30 / 43
30話
しおりを挟む
公爵領から戻り、いったいどこに行っていたのかと騒ぎ立てる家臣をやり過ごしたラファエルは、自室に入ると深いため息を落とした。
「……どうしてこうなった」
漏れるように出てきた言葉。それは誰かに問いかけたわけではなく、自身に向けたものだった。
クリスティーナが亡くなったと聞いた日からずっと、目を逸らし、ないものとして扱っていた。
完璧な王になるのだからと後悔などしないように――悔いが残る時点で、完璧ではないのだからと。考えないようにしていた。
『ラファエル様』
少し舌ったらずなころからそばにいた二歳下の少女。彼女と結婚するのだと信じて疑わず、彼女と幸せな未来を築くのだと思い描いていた。
それなのに今は、結婚こそしたものの、クリスティーナはラファエルのそばにはいない。永遠にラファエルの隣から離れようとして、実際に手の届かない場所に行こうとしている。彼の弟ともに。
親を失い、後ろ盾を失い、家を失った。彼女が頼れるのは自分だけだから、絶対に守るのだと誓い、そうしているはずだった。そうしていくはずだった。
「……陛下。お戻りになられたのですね」
続き部屋の扉が開かれ、落ち着いた声色がラファエルの耳に届く。そちらを見れば、長くのびた赤茶色の髪の女性がひとり。初めてみたころは痛みもあった髪は、今は艶やかで、血色が悪く白かった頬にも赤みが差している。
微笑みを浮かべた赤い唇とは対照的な白い寝衣。ゆったりとした楽な服をまとうアラベラに、ラファエルの眉間に皺が刻まれる。
「まだそんな恰好をしているのか。人前には着替えてから出るものだと言っただろう」
「そんなつれないことを言わないで。こちらのほうが楽なんですもの」
厳しい声を向けるラファエルに、アラベラは少しだけ申し訳なさそうに眉尻を下げたあと、彼の腕にそっと手を置く。かつてはへこみのあった爪は、今は磨かれ、綺麗に整えられている。
それだけ甲斐甲斐しく世話を焼かれているのだということが、彼女の変化からうかがえる。
クリスティーナにはたった三人の侍女しかいなかった。たとえ、無理をしたせいで気性が荒くなっていたのだとしても――だがそれも、どこまで真実なのか。そもそも、真実が含まれていたのかどうかすら、今のラファエルには判断がつかない。
『よく調べたほうがよろしいかと』
帰り際にかけられたルシアンの言葉が何度も頭の中で繰り返される。何が事実で、何が嘘なのか。何を信じてよくて、何を信じたらいけないのか。
クリスティーナがそばからいなくなり――それも衝動的なものではなく、自らの意思で、離れると決めたというのを見せつけられ、思い知らされ、乱れた心と思考がラファエルを苛める。
後悔などするはずがなかった。してはいけなかったのに、どうすればよかったのか、何を間違えていたのか。そればかりが頭を占める。
「……陛下?」
小さく傾げられた首に、柔らかな問いかけ。どこで間違えたのか、どこでおかしくなったのか。いくら考えても、行き着く答えは変わらない。
二年前までは――アラベラが来るまでは、クリスティーナはラファエルの横で微笑んでいた。
ならばおかしくなったのはそのあとで、アラベラが来たからなのだとしたら。
「……クリスティーナに何をした」
ラファエルの問いかけに、アラベラがぱちくりと瞬く。大きく見開かれた緑色の瞳に映る顔はまるでそうであってほしいかのように――ほかの誰かが何かしたのだと願うように歪んでいる。
「……どうしてこうなった」
漏れるように出てきた言葉。それは誰かに問いかけたわけではなく、自身に向けたものだった。
クリスティーナが亡くなったと聞いた日からずっと、目を逸らし、ないものとして扱っていた。
完璧な王になるのだからと後悔などしないように――悔いが残る時点で、完璧ではないのだからと。考えないようにしていた。
『ラファエル様』
少し舌ったらずなころからそばにいた二歳下の少女。彼女と結婚するのだと信じて疑わず、彼女と幸せな未来を築くのだと思い描いていた。
それなのに今は、結婚こそしたものの、クリスティーナはラファエルのそばにはいない。永遠にラファエルの隣から離れようとして、実際に手の届かない場所に行こうとしている。彼の弟ともに。
親を失い、後ろ盾を失い、家を失った。彼女が頼れるのは自分だけだから、絶対に守るのだと誓い、そうしているはずだった。そうしていくはずだった。
「……陛下。お戻りになられたのですね」
続き部屋の扉が開かれ、落ち着いた声色がラファエルの耳に届く。そちらを見れば、長くのびた赤茶色の髪の女性がひとり。初めてみたころは痛みもあった髪は、今は艶やかで、血色が悪く白かった頬にも赤みが差している。
微笑みを浮かべた赤い唇とは対照的な白い寝衣。ゆったりとした楽な服をまとうアラベラに、ラファエルの眉間に皺が刻まれる。
「まだそんな恰好をしているのか。人前には着替えてから出るものだと言っただろう」
「そんなつれないことを言わないで。こちらのほうが楽なんですもの」
厳しい声を向けるラファエルに、アラベラは少しだけ申し訳なさそうに眉尻を下げたあと、彼の腕にそっと手を置く。かつてはへこみのあった爪は、今は磨かれ、綺麗に整えられている。
それだけ甲斐甲斐しく世話を焼かれているのだということが、彼女の変化からうかがえる。
