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石造りの冷たい床を、リリスの身体は、ただの肉の塊のように引きずられていく。
侯爵の私兵たちの、鉄靴が床を擦る無機質な音と、リリスの薄いドレスが擦れる乾いた音だけが、薄暗く長い地下通路に響き渡っていた。
彼女の腕を掴む男たちの指は、まるで鉄の枷のように食い込み、その皮膚の下で、骨がきしむような鈍い痛みを発していた。
しかし、リリスは、もはやその痛みさえも、感じてはいなかった。
彼女の意識は、肉体という名の牢獄から遠く離れ、光の届かない、永遠の虚無の中を、ただ独り、漂っていた。
ゼノンの、あの最後の表情。
リアムの、冷たい決断。
フィオナの、揺るぎない憎悪。
そして、自らが絞り出した、あの「ごめんなさい」という言葉。
それら全てが、彼女の世界を構成していた、最後の、脆い硝子細工を、粉々に砕き散らした。
希望も、絶望も、悲しみも、怒りさえも、今はもう、どこにもない。
ただ、終わりのない、静かで、冷たい、無があるだけだった。
引きずられていく彼女の瞳は、何も映さず、何も捉えず、ただ、磨かれることのない、埃と黴に覆われた石の天井を、ぼんやりと見上げている。
その瞳は、もはや、生きている者のそれではなかった。
やがて、重々しい鉄の扉が、軋む音を立てて開かれた。
そこは、懲罰室。
壁には、用途の知れぬ、錆び付いた鉄製の器具が、不気味な影を落として並んでいた。
部屋の中央には、粗末な木製の椅子が一つ、ぽつんと置かれている。
空気は、湿った土の匂いと、血と、そして、決して拭い去られることのない、誰かの絶望の匂いが混じり合い、淀んでいた。
私兵の一人が、リリスを乱暴に椅子へと突き飛ばす。
彼女の身体は、力なく座面に崩れ落ちた。
*ああ…ここは、暖かいな…。バラ園の、土の匂いに、少しだけ、似ている…。お母様…。*
彼女の意識の片隅で、遠い昔の記憶が、陽炎のように揺らめいて、そして、消えた。
「さて、お嬢ちゃん」一人の私兵が、その顔に、下卑た笑みを浮かべながら、リリスの前に屈み込んだ。
「英雄様を、大層がっかりさせたそうじゃないか。それは、いけないことだ。侯爵様は、お前のその罪を、きちんと、その身に教えてやれと、そう仰せだ」
男は、リリスの顎を、乱暴に掴み上げた。
その青い瞳に、何の感情も宿っていないことを確認すると、彼は、不満げに舌打ちをした。
「ちっ、つまらねえ人形だ。だが、まあ、いい。声が出ぬなら、身体に聞かせるまでだ」
その日から、リリスの時間は、意味を失った。
拷問は、彼女の肉体を直接的に破壊するものではなかった。
それは、より陰湿で、より残酷な、精神を削り殺すための、儀式であった。
彼らは、リリスから衣服を奪い、冷たい水の中に、何時間も、何日も、浸し続けた。
彼女の身体が、死の淵を彷徨う紫に染まり、意識が途切れそうになると、彼らは、彼女を引き上げ、今度は、灼熱の烙印を、その肌に押し付ける寸前まで、近づける。
焼けるような熱が、皮膚を焦がす匂いが、彼女の思考を麻痺させた。
彼らは、彼女に食事を与えなかった。
ただ、生命を維持するためだけの、泥水のような粥を、日に一度、犬のように、床に這いつくばらせて、舐めさせた。
その間、彼らは、リリスを取り囲み、彼女がいかに価値のない存在であるか、いかに穢れた血を持つものであるか、そして、いかに、英雄を失望させた罪深い存在であるかを、延々と、繰り返し、語り続けた。
その言葉は、見えざる毒蟲のように、彼女の耳から侵入し、その精神の、最も柔らかな部分を、ゆっくりと、しかし、確実に、喰い荒らしていった。
リリスは、叫ばなかった。
泣きもしなかった。
ただ、その全てを、受け入れていた。
痛みも、屈辱も、飢えも、寒さも、全ては、自分が存在するが故の、当然の報いであると、彼女の壊れかけた心は、そう認識していた。
英雄を失望させた罪。
母を苦しめる罪。
生まれてきた罪。
その罪の重さに比べれば、この程度の苦痛など、あまりにも軽く、取るに足らないものに過ぎなかった。
