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帝国の英雄
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ドラコニア共和国の首都港は、人間が発する熱狂によって、その沸点をとうに超えていた。
神聖ルミナール帝国からの使節船が、巨大なクジラのようにゆっくりと桟橋にその巨体を寄せると、待ち構えていた群衆から、地鳴りのような歓声が爆発した。
色とりどりの紙吹雪が空を舞い、高楼の窓からは数え切れないほどの花弁が、まるで祝福の涙のように降り注ぐ。
そのすべてが、船の甲板に立つ三人の英雄を讃えるための、壮大な舞台装置であった。
断罪の槍、ゼノン。
黄昏の聖歌、リアム。
冬の森の断罪者、フィオナ。
その名は、今や大陸中に轟く勝利の象徴。
人々は、その姿を一目見ようと押し合いへし合い、その名を狂おしく叫び続けていた。
共和国の兵士たちが幾重にも人垣を作っているが、押し寄せる熱狂の波は、今にもその脆弱な堤防を決壊させんばかりの勢いであった。
「英雄万歳!」「魔族を討ち滅ぼした救世主!」「帝国に栄光あれ!」
その声は、純粋な感謝と、盲目的な崇拝と、そして血に飢えた憎悪が混じり合った、奇妙な協和音となって港全体を支配していた。
ゼノンは、その歓声の渦の中心に立ちながら、ただ無表情に群衆を見下ろしていた。
彼の白銀の鎧は、降り注ぐ陽光を反射し、神々しいまでの光を放っている。
しかし、その兜の下にある彼の瞳は、目の前の熱狂を何一つ映してはいなかった。
彼の意識は、この喧騒から遠く離れ、六年前の、あの薄暗い記憶の回廊を彷徨っていたのだ。
香水の甘ったるい匂いと、退廃の空気が満ちた娼館の一室。
差し出された一輪の赤いバラ。
そして、自分を見上げる、あまりにも純粋で、汚れを知らない少女の瞳。
あの時、己の口からこぼれ落ちた「ごめんなさい」という言葉。
それは、己の無力さと、これから彼女が辿るであろう運命に対する、騎士としての、そして一人の人間としての、痛切な懺悔であった。
*あの少女は、今、どうしているだろうか。あの後、彼女は、あの偽りの楽園で、どのように「咲いて」、そしてどのように「摘まれた」のだろうか。*
その問いが、彼の魂を蝕む。
目の前で繰り広げられる、魔族への憎悪を叫ぶ民衆の姿と、あの少女の無垢な笑顔が、彼の脳内で重なり、そして激しく反発し合う。
この勝利は、一体何人の、あの少女のような存在の犠牲の上に成り立っているのか。
この歓声は、どれほどの悲鳴を掻き消しているのか。
その思考は、彼の心を、深い虚無感と、鉛のような疲労で満たしていく。
彼は、背負った長大な槍の柄を、指の関節が白くなるほど強く握りしめた。
その痛みだけが、彼をこの場所に繋ぎ止める、唯一の楔であった。
「おいおい、ゼノン。主役がそんな葬式みたいな顔をしてどうする。せっかくの晴れ舞台なんだ、少しは笑ったらどうだ、英雄様?」
隣に立つリアムが、軽薄な笑みを浮かべながら、肘でゼノンの脇腹を軽く小突いた。
その声は、いつものように冗談めかしていたが、その瞳の奥には、友の心の耗弱を鋭く見抜く、冷静な光が宿っていた。
*やれやれ、重症だな。あの戦いは、こいつの真面目すぎる魂には、少々荷が重すぎたか。だが、今は感傷に浸っている場合じゃない。この国は、帝国以上に食えない狐の巣窟だ。*
リアムの視線は、群衆を通り越し、桟橋の最前列で偽りの歓迎の笑みを浮かべる、共和国の役人たちへと注がれていた。
豪華な絹の衣服、指に輝く宝石の指輪、そして計算され尽くした媚びへつらいの態度。
そのすべてが、彼にはドル紙幣の束に見えた。
*この歓迎は、善意じゃない。投資だ。我々という「商品」を利用して、自国の威信を高め、帝国との外交を有利に進め、そして何より、民衆の不満を逸らすための、実に分かりやすい政治ショーだ。まったく、商売人の考えることは反吐が出る。*
