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第二章 果報者
13 喜びと悲しみと
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その年は雨の多い年であった。隣接する家中で山津波の被害が出て、当家は御公儀からお手伝い普請をするように命ぜられた。たいそう難儀をし、金も人も使って普請をしたと聞く。終わったのは翌年の三月であった。
珠姫と賀津姫の祝言の支度や阿弥の方の衣装など、例年より出費が多くなっていたから、国許の奉行らは苦労したに違いない。実は祝言の支度金が少々足りなくなったゆえ、わらわが実家から嫁入りの時に持参した化粧料からもいくらか出した。いつぞや、わらわの化粧料に手をつけた女どもが実家に引き取られた後、豊前守はその分を補填していた。恐らく留守居役がうまく交渉してくれたのであろう。おかげで賀津姫の道具は珠姫に劣らぬ物になった。国許の御年寄の浮橋は江戸から参っておるから、下手な道具を持たせるわけにはいかなかった。
金の話はこの辺にしておこう。
十月、珠姫の結納が行なわれた。
その翌日に、阿弥の方の懐妊が判明した。医師の見立てでは来年の夏ごろに生まれるのではないかということだった。
これまでも幾人もの女子が若殿の閨に侍った。なれど誰も懐妊することはなかった。やはり国許の女子は違うのであろうか。何はともあれめでたいこと。わらわにも美伊の方にもできなかった男子出産を願い、神仏に祈願した。
その少し前には和泉守に嫁いだ登与姫の懐妊もわかった。翌年国許へ行く美伊の方にとってはこの上もなき朗報であった。
年明けて二月、登与姫が男児を出産した。
若殿様のお供として美伊の方も和泉守の屋敷に行った。初めての孫に会った美伊の方の喜びを思うと、わらわもなぜだか嬉しかった。
若殿の寵愛を一身に受けていた美伊の方は、わらわにとって同じ男を巡る仇同士と人は思うかもしれぬ。なれど、力はわらわの方がはるかに強い。同じ立場ではない。仇などとはおこがましい話である。なれど、美伊の方が上屋敷の奥方様や貞眞院様とすでに築いた関わりを知るにつけ、己の立場に寂しさを感じることもあった。
幸いなことに、若殿との関係が深まり、子を産み、殿様や奥方様、貞眞院様らとの関わりが豊前守家の人々との関わりよりも深くなると、美伊の方との間も変わった。美伊の方もまた命がけで姫達を生んだのだと思うと、単なる奉公人とは思えなかった。賀津姫の名をつけたことも、わらわの気持ちを変えたのかもしれぬ。
ことに御褥を遠慮するようになってからは、互いに得意な縫物やつまみ細工を教え合ったり、娘のことをあれこれと話したり、身分に関わりなく話ができるようになった。もっともわらわがそう思っておるだけで、美伊の方のほうは、遠慮することもあったかもしれぬが。
三月に入り、珠姫が備後守に輿入れした。相手が三十ということで心配はあったが、珠姫についていった奥女中から仲睦まじくお過ごしと伝えられ安堵した。
姫達の幸せは嬉しいことである。なれど、月姫は上屋敷に行ってしまった。間もなく美伊の方と賀津姫は国許へ行く。そう思うと、一抹の寂しさはあった。
寂しがっている場合ではない、阿弥の方のお産が控えていると、わらわは自らに鞭うつように出産の支度を手伝った。女中らはわらわがすることではないと言うが、襁褓を作った。とくから国許の話を聞きながら、針を運んでおると、寂しさは紛れた。
美伊の方も出立の支度が忙しい中、産着や襁褓を縫っておった。出立の前日に挨拶に来た時それを見せられ、美伊の方もまた寂しかったのやもしれぬと思った。