彼女は、ただ、早く、この肉体が、その機能を停止し、この意識が、完全な無へと還ることを、静かに、祈り続けていた。
リリスが地下の闇で時間を失っている頃、地上では、新たな嵐が吹き荒れようとしていた。
オルレアン侯爵は、祝宴から数日後、バーンズ子爵を、自らの執務室へと呼びつけた。
重厚なマホガニーの机を挟み、侯爵は、その顔から一切の笑みを消し、氷のような声で、子爵を詰問した。
「バーンズ子爵。貴殿は、私に、あの花を納品する際、何と報告したかな?絶対服従の高級奴隷契約により、いかなる状況下でも、所有者の意に反することはなく、安全は保証されている、と。そう言ったはずだ。だが、結果はどうだ?あの出来損ないは、帝国からの賓客、あの断罪の槍ゼノン・アルトリウス閣下の御前で、見苦しい真似を演じ、我がオルレアン家の、いや、このドラコニア共和国の顔に、泥を塗ってくれたではないか!」
机を叩きつける、乾いた音。
バーンズ子爵の肩が、びくりと震えた。
彼の額には、脂汗が、滝のように噴き出している。
格上の、それも、この都市の実質的な支配者である侯爵からの、直接的な叱責。
それは、彼のような、権威に寄り添って生きる小貴族にとって、死の宣告にも等しい恐怖であった。
「も、申し訳…ございません…!侯爵様!まさか、あの娘が、そのような…!監督不行き届き、何とお詫びを申し上げても…!」
「詫びて済む問題か!」侯爵の怒声が、部屋を震わせた。
「幸い、リアム殿の、大人なご判断のおかげで、事なきを得たが、一歩間違えば、帝国との間に、深刻な外交問題を引き起こしかねなかったのだぞ!貴殿の、その商品管理の杜撰さが、この国を、危機に晒したのだ!理解しているのか!」
バーンズ子爵は、もはや、床に平伏するしかなかった。
侯爵への恐怖と、自らの失態がもたらした屈辱。
彼の内で、その捌け口のない感情が、どす黒い怒りの奔流となって、渦を巻き始めた。
そして、その怒りの矛先が、誰に向けられるかは、火を見るよりも明らかであった。
*あの女…!あの、魔族の売女と、その忌々しい娘が…!俺の、俺の顔に、泥を塗りやがって…!許さん、絶対に、許さんぞ…!*
侯爵の執務室から、這うようにして退出したバーンズ子爵は、アイリスの部屋の扉を、乱暴に蹴破って踏み込むと、恐怖に凍りつくアイリスの髪を、鷲掴みにして引き倒した。
「この、役立たずの売女めが!貴様の、あの忌々しい娘が、何をしてくれたか、分かっているのか!俺の、俺の面子は、丸潰れだ!もはや、あの娘に、商品価値など、一ドルたりとも残っていない!」
子爵は、狂乱したように、アイリスを殴り、蹴りつけた。
アイリスは、ただ、その身を丸め、嵐が過ぎ去るのを、耐えるしかなかった。
彼女の心は、ただ一つ、リリスの身の安全だけを、案じていた。
「お、お許しを…子爵様…!リリスは、リリスは、どこに…!どうか、あの子にだけは…!」
「黙れ!」子爵の足が、アイリスの腹部を、容赦なく抉った。
「貴様ら母娘のせいで、俺が被った損害と、屈辱!金で償えると思うな!だが、まあ、いい。貴様らには、死ぬよりも辛い、地獄の底で、その罪を、未来永劫、償わせてやる!」
バーンズ子爵は、その日のうちに、手を打った。
彼は、地下の懲罰室から、もはや、生きる屍のようになったリリスを引きずり出すと、アイリスと共に、荷馬車の、汚れた藁の中へと、無造作に放り込んだ。
そして、その荷馬車は、首都の、最も暗く、最も深い、絶望の澱んだ地区へと、向かった。
行き先は、「煤の底」。
そこは、もはや、娼館という名の、人の営みさえも存在しない、ただ、欲望と暴力と、死だけが渦巻く、街の膿溜めであった。
「煤の底」は、地獄という言葉ですら、生温い場所であった。
そこには、窓というものが、存在しなかった。
光はなく、空気は、安酒と、嘔吐物と、そして、希望を失った者たちの、腐臭に満ちていた。
客は、最下層の労働者や、犯罪者、あるいは、人としての理性を失った、獣のような男たち。
彼らは、女を、人間として扱わなかった。