彼は、にこやかに群衆に手を振りながらも、その思考は氷のように冷え切っていた。
この国では、一瞬たりとも気を抜くことはできない。
特に、隣で心を病んでいるこの不器用な友人を守るためには。
フィオナは、二人から一歩引いた場所で、その光景を冷徹に観察していた。
彼女の銀色の髪が、港の潮風に静かになびいている。
群衆が叫ぶ、魔族への剥き出しの憎悪。
それは、彼女にとって、不快なものではなかった。
むしろ、ある種の満足感さえ覚えていた。
これが、正常なのだ。
魔族は絶対悪であり、その存在を憎み、根絶を願うことこそが、この大陸に生きる全ての種族が持つべき、正しい感情なのだ。
*当然の反応だ。奴らの非道を知れば、誰もがこうなる。この憎悪の炎こそが、我々の正義を燃え上がらせる薪となる。*
彼女は、その集団的な狂気に、自らが信じる世界の秩序が正しく機能している証を見ていた。
やがて、形式的な歓迎の式典が終わり、三人は共和国の役人たちに先導され、金と象牙で装飾された、これみよがしに豪華な馬車へと乗り込んだ。
馬車がゆっくりと動き出すと、沿道に詰めかけた民衆の歓声は、さらに熱を増した。
リアムは、対面に座る恰幅の良い共和国の外務次官に、人好きのする笑みを向けながら、巧みに言葉の罠を仕掛けていた。
「いやはや、これほどの歓迎を受けるとは、光栄の至りですな。これもひとえに、貴国が平和を愛し、我々連合軍の勝利を心から喜んでくださっている証でしょう」
「もちろんでございます、リアム様!魔族という共通の脅威を打ち破った英雄方を、国を挙げて歓迎するのは当然のこと!」
ゼノンは、その虚ろな会話には一切加わらず、ただ馬車の窓の外に視線を投げていた。
狂熱に浮かされた人々の顔、顔、顔。
その誰もが、自分を救世主だと信じている。
その視線が、彼の心をさらに重く締め付けた。
一方、フィオナは、静かに目を閉じていた。
彼女の意識は、馬車の振動や外の喧騒から完全に切り離され、ただひたすらに、都市の魔力網を探っていた。
英雄たちを乗せた馬車は、万雷の歓声の中を、彼らのために用意された華麗なる牢獄、迎賓館へと向かって、ゆっくりと進んでいく。
神聖ルミナール帝国からの使節船が、巨大なクジラのようにゆっくりと桟橋にその巨体を寄せると、待ち構えていた群衆から、地鳴りのような歓声が爆発した。
色とりどりの紙吹雪が空を舞い、高楼の窓からは数え切れないほどの花弁が、まるで祝福の涙のように降り注ぐ。
そのすべてが、船の甲板に立つ三人の英雄を讃えるための、壮大な舞台装置であった。
断罪の槍、ゼノン。
黄昏の聖歌、リアム。
冬の森の断罪者、フィオナ。
その名は、今や大陸中に轟く勝利の象徴。
人々は、その姿を一目見ようと押し合いへし合い、その名を狂おしく叫び続けていた。
共和国の兵士たちが幾重にも人垣を作っているが、押し寄せる熱狂の波は、今にもその脆弱な堤防を決壊させんばかりの勢いであった。
「英雄万歳!」「魔族を討ち滅ぼした救世主!」「帝国に栄光あれ!」
その声は、純粋な感謝と、盲目的な崇拝と、そして血に飢えた憎悪が混じり合った、奇妙な協和音となって港全体を支配していた。
ゼノンは、その歓声の渦の中心に立ちながら、ただ無表情に群衆を見下ろしていた。
彼の白銀の鎧は、降り注ぐ陽光を反射し、神々しいまでの光を放っている。
しかし、その兜の下にある彼の瞳は、目の前の熱狂を何一つ映してはいなかった。
彼の意識は、この喧騒から遠く離れ、六年前の、あの薄暗い記憶の回廊を彷徨っていたのだ。
香水の甘ったるい匂いと、退廃の空気が満ちた娼館の一室。
差し出された一輪の赤いバラ。
そして、自分を見上げる、あまりにも純粋で、汚れを知らない少女の瞳。
あの時、己の口からこぼれ落ちた「ごめんなさい」という言葉。
それは、己の無力さと、これから彼女が辿るであろう運命に対する、騎士としての、そして一人の人間としての、痛切な懺悔であった。
