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7.マイロの葛藤
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伝説の勇者様というのは、もっと人間離れした、完璧な方だと思っていた。
物心ついたときから孤児だった私は、教会で聞く勇者様の逸話が大好きだった。
勇者様は一撃で山を砕くほどの力、痩せた土地を瞬く間に緑で満たすことができる魔力を持つ。その力と勇気で、モンスターたちの王を倒すのだ。
成人する少し前のことだ。神からのお告げを聞いた司教様から、勇者様の生まれ変わりがこの世に生を受けたと教えられる。
そのときは、まさか自分が勇者様に出会えるなんて、思ってもいなかった。
「マイロ、大好き」
「はいはい」
魔王を倒す伝説の勇者様は、私の隣を歩きながらずっと愛を囁いている。
町を出てから、ずっとこの調子だ。
私たちは、旅商人のために整備された道を歩いている。普通の旅人なら、森の中に入ることは絶対にしない。
愛を囁くといっても、詩的な台詞はひとつもなかった。ただ好きだ、好きだと繰り返すばかり。
最初はいちいち照れていたが、2日も続けば慣れてしまう。軽薄そうには見えないが、どうも惚れっぽいところがあるらしい。
勇者様の生まれ変わりであるルカは、ちょっと抜けたところのある温厚な田舎青年だ。
たしかに、戦いの最中は伝説のとおり強かったのだが、普段ののほほんとした彼からは想像もつかないだろう。
かくいう私も、ただの片田舎の神官見習いだ。特別な力などない。
だから、そんなにキラキラとした瞳で見つめないでほしい。ルカが勝手に惚れてきたのだが、こちらは騙しているような気分になる。
勇者様は昼食時から機嫌がいい。
「もっとクッキー買えばよかったな」
「……路銀を無駄に使ってはいけませんよ」
全部食べてしまったのは私だ。それでも、自分のことを棚に上げて注意する。
不思議なことに、私がクッキーを全部食べてしまっても、ルカは怒るどころか、楽しそうにしていた。
「マイロが笑ってくれるなら、全然無駄じゃないと思うけど」
「はいはい」
もう何度目かわからないやりとりだ。
なんでもない会話も、ルカはずっと楽しそうだった。よっぽど一人旅が堪えていたのだろう。
あまり口説かれるのも気まずいので、私は話を逸らした。
「ルカ様は、武具の類がお好きなんですか?」
「ん。武器は好きだよ。特に剣がいい」
「どういうところが良いんですか?」
「うーん、そういうのはあまり考えたことなかったけど……」
ルカが腕組みをして首を捻る。
「キラキラ光るとことか……」
「光る? 装飾がですか?」
「いや、違うな。装飾はいらない。
そうだ。武器は無駄がないんだ。腕利きの職人が打った剣は、重さもちょうどいいし、魔物を斬るのにぴったり合う。そのためだけに作られたものだから。そういうところが綺麗だと思う」
たどたどしく語りながら、ルカがそっと腰に差した剣に手を添えた。
好きなものを語るルカは、どこかうっとりとしていて素敵だ。それを自分に向けられては困るのだが、剣の話ならずっと聞いていたい。
「実は、うちの親父が鍛冶屋なんだ」
「ああ。それは剣のよさを知る機会も、たくさんありそうですね」
「うん。俺の剣は炎の魔法が出るだろ?
