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生き残った意味は…?
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床に額を擦り付け、意味を失った謝罪の言葉を、壊れた自動人形のように繰り返す少女の姿。
その光景は、エヴァ・ハインリヒという、常に理性の鎧を纏い、他者の痛みに寄り添うことを自らの天命としてきた治癒師の心に、これまで経験したことのない、深い亀裂を生じさせた。
彼女の伸ばされた手は、その優しげな意図とは裏腹に、少女を、より深い、自己否定の奈落へと突き落とす、引き金となってしまったのだ。
エヴァは、ゆっくりと、その手を下ろした。
彼女の脳裏には、先程、この少女の身体を清めていた時に発見した、あの忌まわしい印が、焼き付いたように、蘇る。
左の首筋、その繊細な皮膚の下に、微かに浮かび上がる、一つの、黒い薔薇の紋様。
それは、隷属の証。
所有者の意志によって、その生命さえも、意のままに操ることを可能とする、絶対服従の奴隷契約の印であった。
そして、その薔薇の中心には、ドラコニアの、ある下級貴族の、バーンズ家の紋章が、微かに、しかし、明確に、刻まれていた。
*この子は、誰かの所有物なのだ…。この、魂を殺されたかのような振る舞いは、長年に渡る、想像を絶する、調教の結果…。私が、今、彼女に、手を差し伸べることは、果たして、本当に、彼女のためになるのだろうか。それとも、所有者という、見えざる、絶対的な権力に対する、許されざる、干渉行為となってしまうのだろうか。*
エヴァの心は、治癒師としての倫理観と、ギルドの一員としての、現実的な判断の間で、激しく引き裂かれていた。
この少女を、ギルドが保護するということは、その所有者である貴族と、事を構えるということを意味する。
それは、ドラコニア共和国との、政治的な緊張を高める、危険な火種となりかねない。
しかし、目の前で、壊れかけている、この小さな命を、見過ごすことは、彼女自身の、存在意義を、根底から、否定することに、他ならなかった。
「…もう、いいのよ」エヴァは、自らの葛藤を、声に出さぬよう、細心の注意を払いながら、できる限り、穏やかな声で、語りかけた。
「謝ることは、何もないわ。あなたは、何も、悪いことなど、していないのだから」
彼女は、少女の身体に、直接、触れることを、避けた。
ただ、その傍らに、静かに、膝をつくと、自らの治癒師としての法衣の袖で、少女が、額を擦り付けた、床の、冷たい部分を、そっと、拭った。
それは、言葉にならない、償いの、意思表示であった。
「あなたの名前は?」
「リ…リリスです…」
「疲れたでしょう。さあ、ベッドに、お戻りなさい。ここは、安全な場所よ。誰も、あなたを、傷つけたりはしない。私が、それを、約束するわ」
その言葉が、リリスの耳に、届いたのかどうかは、分からなかった。
ただ、延々と繰り返されていた、謝罪の言葉が、途切れた。
リリスは、ゆっくりと、その顔を上げた。
その青い瞳は、依然として、何の光も、宿してはいなかったが、その視線は、確かに、エヴァの姿を、捉えていた。
エヴァは、その瞳の中に、深い、深い、井戸の底のような、暗闇を見た。
それは、人間という存在に対する、根源的な、そして、決して、癒えることのない、不信の色であった。
その頃、冒険者ギルドの最上階にある、ギルドマスターの執務室では、一人の、壮年の男が、窓の外に広がる、首都の喧騒を、腕を組みながら、険しい表情で、見下ろしていた。
彼の名は、オーギュスト。
このドラコニア共和国の、冒険者ギルド支部を、長年に渡って、束ねてきた、歴戦の、ギルドマスターであった。
その顔に刻まれた、幾多の傷跡と、鋼のように、鍛え上げられた肉体は、彼が、ただの、事務方ではないことを、雄弁に、物語っていた。
彼の目の前にある、重厚なデスクの上には、救援隊が、持ち帰った、一枚の、花弁が、置かれていた。
それは、あの、流星の落下地点に咲いていたという、青い睡蓮の花弁であった。
その花弁は、採取されてから、半日が経過しているにも関わらず、まるで、今、摘み取られたばかりのように、瑞々しい、生命の輝きを、放ち続けていた。
そして、その花弁からは、微かではあるが、オーギュストの、鋭敏な感覚を、刺激する、異質な、魔力の残滓が、感じ取れた。
