82 / 97
内通者
しおりを挟む
リリスは大きく息を吸い込み、乱れた呼吸を整える間もなく、目の前の交差点に立つオーギュストの背中を視認した。
肺が焼け付くような熱さを訴えている。
足の筋肉は痙攣し、視界の端が明滅していたが、彼女は速度を緩めなかった。
オーギュストは数名のギルド職員に指示を出し、混乱する市民を誘導していた。
その太い首筋に汗が光り、険しい表情で周囲を睥睨している。
「マスター!」
リリスの声は掠れ、裏返った。
オーギュストが振り返る。
その瞳は、ギルドから抜け出したリリスを認め、鋭く細められた。
リリスは彼の足元に滑り込むようにして止まり、肩で息をしながら言葉を紡いだ。
「逃げてください……! 今すぐ、みんなを連れて!」
オーギュストは無言でリリスを見下ろした。
その沈黙は重く、冷たい。
「結界が……サラスの防衛結界が、破られました。東の塔の下から、壊されたんです」
リリスは必死に訴えた。
「魔物が来ます。街の外に潜んでいた魔族の軍勢が、今にも雪崩れ込んできます。ここはもう、戦場になるんです!」
オーギュストの眉が跳ね上がった。
周囲の職員たちも動きを止め、リリスを注視する。
結界崩壊。
それは都市防衛の根幹が失われたことを意味する。
「結界が破られただと」
オーギュストの低い声が響いた。
「あり得ん。あれは鉄壁だ。外部からの攻撃で、そう易々と落ちるものではない」
「内側からです! 内部から、術式を破壊されました!」
オーギュストが一歩、リリスに詰め寄った。
その威圧感に、リリスは反射的に身を竦めた。
「内部から、だと」
彼の声から感情の色が消え、底冷えするような理性だけが残る。
「なぜ、お前がそれを知っている」
リリスは口を開きかけ、そして閉じた。
「なぜ、ギルドにいたはずのお前が、東の塔の異変を知っている。なぜ、魔族の軍勢が潜んでいることまで知っている」
オーギュストの瞳が、リリスの深淵を覗き込むように光った。
「答えろ、リリス。お前は……あそこで何を見てきた」
メルクリウスのこと。
母アイリスのこと。
そして、自分が彼と会話をしたこと。
真実を話せば、メルクリウスとの関係が露呈する。
「それは……」
リリスは視線を彷徨わせた。
説明できない。
沈黙が落ちた。
それは、何よりも雄弁な「肯定」として、オーギュストの耳に届いた。
「……そうか」
オーギュストの手が伸びた。
その動きは視認できないほど速く、次の瞬間、リリスの視界が反転した。
喉に強烈な圧迫感。
足が地面から離れ、宙に浮く。
「がっ……!」
太い指が気管を締め上げ、酸素を遮断する。
オーギュストは片手でリリスを吊り上げ、鬼のような形相で睨みつけた。
「貴様、手引きをしたな」
「あ……ぐ……っ」
「我々が第1区画へ気を取られている隙に、貴様が結界の破壊工作を支援したのか。あの魔族たちと通じ、この街を売り渡したのか!」
彼の指が肉に食い込む。
リリスは両手でオーギュストの腕を掴み、爪を立てたが、岩のような筋肉は微動だにしない。
視界が暗転し始める。
意識が遠のく中で、オーギュストの怒号だけが鼓膜を叩く。
「恩を仇で返しおって! エヴァの献身も、ギルダの期待も、貴様にとっては利用するための道具でしかなかったのか!」
違う。
違う。
私は、ただ守りたかっただけ。
声が出ない。
涙が溢れ、オーギュストの手の甲に落ちた。
「に……げ……」
リリスは、僅かに緩んだ指の隙間から、最後の力を振り絞って声を漏らした。
「……逃げ……て……」
自分の命などどうでもいい。
誤解されたままでもいい。
ただ、愛する人たちが生きていてくれれば。
「おね……がい……みんな……死な……ないで……」
その瞳は、オーギュストへの恨みではなく、純粋な哀願に満ちていた。
オーギュストの手が、微かに震えた。
その時、東の空が赤く染まった。
轟音と共に、巨大な火柱が夜空を焼き焦がし、本物の警鐘が都市中に鳴り響き始めた。
魔族の侵攻が、始まったのだ。
肺が焼け付くような熱さを訴えている。
足の筋肉は痙攣し、視界の端が明滅していたが、彼女は速度を緩めなかった。
オーギュストは数名のギルド職員に指示を出し、混乱する市民を誘導していた。
その太い首筋に汗が光り、険しい表情で周囲を睥睨している。