思えば、わらわには若殿がおる。雪姫もおる。美伊の方は国許で若殿が来るのを待つしかない。賀津姫もまたあちらで家臣の家に嫁ぐ。誰一人知る者のない土地に行く美伊の方の気持ちはわらわの想像を絶するものであろう。
なれどわらわに出来ることはない。無事を祈るのみである。
「息災でな」
「御新造様の御恩は一生忘れませぬ」
御恩と言われても、さしたることはしておらぬと思っておると、一緒にいた賀津姫が言うた。
「まことに、わらわのことを親身になって叱ってくださり、まことに有難く存じます」
親身も何も、若殿に恥をかかせることになるからあれこれ言うただけのこと。
「道具も立派なものをそろえてくださり、心おきなく嫁ぐことができます」
「道具に負けぬ、よき花嫁にならねばな」
「それは」
賀津姫の顔がこわばった。
「婿殿とその親を大切に思い、周りの者にも心遣いを忘れぬことじゃ」
ありきたりのことだが、それが最低限のことであろう。
「そうじゃ。あちらに着いたら文を送っておくれ。国のことをわらわや若殿に教えて欲しい」
「かしこまりました」
その言葉通り、賀津姫はわらわに文を送ってくれるようになった。やがて、わらわも若殿もそれを心待ちにするようになった。
四月の初め、殿様とともに美伊の方と賀津姫が江戸を出立すると、中屋敷はにわかに寂しくなった。
阿弥の方の出産のため、新たに雇った女達はいたが、賀津姫の笑い声の聞こえぬ屋敷はひどくわびしく思われた。同じことは若殿も感じていたようで、時折「賀津は今ごろ、どこであろうか」と言っていた。わらわの前で美伊の方の名を出すのを憚ったにしろ、やはり明るい賀津姫の笑い声が聞えなくなったのは若殿にも寂しいことであったに違いない。
それでも阿弥の方の出産が近づくと、屋敷の中は活気に満ち始めた。
わらわもなんとなく気が急いて落ち着かなかった。
阿弥の方の部屋を訪れては気分はいかがかと声を掛けた。おっとりとした阿弥の方はにっこりと微笑み、おかげさまでと言う。わらわの時は腹が大きくなると腰が痛くなったので、腰はどうかと言うと、御心配には及びませんと微笑む。我慢して言っているようではないので、本当に痛くないのであろう。つくづく国の者は丈夫なことと、わらわは頼もしく感じた。これなら安産間違い無しと思っておった。
お産の兆候があったのは五月の十三日の朝早くのことであった。仏間を若殿と出る時に知らせがあり、わらわ達は産室の前まで行った。産婆の話では、今日中に生まれるのではということであった。わらわの時もそれくらいであったので、夕方まで待とうと思った。ゆかりの寺に安産の祈祷を頼んだ。若殿も執務のため上屋敷に向かった。
末っ子の雪姫も興奮していた。
「弟が生まれたらいいのに。母上、わらわに名前を付させて」
「それはかなわぬ。当家の世継ぎには萬福丸と名付けることになっている」
「だったら妹がいい」
「弟でも妹でも、無事に生まれてくれたらよいのじゃ。安産を祈りなされ。そなたが騒げば、うるさくてお産にさわる」
ようやくそれで雪姫はおとなしくなった。
さて、暮れ六つになり、外は暗くなった。が、産室の前に行くと、阿弥の方の苦し気な声が聞こえた。陣痛が続いているということであった。
とくは汗びっしょりになって産室から出てくると、赤子がなかなか下りてこぬと語った。そんなことがあるのかと言うと、国許で産婆の手伝いをした時にも幾度かあったと言う。
「阿弥の方様の御身体がもつかどうか」
「命を落とすこともあるのか」
「はい。母親が赤子を産む前に亡くなれば子もまた」
男でも女でもよい、母子とも無事に。わらわにできるのは祈ることだけであった。再度寺に安産の祈祷を頼んだ。
