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貴様も、英雄方へ奉仕する花になれ
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香辛料の袋が孕む、異国の乾いた香りをその身に纏い、リリスはバーンズ子爵邸の重厚な扉をくぐった。
広場の喧騒も、英雄を讃える熱狂も、この屋敷の静謐な空気の前には、遠い世界の出来事のようにその意味を失う。
彼女は、影のように音もなく長い廊下を進み、主人の書斎へと向かった。
そこには、いつものように、高価な革張りの椅子にその肥えた体を沈め、帳簿に目を落とすバーンズ子爵の姿があった。
リリスは、部屋の中央で静かに跪き、頭を垂れ、主人の言葉を待った。
その姿は、意思を持つ人間というよりは、命令系統に従って動作する、精巧に作られた人形に近かった。
「…戻ったか。香辛料は厨房へ。それから、耳に入れておいてやろう。我がバーンズ家の名誉にかけて、近々、この屋敷で盛大な戦勝祝賀会を催すことになった」
子爵の声は、粘つくような満足感に満ちていた。
彼は帳簿から目を離さず、まるで壁に飾られた絵画にでも語りかけるかのような、無機質な口調で続けた。
「主役は、先の戦で武功を上げた、神聖ルミナール帝国の三名の英雄だ。共和国からの、ささやかな労いというわけだ。そして、リリス。貴様も、その祝賀会に花を添える役目を担うことになった。無論、貴様一人ではない。共和国中から集められた、選りすぐりの美しい花々数十名と共に、英雄方へ奉仕するのだ。光栄に思うがいい。貴様のような穢れた血の持ち主が、帝国の英雄に触れる機会など、未来永劫ありはしないのだからな」
子爵の言葉は、一つ一つが、研ぎ澄まされた氷の刃となって、リリスの鼓膜を、そして彼女の存在そのものを、静かに、しかし確実に切り刻んでいった。
彼の言葉が終わると、リリスの視線は、自身の膝の上で固く握りしめられた両手に落ちた。
指先が、僅かに内側へと丸まる。
彼女は、跪いた姿勢を崩さず、その背筋は微動だにしなかった。
その青い瞳にも、何の感情の揺らぎも映し出されてはいない。
ただ、沈黙が、彼女の唯一の返答であった。
*奉仕。英雄。ああ、そうか。また、あの騎士に会うのか。*
その認識は、驚きでも、恐怖でもなく、ただ、避けられぬ運命の理が、再びその姿を現したという、冷たい事実認識として、リリスの心に落ちた。
六年前、偽りの楽園で、彼女は無垢な憧れと共に、一輪の花を彼に差し出した。
そして今、彼女は、数十の「商品」の一つとして、その身を彼に差し出すことを強要されている。
所有者から、所有物へ。
同じ再会という言葉を用いながら、その意味は、天と地ほどに隔たっていた。
*あの時、彼は私に「ごめんなさい」と言った。あの謝罪は、私の未来を予見した、彼の騎士としての最後の良心の発露だったのかもしれない。ならば、この再会もまた、彼の計算の内にあるのだろうか。いや、違う。彼は、私のことなど、とうに忘れているに違いない。あの日の出来事は、彼の輝かしい武勲の歴史の中では、道端に咲いていた、名も知れぬ花を踏み潰した程度の、取るに足らない記憶の断片に過ぎないのだ。*
絶望は、もはや彼女の心を苛むことはない。
それは、彼女が呼吸する空気のように、彼女の血肉の一部と化していた。
彼女は、この不条理な運命を、静かに、そして完全に受け入れた。
抵抗という選択肢は、母の命という枷によって、初めから封じられている。
彼女にできることは、ただ、この与えられた役割を、感情を殺して演じきることだけだ。
それが、母を生かし続けるための、唯一の方法なのだから。
「…畏まりました、バーンズ子爵様。主のお言いつけ通りに」
長い沈黙の後、リリスの唇から、ようやく紡ぎ出された言葉は、まるで古井戸の底から響いてくるかのように、何の抑揚も持たなかった。
彼女は、ゆっくりと立ち上がると、深々と一礼し、音もなく書斎を退出した。
その背中は、これから訪れるであろう更なる屈辱に向けて、まるで罪人のように、静かに丸まっていた。
子爵は、その姿を、満足げな、そして侮蔑に満ちた視線で見送っていた。
彼の頭の中では、英雄たちを歓待することで得られるであろう、政治的な利益と名声の計算が、既に始まっていた。
