ぼくらの森

ivi

文字の大きさ
71 / 122
第二章 目覚め

第71話 ヒント

しおりを挟む
 消灯後の廊下を歩きながら、セロは歯を食いしばっていた。落馬直後は少しも痛まなかった体が、今になって悲鳴を上げ始めたのだ。

 時間差で襲ってきたダメージに、ため息の一つくらいつきたくなる。風呂に入ればいくらか収まると思ったのだが……どうやら甘かったようだ。

 温めるべきでは無かったのかも知れない。

 痛みから意識をそらすために、セロは騎乗訓練後のことを思い返した。

 全身汗だくになったヴェルーカの手入れは、昨日とは比べ物にならないほど大変だった。

 バケツいっぱいに水を汲んで、ヴェルーカにかける。濡れたタオルで全身を洗い、汗の白い濁りが消えたら、次は馬体から滴る水をヘラでこき落とし、四肢の水気を拭き取る。

 ケリーが言うには、馬の蹄は水気に弱いため、そのままにしておくと腐敗してしまうそうだ。水で洗った後はもちろん、雨上がりのぬかるみを走ったあとも、必ず綺麗に泥を落として乾かす必要がある。そうでなければ、馬の第二の心臓である蹄を失ってしまうことになるのだ。

 「蹄なくして、馬なし!」

 手入れ中、ケリーがずっと言い聞かせてくれたおかげで、今でも耳に残っている。

 びしょ濡れになった毛並みが元通りになると、馬もすっきりしたのか、厩舎へ帰る足取りはとても軽やかだった。……久々の騎乗を終えて、お腹が減っていただけかも知れないが。

 宿舎の階段を登り終えて、部屋へ直行する。一刻も早く寝て、体力を回復したい。

 ドアを開けて部屋に入ると、案の定ロウソクの火は灯されたままだった。どうやら、タークはセロが部屋に帰って来るまで待つのが日課になっているようだ。

 「あ、お疲れさまです」

 ベッドに腰かけていたタークが笑顔で出迎える。寝間着に着替えた彼は、毛布を頭から羽織っていた。

 「まだ起きていたのか。僕のことは気にせず、先に寝てくれて構わないのに」

 折り畳んだタオルを桶に放り込んだセロは、半ば崩れるようにして椅子に腰掛けた。珍しく疲労を顕にする姿に戸惑ったのか、タークは当たり障りのない言葉をかけてくる。

 「なんだか……大変だったみたいですね」

 セロは丸いテーブルの縁に肘を付いて、ふうっと息をついた。今は言葉を返すのも億劫に感じてしまう。

 「セロさん?」

 「何だ」

 タークの呼びかけに答えると、彼は前のめりになってセロの顔を覗き込んだ。

 「大丈夫ですか?」

 「……何が?」

 「えっと、もしかして何かあったんですか?ケガとかしてません?」

 タークの問いに、セロはぎくりと肩を縮ませた。なぜ、彼はこういうときに限って鋭い察知能力を発揮するのだろう。

 「いや、別に。なぜそう思った?」

 「さっきから、ずっと上の空というか……。いつもと様子が違う気がしたんです。あと、何かあったときの『何が』とか『別に』はセロさんの……えっと、ジョートーク……?じゃないですか」

 常套句……か。そんなつもりはなかったのだが、どうやら口癖になっているようだ。

 今度から気をつけなければ。

 「少し疲れただけだ、心配しなくていい。ほら、そろそろ寝ないと明日に響くぞ」

 ロウソクの火を吹き消して、セロはいつも通りベッドに横になった。しかし、少し体勢を変えるだけで背中に重い痛みが走る。痛みは一瞬で引いてくれるからまだいいが、気を抜いたときに来るダメージには精神的に厳しいものがあった。

 これは……一晩で治るか心配になってきたな。

 セロは心の中で苦笑して、ぼんやりと天井を眺めた。

 それにしても、なぜヴェルーカは豹変してしまうのだろう。明日もまた、あのじゃじゃ馬に乗ると思うとセロの心はどんよりと曇った。

 だが、ここで諦めてしまったら、ここまで尽力してくれた人たちの努力が、すべて水の泡になってしまう。

 何としても、解決しなければならない。そう思ってはいるのだが、馬と一対一で向き合ったことのないセロは、ヴェルーカとどのように接するべきかわからずにいた。

 未熟な乗り手の問題か、それとも他に原因があるのか……。体の痛みのせいで、なかなか眠りにつけないセロは、山積みになっている課題を頭の中で転がし続けた。

 そうしている間に、タークはもう眠りに落ちたのか、部屋の反対側からは穏やかな寝息が聞こえてくる。早起きが大の苦手であることを除けば、タークの寝付きの良さは誰にも負けないだろう。

