アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳

文字の大きさ
58 / 60
エピローグ

壱 国許へ

しおりを挟む
「我が如草会の衰退はあの時から始まったのだ」

 浜路はまじの言葉にしをりは不審げな顔をした。

「あの時とはいつの時じゃ」
「船虫よ。あれが下手を打った時にな」

 栞はなるほどとうなずいた。確かに船虫はやり過ぎた。

「船虫め、つまらぬことをしたものよのう」

 伏姫は苦虫をつぶしたような顔になった。





 ここは隅田川の向こう岸、江戸町奉行支配地域の墨引の外にある村。周辺には田畑が広がり、水田は間もなく稲刈りの時期を迎えようとしていた。
 さる商家の寮の一室にきらびやかな衣装を身に着けた五人の者が集い酒を酌み交わしていた。
 一番の年長は伏姫と呼ばれていた。その次が浜路、栞、雛衣ひなきぬと続き、一番年下が玉梓たまずさである。
 本日の趣向は八犬伝の中に登場する女性に扮するというものであった。伏姫は姫君らしく吹輪の鬘に小袖に打掛姿、浜路と雛衣は高島田の鬘に町人風に振袖に幅広の帯を合わせ襟は黒繻子しゅす、栞は若い姫らしく吹輪の鬘に振袖の打掛である。怨霊となった玉梓は片外しの鬘に白い小袖に蜘蛛の巣の刺繍を施した打掛を着て、化粧も青みを強くしていた。
 いずれも商家の提供した高価な衣装である。

 玉梓がおずおずと口を開いた。

「以前は何名ほどおいでに」
「常時十五はおった」

 季節外れの桜をあしらった簪を震わせて伏姫はそう言うと小さなため息をついた。

「それはまた」

 玉梓も小さなため息をついた。

「やはり、あの時、強引にでも船虫の息子を引き入れるべきであったな」

 栞はそう言って、盃の中身を飲み干した。富士見の酒は格別の味だった。

「ほんに。あれほどの美形は稀」

 雛衣は白い歯を見せて笑った。

「船虫の息子とは」

 玉梓の問いに伏姫がまたも答えた。

「月野の殿よ」
「ああ、あの方。確かに、男ぶりのよい方。登城の際に遠くで御見掛けするとなんとなく心が浮き立って参ります。あの方ならばさぞや美しい姿になりましょう」

 玉梓は正直だった。
 浜路は少し眉をひそめた。

「だが、あれは中身は碌なものではない。いま少し掃部守が生きておれば、隠居であったろうな」
「浜路様はあの方がお嫌いなのですか」

 そう尋ねた玉梓を浜路は睨んだ。

「好きとか嫌いとか、考えるのも癪な話」
「浜路はまこと好き嫌いが激しいのう」

 伏姫は微笑んだ。

「あの者さえおらねば」

 浜路にとって、望月月野家の丹波守慶温は政敵だった。攘夷の思想を信奉する浜路にとって慶温の主張する開国は看過できぬものであった。

「そういえば、あの方は洋装で奥方と先日写真を撮ったとか」

 栞が噂を語る。
 雛衣が身を震わせた。

「まあ、恐ろしい。魂が抜かれるのではなくて」
「あの者は大和魂がとうに抜けておるわ」

 浜路は吐き捨てるように言った。

「一体、船虫という方は何をしたのですか」

 玉梓は不機嫌な浜路を気にすることなく尋ねた。周囲の空気を読まないところは、まだ若いゆえであろう。他の者は顔を見合わせた。

「その件はまた今度」

 栞は言った。

「今度はあるのでしょうか」

 玉梓は栞を見つめた。まっすぐなまなざしに栞はうつむいた。

「確かにそうだな。次はないかもしれぬ」

 伏姫の言葉に、雛衣は顔を青ざめさせた。
 浜路は言った。

「船虫はな、我らを利用して罪を犯したのだ。我らはただ趣向を同じくする集まりであった。それを利用して人を害した。町奉行に我らのことを知られそうになった時は、肝が冷えたものよ。結局船虫は隠居幽閉された。欲に目のくらんだ呉服屋と我らは縁を切ったが、あれ以来、なかなかよい店が見つからぬので集まりにも難儀したものよ」
「なんと恐ろしい」

