公爵家の五男坊はあきらめない

三矢由巳

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24 黒いベールの貴婦人

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 廊下に出ると、人が増えていた。元々面会客のために置かれていたソファに禿頭のゴルトベルガー氏と黒いベールで顔を覆ったほっそりとした婦人が腰を下ろしていた。ゴルトベルガー氏の細君だろうかと思っていると、二人は立ち上がった。
 ブルーノが紹介した。

「ゴルトベルガー商会ラグランド支社支配人のブリヒッタ・マリア・ファン・デル・ヘイデンです」

 隣国ラグランド人の商人がいるのも珍しいが、それが女性というのも珍しかった。恐らく相当頭の切れる女性なのだろう。だが、ゴルトベルガー氏はなぜそんな者をここに連れて来たのか。借金の督促を得意とするとも思えない。

「初めまして、マダム」

 とりあえず挨拶するとゴルトベルガー氏は笑った。

「やはり幼い頃に別れたから覚えておいでではないようだ」

 意味がわからず、グスタフは支配人のベールの向こうを見つめた。

「グスタフ、ごめんなさい」

 息でベールが揺れた。

「現在、国境での出国者の身元確認は厳しいが、入国者の確認は緩くなっている。彼女の入国があまりにたやすかったので驚いたよ。ヴェルナー男爵未亡人だと誰も気付かなかった」

 ゴルトベルガー氏は愉快そうに言う。

「あなたが……母」

 思いも寄らぬ母との再会だった。嬉しいと感じるよりも驚きが大きかった。
 執事が咳払いをした。

「さて、それでは我らも面会しよう。ブルーノ、皆様を頼むぞ」

 公爵の部屋に二人は入った。グスタフはこれは夢ではないのかと思った。悪夢の後の夢ではないかと。

「さて、参りましょうか」

 ブルーノはそう言うと、木箱とゲッツを残してグスタフとエルンストを車寄せに移動した馬車にまで案内した。途中戦った広間を通ったが、誰も倒れていなかった。血の跡も拭かれていた。シャンデリアは何事もなかったかのように輝いていた。

「お疲れさまです」

 御者も何事もなかったような顔で三人を出迎えた。
 馬車に乗ったグスタフはどこへ行くのだと尋ねた。

「当家に公爵家の御世継を泊めるわけには参りません。後始末が済むまで、公爵家の別邸に御滞在ください」
「別邸があるのか」

 グスタフは都の屋敷と領地の館以外の屋敷があることを知らなかった。

「はい。グスタフ様がお生まれになった館です。そこにブリギッテ様は暮らしておいでだったのです。エルンストさんの御両親も働いておいででした。ブリギッテ様がラグランドに出国した後、グスタフ様はエルンストさんの一家に守られて領地まで旅をしたのです」

 ブルーノはグスタフもエルンストも知らぬことを語った。
 守られてという言葉にグスタフは母がいなくなっても自分の身には危険があったのだと気付いた。自分と生まれ月が同じエルンストにも危険が及ぶ恐れがあったのではないか。
 そういえばエルンストの父はグスタフが物ごころついた時にはすでにいなかった。乳母は何も語らないが。

「まさかエルンストの父親は俺を守るために……」
「手前はさような話は聞いておりません」

 ブルーノもまた知らぬ話のようだった。

「グスタフ様、館に入ったら公爵家の世継ぎとして言葉遣いから学ばねばなりませんね。ブルーノさん、よい先生をご存知でしたら紹介願えませんか」

 エルンストは話を変えた。

「勿論、喜んで。宮内省に伝手がありますから、早速手配します。あ、でも5日の会議が終わったら宰相閣下があれこれと手配なさるでしょう」

 話すうちに馬車は別邸の門をくぐっていた。先ほどまでいた屋敷にくらべこじんまりした屋敷だった。それでも領地の館よりは大きかったが。
 車寄せで下りたグスタフを迎えたのは、大勢の使用人だった。ゴルトベルガーの手配らしいが、皆昔からここに仕えているかのような態度と身のこなしだった。後でわかったことだが、彼らのうち年長の者は以前この屋敷に勤めていた者達だった。



 レームブルックの館の自室と比べて倍もある寝室にグスタフは落ち着けなかった。
 到着後、湯あみをし着替えた後、館に仕える者達の挨拶を受けた。その後、宰相の秘書だという男が面会を求めた。グスタフの身分を確認した後、秘書は領地での暮らしのことを細かく尋ねた。グスタフは妙なことをきくものだと思い、狩りや畑仕事の話をした。肥料の話もついでにした。
 秘書が帰った後、今度は国王の生母ディアナ妃の使いが来た。これは挨拶だけだった。
 夕食後にはゴルトベルガ―が来て、明日ヴェルナー男爵未亡人が訪問することを告げた。

「ところで、借用書の箱はどうしたんだ」
「あれでございますか。公爵様がすぐに返済の手続きをするとように執事に指示されましたので、中身と一緒に公爵家に。返済を確認した後は当方で持っている写しを直ちに破棄します」

 ゴルトベルガーはさらに語った。

「ヴェルナー男爵夫人は大した方です。ラグランドに来る前からラグランド語を勉強され、名を偽りゴルトベルガー商会のラグランド支社に秘書として入り実力で支配人になられたのですから」

 ゴルトベルガーの口調は自慢の娘のことを語るようだった。

「何故、ヴェルナー男爵夫人とわかったんだ」
「いくら隠しても貴族の気品がありますから」

 それだけでわかるものだろうか。鳩を使っているゴルトベルガー商会には独自の情報網があり、ヴェルナー男爵夫人とわかった上で雇ったのではあるまいか。グスタフはそう考えた。
 
「そうか。母を守ってくれて感謝する」
「おそれいります。こちらこそ夫人には大いに儲けさせていただきました」

 ゴルトベルガーは笑って帰って行った。
 未来の王に恩を売ったということらしい。まこと商人というのは抜け目ないとグスタフは感嘆し恐れた。


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