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第九章 鬼起つ

36 貴族の怪談

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 四人の皇子と侍従長のやり取りを背に三人は後部座席に逃げるように駆け込んだ。
 運転手がトランクに荷物を入れ終わるのが待ち遠しかった。
 発車すると三人は同時に大きくため息をついた。

「なんだかとんでもないことばかり」
「私も長年ホテルに勤めていますが初めてです」

 ミランダとアルバは顔を見合わせていた。
 アマンダは現実とは思えない出来事の連続で疲れをどっと感じていた。
 これは現実なのだろうか。皇帝と二人で食事をし話し、そこへ高利貸しをしている皇子が乱入し営業停止に苦情を言ったり、宮殿前に乗りつけた車から四人の皇子が出て来てヤクザ顔負けの言葉を口にしたり。もしこれが夢なら悪夢としか言いようがない。
 ホテルに到着しエレベーターで部屋に戻りロサリオ・トルレスの顔を見てやっと現実に戻った気がした。

「いかがでしたか、宮殿は」
「ヘンドリカ・ヤヨイ・ゴジョウの言っていた通り、予想外のことだらけ」

 アマンダはそう言ったものの後宮でのことは話せなかった。その代わりミランダがアマンダだけ特別に皇帝と食事をしたことや別室で食べた夕餉が格別だったこと、宮殿車寄せでの出来事等を語った。

「まあ、ではあのフーゴ男爵を見たのですか」

 ロサリオは目を丸くした。

「まさか名乗ったりはしていませんね」
「はい。あちらから名乗られなかったので」
「よかった。名を知られたら何をされるかわかったものではありません。狂犬ですからね」
「狂犬?」
「高等学校を暴力行為で退学になったのです。それはもうひどい乱暴者で。法曹関係者の間では少年法の適用では済まないと噂になっておりましたから。でも皇帝陛下に忖度して逮捕できなかったのです。それでますます増長したのでしょうか。白竜会という反社会組織を乗っ取って牛耳るようになったのです」

 お茶を持って来たアルバが頷いた。

「当ホテルでも白竜会関係者は利用をお断りしています。フーゴ男爵もです」

 アマンダは少し安堵した。このホテルの中にいれば少なくともフラビオに会う心配はないのだ。

「他の皇子殿下は利用できるのですか」

 アルバは顔を曇らせた。

「お嬢様は今後宮殿に出入りすることが増えそうですからお教えしておきます」

 やはり皇子たちはホテル関係者にとってもいろいろ問題があるらしい。

「第一皇子殿下から第七皇子殿下までは首都のホテル協会所属のホテルでは利用をお断りしています。表向きは設備が不十分で殿下のお求めになるサービスを提供できないという理由です。第八皇子殿下はホテルを利用されたことがありませんし、第九皇子殿下はまだ中等学校の生徒ですから今後はわかりません」
「反社会組織以外に何か問題があるのですか」

 アルバはため息をついた。

「どなたがどういうことをという話は具体的に申せませんが、二人用の部屋に定員外の御婦人を入れてご利用になったり、部屋の高価な備品がなくなったり、大量の高級アルコール類を注文されて支払いをされなかったり、カジノではなくホテルの部屋で賭け事をなさったり、いろいろとございます」

 アマンダはサカリアスから聞いていたのでさもありなんと思ったが、ミランダは呆気に取られていた。

「まったく自分の広い屋敷があるのに、ホテルに迷惑をかけるなんて」

 ミランダの言葉は当然の感想だった。貴族の屋敷は庶民の家の面積の数百倍もあるのだ。
 アマンダは気分を変えたくなった。皇子たちの恐ろしい振舞など聞きたくなかった。

「そんなことよりお土産を見ましょう」
「食べ物なら賞味期限がありますからね。確認しないと」

 というわけで女性達だけで大きな袋に入った土産を開けてみた。
 まずは菓子。ドラゴンと薔薇と獅子を組み合わせたベテルギウス家の紋章入りの饅頭と呼ばれる日本式の菓子四個入の箱が五つ。葉巻の入った紋章入りの箱一つ。紋章入りノート10冊パック。紋章入り板チョコレート10個。紋章入りの缶に入った高級紅茶。他にも紋章の入った袋に入った菓子やコーヒー等等がぎっしりと詰められていた。どれも賞味期限に十分な余裕があった。もう一つの袋は繊維製品のようだった。

