公爵家の五男坊はあきらめない

三矢由巳

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23 父の賭け

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 廊下で待っていたブルーノ、ゲッツ、それにエルンストはグスタフが出て来ると安堵の表情になった。

「よくぞ、御無事で」

 そう言うエルンストこそよくも無事だったものとグスタフは思う。上着に返り血が付いている。

「怪我はないか」
「はい。とどめは刺せませんでした」

 エルンストとしてはグスタフに兄殺しの汚名をこれ以上着せたくなかったのだろう。

「公爵夫人は何と」

 ブルーノの問いにグスタフは彼女が病床にあることを告げた。

「道理で近頃姿を見せなかったわけだ」
「冬至の夜の刺客はエリーゼの策だ。コルネリウスもエリーゼが差し向けた」
「恐ろしいおひいさまだな」

 ゲッツはゲオルグが出て来たドアを見た。あのドアの向こうで妾腹の弟の暗殺の計画が練られていたとは。
 ブルーノは木箱を抱えた。グスタフが持つと言うと、未来の陛下にさせるわけにはいかないと笑った。
 いつの間に現れたのか、執事は四人を公爵の居室に案内した。



 執事はグスタフだけを部屋に入れた。
 公爵は思いのほか、しっかりとしていた。病みやつれていたが、寝台から起き上がり、ガウンを身に付けて応接の間でグスタフを迎えた。

「よくここまで来た」

 前に会った時よりもひとまわり小さくなった父に、グスタフは涙が出そうになったが堪えた。

「父上、お座りください」
「未来の王の命令とあらば、聞かねばな」

 グスタフは息を呑んだ。大きなクッションを背もたれに置いた椅子に座った父はさらに言った。

「お座りくださいませ」
「いいのですか」

 父はうなずいた。グスタフは父の正面に座った。

「公爵夫人におめもじしました。病とは御気の毒に」
「そうか。もう長くはあるまいな。わしのほうが早いと思っていたのだが」

 父の顔には苦渋がにじんでいた。グスタフの知らぬ歳月をともに過ごしてきた妻への愛情ゆえなのか。

「賭けをしたのだ」
「賭け、ですか」

 予想もしない言葉が父の口から出てきた。

「どちらが先に逝くか、わし一人だけのな。わしが先に逝けばアデリナの勝ち、アデリナが先に逝けばわしの勝ち。ゲオルグめ、侍女を籠絡しわしの食事に少しずつ毒を混ぜおった」

 グスタフはゲオルグにとどめを刺すべきだったと思った。

「病の進みがあまりに早いので妙だと思ったわしは侍女を買収しゲオルグの所業を知った。毒を少しずつゲオルグとアデリナに盛った。ゲオルグにはまだほとんど効いておらぬが、アデリナにはよく効いたようだ」
「父上?」

 正気とも思えぬ言葉だった。もしや父の病は頭の病気なのではないか。
 
「おまえを殺させぬためだ。ブリギッテの子のおまえを。どうやら賭けはわしの勝ちのようだ」

 公爵は笑みを浮かべた。何も知らぬ者が見れば、それは老人の満足の笑みにしか見えなかっただろう。グスタフにはエリーゼの微笑とそっくりに見えたが。
 
「わしの遺言はこれできちんと実行されよう。おまえに嫡出の子と同等の権利を認め公爵位を継がせると書いておいた。ゲオルグめ、遺言を見たのであろうな。それでわしに毒を盛り、おまえを殺そうとしたのであろう。おまえがいなければ遺言に何と書いてあろうとゲオルグは公爵だからな。だが、あれが倒れるのも時間の問題だ」
「父上……」
「アデリナもブリギッテを苦しめたのだから、それぐらいの代償は払ってもらわねばな」

 恐るべき家族であった。互いを憎み合い、殺すことさえ厭わぬとは。
 何もかも諦めて生きてきたグスタフには想像できぬ地獄だった。誰にも期待できぬと思いながらも領民と信頼し合う生活を送っていたグスタフは自分のいた場所は天国のような場所だったのだと今更ながら気付いた。
 ふとエルンストのことを思う。エルンスト、助けてくれ、この地獄から救ってくれとグスタフは叫びたかった。

「父上……」
「もう邪魔する者はいない。おまえはわしの与えた試練を乗り越え、レームブルック公爵となり、次の国王となるのだ。もっと背筋を伸ばせ。もっと堂々とせよ」
「父上の与えた試練?」

 公爵は息子を見つめた。

「わしは、おまえならこの屋敷に堂々と来ると思ったのだ。だからゲオルグに言った。いずれグスタフは人々の力を借りてここに来ると。あれも愚かではない。ゴルトベルガーあたりが手を貸すと察したのであろう」

 父の言葉でゲオルグは公爵邸にグスタフが来ると予期していたのだ。

「ゲオルグ一人倒せずに公爵になれるものか。わしもな、父の試練を乗り越えた。一人ではなく二人だがな」

 病の父の世迷言だと思いたかった。だが、公爵の目の光は衰えてはいなかった。
 そこへ執事が入って来た。

「そろそろ。御身体に障ります」

 公爵はうなずいた。

「うむ。グスタフ、おまえはわしのような過ちを犯してはならぬぞ」
「過ち……」
「まことに愛する者を手離してはならぬ。よいか、絶対にだ」

 そういうことだったのだ。父は愛するブリギッテと別れアデリナを妻としたことを悔いていたのだ。グスタフが生まれた後も、ヴェルナー男爵夫人が国を離れた後も。後悔ゆえに、遺言を書き、妻子に毒を盛った。そしてグスタフに試練と称して兄を殺させようとした。正気の沙汰ではない。けれど、愛する者を手離したことを過ちと言う父は哀れだった。
 いや、アデリナもゲオルグもカスパルもエリーゼもコルネリウスも。みなそれぞれに哀れだった。
 手離してならぬのは誰なのか、グスタフの脳裏に浮かぶのはただ一人だった。




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