あれを使うと、ときどき親父が剣を打っていたところを思い出すんだ。もし勇者なんかじゃなかったら、俺は鍛冶屋になってたろうな」
故郷を懐かしむような、寂しげな顔に、胸がきゅっと締まった。
ルカは、本当は魔王を倒す旅になんて出たくなかったのかもしれない。生まれた町で暮らしてるいたほうが、幸せだっただろう。
私は思わず、ルカの手を取った。
「全て終わったら、鍛冶屋になればいいのではないですか。魔王を倒してしまったら、きっと暇になるでしょう」
ルカが、私の手を握り返す。
「そうだね。諦めるのは早いか」
ほにゃっと笑う顔は、やっぱりただの田舎青年にしか見えなかった。
どさくさに紛れて手袋越しに指を絡められているのだが、彼の肩にかかった重みを思えば、手を繋ぐくらい、どうということはない。むしろ、いくらでもしてあげたかった。
ルカが好意を寄せてくれるのが、たまたま最初に出会ったからだとしても、今ルカを癒せるのは私だけだ。
「マイロの手はあったかいな」
「手袋をしてるからわからないですよ」
「そんなことないって」
手を繋いで、お喋りをしながらでも、かなり先に進むことができた。出発したのが昼だったので、ここまで進めるとは想定していなかった。
さすがは勇者様である。
日暮れ前に、運良く旅商人のキャンプを見つけたので、私たちもその辺りでキャンプすることにした。
旅商人に挨拶に行くと、商人は設営の手を止めて、私たちと順に握手をした。
「綺麗なお兄さんたちだね。旅芸人か何かかな」
「いえ、冒険者のようなものです」
ルカは人見知りするので、私が答えた。
「ダンジョンの辺りに行こうと思って」
「へえ! それじゃあ、アークデーモンを倒そうってのか。大層なことだ。たった2人で大丈夫かい?」
「同行者が手練れなので、心配はしていません」
堂々と言うと、後ろでルカが照れ臭そうに笑った。
「なるほど。たしかに、あんたたちなら大丈夫そうだ。もしよかったら、これも使ってくれ」
旅商人が感心して頷きながら、薬草を一袋差し出してくれた。
「いいのですか?」
「いいよ、いいよ。アークデーモンには俺たち商人も困ってんだ。あいつが現れてから、護衛なしじゃこの道を通れなくなってね。兄さんらがあれを片付けてくれるなら、薬草くらい安いもんだ」
「ありがとうございます。必ずアークデーモンを討伐しますね」
「頼んだよ」
そう言って、商人はキャンプの設営に戻っていった。
町の人々がモンスターに困らされているというのは知っているが、実際に当事者に会うと気が引き締まる。
振り返ってみると、ルカも同じように真剣な顔をしていた。
「絶対やろうな、マイロ」
「はい。私も頑張ります」
どのみち、アークデーモンを倒さなければルカは死ぬ。私たちは必ず目的を果たさなければならない。親切な旅商人の方にお礼をするためにも。
決意を固めたところで、今夜はキャンプの設営以外にもしなければならないことがある。
ルカの、呪いの治療だ。
恥ずかしいし、できればしたくはないが、私はこのためについてきたのだ。しないわけにはいかない。
もともとルカが呪われてしまった原因も、私にある。私がモンスターに捕まったりしなければ、彼が命の危機に晒されることもなかった。
2人で設営を終えたあと、装備を外して身軽になったルカに近寄る。
「ルカ様、あの……」
私は昨夜と同様に、勇気を振り絞ってルカの袖を引く。
大丈夫。今までやってきたことと同じだ。そう思って深呼吸する。
一度経験したからか、今回はルカも、私が言いたいことを察してくれた。
一瞬で、ルカの顔が真っ赤になる。
「えっ……やっぱり、毎晩しなきゃだめなんだな」
「今日しなければ死ぬということはありませんが、できれば毎晩したほうが安全かと。もちろん、ルカ様が嫌なら無理強いはしません」
