江戸から来た花婿

三矢由巳

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第二章 天狗騒動

20 疑惑の女

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「まこと、人というのはわからぬもの」

 隆礼は我知らず、つぶやいていた。
 御分家の弾正は学問所設立の件では協力的だった。他藩出身の千崎弥右衛門に教授を依頼するのも嫌な顔一つ見せなかった。学頭を農民出身の石川勘平に任せることも許した。隆礼は警戒しつつも話のわかる人物だと思った。兄の浄文院と折り合いがよくなかったというのが信じられなかった。
 だが、今度の貞蓮院の一件は弾正には気に食わぬらしい。
 婿の玄蕃を利用したことよりも、山置家の一族である御分家の名を利用したことが許せなかったのだ。
 御しやすいかと思えば、怒りを隠さぬこともある。なかなか一筋縄ではいかぬ男だった。

「今更何を仰せですか」

 守倉平太郎は先ほどとまったく同じ表情で座っていた。
 一族の者が貞蓮院を犯し孕ませたということで、彼は慎みの処分を受けた。一か月の慎みの後、彼は頻繁に動き始めた。慎みの間に考えたことを実行するために。

「御分家が浄文院様と折り合いが悪かったのはなぜかと思っていたが、今なら気持ちがわかるような気がする」
「隠居させますか」

 一家臣、それも足軽並の分際で思い切ったことを平太郎は言う。

「そんなことはできぬぞ。三十五の婿が病気でもない三十三の舅を隠居させて家督を継ぐなど。それに、隠居になったらますます勝手をする」
「確かに」

 当主は行動に様々な制約があるが、隠居は制約の枠を離れるので比較的好き勝手ができる。隆礼は若くして隠居した栗林鈍栗を知っている。彼が趣味に金を使うので、藩主である息子はいつも頭を悩ませていた。隠居の勝手を抑えるのは実の息子でさえも難しいものなのだ。

「なれど、あの方は最後の詰めが甘い」

 それは隆礼も同意見である。彼の推理はいい線をいっているが、肝心の点で間違っていた。

「それに本当のことがわかったとしても、今更どうにもならぬこと」

 平太郎はそう言うと、すっと姿を消した。
 隆礼は隣室に控えている小姓を呼んだ。小姓は命ぜられるままに書見台と墨と紙を用意した。
 家老らの持って来た書類に目を通し、気になる箇所に付箋をして早く返さねばならなかった。国許でのんびりなど到底できぬのだ。楽しみは奥にいる満津の方と幸姫に会ったり、カステラをたまに食べることぐらいである。もっとも満津の方も下女であった頃のようにおとなしくはない。下手なことをすれば厳しく指摘される。幸姫を甘やかし過ぎだと帰国して以来幾度言われたことか。母親になると女は変わるというが、こうも変わるものかと思うほどである。
 新婚の源三郎もいずれは自分と同じような気持ちを味わうことになるかもしれぬと思うと、今のうちにせいぜい甘い生活を送るがいいと、少々意地悪なことを思ったりもする。
 慎みのせいで祝言が延期になった守倉平太郎もまた、いずれは自分と同じ目に遭うやもしれぬ。隆礼は想像し、くっと笑みをこぼした。
 小姓は主の思い出し笑いに怪訝な顔になったが、すぐに真面目な表情に戻った。





 奈加子が姉のいる座敷に戻ったのを確認した源三郎は墓掃除で濡れた衣服を着替えた。そろそろ昼も近いので、井上徳兵衛に昼飯を食べてから帰れと言うと、妻が家で待っておりますと言う。