「マスター!」
リリスの声は掠れ、裏返った。
オーギュストが振り返る。
その瞳は、ギルドから抜け出したリリスを認め、鋭く細められた。
リリスは彼の足元に滑り込むようにして止まり、肩で息をしながら言葉を紡いだ。
「逃げてください……! 今すぐ、みんなを連れて!」
オーギュストは無言でリリスを見下ろした。
その沈黙は重く、冷たい。
「結界が……サラスの防衛結界が、破られました。東の塔の下から、壊されたんです」
リリスは必死に訴えた。
「魔物が来ます。街の外に潜んでいた魔族の軍勢が、今にも雪崩れ込んできます。ここはもう、戦場になるんです!」
オーギュストの眉が跳ね上がった。
周囲の職員たちも動きを止め、リリスを注視する。
結界崩壊。
それは都市防衛の根幹が失われたことを意味する。
「結界が破られただと」
オーギュストの低い声が響いた。
「あり得ん。あれは鉄壁だ。外部からの攻撃で、そう易々と落ちるものではない」
「内側からです! 内部から、術式を破壊されました!」
オーギュストが一歩、リリスに詰め寄った。
その威圧感に、リリスは反射的に身を竦めた。
「内部から、だと」
彼の声から感情の色が消え、底冷えするような理性だけが残る。
「なぜ、お前がそれを知っている」
リリスは口を開きかけ、そして閉じた。
「なぜ、ギルドにいたはずのお前が、東の塔の異変を知っている。なぜ、魔族の軍勢が潜んでいることまで知っている」
オーギュストの瞳が、リリスの深淵を覗き込むように光った。
「答えろ、リリス。お前は……あそこで何を見てきた」
メルクリウスのこと。
母アイリスのこと。
そして、自分が彼と会話をしたこと。
真実を話せば、メルクリウスとの関係が露呈する。
「それは……」
リリスは視線を彷徨わせた。
説明できない。
沈黙が落ちた。
それは、何よりも雄弁な「肯定」として、オーギュストの耳に届いた。
「……そうか」
オーギュストの手が伸びた。
その動きは視認できないほど速く、次の瞬間、リリスの視界が反転した。
喉に強烈な圧迫感。
足が地面から離れ、宙に浮く。
「がっ……!」
太い指が気管を締め上げ、酸素を遮断する。
オーギュストは片手でリリスを吊り上げ、鬼のような形相で睨みつけた。
「貴様、手引きをしたな」
「あ……ぐ……っ」
「我々が第1区画へ気を取られている隙に、貴様が結界の破壊工作を支援したのか。あの魔族たちと通じ、この街を売り渡したのか!」
彼の指が肉に食い込む。
リリスは両手でオーギュストの腕を掴み、爪を立てたが、岩のような筋肉は微動だにしない。
視界が暗転し始める。
意識が遠のく中で、オーギュストの怒号だけが鼓膜を叩く。
「恩を仇で返しおって! エヴァの献身も、ギルダの期待も、貴様にとっては利用するための道具でしかなかったのか!」
違う。
違う。
私は、ただ守りたかっただけ。
声が出ない。
涙が溢れ、オーギュストの手の甲に落ちた。
「に……げ……」
リリスは、僅かに緩んだ指の隙間から、最後の力を振り絞って声を漏らした。
「……逃げ……て……」
自分の命などどうでもいい。
誤解されたままでもいい。
ただ、愛する人たちが生きていてくれれば。
「おね……がい……みんな……死な……ないで……」
その瞳は、オーギュストへの恨みではなく、純粋な哀願に満ちていた。
オーギュストの手が、微かに震えた。
その時、東の空が赤く染まった。
轟音と共に、巨大な火柱が夜空を焼き焦がし、本物の警鐘が都市中に鳴り響き始めた。
魔族の侵攻が、始まったのだ。
0
あなたにおすすめの小説
拾った年上侯爵が甘え上手すぎて、よしよししてたら婚約することになりました
星乃和花
恋愛
⭐︎火木土21:00更新ー本編8話・後日談8話⭐︎
王都の市場で花屋をしているリナは、ある朝――
路地裏で倒れている“美形の年上男性”を拾ってしまう。
熱で弱っているだけ……のはずが、彼はなぜか距離が近い。
「行かないで」「撫でて」「君がいると回復する」
甘えが上手すぎるうえに、褒め方までずるい。
よしよし看病してあげていたら、いつの間にか毎日市場に現れるようになり、
気づけば花屋は貴族の面会所(?)になっていて――
しかも彼の正体は、王都を支える侯爵家の当主だった!?
