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第六章 査察団

04 査察

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 サカリアスの部屋は中央の階段に一番近い部屋だった。やはり二間続きで寝室は奥にあった。
 カルモナがドアを開けたので、サカリアスはアマンダを抱いたまま部屋に入れた。
 ソファにそっと座らされてアマンダはほっとした。サカリアスの顔がすぐそばにあるというのはなんだか落ち着かないし、何よりその圧力に圧倒されそうになる。
 だが、男性であるサカリアスの部屋にこのままいるわけにはいかない。礼を言って部屋を出なければと思っていると、カルモナが声をかけた。

「お茶を用意いたしましょうか。それともコーヒーがよろしいですか」

 ここで飲み物を頂いたら部屋を出にくくなってしまうと思い結構ですと言おうとすると、サカリアスは間髪入れず言った。

「喉が渇いているはずだから冷たいレモネードがいいだろう。私はジンジャーエールを」

 カルモナが下がると入れ替わりにビクトルが入って来た。

「お邪魔するよ。先ほどは本当にひどい目に遭ったね。これは僕の責任だ」

 アマンダに向かってそう言うとビクトルはアマンダの前のソファに腰かけた。サカリアスはその斜め前に座った。

「大丈夫です。でも、アルマの前でああいうことをするのはどうかと」
「あれくらいしないと、あの女はわからんのだ」
「確かにそうだね。彼女の鈍さは大したものだ。あれじゃ幽霊や妖怪も近寄らない」

 ビクトルは笑ったが、サカリアスは逆に不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「それにしても一体どういうことなんだ、あの女がここに来るとは」
「査察だよ、内務省の」
「え?」
「内務省がスタジアムの一件で査察に入ったんだ。で、その代表の特別査察官として来たのがモラル伯爵さ。どこで知ったか娘は叔父さんがこっちにいると聞いてついてきたのさ」
「公私混同だな。まさかあの娘の運賃まで公金が支出されてないだろうな」
「あの体格だと確実に特別料金だね」

 宇宙船では水と空気はただではない。また宇宙船の燃料費の問題もある。極端に平均値を離れた体重の人間は割増運賃になる。

「だが早過ぎないか。内務省がこんなに早く動くとは」
「ブルーノ叔父さんのことだから、少しでも侯爵夫人の落ち度を見つけて領地を奪いたいのかも。たぶん事件発生の最初の報告を受けてすぐに査察の準備をしたんだろうな」

 アマンダは聞いているだけで恐ろしくなってきた。皇帝の一家は決して一枚岩ではない。それどころか、豊かな所領を持つ姉からそれを奪うために弟が即座に行動に移すとは。

「首都星系からフジ星系へのワープ、30分だったらしい」
「それはまた早いな。軍艦並だな」

 ワープは空間のねじれを故意に作って移動する航法だが、通常はあらかじめ決まった場所でワープする。恐らく軍艦のように最適な場所を計算して移動したのだろうとサカリアスは考えていた。

「並じゃなくて、そのものだよ。首都星の月の宇宙軍基地から軍艦使って来てる」
「宇宙軍の軍艦だと。馬鹿な」

 内務省が宇宙軍の軍艦を使って査察に来るなど前代未聞だった。

「軍艦なら運賃はいらないからアルマ嬢一人加わっても運賃はいらないしね」
「そういう理由か。ケチな話だ」
「出版社の関係者の話じゃブルーノ叔父さん、借金の返済迫られてて相当苦しいらしい」
「どこの出版社だ」
「ほら、よく政治家の醜聞を報道して発禁になるとこ」
「ああ、あの三文記者どものいる」
「三文て失礼だよ。皆命懸けて書いてるんだから」
「くだらん記事も多いだろ」
「だけど、正確な情報を持ってる。叔父さんはバンデラス伯爵領の一部を抵当に入れてガスパル叔父さんから金を借りてるっていう話だよ」

 アマンダは絶句した。領地を抵当に入れる。まるでかつてのアギレラ大公のやった借金のようである。

「バンデラス伯爵の称号を返上してしまえばいいんだ。領民もたまったものではなかろう」

 サカリアスは怒っていた。領地も領民も領主の財布ではない。領主が守るべきものなのだ。それを借金の抵当にするなど領主失格である。
 
「ちょうど侯爵夫人が政庁に戻った時に、連中が来たんだ。ただでさえ忙しいのに、連中の相手で政庁は大混乱さ。そのどさくさに紛れてモラル伯爵がこれからルーベンスに調査に行くから娘を頼むときたもんだ」
「それならホテルにでも泊まらせればいいだろ。どうしてここに」
「車に乗ってたんだ。後部座席を見て仰天したよ。運転手も困ってるし。あれをどかすのは無理だった」
「図々しいにもほどがある」
「だけど、査察の結果に影響するとまずいから仕方なく乗せた。彼女が父親に話してゲバラ侯爵夫人の失策でスタジアムの事故が起きたとか、領主として適任ではないとか報告書に書かれたらまずいだろ」

