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「いけない子だねえ」

 部屋の前にはヴァージルが腕を組んで、にっこりと笑って待っていた。

「ヴァージル……あの、あのね、これは……」

 言い訳をしようと口を開くと、ヴァージルが目をすっと細め、ライラは固まる。

「うん、言い訳は部屋で聞こうかな。中、入れて」
「ハイ……」

(めっちゃ怒っている……)

 こうなったヴァージルは容赦がない。普段でさえも辛辣な言葉ばかりなのに、それが更に磨きがかかる。
 大人しくヴァージルを部屋に通すと、彼は部屋にある椅子に勝手に座り、足を組んでじっとライラを見つめる。

「じゃあ、言い訳を聞こうかな。例の発作が起こって町の外に一人で魔物退治に行った、僕が仕方ないと思えるようなやつをね」
「うっ……」

 そんな言い訳なんて、ライラには持ち合わせていない。
 黙り込んだライラに、ヴァージルはわざとらしくため息を吐く。

「前から言っているよね? 出掛ける時は僕に声をかけるようにって。ましてや、魔物退治をするのに一人で行くなんて、バカじゃないの。もっと自分の立場ってやつを理解しなよ。君は唯一の聖女なんだよ? 僕なんかとは違う、替えのきかない存在なんだ」

 ヴァージルの言葉にライラはぐうの音も出ない。
 それは常々ライラが周りから言われていることで、そのたびにわかっていると答えていることだった。だが、本当にライラがそれを理解していないことは明白だった。

「……替えがきかないのは誰でも同じだわ」

「そういう綺麗事を言っているんじゃないよ。僕と似た天才なんていないかもしれないけど、僕の替わりに仕事をできる人はたくさんいる。君のお目付け役だって別に僕である必要はないんだし、はっきり言って誰でもいい役目だ。でも、君は違う。聖属性魔法を使えるのは世界でも君だけなんだよ。そんな君に万が一のことがあったら、世界は滅びるんだ。もっと自覚持って行動をして」

「……」

 ヴァージルの言うことはもっともだと、心から思う。

 でも、ライラにだって言い分はあるのだ。ライラは歴代の聖女たちに比べると、明らかなできそこないだ。そのせいで呪いの発作が前の聖女よりも頻繁に起き、そのたびに多くの人が魔物の討伐に駆り出され、怪我をする。いや、怪我をするだけならまだいい。命を落とす人だって中にはいる。

 それが幼い頃から申し訳なくて、罪悪感でいっぱいだった。だから魔法をある程度覚えてからは、一人で討伐に向かうことにした。できそこないとはいえ、ライラは聖女だ。人よりも魔力量は多いし、扱える魔法だって豊富だ。魔物の群れを殲滅させることくらいなら、一人で十分だった。

「……君がなにを考えているかはわかるよ。僕は君に討伐に行くなと言っているわけじゃない。僕に声をかけてから行けと言っているんだ。別に一人でやりたいなら一人でやればいい。手出しをするなと言うのなら、僕は高みの見物をするだけだし。……とにかく、君が一人で行動するのだけが問題なんだ。君が一人で行動してなにかあったら……殿下に酷い目に遭わされそうだからね……」

 げんなりした様子で言ったヴァージルに、ライラは目をパチパチとさせる。
 なぜそこで殿下が出てくるのだろう。

「なんでアレックスにヴァージルが酷い目に遭わされるの?」
「……君のその無自覚さが心底腹立たしいな……」

 なぜかギロリと睨まれて、ライラは首を傾げた。まったくもって意味がわからない。

「アレックス殿下は君を目に入れても痛くないって断言しているくらい君のことがお気に入りだからね……僕のことを本当に思うなら、お願いだから一人で行動しないで欲しい」

 なぜか頼み込まれて、ライラはよくわからないながらも頷く。

「君のそれは当てにならないからなあ……ま、今回はリアムがいるからいいかと思って出て行かなかったんだけど」
「リアムがいればいいの?」
「君一人よりはいいよ。リアムは強いし、僕と同じくらい頼りになる奴だからね」

 ヴァージルもリアムのことは評価しているらしい。幼なじみだからだろうか。いや、ヴァージルのことだ。そういう関係だからと無条件に信頼することはないだろう。

「……あのね、ヴァージル。やっぱり、リアムが勇者だったよ」

 あの時のことをヴァージルにだけは話しておこうと、ライラは口を開く。
 驚くかと思ったが、ヴァージルは表情一つ変えずに「ふうん」と言う。

「お、驚かないの? あんなにリアムが勇者だっていうのを疑っていたのに」

「驚いているさ。でも……ライラがリアムのことを勇者だと言った時、なるほどとも思ったんだよね……リアムの強さははっきり言って規格外だし。ということは……リアムの瞳の色は紫色だったったこと?」

「うん。興奮すると紫色になるんだって。それを光魔法を使って誤魔化していたみたい」

「光魔法を……なるほど、目の錯覚か……」

 ブツブツとヴァージルは口の中でなにか呟き、納得したように頷いた。

「でも……普段は青い目なんだ?」
「うん、そうみたい。何代前かの勇者も、青に近い紫色の瞳だったし、リアムもそうなんじゃないかな」

「ふうん……それで、リアムは勇者になるって?」
「もう少し待って欲しいって。なんかやりたいことがあるんだって。それが終わるまでは報告しないで欲しいって言っていた」

「なるほどね……リアムらしいな。だけど、ライラはそれでいいの?」
「わたし? わたしは……」

 ヴァージルの質問に咄嗟に答えられないことに戸惑う。

 答えなんて、〝いい〟に決まっている。勇者を見つけることはライラに与えられた任務で、大好きなリアムと一緒にいられるのだ。〝いい〟以外の答えなんてあるわけがない。

 それなのに咄嗟に答えられなかったのは、たぶん、リアムが勇者になることを望んでいないからだ。

 瞳の色のことがライラにバレてしまったから、勇者にならざるを得なくなっただけ。本当はやりたいことがあるのに、それを諦めなくてはならなくなってしまったリアムに、ライラは同情しているのだ。

 ライラは真剣に剣を打つリアムを見るのが好きだった。いつもと違って、皮肉げな笑みも浮かべず、じっと炎と熱く溶けた鉄を見つめ、大粒の汗をかきながら、指先までに神経を尖らせて剣を打つ姿はとても輝いて見えた。

 納得のできた物ができると、よし、と小さく笑う顔があどけなくて、そんなリアムの笑顔が好きだった。
 ライラには、そんなふうに打ち込めるものがなにもない。だからリアムが羨ましかったし、憧れた。

 リアムのことは好きだ。一緒にいると胸がポカポカして、嬉しくなる。彼と一緒なら、できそこのないのライラでも魔王を倒せるような気がした。

 リアムが勇者で嬉しい。それはライラの正直な気持ちだ。
 でも、勇者になると、自ら望んで言って欲しかった。あんなふうに仕方なくでも義務感からでもなく、ライラと一緒なら勇者になってもいいと、そう思って欲しかった。

 それがライラにとって都合のいい展開だとしても、そうライラは望んでいた。そんな我儘が叶わなかったから、ヴァージルの質問にすぐに答えられないのだ。

「わたしは、リアムが勇者で良かったと思っているよ」

 質問の答えにしては少しズレた回答。狡い答えだとわかっているけれど、ライラはそう答える以外に言葉が見つからなかった。
 ヴァージルはじっとライラを見つめたあと、「ふうん」と興味なさそうに言う。

「じゃ、そのリアムのやりたいこととやらが終わったら、王都に帰るんだね。王都に帰ったら忙しくなりそうだな……」

 あと少しで帰れそうって報告だけはしておく、とうんざりとした様子で呟いたヴァージルに、ライラは曖昧に頷く。

 ──これで良かったのだろうか。

 そんな思いに、蓋をして。
 
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