考えるような間があった。
「俺はいいけど、マイロの体が心配だ」
「私は大丈夫です。慣れていますので」
ルカが傷ついたような顔をする。
彼はうぶで優しい。私のことを心から案じてくれて、絆されそうになる。
もし私が何もかも告白しても、ルカならは受け入れてくれるだろう。そこまで彼を頼るわけにはいかない。
もしいつか、彼が目を覚まして、誰か別の方を想うようになったときに、私は耐えられなくなってしまう。
「じゃあ……しようか」
「はい。お願いします」
返事を聞いて、私はルカの手を握る。素肌で触れ合っているのに、昼間ほど温かくは感じない。
私たちは商人のキャンプから少し離れて、薄暗い茂みの奥に進んだ。
物心ついたときから孤児だった私は、教会で聞く勇者様の逸話が大好きだった。
勇者様は一撃で山を砕くほどの力、痩せた土地を瞬く間に緑で満たすことができる魔力を持つ。その力と勇気で、モンスターたちの王を倒すのだ。
成人する少し前のことだ。神からのお告げを聞いた司教様から、勇者様の生まれ変わりがこの世に生を受けたと教えられる。
そのときは、まさか自分が勇者様に出会えるなんて、思ってもいなかった。
「マイロ、大好き」
「はいはい」
魔王を倒す伝説の勇者様は、私の隣を歩きながらずっと愛を囁いている。
町を出てから、ずっとこの調子だ。
私たちは、旅商人のために整備された道を歩いている。普通の旅人なら、森の中に入ることは絶対にしない。
愛を囁くといっても、詩的な台詞はひとつもなかった。ただ好きだ、好きだと繰り返すばかり。
最初はいちいち照れていたが、2日も続けば慣れてしまう。軽薄そうには見えないが、どうも惚れっぽいところがあるらしい。
勇者様の生まれ変わりであるルカは、ちょっと抜けたところのある温厚な田舎青年だ。
たしかに、戦いの最中は伝説のとおり強かったのだが、普段ののほほんとした彼からは想像もつかないだろう。
かくいう私も、ただの片田舎の神官見習いだ。特別な力などない。
だから、そんなにキラキラとした瞳で見つめないでほしい。ルカが勝手に惚れてきたのだが、こちらは騙しているような気分になる。
勇者様は昼食時から機嫌がいい。
「もっとクッキー買えばよかったな」
「……路銀を無駄に使ってはいけませんよ」
全部食べてしまったのは私だ。それでも、自分のことを棚に上げて注意する。
不思議なことに、私がクッキーを全部食べてしまっても、ルカは怒るどころか、楽しそうにしていた。
「マイロが笑ってくれるなら、全然無駄じゃないと思うけど」
「はいはい」
もう何度目かわからないやりとりだ。
なんでもない会話も、ルカはずっと楽しそうだった。よっぽど一人旅が堪えていたのだろう。
あまり口説かれるのも気まずいので、私は話を逸らした。
「ルカ様は、武具の類がお好きなんですか?」
「ん。武器は好きだよ。特に剣がいい」
「どういうところが良いんですか?」
「うーん、そういうのはあまり考えたことなかったけど……」
ルカが腕組みをして首を捻る。
「キラキラ光るとことか……」
「光る? 装飾がですか?」
「いや、違うな。装飾はいらない。
そうだ。武器は無駄がないんだ。腕利きの職人が打った剣は、重さもちょうどいいし、魔物を斬るのにぴったり合う。そのためだけに作られたものだから。そういうところが綺麗だと思う」
たどたどしく語りながら、ルカがそっと腰に差した剣に手を添えた。
好きなものを語るルカは、どこかうっとりとしていて素敵だ。それを自分に向けられては困るのだが、剣の話ならずっと聞いていたい。
「実は、うちの親父が鍛冶屋なんだ」
「ああ。それは剣のよさを知る機会も、たくさんありそうですね」
「うん。俺の剣は炎の魔法が出るだろ?