ただ、自らの、最も醜悪な欲望を、叩きつけるための、肉の器としてしか、見ていなかった。
リリスとアイリスは、そこに、放り込まれた。
彼女たちには、個別の部屋さえ、与えられなかった。
ただ、薄汚れた、南京虫の這い回る、大部屋の片隅に、寝床とも呼べぬ、一枚の汚れた布を与えられただけだった。
そこでは、昼も、夜も、なかった。
男たちの欲望は、24時間、途切れることなく、彼女たちを襲った。
アイリスは、狂いそうになる精神を、必死で繋ぎ止めた。
彼女は、自らの身体を、盾にした。
まだ、幼さの残るリリスを、少しでも、この地獄から遠ざけようと、彼女は、自ら、客の前に進み出た。
「この子には…この子には、まだ、早い…!私で、私で、お願いします…!」
しかし、その悲痛な願いは、獣たちの前では、何の意味もなさなかった。
むしろ、その母の庇護欲が、彼らの、より残忍な、サディズムを、煽るだけだった。
やがて、リリスは、悟った。
この地獄では、母が、自分を守ろうとすればするほど、母は、より深く、傷ついていくだけなのだ、と。
ある夜、アイリスが、数人の男たちに、なぶりものにされているのを、暗がりの中から、見ていたリリスは、静かに、立ち上がった。
彼女は、男たちの一人の、服の裾を、そっと、引いた。
男は、苛立たしげに、振り返った。
その目に映ったのは、感情というものが、完全に抜け落ちた、美しい、人形のような少女の姿だった。
「…私の方が、新しい…」
その日から、リリスは、自ら、客を取るようになった。
彼女は、母を守るため、自らの身体を、差し出した。
彼女は、その心に、分厚い、決して砕けることのない、氷の壁を、築き上げた。
痛みも、屈辱も、何も感じない。
ただ、客の要求に応え、対価を受け取り、その僅かな金で、母のための、少しだけ、ましな食事と、薬を手に入れる。
それだけが、彼女の、生きる意味となった。
かつて、バラ園で、無垢な光を湛えていた少女の面影は、もはや、どこにもなかった。
そこにいたのは、地獄の底で、母という、唯一つの光を守るためだけに、自らを、闇に捧げた、一人の、聖女であり、そして、娼婦であった。
侯爵の私兵たちの、鉄靴が床を擦る無機質な音と、リリスの薄いドレスが擦れる乾いた音だけが、薄暗く長い地下通路に響き渡っていた。
彼女の腕を掴む男たちの指は、まるで鉄の枷のように食い込み、その皮膚の下で、骨がきしむような鈍い痛みを発していた。
しかし、リリスは、もはやその痛みさえも、感じてはいなかった。
彼女の意識は、肉体という名の牢獄から遠く離れ、光の届かない、永遠の虚無の中を、ただ独り、漂っていた。
ゼノンの、あの最後の表情。
リアムの、冷たい決断。
フィオナの、揺るぎない憎悪。
そして、自らが絞り出した、あの「ごめんなさい」という言葉。
それら全てが、彼女の世界を構成していた、最後の、脆い硝子細工を、粉々に砕き散らした。
希望も、絶望も、悲しみも、怒りさえも、今はもう、どこにもない。
ただ、終わりのない、静かで、冷たい、無があるだけだった。
引きずられていく彼女の瞳は、何も映さず、何も捉えず、ただ、磨かれることのない、埃と黴に覆われた石の天井を、ぼんやりと見上げている。
その瞳は、もはや、生きている者のそれではなかった。
やがて、重々しい鉄の扉が、軋む音を立てて開かれた。
そこは、懲罰室。
壁には、用途の知れぬ、錆び付いた鉄製の器具が、不気味な影を落として並んでいた。
部屋の中央には、粗末な木製の椅子が一つ、ぽつんと置かれている。
空気は、湿った土の匂いと、血と、そして、決して拭い去られることのない、誰かの絶望の匂いが混じり合い、淀んでいた。
私兵の一人が、リリスを乱暴に椅子へと突き飛ばす。
彼女の身体は、力なく座面に崩れ落ちた。
*ああ…ここは、暖かいな…。バラ園の、土の匂いに、少しだけ、似ている…。お母様…。*
彼女の意識の片隅で、遠い昔の記憶が、陽炎のように揺らめいて、そして、消えた。
「さて、お嬢ちゃん」一人の私兵が、その顔に、下卑た笑みを浮かべながら、リリスの前に屈み込んだ。