 アマンダは先ほどのサカリアスの行動を思い出した。あれは確実にまずい。

「それでは、殿下が先ほど私を連れ出したのはまずいのではないですか」
「うん、まずいよね」

 ビクトルが頷いた。サカリアスはぐぬぬと唸った。

「だが、さっきも言ったようにあれくらいしないとあの女は引き下がるまい。査察に影響するからと、あの女を調子に乗せてもろくなことにはならない。大体、査察の報告書が調査官以外の人間の一言で書き換えられるとしたら、そんなおかしな話はない」
「建前上はね。だけどモラル伯爵ならやりかねないよ。娘を溺愛してるから」

 侯爵領を欲しがっているバンデラス伯爵ブルーノ、娘をサカリアスに嫁がせたがっているモラル伯爵、双方の思惑を考えると頭の痛い話だった。



 カルモナが飲み物を持って来たのでいったん話は中断した。頼んでいなかったのにビクトルにもジンジャーエールが出された。

「ありがとう。あの客用寝室のお嬢さんにも何か飲ませてくれ」
「先ほど、菓子と茶を所望されましたので、リンゴのケーキを出しました」

 アマンダは胸やけがしそうだった。さっきパンケーキとストロープワッフルを食べたばかりではないのか。さらにリンゴのケーキを食べるとは。

「屋敷のケーキも食いつくされるかもしれないな」

 サカリアスがそう言うと、カルモナは少し不安げな表情になった。

「それは困ります。皆様の今夜のデザートがなくなっては」
「厨房に頼んでくれ。あのお嬢さんのために三日間ほど食事の量を増やすように」
「かしこまりました」

 カルモナが部屋を出た後、サカリアスはジンジャーエールを口にした。

「甘い物は疲れた時に食べるから美味いのだ。ところで、さっきの続きだが、査察団の人数は?」
「内務省の役人8人とモラル伯爵、それからファン・エッセン査察局長」
「ファン・エッセンか。バンデラス伯爵の腰巾着だな。ということはどう転んでも侯爵夫人に非があるという報告書になる。だったら、伯爵令嬢に非礼な振舞をしてもしなくても結果は変わらんということだな」

 サカリアスの言葉にアマンダは呆れた。

「強引に来たにせよ、お客様に非礼はよくないと思います」
「父娘して常識の通じる相手ではないのにか」
「考えようによっては、ここに置いてたほうがいいよ。ホテルに泊めたら、クレームの嵐で大勢のホテルマンが迷惑する。ベッドやバスタブが小さいとか、食事やデザートの量が少ないとか、アメニティが気に入らないとか。民間人を守るためには多少は我慢が必要だよ」

 ビクトルは肩をすくめた。

「それじゃ僕は失礼する。ひと眠りしたら政庁に行く。侯爵夫人を守らないとね」
「夕飯はどうするんだ」
「政庁の食堂が残業用に用意してくれてるんだ。結構うまいよ」

 ビクトルは足取り軽く出て行った。サカリアスには甥が以前よりもたくましくなったように感じられた。

「私も失礼します」

 アマンダは立ち上がった。

「どこへ行くつもりだ」

 サカリアスがアマンダの前に立ちふさがった。

「従業員住宅に行き」
「駄目だ」

 言葉と同時にアマンダはサカリアスの両腕に抱き締められていた。父親や弟以外の男性にこんなふうに抱き締められるのは初めてだった。目の前にはたくましい胸を覆う上着しか見えない。うっすらと匂うのは汗だろうか。

「だ、駄目なのは殿下です。こんなこと……。三日考えさせてくださるのでは」
「私は考えるために必要な材料を提供しているのだ。どうだ、私の匂いは? 私の声は? 私の腕の感触は?」

 そんなことを聞かれても答えることなどできるはずがなかった。サカリアスは皇子なのである。その体臭を評価するなど不敬もいいところである。
 
「私には、アマンダの声も香りもすべてが好ましい」
「香りは化粧品の匂いです」
「化粧の匂いはつけている女性の体臭を引き立てる効果があると聞いたことがある。つまり化粧しなくても、アマンダの香りはきっといいに違いないのだ」

 薪のように太い腕から離れられぬまま、アマンダは次第に朦朧としてきた。サカリアスの身体から発散される熱と汗が混然一体となったものがアマンダの身体にまとわりついているようだった。
 このままではサカリアスに一方的に事を進められてしまうのではないか。不安が胸をよぎると同時になぜか離れたくないとも感じている自分がいるのが不可解だった。

「私はこうしていると幸せを感じる。古人は考えるな、感じろと言ったそうだ。考えるのも結構だが、アマンダは今何を感じている?」

 そんなことを聞かれても何と答えていいかアマンダにはわからない。

「そこまでです、殿下」

 突然の声にサカリアスはぎょっとして振り返った。
 作業着のレオポルドがドアの前に立っていた。ビクトルはわざとドアをきちんと閉めなかったらしい。 




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