それは、彼が、これまで、経験したことのない、どの魔法体系にも、属さない、未知の力の、波動であった。
*流星の落下。一夜にして、不毛の地が、花園に変わるという、不可解な現象。そして、生存者たちの、集団的な、記憶障害。これは、ただの、自然現象ではない。何者かが、あるいは、我々の、理解を超えた、何らかの力が、そこに、介在している…。*
「神々の気まぐれか、それとも、悪魔の、悪戯か…。いずれにせよ、このドラコニアの地に、招かれざる客が、訪れたことだけは、確かなようだ…」
彼の呟きは、誰に、聞かれることもなく、静かな、執務室の空気の中に、消えていった。
一方、診療所の一室では、リリスがエヴァによって、再びベッドへと、横たえられていた。
彼女は、もはや言葉を発しようとはしなかった。
ただ、毛布を頭の先まで、深く被り外界からの、全ての刺激を拒絶するかのように、その身を、固く縮こまらせていた。
エヴァは、そんな彼女の、傍らの椅子に静かに座り、ただそこに寄り添い続けていた。
彼女は、無理に話しかけることを、やめた。
ただ、自らが無害な存在であることを、その、静かな佇まいだけで示そうとしていた。
しかし、その優しさが、リリスの、閉ざされた心に、届くことはなかった。
毛布の、暗闇の中で、リリスは、ただ、独り、震えていた。
母の、最後の、温もり。
腕の中で、冷たくなっていく、その感触。
そして、自らを、この世に、繋ぎ止めていた、最後の、意味が、消え失せた、あの、絶対的な、虚無感。
それだけが、彼女の、唯一の、現実であった。
*なぜ、私は、生きているの。お母様は、死んでしまったのに。私だけが、こんな、暖かい、安全な場所で、生きている。これは、罰なのだろうか。死ぬことさえも、許されない、永遠の、罰なのだろうか。*
生きる意味を、見失った魂は、安息の地を与えられても、その安らぎを、受け入れることはできない。
リリスは、ただ、静かに、時が、過ぎ去っていくのを、待っていた。
いつか、この身体が、朽ち果て、この意識が、完全に、消滅する、その、瞬間が、訪れるのを。
診療所の、窓の外では、ギルドの、喧騒が、遠く、聞こえていた。
しかし、その音は、リリスの、孤独な、内なる世界には、何一つ、届いてはいなかった。
その光景は、エヴァ・ハインリヒという、常に理性の鎧を纏い、他者の痛みに寄り添うことを自らの天命としてきた治癒師の心に、これまで経験したことのない、深い亀裂を生じさせた。
彼女の伸ばされた手は、その優しげな意図とは裏腹に、少女を、より深い、自己否定の奈落へと突き落とす、引き金となってしまったのだ。
エヴァは、ゆっくりと、その手を下ろした。
彼女の脳裏には、先程、この少女の身体を清めていた時に発見した、あの忌まわしい印が、焼き付いたように、蘇る。
左の首筋、その繊細な皮膚の下に、微かに浮かび上がる、一つの、黒い薔薇の紋様。
それは、隷属の証。
所有者の意志によって、その生命さえも、意のままに操ることを可能とする、絶対服従の奴隷契約の印であった。
そして、その薔薇の中心には、ドラコニアの、ある下級貴族の、バーンズ家の紋章が、微かに、しかし、明確に、刻まれていた。
*この子は、誰かの所有物なのだ…。この、魂を殺されたかのような振る舞いは、長年に渡る、想像を絶する、調教の結果…。私が、今、彼女に、手を差し伸べることは、果たして、本当に、彼女のためになるのだろうか。それとも、所有者という、見えざる、絶対的な権力に対する、許されざる、干渉行為となってしまうのだろうか。*
エヴァの心は、治癒師としての倫理観と、ギルドの一員としての、現実的な判断の間で、激しく引き裂かれていた。
この少女を、ギルドが保護するということは、その所有者である貴族と、事を構えるということを意味する。
それは、ドラコニア共和国との、政治的な緊張を高める、危険な火種となりかねない。
しかし、目の前で、壊れかけている、この小さな命を、見過ごすことは、彼女自身の、存在意義を、根底から、否定することに、他ならなかった。
「…もう、いいのよ」エヴァは、自らの葛藤を、声に出さぬよう、細心の注意を払いながら、できる限り、穏やかな声で、語りかけた。
「謝ることは、何もないわ。あなたは、何も、悪いことなど、していないのだから」