「私がいない間、ずっと奥方と昼飯を食べていたのであろう」

 少々嫌味を交えて源三郎は言った。

「いえ、それが、そうでもなかったのでございますよ」
「どういうことだ」

 徳兵衛は辺りを見回した。

「まだ、弾正様はお戻りではありませんよね」

 徳兵衛が弾正のことを気にするのは珍しかった。

「帰って来たら表が騒がしくなるだろう」
「そうですね」

 徳兵衛は実はと話し始めた。

「玄蕃様が山置に出発した日、それがしと弥右衛門は貞蓮院の捜索の手伝いをしておりました。といっても大番組の指示で、城の近くの辻で赤子を連れた女人を呼び止め詰め所に連れて行くというだけの役目でございました」
「それは大変だったな。慣れぬ役目まことにご苦労だった」
「おそれいります。しかしながら、これはさほど大変な仕事ではありませんでした。翌日も同じ仕事でしたが、通りを通る子供連れが減ったせいで、退屈過ぎるほどでした。その翌日も同じように辻に立っておりましたところ、昼過ぎた頃、弾正様から使いがあり、すぐに評定所へ参れと命じられて、参上しましたところ、ある女のことを調べて参れと命じられました」
「ある女とは」
「城下の村から山置の西畑村の重兵衛という者に嫁いだりつという女子のことを調べろと」
「弾正様がさように仰せだったのか」
「はい。りつという女は里で子どもを産んだ後、嫁ぎ先に一昨日戻った。その女のことを調べるようにと言われまして。ですが、どこの村の出かもわからない上に、それがしも弥右衛門も土地には不案内で。寺にある人別帳を調べればわかりますので、弥右衛門と手分けして寺に参り、りつという女について調べました」

 一体、なぜ弾正はりつのことを調べさせたのであろうか。恐らく郡奉行所からの日誌を読んだからであろうが、それなら山賊の捜索をするのが先ではないのか。
 何より、その日は雨が降っていたはずである。雨の中、徳兵衛と弥右衛門は城下の寺を回っていたのだ。

「雨が大変だったのではないか」
「それは……。なれど、仕事でございますから。次の日は雨もやんでおりましたし」

 帰宅した際にやけに弥右衛門が疲れて見えたのは、二日も城下を駆けずり回ったためかもしれなかった。

「苦労をかけたな」
「大したことはございません。おかげさまで城下の寺の住職と顔なじみになれました」

 それはよかったと思ったものの、城下の範囲に気付き、はっとした。陰陽神社のある宮野村も城下に入るのである。あの近くの寺まで調べたのであろうか。

「宮野村あたりまで行ったのか」
「そちらは白川殿の弟の蔵之助が行ってくれました」

 白川の兄の常右衛門には鼠の根付をやっていたので覚えていた。弟もいたらしい。
 それでも寺の数は十以上あるはずで、それを三人でそれぞれ手分けして回って人別帳を見てりつという名を探すだけでも大変な手間である。

「それは難儀なことだっただろう」
「いえいえ。寺の衆も手伝ってくれましたので。弾正様の使いと言えば人別帳もすぐ出してもらえましたし。何より僧侶は物覚えがよいので、りつという名と年頃を聞いただけで、いるかいないか答える住職もおりました」
「で、りつはどの村の出だったのだ」
「竹野村です。五年前に西畑村に嫁いだりつという女子がいました」
「その女子の年はいくつだ」
「二十三です。ただ、子どもを産んではおりません。父親が病で倒れたので看病のため、実家に一時戻っていて、嫁ぎ先に先日帰ったそうです」
「りつの夫の名は」
「西畑村の年寄の重兵衛です」

 徳兵衛の返答に、源三郎はしばし唖然となった。何かの間違いではないのか。見落としがあるのではないか。
 だが、徳兵衛らは源三郎より丁寧な仕事をする者達である。彼に見落としがあるとは考えにくい。

「まことか」
「はい。住職が言うには、子どもを生めば泣き声がするからすぐわかると。産婆が近くに住んでいるので聞いてみると申してわざわざ寺に呼んでくれまして。産婆の話をそれがしも聞きました。子を産んではおりません」