わらわも仏間に行き、経を読んだ。雪姫もいつの間にか来て、わらわの後ろで経を読んだ。
さすがに四つ(夜10時頃)になったので、雪姫は部屋に戻らせた。すると入れ替わるように、若殿が来た。
明日の仕事に差し障ると言うと、そなたは夕餉もとらずに仏間で祈っておるではないかと言われた。そういえばと気づいた。そなたが夕餉をとっている間ここで祈っておるゆえ、食事の間に行けと言われた。
阿弥の方が命の瀬戸際にいる上に、わらわが食事もせずに身体を壊せば、若殿はいかに悲しまれることか。わらわは食事の間に行き、若殿の命で温められた夕餉をとった。
仏間に戻ると、若殿は一心に経を読まれていた。しばし、わらわと二人祈っておったが、中奥から迎えがあり、若殿はやっと仏間を出た。
そのまま、わらわは空が白む頃まで仏間で経を読んだ。慌ただしい足音が聞こえ、もしやと思った。
そこへ御年寄が仏間の外から声をかけたので入るように言った。
「先ほど、阿弥の方、男子を産みましたが、すでに胎内で……」
わらわの手から数珠が落ちた。
「して、阿弥の方は。無事か」
「はい」
わらわは産室に向かった。産室の前でとくにしばしお待ちをと止められた。
四半刻(約30分)ほど後、中に入ると、赤子は白い絹の産着に包まれておった。大きな赤子であった。産婆の話では首に臍の緒がからまっており、手の施しようがなかったとのことであった。
阿弥の方は気を失っておった。脈も息もあるものの、すっかり体力を使い果たしているようであった。
わらわは弔いの支度を命じた。また医者を呼び、阿弥の方を診せた。医者の見立てでは、お産で疲れて眠っているとのことだった。子が死んだことも知らぬかもしれぬので、目覚めてもすぐに赤子のことは知らせぬほうがよいと言った。子が死んだと知れば、気力が失われ飲食もできず、回復が遅れるかもしれぬとも言った。
わらわは女中らにくれぐれも赤子のことは伏せておくようにと命じた。
なれど、思うようにはいかぬもの。
夜半目覚めた阿弥の方は、赤子の行方を尋ねた。乳母のところにと言われたものの、母親の勘なのであろうか、香の匂いに気付き、お付きの女中がうとうとしている間に床から起き上がり這うようにして香の元をたどり、別室で小さな棺に入れられた赤子を見つけてしまった。襖の前に控えさせておった女子がたまたま他の者に呼ばれたほんのわずかの間のことであった。泣き叫ぶ声に気付いた女子が部屋に戻ると、棺の前で阿弥の方が身もだえして泣いておった。部屋にいた女子たちが御方様、御方様とそこから引き離そうとしても動かなかった。
眠っていたわらわも泣き声に気付いた。部屋に行くと、阿弥の方はすでに泣き止んでおった。前かがみになって棺の中の赤子をじっと見つめておった。わらわには声をかけることもできなかった。
そこへ阿弥の方が目覚めたと知らせを受けた若殿が来た。
「阿弥、子は腹の中で亡くなったのだ。これは誰の咎でもない。己を責めてはならぬ」
若殿の言葉の通りだとわらわは思ったが、阿弥はそれを聞いておったかどうか。
やがて女子たちに両脇をかかえられて部屋へと戻って行った。
珠姫と賀津姫の祝言の支度や阿弥の方の衣装など、例年より出費が多くなっていたから、国許の奉行らは苦労したに違いない。実は祝言の支度金が少々足りなくなったゆえ、わらわが実家から嫁入りの時に持参した化粧料からもいくらか出した。いつぞや、わらわの化粧料に手をつけた女どもが実家に引き取られた後、豊前守はその分を補填していた。恐らく留守居役がうまく交渉してくれたのであろう。おかげで賀津姫の道具は珠姫に劣らぬ物になった。国許の御年寄の浮橋は江戸から参っておるから、下手な道具を持たせるわけにはいかなかった。
