ぼくらの森

ivi

文字の大きさ
80 / 122
第二章 目覚め

第80話 トラウマ

しおりを挟む
 「それで?部屋の片付けを放ったらかすほどの大発見って、何なんだ?」

 今朝のことが不満だったのか、ケリーは蹄洗場に繋がれたヴェルーカの前で、腕を組んでいる。

 セロは鞍をのせながら、不機嫌そうなケリーに答えた。

 「本当にすまない。部屋の片付けは後で必ずするから、許して欲しい。ただ、ヴェルーカと向き合う方法が何となくわかった気がして、いても立ってもいられなくなったんだ」

 「……何となく?」

 ぶっきらぼうに聞き返すケリーに、セロはしっかりと頷いた。

 「クウェイのおかげで、ヴェルーカの気持ちを知ることができたんだ」

 「ごめん、オレは途中で寝ちゃったから、あんまり覚えてないんだけど。日記に何か書かれてたのか?」

 腹帯を鞍のベルトに繋ぎながら、セロは黙って首を横にふる。ベルトの穴に金具を通し終えると、彼は反対側に回って、帯を馬の腹の下にくぐらせた。

 「僕も最後まで読まずに寝てしまったから、詳しいことが書かれていたかどうかはわからない。でも、クウェイが夢の中でヒントを教えてくれたんだ」

 「クウェイさんと夢で会ったのか、羨ましいな。……それで?」

 セロは繋ぎ場から出ると、ズボンのポケットに押し込んでいたグローブを取った。

 「ヴェルーカはきっと、乗り手の体温や気配が消えてしまうことを恐れているんだ。発作的に暴れるのは、二度の遠征で経験したことがトラウマになって……人を乗せるたびに、嫌な記憶が蘇るからだと思う」

 グローブをはめた手を握ったり開いたりしながら、セロは付け足した。

 「ヴェルーカをトラウマから解放するには、恐怖の根源になっている記憶を塗り替えないといけない」

 「ちょっと待てよ!そんなことが、本当にできると思ってるのか?ここは夢の世界じゃないんだぜ?記憶を塗り替えるなんて、魔法使いでもないと無理だろ」

 「言い方が悪かったかも知れない。塗り替えると言うより、期待を裏切ると言った方がいいのかな」

 「……ますます、訳がわかんなくなったぜ?ヴェルーカを裏切ったら、それこそ信用してもらえなくなるじゃないか」

 ケリーは呆れた顔でセロを見つめている。このままではヴェルーカの問題を解決する前に、彼の信用を失ってしまいそうだ。

 セロは誤解を解くため、丁寧に説明した。

 「ヴェルーカの経験上、落馬した人はいなくなってしまう。それで人を乗せるのが怖くなったのなら、その思い込みを裏切ってあげればいいんだ。たとえ遠征の記憶を思い出して暴れたとしても、僕が最後まで背中に残っていられたら、きっといい意味で期待を裏切ることになるんじゃないかな」

 「その、期待っていうのは何なんだ?」

 「僕も上手く説明できないが……期待というのは、僕が落馬したときにヴェルーカが『やっぱり落ちた』って思うこと。その気持ち自体が、ヴェルーカにとって負の期待なんだ。ヴェルーカの予想と違う結果を見せてあげることで、トラウマになっている記憶を塗り替えられると思う」