リリスという存在は、その計算式を構成する、無数の変数の一つに過ぎなかった。
広場の喧騒も、英雄を讃える熱狂も、この屋敷の静謐な空気の前には、遠い世界の出来事のようにその意味を失う。
彼女は、影のように音もなく長い廊下を進み、主人の書斎へと向かった。
そこには、いつものように、高価な革張りの椅子にその肥えた体を沈め、帳簿に目を落とすバーンズ子爵の姿があった。
リリスは、部屋の中央で静かに跪き、頭を垂れ、主人の言葉を待った。
その姿は、意思を持つ人間というよりは、命令系統に従って動作する、精巧に作られた人形に近かった。
「…戻ったか。香辛料は厨房へ。それから、耳に入れておいてやろう。我がバーンズ家の名誉にかけて、近々、この屋敷で盛大な戦勝祝賀会を催すことになった」
子爵の声は、粘つくような満足感に満ちていた。
彼は帳簿から目を離さず、まるで壁に飾られた絵画にでも語りかけるかのような、無機質な口調で続けた。
「主役は、先の戦で武功を上げた、神聖ルミナール帝国の三名の英雄だ。共和国からの、ささやかな労いというわけだ。そして、リリス。貴様も、その祝賀会に花を添える役目を担うことになった。無論、貴様一人ではない。共和国中から集められた、選りすぐりの美しい花々数十名と共に、英雄方へ奉仕するのだ。光栄に思うがいい。貴様のような穢れた血の持ち主が、帝国の英雄に触れる機会など、未来永劫ありはしないのだからな」
子爵の言葉は、一つ一つが、研ぎ澄まされた氷の刃となって、リリスの鼓膜を、そして彼女の存在そのものを、静かに、しかし確実に切り刻んでいった。
彼の言葉が終わると、リリスの視線は、自身の膝の上で固く握りしめられた両手に落ちた。
指先が、僅かに内側へと丸まる。
彼女は、跪いた姿勢を崩さず、その背筋は微動だにしなかった。
その青い瞳にも、何の感情の揺らぎも映し出されてはいない。
ただ、沈黙が、彼女の唯一の返答であった。
*奉仕。英雄。ああ、そうか。また、あの騎士に会うのか。*
その認識は、驚きでも、恐怖でもなく、ただ、避けられぬ運命の理が、再びその姿を現したという、冷たい事実認識として、リリスの心に落ちた。
六年前、偽りの楽園で、彼女は無垢な憧れと共に、一輪の花を彼に差し出した。
そして今、彼女は、数十の「商品」の一つとして、その身を彼に差し出すことを強要されている。
所有者から、所有物へ。
同じ再会という言葉を用いながら、その意味は、天と地ほどに隔たっていた。
*あの時、彼は私に「ごめんなさい」と言った。あの謝罪は、私の未来を予見した、彼の騎士としての最後の良心の発露だったのかもしれない。ならば、この再会もまた、彼の計算の内にあるのだろうか。いや、違う。彼は、私のことなど、とうに忘れているに違いない。あの日の出来事は、彼の輝かしい武勲の歴史の中では、道端に咲いていた、名も知れぬ花を踏み潰した程度の、取るに足らない記憶の断片に過ぎないのだ。*
絶望は、もはや彼女の心を苛むことはない。
それは、彼女が呼吸する空気のように、彼女の血肉の一部と化していた。
彼女は、この不条理な運命を、静かに、そして完全に受け入れた。
抵抗という選択肢は、母の命という枷によって、初めから封じられている。
彼女にできることは、ただ、この与えられた役割を、感情を殺して演じきることだけだ。
それが、母を生かし続けるための、唯一の方法なのだから。
「…畏まりました、バーンズ子爵様。主のお言いつけ通りに」
長い沈黙の後、リリスの唇から、ようやく紡ぎ出された言葉は、まるで古井戸の底から響いてくるかのように、何の抑揚も持たなかった。
彼女は、ゆっくりと立ち上がると、深々と一礼し、音もなく書斎を退出した。
その背中は、これから訪れるであろう更なる屈辱に向けて、まるで罪人のように、静かに丸まっていた。
子爵は、その姿を、満足げな、そして侮蔑に満ちた視線で見送っていた。
彼の頭の中では、英雄たちを歓待することで得られるであろう、政治的な利益と名声の計算が、既に始まっていた。
リリスという存在は、その計算式を構成する、無数の変数の一つに過ぎなかった。
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