 西畑村の重兵衛の妻りつは子を産んでいなかった。
 となると、彼女は偽りを言ったということになる。なぜ。
 
「では、あの赤子は何なのだ」
「赤子とは」

 徳兵衛は源三郎が山置でりつに会ったことを知らない。

「西畑村の重兵衛の妻りつという女を山置へ向かう峠道で山賊から助けた。りつは赤子を抱いていた」

 徳兵衛もしばし唖然となった。

「もしや、平四郎からの文にあった山賊の一件の」
「平四郎の文をそなた見たのか」
「いえ、愚妻が平四郎の妻女から文の話を聞いておりましたので。山賊に襲われた者の名前までは書いていなかったようですが」

 源三郎は猪の件を書いて壱子に送ったが、山賊のことは細かく書いていない。平四郎は山賊のことを書いていたらしい。それを読んだ妻が他の二人の妻に話したのであろう。妻というのは、そんなことまで他の妻に語るものなのであろうか。

「玄蕃様が山賊を追い払ったとも書いてあったそうです」
「追い払ったというか、あっちが刀を持った我らを見て逃げたのだ。その後、我らはりつと赤子、下女とともに山置に行き、峠の麓で別れた。」

 徳兵衛の顔色が変わった。

「もしや、貞蓮院の一件と関わりがあるのでは」
「赤子連れなので途中で引き留められて調べられたと言っていたが」

 そう、言っていたというだけで、実際に彼女らが調べられたどうかは確認していない。源三郎はそのことに気付き、恐ろしくなった。
 あの女は本当にりつなのか。誰の赤子を抱いていたのか。
 弾正は言っていた。

『そちは人のやりそうなことを考えて山置で探索をすべきであったのだ』

 人のやりそうなこと。烏天狗ではなく、人が貞蓮院と赤子を城から連れ出したと弾正は考えていた。
 しかも山置には薩摩と通じるけもの道があるとも言っていた。郡奉行の奥山でさえ、それを利用する可能性を考えていなかった。
 恐らく弾正は山置から送られて来た文書を読んで、人のやりそうなことと気づいたのではないか。だからこそ、りつのことを調べさせたのではないか。
 もし、りつと赤子が消えた貞蓮院と赤子であったとしたら……。
 だが、貞蓮院は前の殿隆迪の側室である。りつほど若くはない。それに話に聞くと、貞蓮院は長い押し込めの生活ですっかりやせ衰えてとても側室であったとは思えぬ容貌になっていたという。
 りつが貞蓮院であるはずはなかった。
 そう思った瞬間、たつの顔を思い出した。
 亥吉の言葉も。

『あの人はおりつさんと違って最後に言葉が下がらないんです』

 たつには山置の話し方の特徴がなかった。
 源三郎の脳裏にはある疑いが兆していた。だが、不可解なことも多かった。

「りつの人別帳がある寺はどこだ」
「竹野村の仙覚寺です。城下から関所に向かって一里ほどのところにある村です」
「義父上には竹野村のりつのことを報告したのか」
「はい」
「りつの家族に確認はしたのか」
「いいえ。行く必要はないと仰せで」
「調べたのはりつだけか」
「はい」
「下女のことは」
「いいえ。下女がいたのですか」

 弾正は徳兵衛らの調べで満足したらしい。だが、恐らくそれでは不十分だ。なぜなら、下女のたつについても調べる必要があるからだ。たぶん義父は下女を取るに足りぬ身分と思い、大して注目していなかったのだ。あの日の源三郎も同様であった。だが、それこそが盲点だったのではないか。

「よし、行こう。行って家族にも会ってみよう」
「今からですか。弾正様とお昼を召し上がるのではありませんか」
「義父上はまだ帰って来ておらぬ。待つ時が惜しい。厨で飯を握ってもらうさ。おぬしの分もな」

 そう言うと、源三郎は刀掛けに先ほど置いたばかりの刀を腰に差した。
 亥吉を呼び、厨に行って飯を三人前握ってもらうように頼んだ。



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