だ、だから、俺は女の子と写真を見せ合ったことはないんです」
 もう必死だった。このままでは奈美さんとの関係が崩壊してしまう。それだけは何としても避けたかった。
 「私は一言も“見せ合った”とは言ってないわよ。それに、その時はまだカメラを始めてなかったって何度も言ったでしょ」
 「は?」
 俺は何か大きな勘違いをしてるらしい。
 「でも、見せてもらったって言いましたよね? それって見せ合ったってことじゃないんですか?」
 「あのねぇ。写真を撮ってもいないのにどうやって見せあうことができるのよっ!」
 奈美さんは呆れ顔で…、というより半ば吹き出しそうな顔で言った。
 「でも、女の子に見せた覚えがないんですよ、俺には…」
 「あ~そうか! あなたは一対一で、って言いたいのね。やっとわかったわ」
 一対一? じゃないの? どういうこと? もっと大勢いた?

 奈美さんは一番端の手すりまで行くと、振り返って苦笑いした。
 「私は父にくっついて電車を見るのが好きだったの」
 やっと落ち着いてきたらしく、いつもの口調になって話し始めてくれた。
 「まだ小学生の時よ。電車が好きだから将来は乗務員になるしかないと思い込んでいたのよ」
 「まあ男子でも大抵は一度くらいは運転手になりたいって言いますよね?」
 その頃は、女性の進出が話題となり、運転手も数名が登場していた。
 最初は“男の職場に…”などと差別的扱いもあったが、正則作業や指差喚呼など、どうかすると男性よりきちんとこなしている姿が受け入れられ、運転自体も丁寧だと言われ始めていた。
 「最初からカメラマンを目指していた訳じゃなかったんですね?」
 「そりゃそうよ。とにかく電車…と、いうか東武車が好きだったの。それに写真は父が撮っていたけど、正直言って形式写真ばっかりだったから、記録的な目的で撮影するものだと思ってたのよ」
 「あ、なんとなくその気持ち解ります。俺の父親もテーマがはっきりしない写真ばっかりだったし、日の丸構図ばっかりだったし(笑)」
 だから、それに反抗する意志もあったのだろう。俺の写真は良い言い方をすれば、形にとらわれない構図。悪く言えば、行き当たりばったりなのだ。
 「それが…、あのあなたの写真を見てびっくりしたの。父が撮っていた写真とは全く違うんだもん」
 「あ、それなんですが…、なんというかやっぱり奈美さんと写真を見せ合った記憶がないんです」
 途端に奈美さんは白い目で見返してきた。
 「まだ気づいてないんだ。私はさっきから、一度も“見せ合った”とは言ってないって言ってるでしょ!」
 「へ? だってこの前から…」
 「だ・か・ら、“見せてもらった”んだって、言ってるじゃない!」
 「同じことじゃないんですか?」
 「その時はまだカメラやってない私が、どうやったら写真見せられるのよっ!」
 「あ、そうか。そういう意味…? でも、それなら余計見せてるはずがないんですが?」
 「なぜ?」
 「中学1年の時に、写真部に入って、女子に『鉄オタキモい』って言われてから、一度も女子に写真を見せたことがないんです」
 「………。」
 奈美さんは絶句した。そして悲しむような顔で…、
 「あなたも写真部で苦労したのね。よっく解るわ、その悔しさ」
 そういえば奈美さんも写真部で、嫉妬から散々イジメられていたと言っていたっけ。
 「でもね。私に見せたのではなくて、私の父に見せていたのよ? あなたは」
 「は? どういうことですか?」
 「あなたは私の父にバインダーを見せて、話をしていたんだけど、そのうちに離れたところに立っていた私に気づいて、あなたは手招きしてくれたのよ」
 「? あれ? え? ええっ?」
 なんかいきなり話がおかしな方向に動いたぞ?
 「私が近づいて行くと、父が見終わったバインダーを渡してくれて『電車が好きなら、少しの間これみて待っててくれる?』って言ってくれたのよ」
 「あれ? あれれ? …あ、そういえば乗務員だという人に見せたような…」
 その後、何度か乗務中に声をかけてくれた東上線の運転手さんが…、
 「え~と、確か、名前が…、 ! さ・か・き・ば・ら…さん? だった… …え?」
 奈美さんのフルネームは“榊原奈美”…、ってことは…。
 普段、“奈美さん”と呼んでるから、苗字忘れてた。
 「ええっー!! じゃあ、あの人は奈美さんのお父さん!?」
 「やっと思い出した? まあ、私があなたに会ったのはその時だけだったけど、あの写真の印象が強くて私もそんな写真が撮りたいと思ったの」
 覚えて…いた。 確かにそうだ!
 俺は奈美さんのお父さんと103系3000番台や、有楽町線にまもなく新型車10000系が投入されるっていう話題に熱中してた。
 相互直通運転してる東上線も走るので、じきに習熟運転が始まるとか言ってたっけ。
 そんな電車の話題に熱中してたら、少し離れたところでこちらを見ていた女の子がいた。
 その運転手さんの娘さんだと聞いて、電車が好きだというので暇つぶしに見ててもらおうとバインダーを渡したのだった。
 「あなたにとっては記憶する価値すらなかったんだろうけど、私はあなたのバインダーの写真を見て人生観すら変わったのよ?」
 「いえいえ、価値がないなんてそんなことないんです。ただ、新型車の話題に興奮して…、して…、 ごめんなさい」
 「あ、認めるんだ。それはそれで少し腹が立つわね」
 と、言いつつもちょっと嬉しそうに奈美さんが笑った。
    <続く>
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