あれを使うと、ときどき親父が剣を打っていたところを思い出すんだ。もし勇者なんかじゃなかったら、俺は鍛冶屋になってたろうな」
故郷を懐かしむような、寂しげな顔に、胸がきゅっと締まった。
ルカは、本当は魔王を倒す旅になんて出たくなかったのかもしれない。生まれた町で暮らしてるいたほうが、幸せだっただろう。
私は思わず、ルカの手を取った。
「全て終わったら、鍛冶屋になればいいのではないですか。魔王を倒してしまったら、きっと暇になるでしょう」
ルカが、私の手を握り返す。
「そうだね。諦めるのは早いか」
ほにゃっと笑う顔は、やっぱりただの田舎青年にしか見えなかった。
どさくさに紛れて手袋越しに指を絡められているのだが、彼の肩にかかった重みを思えば、手を繋ぐくらい、どうということはない。むしろ、いくらでもしてあげたかった。
ルカが好意を寄せてくれるのが、たまたま最初に出会ったからだとしても、今ルカを癒せるのは私だけだ。
「マイロの手はあったかいな」
「手袋をしてるからわからないですよ」
「そんなことないって」
手を繋いで、お喋りをしながらでも、かなり先に進むことができた。出発したのが昼だったので、ここまで進めるとは想定していなかった。
さすがは勇者様である。
日暮れ前に、運良く旅商人のキャンプを見つけたので、私たちもその辺りでキャンプすることにした。
旅商人に挨拶に行くと、商人は設営の手を止めて、私たちと順に握手をした。
「綺麗なお兄さんたちだね。旅芸人か何かかな」
「いえ、冒険者のようなものです」
ルカは人見知りするので、私が答えた。
「ダンジョンの辺りに行こうと思って」
「へえ! それじゃあ、アークデーモンを倒そうってのか。大層なことだ。たった2人で大丈夫かい?」
「同行者が手練れなので、心配はしていません」
堂々と言うと、後ろでルカが照れ臭そうに笑った。
「なるほど。たしかに、あんたたちなら大丈夫そうだ。もしよかったら、これも使ってくれ」
旅商人が感心して頷きながら、薬草を一袋差し出してくれた。
「いいのですか?」
「いいよ、いいよ。アークデーモンには俺たち商人も困ってんだ。あいつが現れてから、護衛なしじゃこの道を通れなくなってね。兄さんらがあれを片付けてくれるなら、薬草くらい安いもんだ」
「ありがとうございます。必ずアークデーモンを討伐しますね」
「頼んだよ」
そう言って、商人はキャンプの設営に戻っていった。
町の人々がモンスターに困らされているというのは知っているが、実際に当事者に会うと気が引き締まる。
振り返ってみると、ルカも同じように真剣な顔をしていた。
「絶対やろうな、マイロ」
「はい。私も頑張ります」
どのみち、アークデーモンを倒さなければルカは死ぬ。私たちは必ず目的を果たさなければならない。親切な旅商人の方にお礼をするためにも。
決意を固めたところで、今夜はキャンプの設営以外にもしなければならないことがある。
ルカの、呪いの治療だ。
恥ずかしいし、できればしたくはないが、私はこのためについてきたのだ。しないわけにはいかない。
もともとルカが呪われてしまった原因も、私にある。私がモンスターに捕まったりしなければ、彼が命の危機に晒されることもなかった。
2人で設営を終えたあと、装備を外して身軽になったルカに近寄る。
「ルカ様、あの……」
私は昨夜と同様に、勇気を振り絞ってルカの袖を引く。
大丈夫。今までやってきたことと同じだ。そう思って深呼吸する。
一度経験したからか、今回はルカも、私が言いたいことを察してくれた。
一瞬で、ルカの顔が真っ赤になる。
「えっ……やっぱり、毎晩しなきゃだめなんだな」
「今日しなければ死ぬということはありませんが、できれば毎晩したほうが安全かと。もちろん、ルカ様が嫌なら無理強いはしません」
考えるような間があった。
「俺はいいけど、マイロの体が心配だ」
「私は大丈夫です。慣れていますので」
ルカが傷ついたような顔をする。
彼はうぶで優しい。私のことを心から案じてくれて、絆されそうになる。
もし私が何もかも告白しても、ルカならは受け入れてくれるだろう。そこまで彼を頼るわけにはいかない。
もしいつか、彼が目を覚まして、誰か別の方を想うようになったときに、私は耐えられなくなってしまう。
「じゃあ……しようか」
「はい。お願いします」
返事を聞いて、私はルカの手を握る。素肌で触れ合っているのに、昼間ほど温かくは感じない。
私たちは商人のキャンプから少し離れて、薄暗い茂みの奥に進んだ。
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