金の話はこの辺にしておこう。
十月、珠姫の結納が行なわれた。
その翌日に、阿弥の方の懐妊が判明した。医師の見立てでは来年の夏ごろに生まれるのではないかということだった。
これまでも幾人もの女子が若殿の閨に侍った。なれど誰も懐妊することはなかった。やはり国許の女子は違うのであろうか。何はともあれめでたいこと。わらわにも美伊の方にもできなかった男子出産を願い、神仏に祈願した。
その少し前には和泉守に嫁いだ登与姫の懐妊もわかった。翌年国許へ行く美伊の方にとってはこの上もなき朗報であった。
年明けて二月、登与姫が男児を出産した。
若殿様のお供として美伊の方も和泉守の屋敷に行った。初めての孫に会った美伊の方の喜びを思うと、わらわもなぜだか嬉しかった。
若殿の寵愛を一身に受けていた美伊の方は、わらわにとって同じ男を巡る仇同士と人は思うかもしれぬ。なれど、力はわらわの方がはるかに強い。同じ立場ではない。仇などとはおこがましい話である。なれど、美伊の方が上屋敷の奥方様や貞眞院様とすでに築いた関わりを知るにつけ、己の立場に寂しさを感じることもあった。
幸いなことに、若殿との関係が深まり、子を産み、殿様や奥方様、貞眞院様らとの関わりが豊前守家の人々との関わりよりも深くなると、美伊の方との間も変わった。美伊の方もまた命がけで姫達を生んだのだと思うと、単なる奉公人とは思えなかった。賀津姫の名をつけたことも、わらわの気持ちを変えたのかもしれぬ。
ことに御褥を遠慮するようになってからは、互いに得意な縫物やつまみ細工を教え合ったり、娘のことをあれこれと話したり、身分に関わりなく話ができるようになった。もっともわらわがそう思っておるだけで、美伊の方のほうは、遠慮することもあったかもしれぬが。
三月に入り、珠姫が備後守に輿入れした。相手が三十ということで心配はあったが、珠姫についていった奥女中から仲睦まじくお過ごしと伝えられ安堵した。
姫達の幸せは嬉しいことである。なれど、月姫は上屋敷に行ってしまった。間もなく美伊の方と賀津姫は国許へ行く。そう思うと、一抹の寂しさはあった。
寂しがっている場合ではない、阿弥の方のお産が控えていると、わらわは自らに鞭うつように出産の支度を手伝った。女中らはわらわがすることではないと言うが、襁褓を作った。とくから国許の話を聞きながら、針を運んでおると、寂しさは紛れた。
美伊の方も出立の支度が忙しい中、産着や襁褓を縫っておった。出立の前日に挨拶に来た時それを見せられ、美伊の方もまた寂しかったのやもしれぬと思った。
思えば、わらわには若殿がおる。雪姫もおる。美伊の方は国許で若殿が来るのを待つしかない。賀津姫もまたあちらで家臣の家に嫁ぐ。誰一人知る者のない土地に行く美伊の方の気持ちはわらわの想像を絶するものであろう。
なれどわらわに出来ることはない。無事を祈るのみである。
「息災でな」
「御新造様の御恩は一生忘れませぬ」
御恩と言われても、さしたることはしておらぬと思っておると、一緒にいた賀津姫が言うた。
「まことに、わらわのことを親身になって叱ってくださり、まことに有難く存じます」
親身も何も、若殿に恥をかかせることになるからあれこれ言うただけのこと。
「道具も立派なものをそろえてくださり、心おきなく嫁ぐことができます」
「道具に負けぬ、よき花嫁にならねばな」
「それは」
賀津姫の顔がこわばった。
「婿殿とその親を大切に思い、周りの者にも心遣いを忘れぬことじゃ」
ありきたりのことだが、それが最低限のことであろう。
「そうじゃ。あちらに着いたら文を送っておくれ。国のことをわらわや若殿に教えて欲しい」
「かしこまりました」