 玉梓は身を震わせた。

「喜久屋はまこと気の利く者であったのだがな」

 浜路は無念そうだった。

「わらわのこの鼈甲の櫛は喜久屋を通して手に入れたもの。この先、かような上物は手に入るまい。近頃は何もかも値が上がってしまった。これも異人どもと商いなどするからぞ」

 嘉永七年(一八五四年)の日米和親条約で下田と箱館が開港、安政五年(一八五八年)の日米修好通商条約の締結で神奈川、長崎、新潟、兵庫が開港、海外との貿易が本格的になった。
 その結果、主力の輸出品の生糸の価格が国際価格に近づくように上昇、それにつれて国内の物価が上昇した。
 さらに、幕府の定めた金と銀の交換比率は諸外国に比べ金が割安であったため、日本から海外へ多くの金が流出した。幕府は金の含有量を減らした万延小判を発行したため一両の価値が下がり、国内はインフレ―ションとなり物価が著しく上昇した。
 諸物価の値上げは江戸のような都市で暮らす者にとっては特に深刻だった。
 大坂の米相場だが、米の価格は一石が安政二年(一八五五年)には銀七十五匁ほどだったものが七年後の文久二年(一八六二年)には銀百七十匁余りと二倍以上になっている。翌年には銀千三百二十六匁を越えることになるのだが、彼らはまだ知らない。

「この打掛も糸の値上げでもはや同じ値で同じものは作れぬ。酒も高くなった」

 伏姫の言葉に他の者もうなずいた。

「此度の御公儀の参勤交代の緩和のおかげで江戸の屋敷の経費を節減できるのはありがたいこと」

 雛衣の言葉に玉梓も同意した。

「まことに。それがし、いえ、わらわも来月には国許に参ります。せっかくお仲間に加えていただいたのに」
「ほう、玉梓殿も国へ戻られるのか。うちも倅と奥が今支度をしておるわ」

 栞はそう言うと、ふっとため息をついた。

「国に戻るのは気が進まぬと奥は言うがな」
「そうであろう。江戸育ちの奥方には国は退屈かもしれぬな」

 伏姫は言った。彼の正室はすでに亡くなり、側室が一人いるばかりである。側室は江戸の出なので、国には行きたくないようだった。
 雛衣は目元を指先で拭った。

「玉梓さまが帰っちゃうなんて寂しい」
「仕方あるまい。御公儀の決めたことぞ」

 そう言う浜路の内心は複雑だった。





 この年、文久二年四月、薩摩藩主島津忠義の父で前藩主島津斉彬の弟島津久光が国許から千人の兵を率いて京都に入り、朝廷から在京国事周旋の沙汰を得た。朝廷の後ろ盾を得た久光は軍事力をもって幕府に改革を迫るため、朝廷からの勅使大原重徳の警護と称して六月江戸に入った。
 勅使は三度登城し、将軍と対面、松平容保や老中と会談し、幕政改革を行ない、徳川慶喜が将軍後見職に、松平慶永(春嶽)が政事総裁職に、松平容保が京都守護職に就任することとなった。
 ちなみに大名行列を横切ったイギリス人が斬殺された生麦事件は、島津久光が八月江戸から京に戻る途中に生麦村で起きている。これが翌年の薩英戦争の原因となっている。
 さて、政事総裁職となった松平慶永は参勤交代制度の改革に取り組んだ。
 これはすでにペリーが来航した嘉永六年(一八五三年)に慶永が当時の老中阿部正弘に建白している。外国の侵略に備えるために、大名の負担を減らし国力の増強を図るべきだというのである。阿部はこれには応じなかった。幕府の大名統制の基盤が崩れると考えたのである。
 だが、今回は違った。島津久光も参勤交代の緩和、妻子を国許に返すことを改革の一環として慶永に建議していた。
 老中たちの反対にあったものの慶永は粘り、結局閏八月二十二日、参勤交代制度等の改革が諸大名に発布された。
 これによって参勤は三年に一回、在府の期間は最大百日、嫡子の居所は在府・在国とも自由、妻子の帰国も自由となった。江戸屋敷も留守の家来を多く置かずなるべく手軽にするようにとされた。
 こうして江戸に住む大名の妻や嫡子の多くが国許に向かうこととなった。
 如草会の会員のうち、大名である伏姫と栞と雛衣、嫡子の玉梓もまた自身や家族が国許に近々旅立つことになっている。
 一人旗本の浜路だけは凄まじい勢いで動く世情から取り残されたようだった。
 昨年暮れに浜路の幼馴染の旗本が遣欧使節としてヨーロッパに旅立った時以上に彼の心は波立った。