彼女は、少女の身体に、直接、触れることを、避けた。
ただ、その傍らに、静かに、膝をつくと、自らの治癒師としての法衣の袖で、少女が、額を擦り付けた、床の、冷たい部分を、そっと、拭った。
それは、言葉にならない、償いの、意思表示であった。
「あなたの名前は?」
「リ…リリスです…」
「疲れたでしょう。さあ、ベッドに、お戻りなさい。ここは、安全な場所よ。誰も、あなたを、傷つけたりはしない。私が、それを、約束するわ」
その言葉が、リリスの耳に、届いたのかどうかは、分からなかった。
ただ、延々と繰り返されていた、謝罪の言葉が、途切れた。
リリスは、ゆっくりと、その顔を上げた。
その青い瞳は、依然として、何の光も、宿してはいなかったが、その視線は、確かに、エヴァの姿を、捉えていた。
エヴァは、その瞳の中に、深い、深い、井戸の底のような、暗闇を見た。
それは、人間という存在に対する、根源的な、そして、決して、癒えることのない、不信の色であった。
その頃、冒険者ギルドの最上階にある、ギルドマスターの執務室では、一人の、壮年の男が、窓の外に広がる、首都の喧騒を、腕を組みながら、険しい表情で、見下ろしていた。
彼の名は、オーギュスト。
このドラコニア共和国の、冒険者ギルド支部を、長年に渡って、束ねてきた、歴戦の、ギルドマスターであった。
その顔に刻まれた、幾多の傷跡と、鋼のように、鍛え上げられた肉体は、彼が、ただの、事務方ではないことを、雄弁に、物語っていた。
彼の目の前にある、重厚なデスクの上には、救援隊が、持ち帰った、一枚の、花弁が、置かれていた。
それは、あの、流星の落下地点に咲いていたという、青い睡蓮の花弁であった。
その花弁は、採取されてから、半日が経過しているにも関わらず、まるで、今、摘み取られたばかりのように、瑞々しい、生命の輝きを、放ち続けていた。
そして、その花弁からは、微かではあるが、オーギュストの、鋭敏な感覚を、刺激する、異質な、魔力の残滓が、感じ取れた。
それは、彼が、これまで、経験したことのない、どの魔法体系にも、属さない、未知の力の、波動であった。
*流星の落下。一夜にして、不毛の地が、花園に変わるという、不可解な現象。そして、生存者たちの、集団的な、記憶障害。これは、ただの、自然現象ではない。何者かが、あるいは、我々の、理解を超えた、何らかの力が、そこに、介在している…。*
「神々の気まぐれか、それとも、悪魔の、悪戯か…。いずれにせよ、このドラコニアの地に、招かれざる客が、訪れたことだけは、確かなようだ…」
彼の呟きは、誰に、聞かれることもなく、静かな、執務室の空気の中に、消えていった。
一方、診療所の一室では、リリスがエヴァによって、再びベッドへと、横たえられていた。
彼女は、もはや言葉を発しようとはしなかった。
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エヴァは、そんな彼女の、傍らの椅子に静かに座り、ただそこに寄り添い続けていた。
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ただ、自らが無害な存在であることを、その、静かな佇まいだけで示そうとしていた。
しかし、その優しさが、リリスの、閉ざされた心に、届くことはなかった。
毛布の、暗闇の中で、リリスは、ただ、独り、震えていた。
母の、最後の、温もり。
腕の中で、冷たくなっていく、その感触。
そして、自らを、この世に、繋ぎ止めていた、最後の、意味が、消え失せた、あの、絶対的な、虚無感。
それだけが、彼女の、唯一の、現実であった。
*なぜ、私は、生きているの。お母様は、死んでしまったのに。私だけが、こんな、暖かい、安全な場所で、生きている。これは、罰なのだろうか。死ぬことさえも、許されない、永遠の、罰なのだろうか。*
生きる意味を、見失った魂は、安息の地を与えられても、その安らぎを、受け入れることはできない。
リリスは、ただ、静かに、時が、過ぎ去っていくのを、待っていた。
いつか、この身体が、朽ち果て、この意識が、完全に、消滅する、その、瞬間が、訪れるのを。
診療所の、窓の外では、ギルドの、喧騒が、遠く、聞こえていた。
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