奴隷で魔族である私に、幸せは訪れない

竹の子筍

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なぜ、私はまだ生きているのか

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夜明けと共に、冒険者ギルドの救援隊が「煤の底」の跡地へと到着した時、彼らは自らの目を疑った。

報告にあった、街を焼き尽くすほどの業火と、天を衝く黒煙は、そこには存在しなかった。

地獄の釜が開いたかのようであったというその場所は、まるで、神が気まぐれに描いた夢の景色のように、無数の花々が咲き乱れる、静謐な楽園へと、その姿を変えていたのだ。

クレーターであったはずの中心部からは、見たこともない、青く、淡い光を放つ睡蓮が、水もない大地から、天を仰ぐように咲き誇っている。

その周囲には、真紅の彼岸花、純白の月下美人、黄金色のケシの花が、まるで色鮮やかな絨毯のように、大地を埋め尽くしていた。

空気は、焼けた木の匂いではなく、噎せ返るほどに甘く、濃密な花の香りに満たされている。

それは、あまりにも幻想的で、そして、あまりにも、冒涜的な光景であった。

救援隊は、その花畑のあちこちに、数人だけ、倒れている生存者たちを発見した。

彼らは、幸いにも、命に別状はなかった。

しかし、その誰もが、昨夜の出来事を、まるで、最初から存在しなかったかのように、語ることができなかった。

ある者は、美しい流星雨を見たと言い、ある者は、花畑で、神々の祝宴が開かれたと、うわ言のように繰り返す。

その瞳は、皆、一様に、現実から乖離した、夢見るような光を宿していた。

彼らは、ギルドの用意した馬車に乗せられ、首都の診療所へと、次々と搬送されていった。

記憶に、深刻な混乱をきたしている。

それが、救援隊の隊長が、ギルド本部に送った、最初の報告であった。

リリスの意識は、深く、静かな、水の底から、ゆっくりと、浮上してきた。

最後に感じた、あの全てを包み込むような、宇宙的な暖かさ。

魂が、その肉体という窮屈な殻から解き放たれ、無限の光の中へと還っていく、あの至福の感覚。

それこそが、彼女が、この世の全ての苦しみから解放された、証であったはずだ。

しかし、彼女が最初に感じたのは、柔らかな、シーツの肌触りと、鼻腔をくすぐる、消毒薬の、清潔な匂いであった。

ゆっくりと、瞼を開ける。

目に映ったのは、見慣れた、煤と埃にまみれた、薄汚い天井ではなかった。

それは、白く、清潔に磨き上げられた、木製の天井であった。

身体を起こそうとして、彼女は、自分が、上質なリネンの寝間着を身に着けていることに、気が付いた。

そして、その身体には、一箇所も、痛みを感じる部分がなかった。

三年間、一日たりとも、その身体から消えることのなかった、殴られた痣も、灼かれた痕も、獣たちの歯形さえも、全てが、まるで、嘘であったかのように、消え失せていた。

なぜ。

なぜ、私は、まだ、ここにいるのか。

なぜ、私は、まだ、生きているのか。

あの暖かさは、あの解放感は、全て、死の間際に見た、都合の良い、夢であったというのか。

お母様は、私の腕の中で、確かに、息絶えたはずだ。

そして、私もまた、あの光に、全てを委ねたはずではなかったのか。

混乱が、彼女の思考を、渦のように、掻き乱す。

ここは、どこだ。

私は、誰だ。

お母様は、どこにいった。

私は、なぜ、死ねなかった。

答えのない問いが、次々と、彼女の空虚な心に、湧き上がっては、消えていく。

その青い瞳は、焦点を失い、ただ、目の前の、理解不能な現実を、映しているだけであった。

それは、悪夢の、続きであった。

終わることのない、絶望の、新たな一幕が、静かに、上がろうとしていた。

その時、静かに、部屋の扉が開く音がした。

リリスの身体が、びくりと、硬直する。

その視線は、恐怖に縛り付けられたように、扉の方へと、固定された。

入ってきたのは、一人の女性であった。

年の頃は、二十代の後半であろうか。

亜麻色の髪を、後ろで、緩やかに、一つに束ね、白い、清潔な、治癒師の法衣を、身にまとっている。