 七つの鐘の音が聞こえてくると伏姫は本日はこれにてと言ってお開きとなった。次はいつかなどとは誰も言わない。
 彼らは別室で化粧を落とし、それぞれの立場に応じた装束に着替えて、それぞれの屋敷に帰った。
 伏姫は羽織袴姿で四人を見送ると、寮を提供してくれた呉服屋に丁重に礼を述べた。呉服屋は今までにない振舞に驚いた。

「御隠居様、さようなことは」
「これが最後になるかもしれぬゆえ」

 それは呉服屋も感じていたことだった。

「今日の御隠居様はまことに美しうございました。またお会いしとう存じます」
「かたじけない。そなたも息災でな」

 伏姫と名乗っていた老人は迎えの乗り物に乗り、住まいである中屋敷に向かった。
 乗り物の中でふと思う。
 ただただ美しいもの、きらびやかなものが好きなだけだった。それなのに、性ゆえにそれを身に付けることは許されなかった。美しくなりたいだけなのに。世間を惑わす不届きな行為と言われればどうしようもなかった。
 だから如草会のことを知った時、彼は同じ仲間がいることが嬉しく、すぐにそこに加わった。
 楽しい年月だった。化粧や衣装に隠された正体が露見するのではないかという恐れがいっそう美しくなれた喜びを盛り上げた。
 けれど、愚かな行いをする者が出た。そのため会員は減り、集まりもさらにひっそりと行われるようになった。あの頃元締めをしていた者はこれは御公儀の陰謀ではないかと言っていた。会を潰すための策略に船虫ははめられたのではないかと。
 果たして真実はどうなのか、今もって不明である。
 ともあれ会は細々と続いてきた。だが、世情は大きく変わった。
 この国が開国し異国のようになったら、己のような者が大手を振って振袖や打掛を着て歩くことができるのだろうか。あるいはもっと厳しいことになるのか。
 風呂敷に包まれた箱の中で簪が揺れる音が聞こえた。この簪は孫の姫に贈ろう。老人は姫の喜ぶ顔を想像し微笑みを浮かべた。





 世の動きにとまどう者がいる一方でそれを喜ぶ者もいた。
 月野家では奥方様が国許にお帰りになる支度で大わらわだった。
 幕政改革で国許に帰ってもよいことになったと知った佳穂は、国の父や兄に一目会いたいと慶温に願ったのだった。
 慶温も世情の動きの激しさを思い江戸に家族を置くのを少々不安に思っていた。
 十五歳の嫡子松丸こと季温としはるにも一度は国許を見せる必要を感じていた。
 というわけで年が明け気候がよくなったら佳穂と季温、十三歳の吉丸、十一歳の鶴を国に戻すことに決めた。季温に関してはまだ学問の途上なので、国許の政情を視察後、長崎や神戸、大坂等を旅させることにした。
 そのため、誰かふさわしい者を季温の用人に選ぶこととなった。そこで浮かび上がったのは、小姓の小林英之助であった。十七歳の若者は慶温のそばで洋学や語学を学び、父譲りの才覚を見せ始めていた。父の長岡の姓を憚り、母方の小林の姓を名乗っている。
 ただ、慶温が攘夷派から敵視されているため、剣術の出来る者もつけておきたかった。そこで慶温は今は市井にいる佐野覚兵衛に依頼した。だが、覚兵衛は国許の親戚に対して申し訳ないのでと固辞した。
 結局、田原十郎右衛門の甥にあたる玄武館の免状を持つ若者をつけることにした。
 こうして佳穂は子どもたちと望月の地へ向かった。





 富士を最初に見たのは平塚宿であった。それまでは雲が多く富士は見えなかった。
 佳穂は乗り物を下り、女達や子どもらとともに富士を見ながら街道を数町歩いた。
 それ以降は山の向こうに次第に大きくなる富士が見えた。
 箱根の峠を越え、原のあたりになると広重の浮世絵のように富士が大きく見えた。
 富士の山を東海道から見上げることなど夢のまた夢の話と思ったことがあったと思い出しながら、佳穂は目に焼き付けるように見つめたのだった。