 ヴェルーカに頭絡を着け終えたセロは、難しい表情で立つケリーに向き直った。

 青い瞳の奥底では、希望の光が見え隠れしている。

 「わかった……セロに任せるよ」

 セロはヴェルーカの手綱を持つと、ケリーに続いて丸馬場へ向かう。

 馬場の中央でひらりと馬に跳び乗って、セロはヴェルーカを歩かせた。

 踏み台に腰掛けたケリーは、なだらかな曲線を描く埒に沿って進む馬を見守った。

 これまでの落馬によって、より強めてしまったヴェルーカのトラウマを、何としても取り除かなければならない。

 反時計回りに、四つの拍で歩くヴェルーカ。リズムに合わせて馬の腹をふくらはぎで押し返しながら、セロはその時が来るのを待った。

 「……速歩よーい」

 人馬の緊張が解れたところで、ケリーが速歩準備の号令を出す。手綱を軽く張ってヴェルーカの腹を足で圧迫すると、馬の歩みは徐々に早まっていった。

 「速歩進め!」

 踵で合図を送ると、ヴェルーカは規則正しい二拍のリズムで走り始めた。馬が走る反動に合わせながら、セロはヴェルーカに小さな合図を送り続ける。

 馬との会話を断ってはいけない。

 ヴェルーカが踏み出す一歩一歩に対して、乗り手が答えてあげなければ。

 馬の黒い耳を視界の下端に入れながら、進行方向をしっかりと見据える。次の一歩はどこに踏み出して、馬場のどこを通るのか。

 同時に自分の騎乗姿勢も意識して、馬が走りやすい状態を維持し続ける。

 余計なことは考えず、次の瞬間だけに集中する。

 その一瞬、一瞬の積み重ねが、ヴェルーカの一連の動きを生み出していく。

 しばらく走ったあと、ケリーの指示で常歩に落として、短い休憩時間を取った。

 ヴェルーカは砂を踏みしめながら、いつもと変わらない調子で歩き続けている。

 「速歩用意……」

 ケリーの緊張した声が聞こえてくる。

 きっと、セロと同じ気持ちでいるのだろう。

 「速歩進め!」

 セロの合図で、馬はまた走り始めた。

 再び刻まれる細かい二拍のリズムに揺られながら、セロはしっかりと馬の動きについていく。

 もうすぐ、丸い馬場を一周する所まで来たとき。

 ふいに、セロの心に鋭い痛みが走った。心の中の糸が、両側からピンッと張り詰められるような感覚。

 心臓がバクバクと脈打って、そのときが来たのだと告げている。

 突然、頭を高く上げて耳をピタッと伏せたヴェルーカは、前脚を大きく踏み出して暴走した。バタバタと響く足音とともにセロは体を起こして、ヴェルーカに止まれの合図を送り続ける。

 一度こうなってしまったら、ヴェルーカに手綱は効かない。

 いや、むしろ逆効果だ。

 無闇に引っ張れば引っ張るほど、馬は走るスピードをどんどん上げていく。

 大丈夫……大丈夫……。

 泣き喚く子どもに優しく言い聞かせるように。セロはヴェルーカが噛み締めるハミを解いて、馬が落ち着くのを待つ。

 ヴェルーカが跳ねるたびに振り落とされそうになるが、セロは必死で耐えた。

 怖がるな、恐れるな。

 ヴェルーカだって、逃げ出したいほどの恐怖に襲われているんだ。

 だが、馬はどんなに辛くても泣き叫ぶことができない。人間に助けを求めることも、気持ちを言葉にすることも、できない。

 だから、誰かが寄り添ってあげないと……誰かが「大丈夫」って言ってあげないと、人の言葉を話せない馬は、独りぼっちになってしまう。

 トラウマに抗うヴェルーカの暴走に頭は混乱しているようだが、心は酷く落ち着いている。

 セロは無音になった心のなかで、ヴェルーカに語りかけた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

底辺から始まった俺の異世界冒険物語!

ちかっぱ雪比呂
ファンタジー
 40歳の真島光流(ましまみつる)は、ある日突然、他数人とともに異世界に召喚された。  しかし、彼自身は勇者召喚に巻き込まれた一般人にすぎず、ステータスも低かったため、利用価値がないと判断され、追放されてしまう。  おまけに、道を歩いているとチンピラに身ぐるみを剥がされる始末。いきなり異世界で路頭に迷う彼だったが、路上生活をしているらしき男、シオンと出会ったことで、少しだけ道が開けた。  漁れる残飯、眠れる舗道、そして裏ギルドで受けられる雑用仕事など――生きていく方法を、教えてくれたのだ。  この世界では『ミーツ』と名乗ることにし、安い賃金ながらも洗濯などの雑用をこなしていくうちに、金が貯まり余裕も生まれてきた。その頃、ミーツは気付く。自分の使っている魔法が、非常識なほどチートなことに――

