奴隷魔族の私に、幸せは訪れない〜救いを求めた少女が、世界の敵になるまで〜

鹿の子

文字の大きさ
83 / 97

逃げて!

しおりを挟む
東の空を焦がす紅蓮の炎は、夜の闇を食い破り、サラスの街並みを不吉な橙色に染め上げた。

遅れて届いた爆音と衝撃波が、石畳を揺らし、建物の窓ガラスを震わせる。

オーギュストの手から力が抜けず、リリスの首を締め上げる指は、鋼鉄の枷のように食い込んだままである。

彼は燃え上がる塔を見つめ、その瞳孔を針のように収縮させた。

結界の崩壊。

魔族の侵攻。

リリスが告げた言葉は、最悪の形で現実のものとなった。

「……本当だと言うのか」

オーギュストの声は低く、地響きのように重い。

彼は視線をゆっくりとリリスに戻した。

宙に浮いたまま、酸素を求めて喘ぐ少女。

その頬を伝う涙と、訴えかける瞳。

しかし、オーギュストの目に宿ったのは理解や謝罪の色ではなく、より深く、鋭利な疑念の光であった。

情報は正確すぎた。

ギルドに監視されていたはずの彼女が、なぜこれほど詳細に、しかも即座に事態を把握できたのか。

偶然ではない。

彼女は知っていたのだ。

魔族の計画を。

あるいは、彼女自身がその計画の一部であったのか。

「総員、聞け!」

オーギュストはリリスを乱暴に地面へ放り投げた。

石畳に叩きつけられたリリスは、咳き込みながら喉をさすり、必死に空気を吸い込んだ。

オーギュストはその姿を一瞥することなく、周囲の冒険者たちへ怒号を飛ばした。

「東区画の結界が消失した! 魔族の本隊が来るぞ! 第1、第3部隊は東門へ急行し、防衛線を構築せよ! 敵を一歩たりとも市街地へ入れるな!」

冒険者たちが弾かれたように動き出す。

武器を抜き、詠唱を始め、あるいは伝令に走る。

混沌とした喧騒の中で、オーギュストは傍に控えていた二人の屈強な重装戦士を指差した。

「お前たちはこいつを……リリスを地下牢へ放り込め」

リリスは顔を上げた。

「え……?」

「拘束しろ。手足に魔封じの鎖を使え。一切の行動を許すな」

オーギュストの命令は氷のように冷徹だった。

「重要参考人だ。魔族との内通、および都市防衛機能の破壊に関与した疑いがある。尋問は後だ。今はこれ以上、好き勝手な真似をさせるわけにはいかん」

戦士たちがリリスの両腕を掴み、乱暴に立ち上がらせた。

捻じ上げられた関節が悲鳴を上げる。

「待ってください! 違います! 私は……!」

リリスは叫んだ。

自身の潔白など、今はどうでもよかった。

地下牢へ入れられれば、情報を伝えることも、誰かを守ることもできなくなる。

ギルドは標的だ。

メルクリウスは言った。

「ギルドこそが中枢だ。最初に潰す」と。

このままでは、エヴァが、オーギュストが、無防備なまま殺される。

「マスター! お願いです! 聞いてください!」

リリスは身をよじり、引きずられながらオーギュストの背中に向かって叫んだ。

「ギルドが狙われます! 魔族はここを最初に攻撃するつもりなんです! エヴァさんを……みんなを逃がして! 戦わないで、逃げて!」

彼女の声は悲痛な叫びとなり、喧騒の中を切り裂いた。

しかし、オーギュストは振り返らなかった。

彼は既に背を向け、燃え盛る東の空を睨み据え、迎撃の指揮を執る武人の顔になっていた。

「連れて行け」

短い指示と共に、リリスの体は強く引かれた。

「いやっ……! エヴァさん! オーギュストさん!」

リリスの足が石畳を擦り、抵抗の痕跡を残す。

「逃げてぇぇぇっ!!」

その絶叫は、爆発音と怒号の渦にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。

リリスは暗い路地へと引きずり込まれ、遠ざかるオーギュストの背中と、炎に照らされたギルドの看板を、涙に滲む視界の最後に焼き付けた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

拾った年上侯爵が甘え上手すぎて、よしよししてたら婚約することになりました

星乃和花
恋愛
⭐︎火木土21:00更新ー本編8話・後日談8話⭐︎ 王都の市場で花屋をしているリナは、ある朝―― 路地裏で倒れている“美形の年上男性”を拾ってしまう。 熱で弱っているだけ……のはずが、彼はなぜか距離が近い。 「行かないで」「撫でて」「君がいると回復する」 甘えが上手すぎるうえに、褒め方までずるい。 よしよし看病してあげていたら、いつの間にか毎日市場に現れるようになり、 気づけば花屋は貴族の面会所(?)になっていて―― しかも彼の正体は、王都を支える侯爵家の当主だった!? 「君は国のために必要だ(※僕が倒れるから)」 年上当主の“甘え策略”に、花屋の心臓は今日ももたない。 ほのぼの王都日常コメディ×甘やかし捕獲ラブ、開幕です。