*あの少女は、今、どうしているだろうか。あの後、彼女は、あの偽りの楽園で、どのように「咲いて」、そしてどのように「摘まれた」のだろうか。*
その問いが、彼の魂を蝕む。
目の前で繰り広げられる、魔族への憎悪を叫ぶ民衆の姿と、あの少女の無垢な笑顔が、彼の脳内で重なり、そして激しく反発し合う。
この勝利は、一体何人の、あの少女のような存在の犠牲の上に成り立っているのか。
この歓声は、どれほどの悲鳴を掻き消しているのか。
その思考は、彼の心を、深い虚無感と、鉛のような疲労で満たしていく。
彼は、背負った長大な槍の柄を、指の関節が白くなるほど強く握りしめた。
その痛みだけが、彼をこの場所に繋ぎ止める、唯一の楔であった。
「おいおい、ゼノン。主役がそんな葬式みたいな顔をしてどうする。せっかくの晴れ舞台なんだ、少しは笑ったらどうだ、英雄様?」
隣に立つリアムが、軽薄な笑みを浮かべながら、肘でゼノンの脇腹を軽く小突いた。
その声は、いつものように冗談めかしていたが、その瞳の奥には、友の心の耗弱を鋭く見抜く、冷静な光が宿っていた。
*やれやれ、重症だな。あの戦いは、こいつの真面目すぎる魂には、少々荷が重すぎたか。だが、今は感傷に浸っている場合じゃない。この国は、帝国以上に食えない狐の巣窟だ。*
リアムの視線は、群衆を通り越し、桟橋の最前列で偽りの歓迎の笑みを浮かべる、共和国の役人たちへと注がれていた。
豪華な絹の衣服、指に輝く宝石の指輪、そして計算され尽くした媚びへつらいの態度。
そのすべてが、彼にはドル紙幣の束に見えた。
*この歓迎は、善意じゃない。投資だ。我々という「商品」を利用して、自国の威信を高め、帝国との外交を有利に進め、そして何より、民衆の不満を逸らすための、実に分かりやすい政治ショーだ。まったく、商売人の考えることは反吐が出る。*
彼は、にこやかに群衆に手を振りながらも、その思考は氷のように冷え切っていた。
この国では、一瞬たりとも気を抜くことはできない。
特に、隣で心を病んでいるこの不器用な友人を守るためには。
フィオナは、二人から一歩引いた場所で、その光景を冷徹に観察していた。
彼女の銀色の髪が、港の潮風に静かになびいている。
群衆が叫ぶ、魔族への剥き出しの憎悪。
それは、彼女にとって、不快なものではなかった。
むしろ、ある種の満足感さえ覚えていた。
これが、正常なのだ。
魔族は絶対悪であり、その存在を憎み、根絶を願うことこそが、この大陸に生きる全ての種族が持つべき、正しい感情なのだ。
*当然の反応だ。奴らの非道を知れば、誰もがこうなる。この憎悪の炎こそが、我々の正義を燃え上がらせる薪となる。*
彼女は、その集団的な狂気に、自らが信じる世界の秩序が正しく機能している証を見ていた。
やがて、形式的な歓迎の式典が終わり、三人は共和国の役人たちに先導され、金と象牙で装飾された、これみよがしに豪華な馬車へと乗り込んだ。
馬車がゆっくりと動き出すと、沿道に詰めかけた民衆の歓声は、さらに熱を増した。
リアムは、対面に座る恰幅の良い共和国の外務次官に、人好きのする笑みを向けながら、巧みに言葉の罠を仕掛けていた。
「いやはや、これほどの歓迎を受けるとは、光栄の至りですな。これもひとえに、貴国が平和を愛し、我々連合軍の勝利を心から喜んでくださっている証でしょう」
「もちろんでございます、リアム様!魔族という共通の脅威を打ち破った英雄方を、国を挙げて歓迎するのは当然のこと!」
ゼノンは、その虚ろな会話には一切加わらず、ただ馬車の窓の外に視線を投げていた。
狂熱に浮かされた人々の顔、顔、顔。
その誰もが、自分を救世主だと信じている。
その視線が、彼の心をさらに重く締め付けた。
一方、フィオナは、静かに目を閉じていた。
彼女の意識は、馬車の振動や外の喧騒から完全に切り離され、ただひたすらに、都市の魔力網を探っていた。
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