クリスティーナにはたった三人の侍女しかいなかった。たとえ、無理をしたせいで気性が荒くなっていたのだとしても――だがそれも、どこまで真実なのか。そもそも、真実が含まれていたのかどうかすら、今のラファエルには判断がつかない。
『よく調べたほうがよろしいかと』
帰り際にかけられたルシアンの言葉が何度も頭の中で繰り返される。何が事実で、何が嘘なのか。何を信じてよくて、何を信じたらいけないのか。
クリスティーナがそばからいなくなり――それも衝動的なものではなく、自らの意思で、離れると決めたというのを見せつけられ、思い知らされ、乱れた心と思考がラファエルを苛める。
後悔などするはずがなかった。してはいけなかったのに、どうすればよかったのか、何を間違えていたのか。そればかりが頭を占める。
「……陛下?」
小さく傾げられた首に、柔らかな問いかけ。どこで間違えたのか、どこでおかしくなったのか。いくら考えても、行き着く答えは変わらない。
二年前までは――アラベラが来るまでは、クリスティーナはラファエルの横で微笑んでいた。
ならばおかしくなったのはそのあとで、アラベラが来たからなのだとしたら。
「……クリスティーナに何をした」
ラファエルの問いかけに、アラベラがぱちくりと瞬く。大きく見開かれた緑色の瞳に映る顔はまるでそうであってほしいかのように――ほかの誰かが何かしたのだと願うように歪んでいる。
375
あなたにおすすめの小説
【完結】君の世界に僕はいない…
春野オカリナ
恋愛
アウトゥーラは、「永遠の楽園」と呼ばれる修道院で、ある薬を飲んだ。
それを飲むと心の苦しみから解き放たれると言われる秘薬──。
薬の名は……。
『忘却の滴』
一週間後、目覚めたアウトゥーラにはある変化が現れた。
それは、自分を苦しめた人物の存在を全て消し去っていたのだ。
父親、継母、異母妹そして婚約者の存在さえも……。
彼女の目には彼らが映らない。声も聞こえない。存在さえもきれいさっぱりと忘れられていた。
婚約破棄の代償
nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」
ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。
エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。
嘘をありがとう
七辻ゆゆ
恋愛
「まあ、なんて図々しいのでしょう」
おっとりとしていたはずの妻は、辛辣に言った。
「要するにあなた、貴族でいるために政略結婚はする。けれど女とは別れられない、ということですのね?」
妻は言う。女と別れなくてもいい、仕事と嘘をついて会いに行ってもいい。けれど。
「必ず私のところに帰ってきて、子どもをつくり、よい夫、よい父として振る舞いなさい。神に嘘をついたのだから、覚悟を決めて、その嘘を突き通しなさいませ」
婚約破棄ありがとう!と笑ったら、元婚約者が泣きながら復縁を迫ってきました
ほーみ
恋愛
「――婚約を破棄する!」
大広間に響いたその宣告は、きっと誰もが予想していたことだったのだろう。
けれど、当事者である私――エリス・ローレンツの胸の内には、不思議なほどの安堵しかなかった。
王太子殿下であるレオンハルト様に、婚約を破棄される。
婚約者として彼に尽くした八年間の努力は、彼のたった一言で終わった。
だが、私の唇からこぼれたのは悲鳴でも涙でもなく――。
〖完結〗私はあなたのせいで死ぬのです。
藍川みいな
恋愛
「シュリル嬢、俺と結婚してくれませんか?」
憧れのレナード・ドリスト侯爵からのプロポーズ。
彼は美しいだけでなく、とても紳士的で頼りがいがあって、何より私を愛してくれていました。
すごく幸せでした……あの日までは。
結婚して1年が過ぎた頃、旦那様は愛人を連れて来ました。次々に愛人を連れて来て、愛人に子供まで出来た。
それでも愛しているのは君だけだと、離婚さえしてくれません。
そして、妹のダリアが旦那様の子を授かった……
もう耐える事は出来ません。
旦那様、私はあなたのせいで死にます。
だから、後悔しながら生きてください。
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
全15話で完結になります。
この物語は、主人公が8話で登場しなくなります。
感想の返信が出来なくて、申し訳ありません。
たくさんの感想ありがとうございます。
次作の『もう二度とあなたの妻にはなりません!』は、このお話の続編になっております。
このお話はバッドエンドでしたが、次作はただただシュリルが幸せになるお話です。
良かったら読んでください。
【完結】仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
次代の希望 愛されなかった王太子妃の愛
Rj
恋愛
王子様と出会い結婚したグレイス侯爵令嬢はおとぎ話のように「幸せにくらしましたとさ」という結末を迎えられなかった。愛し合っていると思っていたアーサー王太子から結婚式の二日前に愛していないといわれ、表向きは仲睦まじい王太子夫妻だったがアーサーにはグレイス以外に愛する人がいた。次代の希望とよばれた王太子妃の物語。
全十二話。(全十一話で投稿したものに一話加えました。2/6変更)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる