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第九章 鬼起つ

13 弟

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 マルガリータは機動力のある巡洋艦だった。その上航海士のヒルベルト・カシワギの判断力と決断力のおかげでワープも順調だった。おかげでケプラー星系の中心星クリスティの月基地に予定よりも三日早く到着した。
 スーシェ基地からシャトルで急遽やって来たイグナシオ・ブルーノ大佐は基地の貴賓室でサカリアスの顔を一目見るなり、少し太ったな、身体が鈍ってるんしゃないかと言った。少将であり公爵である人物に対するあまりに非礼な言動に周囲の人々は非難の眼差しを向けた。
 だが、サカリアスにしてみれば普通の挨拶だった。

「体脂肪率に変化はないが、1.5キロ体重が増えた」
「こっちは太る暇もない。なにしろ、コーンウェルの騒ぎやらいろいろあって」
「H・F・Mの修理は」

 そう言った途端にファン・ソーメレンが現れた。

「格納庫見せてもらえませんか。私は軍務省企画開発部の」
「ファン・ソーメレン部長でしたね。ええ、どうぞ」

 イグナシオの耳にはすでにファン・ソーメレンの噂は入っていた。

「海賊掃討部隊の隊長、タメスゲン氏にお会いしたいのですが」
「隊長も第二格納庫にいます。連絡していますのでどうぞ」
「ありがとう。それじゃ、ちょっと行って来る」

 ファン・ソーメレンは銀色の長い髪をなびかせて格納庫に向かった。

「噂以上の美形だな」

 ファン・ソーメレンの容貌はすでにスーシェまで聞こえているらしい。

「ただの美形じゃないぞ」
「知ってるよ。E・C・Mで同僚だった男から聞いてる。彼の恋人は人工頭脳だとか」
「恋人だったら、もう少しましに躾けて欲しいもんだが」
「なるほど、恋人は躾けるものなのか」

 意味深な顔でイグナシオは言った。
 もしやアマンダのことで何かあったのかとサカリアスは人払いをした。
 だが、イグナシオの話はレオとサリタのことだった。
 
「ゲバラ侯爵夫人の配下が二人についている。で、俺の部下にも観察させている。レオは軍隊の中だから心配ないんだが、サリタの学校に白竜会のチンピラの女がいた。で、サリタから引き離した」
「どうやって?」
「ちょうどヨハネスの警察は白竜会の摘発に乗り出していた。法務大臣もたまにはいいことを言うもんだな。だからタレこんだのさ。ある家で白竜会のチンピラが女や仲間と違法な薬をやってるってね」
「それで女は捕まり退学、というわけか」
「ああ。更生施設に行った。まったく看護学校にああいう女がいるとはな。チンピラの女になったばっかりにな」

 女の運命は男次第。いや、人は皆関わり合った人間次第なのかもしれぬとサカリアスは思う。
 レオポルド・ホルヘ・サパテロという男がエスメラルダという女と出会わなければ、アマンダもレオもサリタもまったく違う人生を生きていたに違いないのだ。

「ところで軍務省第三庁舎の件だが」

 サカリアスが水を向けるとイグナシオが頷いた。

「聞いた。爆弾を仕掛けた犯人は捕まったんだろ。で、白竜会の下部組織の関係者だとわかったと」
「え?」

 イグナシオの話の前半は知っていたが、後半は知らなかった。
 白竜会が関わっているということはフラビオが関わっているということである。リートフェルトの話では二人刺客が送られ失敗したので爆弾を仕掛けたという。並々ならぬ殺意である。
 そこまでしてフラビオはサカリアスを殺したいらしい。一体、何故なのか。弟のサカリアスが兄である彼に何をしたというのか。
 長兄のガルベス公爵アレホが借りていたビダル公爵邸を奪われたので恨むというのならわかるが。まさか、長兄はフラビオにサカリアス殺害を依頼したのではないか。

「三次団体の組織の準構成員の手下だ。要するにチンピラだな。事件前に破門になってる」
「その情報どういうルートで入ってきたんだ」
「まあ、いろいろと。そっちにもおっつけ入るだろ。白竜会はひと悶着ありそうだな」
「フラビオに敵はいないだろ」
「それがそうでもないんだな。前の会長の部下だった連中がまだ残ってるんだ。この件がきっかけで組織が壊滅させられる恐れがあれば連中がフラビオを警察に売るってこともありうる」
「フラビオが黙ってやらせると思うか」
「当然、抗争だな」

 暴力の応酬が組織の中だけで済むはずがない。彼らは拳銃どころかロケット弾を持っていることもあるらしい。関係ない一般市民を巻き込む恐れは十分ある。

「チャンドラーでも気を付けたほうがいい。あっちにも白竜会の息のかかった組織がある。ドミンゴ一味の残党が市民を虐殺した後に炊き出しをして市民から感謝されてる組織もあるらしい。炊き出しをしたからといってそれまでの罪が償えるわけもないのにな」
「まるで犯罪帝國の皇帝だな、白竜会会長というのは」
「まったくだ。しゃれにもならない。こっちも気を付けるが、どういう手段でくるかわからないからな。油断はするな」

 違法な薬を一般市民に売り莫大な利益を得、富を蓄え配下の組織を支配する一方で市民に炊き出しをして支持を得る。やり方は国家の運営とは違うが、フラビオはまさしく闇の帝國の皇帝だった。
 そんな男が命じれば従う者たちは大勢いるに違いない。それこそチャンドラーで生き残り彼らに助けられた恩義を感じてどんな命令にも従う者がいてもおかしくない。相手が皇子で公爵、少将であろうとも。

「とりあえず同行させてもらう」
「ありがとう」

 イグナシオがいれば心強い。
 突然貴賓室のドアが開いた。またもファン・ソーメレンだった。

「公爵閣下にはこちらの基地に恋人がおいでではありませんか」

 胡乱な話である。

「何の話だ?」

 イグナシオの問いにファン・ソーメレンは肩をすくめた。

「格納庫で公爵に会わせてくれと言う少年がいまして。隠し子というにはいささか年長で。閣下には女性の噂がありませんので、もしや恋人ではないかと」
「残念だが恋人ではない」
「そうですか。少年はこれからスーシェの基地にある工科学校にシャトルで戻るからその前に会って頼みたいことがあると言うんです。田舎にしては珍しいサパテロという姓でしてね」

 イグナシオはあっと小さく叫んだ。

「レオだ」
「え?」
「実習で月に上がってて。昨日で修了したから今日帰ることになってる。マルガレーテが予定より早く着艦したのでシャトルの出発が遅れてる。さっき言うつもりだったが第三庁舎の件を訊かれて言いそびれたな」

 心当たりがあるらしいとわかりファン・ソーメレンは安堵した。新手の刺客ならすぐに身柄を拘束せねばならなかった。
 サカリアスはレオに一度だけスーシェの格納庫で会っている。生意気な言動をしていたが、意欲があるのがよくわかった。
 アマンダに成長した姿を一目でも見せてやりたかった。

「なかなかいい学生らしい。リーダーシップをとって実習生をまとめてたそうだ」
「今どこにいる?」

 ファン・ソーメレンはドアに目を向けた。

「この外に」
「会う」

 ファン・ソーメレンはドアを開けた。そこには敬礼する学生がいた。

「入れ」

 大人になったとサカリアスは思った。背丈はさほど変わらないが、物腰が兵士らしくなった。目の前でドアを閉める動作も姿勢もきちんとさまになっている。

「失礼します。スーシェ宇宙軍基地聯合帝國軍第81工科学校学生ウンベルト・レオン・サパテロです。ビダル公爵閣下にお目通りを願いたく……え? カリス中尉?」

 サカリアスを見た彼の目にとまどいの色が見えた。

「学生ならまだ知らないと思う。私はウーゴ・カリス中尉と名乗っていたがこれは仮の名だ。まことはサカリアス・アルフォンソ・ベテルギウス。ビダル公爵に叙せられた」

 それを聞きレオは何事かを決意したかのような顔つきになった。

「それなら話が早いです。閣下はパイロットとして海賊ドミンゴ一味の残党掃討に参加しておられたはずです」
「いかにも」

 サカリアスは一体少年が何を頼もうというのか耳を傾けた。

「自分の父と姉はその戦いに巻き込まれて死んだと知らされました。葬儀もありました。ところがある人が死体が見つからないということは生きているのではないかと言うのです」

 ある人。一体誰なのか。サカリアスはちらっとイグナシオを見たが、目が違うと言っていた。

「何か父と姉のことで御存知のことはありませんか。ほんの些細なことでいいんです」
「残念だが、君に教えられるようなことは何もない。君の父上と姉上に謹んでお悔やみを申し上げる」

 こういう時、サカリアスは自分の表情は便利だと思う。あまり大きく表情を変えないので、見る側によっていろいろな表情に受け止めてもらえる。怒っていると思われることが多いのが難点だが。
 そして少年は素直に怒っている顔だと受け止めた。一般市民が何をくだらないことを言っているのだと不機嫌になったのだと考えたのだ。

「実は、父は過去にアギレラ大公と呼ばれていたそうです。自分はそんな記憶がありませんし、普通の市民として育ったのでいまさら爵位などいりません。でも、父がそういう身分であったにも関わらず遺体もなく葬られたのは納得できません。皇帝陛下からお悔やみの言葉を賜ったのは有難いことで自分は不敬なことを申し上げているのかもしれません。ただ万に一つでも生きている可能性があるなら、諦めたくありません。あの日、周辺に民間のクルーザータイプの船舶が航行していたということも聞いています。あんな宙域に来る民間の船といったら違法薬物の取引をする組織のものぐらいだと思います。だから助けられても父も姉もひどい目に遭っているかもしれません。もしそうなっていたらどうか閣下の力で助けていただきたいのです」

 何も知らないレオの真摯な言葉にサカリアスは本当の事を言いたくなった。だが、それはできない。父と娘が再びアギレラの名を利用されないように、死んだことにしておかなければならない。二人が晴れて再び弟と妹に会える日はサカリアスが皇帝になった時だ。それまでは絶対に言えない。

「君の気持ちはわからないでもない。家族を突然失い、遺体も見つからない。死を信じたくないのも当然だ。だが、現実は受け入れなければならない」
「だけど」

 レオのすがるような眼差しがサカリアスの胸に突き刺さった。

「それから忠告しておく。なんとか大公やなんとか公爵というのは、他人から利用されやすい。君の出自は絶対に他人に話してはならない。たとえ同じ工科学校の友人であってもだ。その気がない者であっても君のことを知ったらその名を使って詐欺を働こうと思いついてしまうかもしれないからだ。君の名が彼に罪を犯させることになるのだ」

 イグナシオは壁の時計を見た。

「そろそろシャトルの集合時刻だ。基地に戻るまでが実習だ」
「公爵閣下、自分は諦めません」

 そう言うと、レオは敬礼して部屋を出た。

「若いっていいですね、怖さを知らない」

 ファン・ソーメレンは呟くように言った。
 彼が部屋を出た後、サカリアスはイグナシオにレオの画像がないか尋ねた。イグナシオは実習の試験の動画ならある、あとでコピーを送ると言った。
 数日後、その動画を受信したアマンダの心が慰められたのは言うまでもなかった。
 



 
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