「君は国のために必要だ(※僕が倒れるから)」
年上当主の“甘え策略”に、花屋の心臓は今日ももたない。
ほのぼの王都日常コメディ×甘やかし捕獲ラブ、開幕です。
忘れ去られた婚約者
かべうち右近
恋愛
『僕はレベッカしか選ばない』
甘い声音でそう話したはずの王太子サイラスは、レベッカを忘れてしまった。
レベッカは、王太子サイラスと付き合っていることを、ある事情により隠していた。舞踏会で関係を公表し、婚約者に指名される予定だったのに、舞踊会の夜にサイラスは薬を盛られて倒れ、記憶喪失になってしまう。
恋人が誰なのかわからないのをいいことに、偽の恋人が次々と名乗りをあげ王太子の婚約者の座を狙ってくる。おかげで不信に陥ったサイラスに、レベッカは自分が恋人だと名乗り出せなくなってしまった。
サイラスの記憶喪失を解消するため、薬師兼魔女であるレベッカは恋人であることを隠しながら、事件調査を協力することになった。そうして記憶が戻らないまま二人の距離は再び近づいていく。だが、そんなおりにサイラスの偽の恋人を名乗りでた令嬢たちが、次々と襲われる事件も起き始めて……!?
※他のサイトにも掲載しています。
毎日更新です。
夫と愛し合った翌朝、一方的に離縁されました【完結保証】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
美しい公爵夫人マルグリートは、冷徹な夫ディートリヒと共に、王国の裏で密かに任務をこなす“悪女”。
だがある日、突然夫から離婚を言い渡される。しかもその裏には、平民の愛人の存在が──。
失意の中、王命で新たな婚約者・エルンストと結ばれることに。
どうやら今回の離婚再婚は、王家の陰謀があるよう。
「悪女に、遠慮はいらない」
そう決意した彼女は、華やかな舞踏会で王に真っ向から言い放つ。
「わたくし、人の家庭を壊しておきながら悪びれない方に、下げる頭は持っていませんの。
王族であられる前に、人におなりくださいませ。……失礼」
愛も、誇りも奪われたなら──
今度はこの手で、すべてを取り戻すだけ。
裏切りに燃える、痛快リベンジ・ロマンス!
⚠️本作は AI の生成した文章を一部に使っています。タイトル変えました。コメディーです。主人公は悪女です。
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
最弱白竜ですが、なぜか学園最強の銀竜に番認定されました
めめめ
恋愛
竜の血を引く者だけが貴族になれるこの世界で、白竜は最も格の低い竜の証。
白竜の男爵令嬢リーゼロッテは、特待生として国内最高峰の王立竜騎学園に入学する。待っていたのは上位貴族からの蔑みと、学園を支配する四人の御曹司「四竜」。
その筆頭、銀竜公爵家の嫡男ルシアンに初日から啖呵を切ったリーゼは、いじめと嫉妬の嵐に巻き込まれていく。
それでも彼女は媚びない、逃げない、折れない。
やがてルシアンはリーゼから目が離せなくなり――
白竜の少女が、学園と王国の運命を変える。
身分差×竜×学園ラブファンタジー、開幕。
皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜
百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。
「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」
ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!?
ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……?
サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います!
※他サイト様にも掲載
復讐の悪女になるはずが、天使系義兄からピュアな執着と溺愛で邪魔されてます!
鈴宮(すずみや)
恋愛
サウジェリアンナ王国の王女エルシャは、不幸だった前世の記憶を持って生まれてきた。現世ではみんなから愛され、幸せになれると信じていたエルシャだったが、生後五ヶ月で城が襲撃されてしまう。
絶体絶命かと思いきや、エルシャは魔術師の男性から救出された上『リビー』という新たな名前を与えられ、養女として生きることに。
襲撃がジルヴィロスキー王国によるものと気づいたリビーは、復讐のため王太子妃になることを思いつく。けれど、義理の兄であるゼリックがあまりにもリビーを溺愛するため、せっかく王太子アインハードに近づくことに成功しても、無邪気に邪魔され計画がうまく進まない。
ゼリックの干渉を減らすためリビーは彼の婚約者を探したり、ゼリック抜きでアインハードとお茶をして復讐を成功させようと画策する。
そんな中、十六歳に成長したリビーはアインハードと同じ学園に入学し、本格的なアプローチを開始する。しかし、ゼリックが講師として学園へ来てしまい、チャンスをことごとく潰されてしまう。
(わたしは復讐がしたいのに!)
そう思うリビーだったが、ゼリックから溺愛される日々はとても幸せで……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる