風を待つ

一ノ瀬亮太郎

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【六】

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「花巻! 会えて良かった。別れを言いに来た」
「遠丸屋さん……別れって、どういうことですか?」
「ウチの船が佐渡沖で沈んだ」
「えっ! 遠丸屋さんの船って……」
江上丸えがみまるだ」

 重蔵さんの船じゃなかった……

 ほっとしたおしのだったが、政五郎に悟られないよう、ことさら顔をしかめてみせた。

「ただでさえ船が入らず商売にならないのに、持ち船まで沈んでしまっては、儂はもう駄目だ。借り入れが重なって、ここにはもう居られない。花巻、儂は本気でお前に惚れていたんだ。最後にこうして会えて良かった」
「遠丸屋さん、そんな弱気になっては駄目です。遠丸屋さんがいなくなっては、あたしも悲しいです」
「優しいな。言葉通り受け取っておくよ。だがな花巻、海の男はいつ死んじまうか判らん。好いたなら離しちゃいかん。一緒にいられる時に精一杯大事にしろ。儂が最後にお前に言えるのはそれだけだ。達者でな」

 呆気に取られるおしのを置いて、政五郎は振り向きもせずに行ってしまった。政五郎の後ろ姿が見えなくなっても、おしのは店の前に立ち尽くしていた。

 海の男はいつ死んでもおかしくない。重蔵さんだって、毎年必ず会いに来られるとは限らない。突然いなくなってしまうかも知れない。いま一緒にいなければ。明日のことなど判らない。でも今、あたしは重蔵さんに会いたい。重蔵さんに会いたい。

 遠丸屋さんは、好いたなら離しちゃいかんて言った。そうなんだ。あたしは重蔵さんが好きなんだ。この気持は恋なんだ。

 おしのは通りの端まで走った。建屋の途切れた場所に出ると鳥波山が見えた。山の頂きの斜め上に、皿をいくつも積み重ねたような雲が浮かんでいる。

「吊るし雲だ! 風が来た!」

 おしのは声に出して叫んだ。今はもう、風が吹かなければいいなんて考えは全く無かった。答えは出ているのだ。

 おしのは色街を飛び出して真鴨川の方に走った。向かう先は日和山ひよりやまだ。着物の裾をたくし上げて坂道を駆け上った。頂上に立ったおしのは背伸びをして海に目を凝らした。鏡のように滑らかだった海の沖から、黒い影が延びて押し寄せてくる。風が波を起こし、海面を黒く見せているのだ。影が坂巻港の水面みなもを覆い尽くし、おしのの居る日和山にも風が吹いてきた。

 やがて、水平線の向こうから黒い点が現れた。それは帆柱になり、帆桁になり、白い帆になった。船体が見えるくらいまで近づくと、帆の印を見分けられるようになった。右から二反目と五反目に黒い帯。重蔵に聞かされていた江差丸の帆印だ。

「重蔵さあん! あたし、重蔵さんの女房になります!」

 叫んだおしのが港に向かって坂道を駆け下っていき、木立こだちの向こうに消えた。

〈おわり〉
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