忘れ去られた婚約者

かべうち右近
恋愛
『僕はレベッカしか選ばない』 甘い声音でそう話したはずの王太子サイラスは、レベッカを忘れてしまった。 レベッカは、王太子サイラスと付き合っていることを、ある事情により隠していた。舞踏会で関係を公表し、婚約者に指名される予定だったのに、舞踊会の夜にサイラスは薬を盛られて倒れ、記憶喪失になってしまう。 恋人が誰なのかわからないのをいいことに、偽の恋人が次々と名乗りをあげ王太子の婚約者の座を狙ってくる。おかげで不信に陥ったサイラスに、レベッカは自分が恋人だと名乗り出せなくなってしまった。 サイラスの記憶喪失を解消するため、薬師兼魔女であるレベッカは恋人であることを隠しながら、事件調査を協力することになった。そうして記憶が戻らないまま二人の距離は再び近づいていく。だが、そんなおりにサイラスの偽の恋人を名乗りでた令嬢たちが、次々と襲われる事件も起き始めて……!? ※他のサイトにも掲載しています。 毎日更新です。

夫と愛し合った翌朝、一方的に離縁されました【完結保証】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
美しい公爵夫人マルグリートは、冷徹な夫ディートリヒと共に、王国の裏で密かに任務をこなす“悪女”。 だがある日、突然夫から離婚を言い渡される。しかもその裏には、平民の愛人の存在が──。 失意の中、王命で新たな婚約者・エルンストと結ばれることに。 どうやら今回の離婚再婚は、王家の陰謀があるよう。 「悪女に、遠慮はいらない」 そう決意した彼女は、華やかな舞踏会で王に真っ向から言い放つ。 「わたくし、人の家庭を壊しておきながら悪びれない方に、下げる頭は持っていませんの。  王族であられる前に、人におなりくださいませ。……失礼」 愛も、誇りも奪われたなら── 今度はこの手で、すべてを取り戻すだけ。 裏切りに燃える、痛快リベンジ・ロマンス! ⚠️本作は AI の生成した文章を一部に使っています。タイトル変えました。コメディーです。主人公は悪女です。

私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました

放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。 だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。 「彼女は可哀想なんだ」 「この子を跡取りにする」 そして人前で、平然と言い放つ。 ――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」 その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。 「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」

お久しぶりです旦那様。そろそろ離婚ですか?

奏千歌
恋愛
[イヌネコ] 「奥様、旦那様がお見えです」 「はい?」 ベッドの上でゴロゴロしながら猫と戯れていると、侍女が部屋を訪れて告げたことだった。

最弱白竜ですが、なぜか学園最強の銀竜に番認定されました

めめめ
恋愛
竜の血を引く者だけが貴族になれるこの世界で、白竜は最も格の低い竜の証。 白竜の男爵令嬢リーゼロッテは、特待生として国内最高峰の王立竜騎学園に入学する。待っていたのは上位貴族からの蔑みと、学園を支配する四人の御曹司「四竜」。 その筆頭、銀竜公爵家の嫡男ルシアンに初日から啖呵を切ったリーゼは、いじめと嫉妬の嵐に巻き込まれていく。 それでも彼女は媚びない、逃げない、折れない。 やがてルシアンはリーゼから目が離せなくなり―― 白竜の少女が、学園と王国の運命を変える。 身分差×竜×学園ラブファンタジー、開幕。

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

復讐の悪女になるはずが、天使系義兄からピュアな執着と溺愛で邪魔されてます!

鈴宮(すずみや)
恋愛
 サウジェリアンナ王国の王女エルシャは、不幸だった前世の記憶を持って生まれてきた。現世ではみんなから愛され、幸せになれると信じていたエルシャだったが、生後五ヶ月で城が襲撃されてしまう。  絶体絶命かと思いきや、エルシャは魔術師の男性から救出された上『リビー』という新たな名前を与えられ、養女として生きることに。  襲撃がジルヴィロスキー王国によるものと気づいたリビーは、復讐のため王太子妃になることを思いつく。けれど、義理の兄であるゼリックがあまりにもリビーを溺愛するため、せっかく王太子アインハードに近づくことに成功しても、無邪気に邪魔され計画がうまく進まない。  ゼリックの干渉を減らすためリビーは彼の婚約者を探したり、ゼリック抜きでアインハードとお茶をして復讐を成功させようと画策する。  そんな中、十六歳に成長したリビーはアインハードと同じ学園に入学し、本格的なアプローチを開始する。しかし、ゼリックが講師として学園へ来てしまい、チャンスをことごとく潰されてしまう。 (わたしは復讐がしたいのに!)  そう思うリビーだったが、ゼリックから溺愛される日々はとても幸せで……?

処理中です...