 子どものような、あどけなさが抜けきっていないタークを見ていると、セロは自分が幼かった頃の記憶を思い出すことがある。

 今は消灯後の暗い宿舎を一人で歩くことくらい何ともないが、子どもの頃は真っ暗になった屋根裏部屋が怖くて、兄が一緒にいてくれなければ部屋に入れないほど臆病だった。

 あの頃はまだ、親から聞いたおばけの話を信じていたから、それがトラウマになっていたのだろう。

 そうか、トラウマ……か。

 頭の中に浮かぶ文字に、セロは小さなヒントを得た気がした。

 もしかすると、遠征での出来事がヴェルーカのトラウマになっているのかも知れない。

 だが……それが、エダナの死だとしたら?

 そうだとしたら、セロが何をしたところで、ヴェルーカの心の傷を癒やすことは不可能だ。なぜなら、ヴェルーカの大好きなエダナ・イヴァはこの世界にただ一人。エダナの代わりが務まる者は、誰一人としていないのだから。

 セロは文字通り、頭を抱えた。

 それと同時に重い一撃が背中を貫くが、その痛みは弱音を吐きそうになった彼の心を引き締めた。

 ……絶望的な状況ではあるが、諦めるのはまだ早い。

 騎乗が駄目なら、頭を使おう。
 そもそも、僕は馬について何も知らないのだから、まずは馬という動物を理解するところから始めなければ。

 ケリーなら、馬に関する本を持っているはず。

 明日からは騎乗訓練と並行して馬の知識を深めよう。上手くいくかどうかわからないが、このまま終わるよりずっとましだ。

 セロはカーテンの端をつかんでそっと開ける。

 たちまち眩しい月明かりが注ぎ込み、部屋の影をより一層際立たせた。

 体は疲れ切っているはずなのに、目はすっかり冴えてしまっている。

 セロは寝ることを諦めて、枕の下に手を忍ばせた。さっき頭を抱えたとき、これの存在を思い出したのだ。

 ケリーと学長室で再会したとき、学長から渡された物。

 忙しくて中身を確認する時間がなかったが、今ならゆっくり見ることができるだろう。

 セロは体を起こして、袋の口を縛る紐を静かに解き始めた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

底辺から始まった俺の異世界冒険物語!

ちかっぱ雪比呂
ファンタジー
 40歳の真島光流(ましまみつる)は、ある日突然、他数人とともに異世界に召喚された。  しかし、彼自身は勇者召喚に巻き込まれた一般人にすぎず、ステータスも低かったため、利用価値がないと判断され、追放されてしまう。  おまけに、道を歩いているとチンピラに身ぐるみを剥がされる始末。いきなり異世界で路頭に迷う彼だったが、路上生活をしているらしき男、シオンと出会ったことで、少しだけ道が開けた。  漁れる残飯、眠れる舗道、そして裏ギルドで受けられる雑用仕事など――生きていく方法を、教えてくれたのだ。  この世界では『ミーツ』と名乗ることにし、安い賃金ながらも洗濯などの雑用をこなしていくうちに、金が貯まり余裕も生まれてきた。その頃、ミーツは気付く。自分の使っている魔法が、非常識なほどチートなことに――