「福袋みたい」

 アマンダはヨハネスの商店街で新年に売られていた福袋を思い出した。就職して初めて食料品店のものを買ったが、価格以上の食品が入っていてお得感があった。

「ああ、福袋。日本系の商人が始めたものですね。首都ではヤマダ百貨店が150年ほど前に始めています」

 ロサリオの知識は経済学の書籍からのものだった。

「さしずめ皇帝陛下福袋、ですか」

 ミランダの表現に思わずアマンダは笑ってしまった。

「でも宮殿の売店に売っていないのもありますね。この葉巻とか紅茶」

 アルバの言葉にアマンダは驚いた。

「宮殿に売店があるの?」
「ええ。貴族が陛下に拝謁した後、土産等を買えるように。でもお菓子などは下賜されますから、買うのは貴族よりも臣下ですね。きっと私達が買う余裕がなかったので陛下がくださったのでしょう」

 アマンダはアルバにに饅頭一箱とチョコレート一枚、マルセリノにはそれに加えて葉巻を感謝を込めて贈ることにした。

「お気遣いありがとうございます。しかしながら私どもはホテルから報酬を受け取っております。当たり前の仕事をして頂くわけには参りません」

 マルセリノは毅然とした態度であった。アルバも同じように丁重に断った。
 結局マルセリノとアルバは一切受け取らず深い礼で感謝を示しただけであった。
 二人の仕事への矜持にアマンダは心動かされた。考えてみればアマンダも会社で働いている時、仕事に対して報酬以上のものは求めなかった。感謝の言葉だけで十分だった。
 二人が控え室に引き上げた後、アマンダはドレスを脱いで風呂に入った。
 風呂から上がるとミランダが彼らは公務員ではないのではないかと話していた。アマンダにはわからなかった。

「公務員に見えないように振る舞えるのですよ」

 ロサリオはそう言うと部屋の壁の映像端末のモニターの電源を入れた。
 ちょうどニュースが放送されていた。

『……金融局はコンベニエンサの営業停止を決定しました。それに対して経営陣が金融監査委員会に不服を申し立てるかどうかが今後の争点になりそうです』

 ガスパルの会社の件はとうとう公になり報道されることになった。女性キャスターに横から紙が手渡された。どうやら緊急のニュースらしい。

『ただいま入ったニュースです。コンベニエンサの最高経営責任者であるバカ男爵ガスパル殿下が逮捕されました。罪名は……不敬罪及び暴行罪です』

 キャスターの顔に明らかに驚きの色が見えた。ロサリオもミランダもアルバが入れた紅茶のカップをテーブルに置いて画面を凝視した。映し出されたガスパルの顔写真は皇子らしく引き締まったもので、アマンダが実際に見たものとは違っていた。後宮で皇帝に怒鳴りこむと不敬罪になるのだろうか。

「皇帝の息子が不敬罪って、何をしたのでしょう」

 ミランダの問いにロサリオは答えずキャスターの話に耳を傾けた。アマンダもじっと画面を見た。

『バカ男爵、いえ、先ほど男爵号を剥奪されたのでガスパル皇子は、コンベニエンサの営業停止の決定を知り皇帝陛下の食事の場に押し入り陛下に罵声を浴びせただけでなくティーポットをテーブルに投げつけ同席していた某子爵家令嬢のドレスに紅茶のしみをつけました』

 ミランダとロサリオはアマンダを見た。

「たぶん私のことね」

 後宮のことは秘密と言われても、ここまで報道されたら二人に言わないわけにはいかない。

「そんなことがあったのでございますか。何と恐ろしい。私は何も存じ上げず」

 ミランダの声は震えていた。

「大したことじゃないから。紅茶のしみがついただけ。あのドレスの染み抜きは普通の業者ではできないそうよ。宮殿出入りの業者でないと。とんだ物入りね」
「そういう場合、染み抜きの補償はしてもらえます」

 ロサリオが言うからそうなのだろう。

「よかった」
「それにしても、宮殿内のことをこのように報道するとは、宮殿の広報が変わったのでしょうか」

 ロサリオが言うには宮殿内のことはめったに詳しい報道はされないらしい。以前ならこういうニュースはバカ男爵が逮捕され男爵号を剥奪されたとしか報じられなかったという。
 ふとアマンダは宮殿の車寄せの出来事を思い出した。あの男達は恐らくコンベニエンサの件で皇帝に会いに来たのだろう。アマンダを呼び止めたフーゴ男爵フラビオにとって裕福な弟は金づるだったのかもしれない。それが営業停止になり弟は逮捕され男爵号を剥奪された。そしてその罪状は広く首都に報道された。
 これは皇帝の意思かもしれないと思った。たとえ息子であろうと罪を犯すものは償わせるという。それを押し掛けた息子たちに伝えるために報道させたのではないか。

「見せしめかもしれない」

 アマンダの呟きをロサリオは否定しなかった。



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