「英雄様を、大層がっかりさせたそうじゃないか。それは、いけないことだ。侯爵様は、お前のその罪を、きちんと、その身に教えてやれと、そう仰せだ」
男は、リリスの顎を、乱暴に掴み上げた。
その青い瞳に、何の感情も宿っていないことを確認すると、彼は、不満げに舌打ちをした。
「ちっ、つまらねえ人形だ。だが、まあ、いい。声が出ぬなら、身体に聞かせるまでだ」
その日から、リリスの時間は、意味を失った。
拷問は、彼女の肉体を直接的に破壊するものではなかった。
それは、より陰湿で、より残酷な、精神を削り殺すための、儀式であった。
彼らは、リリスから衣服を奪い、冷たい水の中に、何時間も、何日も、浸し続けた。
彼女の身体が、死の淵を彷徨う紫に染まり、意識が途切れそうになると、彼らは、彼女を引き上げ、今度は、灼熱の烙印を、その肌に押し付ける寸前まで、近づける。
焼けるような熱が、皮膚を焦がす匂いが、彼女の思考を麻痺させた。
彼らは、彼女に食事を与えなかった。
ただ、生命を維持するためだけの、泥水のような粥を、日に一度、犬のように、床に這いつくばらせて、舐めさせた。
その間、彼らは、リリスを取り囲み、彼女がいかに価値のない存在であるか、いかに穢れた血を持つものであるか、そして、いかに、英雄を失望させた罪深い存在であるかを、延々と、繰り返し、語り続けた。
その言葉は、見えざる毒蟲のように、彼女の耳から侵入し、その精神の、最も柔らかな部分を、ゆっくりと、しかし、確実に、喰い荒らしていった。
リリスは、叫ばなかった。
泣きもしなかった。
ただ、その全てを、受け入れていた。
痛みも、屈辱も、飢えも、寒さも、全ては、自分が存在するが故の、当然の報いであると、彼女の壊れかけた心は、そう認識していた。
英雄を失望させた罪。
母を苦しめる罪。
生まれてきた罪。
その罪の重さに比べれば、この程度の苦痛など、あまりにも軽く、取るに足らないものに過ぎなかった。
彼女は、ただ、早く、この肉体が、その機能を停止し、この意識が、完全な無へと還ることを、静かに、祈り続けていた。
リリスが地下の闇で時間を失っている頃、地上では、新たな嵐が吹き荒れようとしていた。
オルレアン侯爵は、祝宴から数日後、バーンズ子爵を、自らの執務室へと呼びつけた。
重厚なマホガニーの机を挟み、侯爵は、その顔から一切の笑みを消し、氷のような声で、子爵を詰問した。
「バーンズ子爵。貴殿は、私に、あの花を納品する際、何と報告したかな?絶対服従の高級奴隷契約により、いかなる状況下でも、所有者の意に反することはなく、安全は保証されている、と。そう言ったはずだ。だが、結果はどうだ?あの出来損ないは、帝国からの賓客、あの断罪の槍ゼノン・アルトリウス閣下の御前で、見苦しい真似を演じ、我がオルレアン家の、いや、このドラコニア共和国の顔に、泥を塗ってくれたではないか!」
机を叩きつける、乾いた音。
バーンズ子爵の肩が、びくりと震えた。
彼の額には、脂汗が、滝のように噴き出している。
格上の、それも、この都市の実質的な支配者である侯爵からの、直接的な叱責。
それは、彼のような、権威に寄り添って生きる小貴族にとって、死の宣告にも等しい恐怖であった。
「も、申し訳…ございません…!侯爵様!まさか、あの娘が、そのような…!監督不行き届き、何とお詫びを申し上げても…!」
「詫びて済む問題か!」侯爵の怒声が、部屋を震わせた。
「幸い、リアム殿の、大人なご判断のおかげで、事なきを得たが、一歩間違えば、帝国との間に、深刻な外交問題を引き起こしかねなかったのだぞ!貴殿の、その商品管理の杜撰さが、この国を、危機に晒したのだ!理解しているのか!」
バーンズ子爵は、もはや、床に平伏するしかなかった。
侯爵への恐怖と、自らの失態がもたらした屈辱。
彼の内で、その捌け口のない感情が、どす黒い怒りの奔流となって、渦を巻き始めた。
そして、その怒りの矛先が、誰に向けられるかは、火を見るよりも明らかであった。
*あの女…!あの、魔族の売女と、その忌々しい娘が…!俺の、俺の顔に、泥を塗りやがって…!許さん、絶対に、許さんぞ…!*