「母上は富士のお山がお好きなのですね」

 宿場の本陣に入ると季温は言ったものだった。佳穂は微笑んだ。

「わらわは二度と見ることはないと思って江戸へ参ったのです」 

 江戸での一生奉公を決めた娘達はそう心に誓って国許から出て来るのだ。だが、今再び見ることができた。その運命の不思議さを佳穂は噛みしめた。





 女の多い旅だったので三十日近くかかったが、無事に望月領に入った。
 旅の疲れを休める間もなく、翌日から季温は領内を視察した。
 城の奥にはお園が佳穂らの世話のために詰めていた。江戸にいる時と変わりない生活ができるよう支度をしていたと聞けばありがたかった。
 数日後、佳穂の元を月輪領にいる父川村三右衛門とお春、兄彦右衛門が訪ねて来た。
 もう二度と会うことはないと思っていた家族に会えたことは何よりも嬉しかった。
 父はすっかり老いて、お春に何もかも頼りきっていた。お春はそんな父の世話を献身的にしていた。佳穂はお春に心から感謝した。この人がいなければ父は生きてはいけないだろう。
 兄の彦右衛門は父と同じように日に焼けた顔をしていた。作事の仕事が性に合うと言っていた。

作楽さくら川の堤の普請が去年終わったので一安心じゃ」

 分家の斉陽は国の治水に力を入れていた。作楽川は恵みの川だが、洪水が起きると周辺の田畑や人家に大きな被害を及ぼしていた。その堤を作るのは父が国家老をしていた頃からの悲願だった。斉陽は家督を継ぐと、すぐにその工事の計画を立てた。金策に時間がかかり工事の中断もあったが、昨年やっと完成したのだった。
 父たちが戻った後、佳穂は城代家老に月影領の堤の視察に行けぬか相談した。
 望月の城代家老は奥方様の視察に驚いた。だが、月影が故郷であったことを思い出した。
 ちょうど若殿様も治水工事を見たいと言っていたので、手配をすることにした。





 それから一か月後のこと、月野家本家の奥方様と若殿様が月影領作楽川の堤を視察した。国家老、工事に関わった作事奉行の川村彦右衛門をはじめ石森家の人々や周辺の村役人らがお供した。
 佳穂は幼い頃に歩いた作楽川の川岸を堤の上から見つめた。
 小さな世界しか知らず、この川を三途の川と思い、母が向こう岸に行ってしまったと思っていた。
 そこで出会った千代、いや慶温はもっと大きな世界を見つめていた。
 佳穂は銀色に光る川の水面から顔を上げその向こうになだらかな山稜を見せる月輪山を見つめた。

「ここは幼い頃に亡くなったわらわの母の故郷、覚えておきなされ」
「はい。国にはかように美しい山や川があり、人々の暮らしを守る者達が大勢いるのですね」

 季温はいずれ日の本を出て働くかもしれぬ。だからこそ覚えていて欲しかった。
 同時に遠く離れた江戸にいる慶温を思った。
 会いたい。故郷は美しく温かいけれど、夫のいない暮らしは寂しい。





 佳穂が江戸に戻ったのはその年の晩秋であった。
 お園は物騒な世の中になっていると止めたが、佳穂は国許で安穏としていたくなかった。
 七月には薩英戦争があり、八月には京都の政変で長州藩が京都から追われた。さらには江戸から上洛した浪士組の近藤勇らが新選組の名を拝命、九月には芹沢鴨を暗殺という騒然とした世情であったが、佳穂はひるむことなく夫とともに江戸で生きることを選んだ。江戸屋敷の奉公人は以前ほど多く雇えなかったが、贅沢を望まなければ不便はなかった。
 季温は英之助らと長崎へ旅立った。神戸・大坂を経て江戸に戻ったのは二年後の慶応元年(一八六五年)のことだった。
 吉丸と鶴は危険を避けて国許で暮らすこととなった。江戸から迎えが来たのは五年後の明治元年(一八六八年)の秋になってからのことである。


 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。 カレンと晴人はその後、どうなる?

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

処理中です...