その顔立ちは、派手さはないが、知性と、理性に、裏打ちされた、穏やかな美しさを、湛えていた。

彼女の腰には、小さな革のポーチが、いくつも、吊り下げられている。

その中には、様々な種類の、薬草や、ポーションが、詰められているのだろう。

彼女の名は、エヴァ・ハインリヒ。

この冒険者ギルド、ドラコニア共和国支部に所属する、治癒師たちの、長を務める女性であった。

彼女の魔力レベルは「魔導級」であり、その治癒魔法の腕前は、ギルド内でも、屈指のものであった。

エヴァは、ベッドの上で、小さな獣のように、身を固くしているリリスの姿を認めると、その口元に、慈愛に満ちた、柔らかな笑みを浮かべた。

「目が覚めたのね。よかった。気分はどうかしら?どこか、痛むところは、ない?」

その声は、春の陽だまりのように、暖かく、そして、どこまでも、優しかった。

彼女は、リリスを、刺激しないように、ゆっくりとした、慎重な足取りで、ベッドへと、近づいていく。

しかし、その優しさは、リリスにとっては、猛毒にも等しいものであった。

三年間。

彼女が生きてきた「煤の底」という地獄において、優しさとは、常に、その後に続く、より、残酷な、暴力と、屈辱の、前触れでしかなかったからだ。

男たちは、時として、甘い言葉を囁き、気まぐれに、食べ物を与えた。

しかし、その直後には、必ず、何倍もの、暴力的な欲望が、彼女の身体を、襲った。

優しさは、信頼してはならない。

それは、生き延びるために、彼女の身体が、その骨の髄まで、刻み込んだ、絶対の、戒律であった。

エヴァが、その白い手を、リリスの額に、伸ばそうとした、瞬間。

リリスの中で、何かが、弾け、そして、壊れた。

彼女の思考は、停止した。

身体は、もはや、彼女自身の意志ではなく、長年の調教によって、染み付いた、奴隷としての、本能的な記憶に、完全に、支配されていた。

危険。

脅威。

未知。

理解不能。

罰せられる。

許しを、乞わなければ。

この人が、不快に思う前に。

この人が、怒りを、爆発させる前に。

早く、早く、早く。

リリスは、まるで、ベッドから、転がり落ちるようにして、床へと、その身を投げ出した。

そして、音もなく、しかし、完璧な、一切の無駄のない、流れるような動作で、その場に、土下座をした。

白い、清らかな額が、冷たい、木の床に、強く、擦り付けられる。

「ごめんなさい」

掠れた、囁くような声が、静かな部屋に、響いた。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

その声には、何の感情も、込められていなかった。

それは、意味をなさない、ただ、自らの罪を告白し、許しを乞うためだけに、発せられる、記号の羅列に過ぎなかった。

壊れた人形が、同じ言葉を、延々と、繰り返すかのように。

彼女は、自分が、何か、計り知れない、決して許されることのない、罪を犯したのだと、その魂の、最も深い部分で、確信していた。

だから、謝らなければならない。

息をすることも、生きていることさえも、謝らなければならないのだ。

エヴァは、その場に、凍り付いた。

彼女の伸ばされた手は、行き場を失い、空中で、虚しく、震えている。

目の前で、繰り広げられている光景が、彼女の、穏やかで、理性的な精神を、激しく、揺さぶった。

この少女の、その完璧すぎるほどの、奴隷としての所作。

その瞳に宿る、完全な、自己の放棄。

エヴァは、これまで、数多くの、傷ついた人々を、癒してきた。

戦場で、四肢を失った兵士も、魔物に、心を喰われた、冒険者も。

しかし、今、目の前にいるこの少女が、その身に刻み込んでいる傷は、彼女がこれまで見てきた、どの傷とも、異質であった。

それは、魂そのものが、殺された痕跡。

エヴァの、慈愛に満ちた表情から、血の気が、引いていく。

彼女は、この少女が、一体、どのような、想像を絶する、地獄の風景を、その瞳に、焼き付けてきたのかを、その、ほんの、一端を、垣間見た気がした。

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