侯爵の執務室から、這うようにして退出したバーンズ子爵は、アイリスの部屋の扉を、乱暴に蹴破って踏み込むと、恐怖に凍りつくアイリスの髪を、鷲掴みにして引き倒した。
「この、役立たずの売女めが!貴様の、あの忌々しい娘が、何をしてくれたか、分かっているのか!俺の、俺の面子は、丸潰れだ!もはや、あの娘に、商品価値など、一ドルたりとも残っていない!」
子爵は、狂乱したように、アイリスを殴り、蹴りつけた。
アイリスは、ただ、その身を丸め、嵐が過ぎ去るのを、耐えるしかなかった。
彼女の心は、ただ一つ、リリスの身の安全だけを、案じていた。
「お、お許しを…子爵様…!リリスは、リリスは、どこに…!どうか、あの子にだけは…!」
「黙れ!」子爵の足が、アイリスの腹部を、容赦なく抉った。
「貴様ら母娘のせいで、俺が被った損害と、屈辱!金で償えると思うな!だが、まあ、いい。貴様らには、死ぬよりも辛い、地獄の底で、その罪を、未来永劫、償わせてやる!」
バーンズ子爵は、その日のうちに、手を打った。
彼は、地下の懲罰室から、もはや、生きる屍のようになったリリスを引きずり出すと、アイリスと共に、荷馬車の、汚れた藁の中へと、無造作に放り込んだ。
そして、その荷馬車は、首都の、最も暗く、最も深い、絶望の澱んだ地区へと、向かった。
行き先は、「煤の底」。
そこは、もはや、娼館という名の、人の営みさえも存在しない、ただ、欲望と暴力と、死だけが渦巻く、街の膿溜めであった。
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そこには、窓というものが、存在しなかった。
光はなく、空気は、安酒と、嘔吐物と、そして、希望を失った者たちの、腐臭に満ちていた。
客は、最下層の労働者や、犯罪者、あるいは、人としての理性を失った、獣のような男たち。
彼らは、女を、人間として扱わなかった。
ただ、自らの、最も醜悪な欲望を、叩きつけるための、肉の器としてしか、見ていなかった。
リリスとアイリスは、そこに、放り込まれた。
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ただ、薄汚れた、南京虫の這い回る、大部屋の片隅に、寝床とも呼べぬ、一枚の汚れた布を与えられただけだった。
そこでは、昼も、夜も、なかった。
男たちの欲望は、24時間、途切れることなく、彼女たちを襲った。
アイリスは、狂いそうになる精神を、必死で繋ぎ止めた。
彼女は、自らの身体を、盾にした。
まだ、幼さの残るリリスを、少しでも、この地獄から遠ざけようと、彼女は、自ら、客の前に進み出た。
「この子には…この子には、まだ、早い…!私で、私で、お願いします…!」
しかし、その悲痛な願いは、獣たちの前では、何の意味もなさなかった。
むしろ、その母の庇護欲が、彼らの、より残忍な、サディズムを、煽るだけだった。
やがて、リリスは、悟った。
この地獄では、母が、自分を守ろうとすればするほど、母は、より深く、傷ついていくだけなのだ、と。
ある夜、アイリスが、数人の男たちに、なぶりものにされているのを、暗がりの中から、見ていたリリスは、静かに、立ち上がった。
彼女は、男たちの一人の、服の裾を、そっと、引いた。
男は、苛立たしげに、振り返った。
その目に映ったのは、感情というものが、完全に抜け落ちた、美しい、人形のような少女の姿だった。
「…私の方が、新しい…」
その日から、リリスは、自ら、客を取るようになった。
彼女は、母を守るため、自らの身体を、差し出した。
彼女は、その心に、分厚い、決して砕けることのない、氷の壁を、築き上げた。
痛みも、屈辱も、何も感じない。
ただ、客の要求に応え、対価を受け取り、その僅かな金で、母のための、少しだけ、ましな食事と、薬を手に入れる。
それだけが、彼女の、生きる意味となった。
かつて、バラ園で、無垢な光を湛えていた少女の面影は、もはや、どこにもなかった。
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