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2巻決定しました! 【書籍版 大ヒット御礼!オリコン18位&続刊決定!】 皆様の熱狂的な応援のおかげで、書籍版『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』が、オリコン週間ライトノベルランキング18位、そしてアルファポリス様の書店売上ランキングでトップ10入りを記録しました! 本当に、本当にありがとうございます! 皆様の応援が、最高の形で「続刊(2巻)」へと繋がりました。 市丸きすけ先生による、素晴らしい書影も必見です! 【作品紹介】 欲望に取りつかれた権力者が企んだ「スキル強奪」のための勇者召喚。 だが、その儀式に巻き込まれたのは、どこにでもいる普通のサラリーマン――白河小次郎、45歳。 彼に与えられたのは、派手な攻撃魔法ではない。 【鑑定】【いんたーねっと?】【異世界売買】【テイマー】…etc. その一つ一つが、世界の理すら書き換えかねない、規格外の「便利スキル」だった。 欲望者から逃げ切るか、それとも、サラリーマンとして培った「知識」と、チート級のスキルを武器に、反撃の狼煙を上げるか。 気のいいおっさんの、優しくて、ずる賢い、まったり異世界サバイバルが、今、始まる! 【書誌情報】 タイトル: 『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』 著者: よっしぃ イラスト: 市丸きすけ 先生 出版社: アルファポリス ご購入はこちらから: Amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/4434364235/ 楽天ブックス: https://books.rakuten.co.jp/rb/18361791/ 【作者より、感謝を込めて】 この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。 そして、この物語を見つけ出し、最高の形で世に送り出してくださる、担当編集者様、イラストレーターの市丸きすけ先生、全ての関係者の皆様に、心からの感謝を。 本当に、ありがとうございます。 【これまでの主な実績】 アルファポリス ファンタジー部門 1位獲得 小説家になろう 異世界転移/転移ジャンル(日間) 5位獲得 アルファポリス 第16回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞 第6回カクヨムWeb小説コンテスト 中間選考通過 復活の大カクヨムチャレンジカップ 9位入賞 ファミ通文庫大賞 一次選考通過

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

異世界ビルメン~清掃スキルで召喚された俺、役立たずと蔑まれ投獄されたが、実は光の女神の使徒でした~

松永 恭
ファンタジー
三十三歳のビルメン、白石恭真(しらいし きょうま)。 異世界に召喚されたが、与えられたスキルは「清掃」。 「役立たず」と蔑まれ、牢獄に放り込まれる。 だがモップひと振りで汚れも瘴気も消す“浄化スキル”は規格外。 牢獄を光で満たした結果、強制釈放されることに。 やがて彼は知らされる。 その力は偶然ではなく、光の女神に選ばれし“使徒”の証だと――。 金髪エルフやクセ者たちと繰り広げる、 戦闘より掃除が多い異世界ライフ。 ──これは、汚れと戦いながら世界を救う、 笑えて、ときにシリアスなおじさん清掃員の奮闘記である。

スティールスキルが進化したら魔物の天敵になりました

東束末木
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞、いただきました!! スティールスキル。 皆さん、どんなイメージを持ってますか? 使うのが敵であっても主人公であっても、あまりいい印象は持たれない……そんなスキル。 でもこの物語のスティールスキルはちょっと違います。 スティールスキルが一人の少年の人生を救い、やがて世界を変えてゆく。 楽しくも心温まるそんなスティールの物語をお楽しみください。 それでは「スティールスキルが進化したら魔物の天敵になりました」、開幕です。 2025/12/7 一話あたりの文字数が多くなってしまったため、第31話から1回2~3千文字となるよう分割掲載となっています。

異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜

KeyBow
ファンタジー
 間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。  何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。  召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!  しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・  いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。  その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。  上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。  またぺったんこですか?・・・

Re:Monster(リモンスター)――怪物転生鬼――

金斬 児狐
ファンタジー
 ある日、優秀だけど肝心な所が抜けている主人公は同僚と飲みに行った。酔っぱらった同僚を仕方無く家に運び、自分は飲みたらない酒を買い求めに行ったその帰り道、街灯の下に静かに佇む妹的存在兼ストーカーな少女と出逢い、そして、満月の夜に主人公は殺される事となった。どうしようもないバッド・エンドだ。  しかしこの話はそこから始まりを告げる。殺された主人公がなんと、ゴブリンに転生してしまったのだ。普通ならパニックになる所だろうがしかし切り替えが非常に早い主人公はそれでも生きていく事を決意。そして何故か持ち越してしまった能力と知識を駆使し、弱肉強食な世界で力強く生きていくのであった。  しかし彼はまだ知らない。全てはとある存在によって監視されているという事を……。  ◆ ◆ ◆  今回は召喚から転生モノに挑戦。普通とはちょっと違った物語を目指します。主人公の能力は基本チート性能ですが、前作程では無いと思われます。  あと日記帳風? で気楽に書かせてもらうので、説明不足な所も多々あるでしょうが納得して下さい。  不定期更新、更新遅進です。  話数は少ないですが、その割には文量が多いので暇なら読んでやって下さい。    ※ダイジェ禁止に伴いなろうでは本編を削除し、外伝を掲載しています。

処理中です...