ぼくらの森

ivi

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第三章 旅立ち

第102話 後始末

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 セロはその場で静かに姿勢を正した。宿舎へ帰る前に、ケリーへ伝えなければならないことがある。

 直立不動の姿勢で腕を後ろに回して立つ。

 学舎の人間が、敬意を示すときにする敬礼だ。

 「ケリー。君にはこの一週間、本当に世話になった」

 あっという間に過ぎた一週間の記憶が蘇る。

 ケリーは顔を背けて、わざとらしく肩をすくめてみせた。

 「よせよ……親友として、当然のことをしたまでなんだからさ」

 照れくさそうに頭を掻きながら、ケリーは手をひらひらと振っている。親友の「やめろよ。」の仕草に、セロは素直に従った。

 敬礼を止めたあとで、セロは後悔を呟いた。

 「もっと早く、君のトラウマに気がついていれば……」

 ケリーが腹の傷へ手を伸ばす。

 「今朝、君が馬場で苦しそうにしているのを見て、やっと気がついた。本当は辛かったんじゃないのか?」

 「いや、別にそんなことないぜ?」

 ケリーは満面の笑みで首をふった。

 「本当に何ともないから、あんまり心配すんなよ?」

 ケリーの振る舞いは、明らかに不自然だ。

 少しの沈黙のあと、セロはゆっくりと口を開いた。

 「僕が帰ったら、また一緒に訓練をしよう」

 瞳の奥底に強い意志を秘めた目。

 セロがこの目をしているときは、どんな誤魔化しも効かない。

 あーあ、最後の最後に勘付かれるなんてな。
 ……お手上げだ!

 「はは……っ!こんなトラウマくらい、セロが帰って来る前に克服してみせるぜ!」

 ケリーは右手を差し出して、屈託のない笑顔を見せた。

 「それに、オレはもう一人じゃない。ニックと一緒に、おまえたちの帰りを首を長くして待ってるぜ。なあ、頼むから、オレの首がドラゴンみたいに伸びる前に帰って来てくれよ?」

 「わかった」

 セロはケリーの手をしっかりと握った。お別れの握手をする二人の影が、誰もいない厩舎の通路に落ちた。

 「本当は階段まで見送りたいところだけど。ごめん……ちょっと無理かも知れないな」

 ケリーの言葉に隠された意味を察して、セロは寂しそうに微笑んだ。

 「それじゃあ……またな」

 ケリーは笑顔で見送り続けた。
 親友の背中が見えなくなるまでは。

 通いなれた風景が、なぜか物悲しく感じる。

 セロが厩舎の外に向かっていると、通路の向こうから人が来るのが見えた。逆光で見えにくいが、どうやら二人いるようだ。

 邪魔にならないように避けたセロの横を、騎士が通り過ぎて行く。

 その瞬間。セロは身の毛がよだつような嫌な予感に襲われて、二人の騎士をふり返った。

 顔は確認できなかったが、間違いない。彼らは丸馬場で言い争った騎士たちだ。

 「何だよ、まだいたのか?」

 セロが騎士たちを見つめていると、背後から声をかけられた。

 「そんなにこっちの訓練場が居心地いいのか?おまえ、ドラゴン乗りの友達がいないんだろ?」

 感情のない顔で視線を返すセロに、青年騎士は唇を歪めた。

 『心の歪みは表情に現れるから、見る人が見ればすぐにわかるんだぞ。』

 バドリックから、そんな話を聞いたことがある。

 「……余計なお世話だ」

 さっさと立ち去ろうとするセロに向かって、青年は意地悪く言葉をかけた

 「まあ、そんなに冷たくするなよ。おまえらのために、俺たちが動いてやったってのに」

 普段なら無視するところだが。
 どうやら、そういう訳にはいかないようだ。

 「どういう意味だ?」

 厩舎の外に出かかっていた足を止める。

 セロの問いに、青年はフッと鼻で笑った。

 「おまえみたいな部外者が、俺たちの班をどうこうしようたって無理な話なんだ。そもそも所属が違うんだからさ。それくらいは、わかるだろ?」

 セロは無言で頷いた。

 「だから、俺たちがこっちの指導者に話して、ニックをケリーの班に移してくれって頼んだんだよ」

 青年はさも馬鹿にしたように、セロを見下ろしている。

 「おまえ、バカだなあ!全部が自分の思い通りになると思ってんの?そっちではどうだか知らねえけど、騎士には騎士のルールがあるんだ。今回は俺たちが尻拭いしてやったけど、これを限りにヒーローごっこなんて、やめとくんだな。悪者にされる側からすれば、迷惑極まりないぜ?」

 「さっきの二人は……」

 セロは心配そうに厩舎の奥をふり返った。

 「ケリーに、ニックについての話は済んだって言いに行ってるだけだ。喧嘩はしねえよ」

 セロが引き起こした、事の始末を黙ってやってのける。そんな面倒見のよい一面を、なぜニックに向けられなかったのか。

 もし、彼らが仲間と同じように、ニックに接することができたなら。ニックはこの青年のもとで、一人前の騎士になることもできただろうに……。

 「助かったよ。ありがとう、本当に」

 「感謝しろよな」

 礼を述べられると調子が狂うのか、青年はふいっとそっぽを向いた。

 彼はセロと目を合わせず、ぶっきらぼうに訊ねる。

 「なあ、一つ聞きたいことがあるんだけど」

 「何だ?」

 「おまえが言ってた、名乗れない苦しみって何なんだ?」

 「ああ……」

 セロは簡単に答えた。

 洗い場の屋根の向こうで、夜の紺色が夕空を蝕んでいくのが見える。

 「その言葉の通りだよ」

 「はあ?」

 意味がわからない、と言いたげに青年は首を傾げている。しかし、不思議と嫌悪感は感じなかった。冗談に呆れて、軽く受け流す感じに似ている。

 「……何だそれ」

 理解することを諦めたのか、青年はボソッと呟いた。

 沈黙が続く前に、今度はセロが訊ねる。

 「名前は?」

 「はっ?」

 青年は唐突な質問に驚いたのか、少し躊躇いがちに名乗った。

 「……シンジ」

 「そうか。ありがとう、シンジ」

 シンジは肩をすぼめると、そそくさと仲間を追って行ってしまった。セロも背を向けて、夕闇に沈む階段へ向かう。

 和解とまではいかなかったが、旅立つ前に話ができてよかった。

 セロには、まだ最後の旅支度が残っている。

 残り少ない時間に追われて、彼は夕空に伸びる階段を足早に登った。
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