ぼくらの森

ivi

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第二章 目覚め

第81話 克服

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 『辛かったな……遠征で大好きな人を二度も失って。ずっと一人で苦しんできたんだろう』

 目に見えない障害を越えるように、ヴェルーカが大きく跳ね上がる。

 荒波に呑まれる小船のごとく、体が激しく揺さぶられる。

 セロは前に突き飛ばされそうになる体を起こして、必死で耐えた。

 『ヴェルーカ、君は僕たちと同じだ。魔界軍に大切なものを奪われた。思い出すだけで、苦しくてたまらない……生きることを、投げ出してしまいたくなる』

 「セロ、ヴェルーカ!頑張れっ!」

 力強く叫ぶケリーの声。

 姿を見る余裕はなくとも、彼の声に込められた強い思いが、セロを勇気づけてくれる。

 『それでも、僕たちは生きないといけないんだ。兄さんとクウェイが、僕に進む道を遺したように。ホートモンドさんやエダナが君に託した願いは、君にしか背負えない。だから……!』

 ――ヴェルーカ、生きよう。僕たちと一緒に。

 セロの思いが溢れた、そのとき。

 ヴェルーカは前足をグッと突っ張って、渾身の力で立ち止まった。

 突然の急停止に、セロは危うく馬場へ放り投げられそうになる。

 固唾を飲んで見守っていたケリーは、ヴェルーカの背に残ったセロを見て、ほっと息をついた。

 「ヴェルーカ……?」

 乱れた息を整えるのも忘れて、セロはヴェルーカの顔を覗き込む。肺いっぱいに呼吸する馬の腹が、鞍の下で激しく動いている。

 大きな瞳で虚空を見つめる、ヴェルーカ。

 セロは不安でいっぱいになった。

 「いきなり止まって休むのは、馬の心臓に悪い。ヴェルーカが落ち着くまで、少し歩こうぜ」

 ヴェルーカに歩くよう促すと、馬はすんなり歩き始めた。セロが手綱を緩めると、ヴェルーカは首をうんと伸ばしながらゆっくりと歩き続ける。

 「大丈夫か、セロ?」

 「僕は大丈夫だ。でも、ヴェルーカが……」

 心配そうなセロに、ケリーはにっこりと微笑んだ。

 「あとで、ちゃんとケアしてやらないとな。でも、よかったな!騎乗前に宣言した通り、今日は落馬しなかったじゃないか!」

 セロは、はっとした。

 そうだ、必死になって忘れていたが、言われてみれば、たしかに落馬はしなかった。

 「これで、ヴェルーカの気持ちが少しでも変わればいいんだが……」

 自信なさげなセロに、ケリーは踏み台から立ち上がって手を広げた。

 「それなら、ヴェルーカに聞いてみればいいじゃないか。ほらっ、速歩!」

 ケリーのはしゃいだ掛け声に慌てながら、セロは手綱を持ち直した。

 速歩の合図とともに、ヴェルーカは滑らかに走り出す。手綱を握る挙のわずかな動きにも反応して、両耳はしっかりとセロに向いている。

 こんなにも、馬に見られている感じがしたのは初めてだ。

 「常歩に落として、駆け足!」

 丸馬場を一周回ったところで、ケリーは再び号令をかける。ヴェルーカは抵抗することも、暴れることもしない。いつもなら、何かしらの反抗をしていても、おかしくないのに。

 一息ついたセロが、駈歩の合図を送った瞬間。

 ヴェルーカは力強く踏み込んで、元気よく駆け出した。

 砂を弾く蹄は三拍のリズムを軽快に刻み、馬は歌うように鼻を鳴らして機嫌よく走っている。

 馬場の中央では、ケリーがにっこりと歯を見せて笑っている。

 セロの心は踊り、感動に胸が締め付けられていた。

 「いいぞっ、ヴェルーカ!その調子だ!」

 大好きなケリーに褒められて嬉しかったのか、ヴェルーカの調子はますます軽くなり、他の大きな馬に負けない気勢で走り続ける。

 ヴェルーカはもう、過去の恐怖に我を忘れて暴走することも、蘇るトラウマに怯えて跳ね上がることもない。

 尖った黒い耳でセロを見つめ、乗り手の次の動きに集中するヴェルーカは、まるで別の馬と入れ替わったのではないかと思うほど、活き活きとしていた。

 ケリーが号令をかけるまで、馬はその見事なステップを崩すことなく駆け続けた。

 堂々と歩く馬の上で、セロは心の底から湧き上がってくる、たくさんの感情の波に飲まれていた。

 感動と、驚きと、喜びと……溢れんばかりに込み上げる気持ちに、彼はどんな感情を抱いているのか、自分でもわからなくなってしまった。

 「これがヴェルーカの答えだってさ。多分、セロもオレと同じ気持ちだと思うけど……どうだ?」

 ケリーは嬉しそうに、にやついている。

 ヴェルーカは首を曲げて、背中にいるセロをふり返った。馬は鼻息を荒くしているが、今までに見てきた苦しそうな姿とは、まったく違う。

 馬の水晶玉のような瞳は輝きに満ちて、自信に溢れていた。

 ようやく、本来のヴェルーカが戻って来たんだ。

 「やったな、ヴェルーカ!本当によく頑張った!」

 両手で馬の首を撫でながら、セロは全力でヴェルーカを褒めた。馬の声は聞こえないが、心地よさそうに目を細めるヴェルーカの表情からは、人間の微笑みに似たものを感じる。

 気がつくと、セロは満面の笑みでヴェルーカの首を抱きしめていた。こんなにも馬という動物に愛しさを感じたことが、今までにあっただろうか。

 セロがヴェルーカの復活を素直に喜んでいると、彼らを見守っていたケリーが、照れ臭そうに口を開いた。

 「セロ、ありがとな。それと……騎乗前に無理だ、なんて言ってごめん。本当にヴェルーカのトラウマが消せるなんて、思ってなかったからさ……悪かった」

 セロは不思議そうにケリーを見つめていたが、やがて、ふっと優しい笑みをこぼした。

 「親友にありがとうも、ごめんもないって言ったのは、誰だったかな?」

 ぎくりと肩を震わせて、ケリーはぎこちない笑顔を浮かべた。

 「あ……いや、違う違う。ありがとうっていうのはさ。ほら、ヴェルーカの言葉を代弁したんだよ」

 「ごめんって?」

 「……うああっ!ずるいぞ、セロ!オレの言葉を横取りしてさ!」

 会話を聞いていたのか、ヴェルーカがブウッと鼻を鳴らして二人を交互に見つめる。まるで、なだめるような馬の様子に、彼らは声を上げて笑った。

 「アハハッ!オレたちが喧嘩してると思ったんだな?心配しなくても大丈夫だぜ、ヴェルーカ。オレとセロは、いつもこんな感じだからさ」

 ヴェルーカの白い鼻筋を撫でながら、ケリーはセロにウインクして見せた。

 きっと、ケリーも心から喜んでいるのだろう。

 からりと晴れ渡った秋空の下、二人と一頭は仲よく並んで丸馬場を去った。誰もいなくなった馬場には、ヴェルーカの残した足跡が、砂の上に大きな円を刻みつけていた。
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