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2巻決定しました! 【書籍版 大ヒット御礼!オリコン18位&続刊決定!】 皆様の熱狂的な応援のおかげで、書籍版『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』が、オリコン週間ライトノベルランキング18位、そしてアルファポリス様の書店売上ランキングでトップ10入りを記録しました! 本当に、本当にありがとうございます! 皆様の応援が、最高の形で「続刊(2巻)」へと繋がりました。 市丸きすけ先生による、素晴らしい書影も必見です! 【作品紹介】 欲望に取りつかれた権力者が企んだ「スキル強奪」のための勇者召喚。 だが、その儀式に巻き込まれたのは、どこにでもいる普通のサラリーマン――白河小次郎、45歳。 彼に与えられたのは、派手な攻撃魔法ではない。 【鑑定】【いんたーねっと?】【異世界売買】【テイマー】…etc. その一つ一つが、世界の理すら書き換えかねない、規格外の「便利スキル」だった。 欲望者から逃げ切るか、それとも、サラリーマンとして培った「知識」と、チート級のスキルを武器に、反撃の狼煙を上げるか。 気のいいおっさんの、優しくて、ずる賢い、まったり異世界サバイバルが、今、始まる! 【書誌情報】 タイトル: 『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』 著者: よっしぃ イラスト: 市丸きすけ 先生 出版社: アルファポリス ご購入はこちらから: Amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/4434364235/ 楽天ブックス: https://books.rakuten.co.jp/rb/18361791/ 【作者より、感謝を込めて】 この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。 そして、この物語を見つけ出し、最高の形で世に送り出してくださる、担当編集者様、イラストレーターの市丸きすけ先生、全ての関係者の皆様に、心からの感謝を。 本当に、ありがとうございます。 【これまでの主な実績】 アルファポリス ファンタジー部門 1位獲得 小説家になろう 異世界転移/転移ジャンル(日間) 5位獲得 アルファポリス 第16回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞 第6回カクヨムWeb小説コンテスト 中間選考通過 復活の大カクヨムチャレンジカップ 9位入賞 ファミ通文庫大賞 一次選考通過

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

異世界ビルメン~清掃スキルで召喚された俺、役立たずと蔑まれ投獄されたが、実は光の女神の使徒でした~

松永 恭
ファンタジー
三十三歳のビルメン、白石恭真(しらいし きょうま)。 異世界に召喚されたが、与えられたスキルは「清掃」。 「役立たず」と蔑まれ、牢獄に放り込まれる。 だがモップひと振りで汚れも瘴気も消す“浄化スキル”は規格外。 牢獄を光で満たした結果、強制釈放されることに。 やがて彼は知らされる。 その力は偶然ではなく、光の女神に選ばれし“使徒”の証だと――。 金髪エルフやクセ者たちと繰り広げる、 戦闘より掃除が多い異世界ライフ。 ──これは、汚れと戦いながら世界を救う、 笑えて、ときにシリアスなおじさん清掃員の奮闘記である。

スティールスキルが進化したら魔物の天敵になりました

東束末木
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞、いただきました!! スティールスキル。 皆さん、どんなイメージを持ってますか? 使うのが敵であっても主人公であっても、あまりいい印象は持たれない……そんなスキル。 でもこの物語のスティールスキルはちょっと違います。 スティールスキルが一人の少年の人生を救い、やがて世界を変えてゆく。 楽しくも心温まるそんなスティールの物語をお楽しみください。 それでは「スティールスキルが進化したら魔物の天敵になりました」、開幕です。 2025/12/7 一話あたりの文字数が多くなってしまったため、第31話から1回2~3千文字となるよう分割掲載となっています。

異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜

KeyBow
ファンタジー
 間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。  何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。  召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!  しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・  いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。  その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。  上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。  またぺったんこですか?・・・

Re:Monster(リモンスター)――怪物転生鬼――

金斬 児狐
ファンタジー
 ある日、優秀だけど肝心な所が抜けている主人公は同僚と飲みに行った。酔っぱらった同僚を仕方無く家に運び、自分は飲みたらない酒を買い求めに行ったその帰り道、街灯の下に静かに佇む妹的存在兼ストーカーな少女と出逢い、そして、満月の夜に主人公は殺される事となった。どうしようもないバッド・エンドだ。  しかしこの話はそこから始まりを告げる。殺された主人公がなんと、ゴブリンに転生してしまったのだ。普通ならパニックになる所だろうがしかし切り替えが非常に早い主人公はそれでも生きていく事を決意。そして何故か持ち越してしまった能力と知識を駆使し、弱肉強食な世界で力強く生きていくのであった。  しかし彼はまだ知らない。全てはとある存在によって監視されているという事を……。  ◆ ◆ ◆  今回は召喚から転生モノに挑戦。普通とはちょっと違った物語を目指します。主人公の能力は基本チート性能ですが、前作程では無いと思われます。  あと日記帳風? で気楽に書かせてもらうので、説明不足な所も多々あるでしょうが納得して下さい。  不定期更新、更新遅進です。  話数は少ないですが、その割には文量が多いので暇なら読んでやって下さい。    ※ダイジェ禁止に伴いなろうでは本編を削除し、外伝を掲載しています。

処理中です...