その言葉通り、賀津姫はわらわに文を送ってくれるようになった。やがて、わらわも若殿もそれを心待ちにするようになった。
四月の初め、殿様とともに美伊の方と賀津姫が江戸を出立すると、中屋敷はにわかに寂しくなった。
阿弥の方の出産のため、新たに雇った女達はいたが、賀津姫の笑い声の聞こえぬ屋敷はひどくわびしく思われた。同じことは若殿も感じていたようで、時折「賀津は今ごろ、どこであろうか」と言っていた。わらわの前で美伊の方の名を出すのを憚ったにしろ、やはり明るい賀津姫の笑い声が聞えなくなったのは若殿にも寂しいことであったに違いない。
それでも阿弥の方の出産が近づくと、屋敷の中は活気に満ち始めた。
わらわもなんとなく気が急いて落ち着かなかった。
阿弥の方の部屋を訪れては気分はいかがかと声を掛けた。おっとりとした阿弥の方はにっこりと微笑み、おかげさまでと言う。わらわの時は腹が大きくなると腰が痛くなったので、腰はどうかと言うと、御心配には及びませんと微笑む。我慢して言っているようではないので、本当に痛くないのであろう。つくづく国の者は丈夫なことと、わらわは頼もしく感じた。これなら安産間違い無しと思っておった。
お産の兆候があったのは五月の十三日の朝早くのことであった。仏間を若殿と出る時に知らせがあり、わらわ達は産室の前まで行った。産婆の話では、今日中に生まれるのではということであった。わらわの時もそれくらいであったので、夕方まで待とうと思った。ゆかりの寺に安産の祈祷を頼んだ。若殿も執務のため上屋敷に向かった。
末っ子の雪姫も興奮していた。
「弟が生まれたらいいのに。母上、わらわに名前を付させて」
「それはかなわぬ。当家の世継ぎには萬福丸と名付けることになっている」
「だったら妹がいい」
「弟でも妹でも、無事に生まれてくれたらよいのじゃ。安産を祈りなされ。そなたが騒げば、うるさくてお産にさわる」
ようやくそれで雪姫はおとなしくなった。
さて、暮れ六つになり、外は暗くなった。が、産室の前に行くと、阿弥の方の苦し気な声が聞こえた。陣痛が続いているということであった。
とくは汗びっしょりになって産室から出てくると、赤子がなかなか下りてこぬと語った。そんなことがあるのかと言うと、国許で産婆の手伝いをした時にも幾度かあったと言う。
「阿弥の方様の御身体がもつかどうか」
「命を落とすこともあるのか」
「はい。母親が赤子を産む前に亡くなれば子もまた」
男でも女でもよい、母子とも無事に。わらわにできるのは祈ることだけであった。再度寺に安産の祈祷を頼んだ。
わらわも仏間に行き、経を読んだ。雪姫もいつの間にか来て、わらわの後ろで経を読んだ。
さすがに四つ(夜10時頃)になったので、雪姫は部屋に戻らせた。すると入れ替わるように、若殿が来た。
明日の仕事に差し障ると言うと、そなたは夕餉もとらずに仏間で祈っておるではないかと言われた。そういえばと気づいた。そなたが夕餉をとっている間ここで祈っておるゆえ、食事の間に行けと言われた。
阿弥の方が命の瀬戸際にいる上に、わらわが食事もせずに身体を壊せば、若殿はいかに悲しまれることか。わらわは食事の間に行き、若殿の命で温められた夕餉をとった。
仏間に戻ると、若殿は一心に経を読まれていた。しばし、わらわと二人祈っておったが、中奥から迎えがあり、若殿はやっと仏間を出た。
そのまま、わらわは空が白む頃まで仏間で経を読んだ。慌ただしい足音が聞こえ、もしやと思った。
そこへ御年寄が仏間の外から声をかけたので入るように言った。
「先ほど、阿弥の方、男子を産みましたが、すでに胎内で……」
わらわの手から数珠が落ちた。
「して、阿弥の方は。無事か」
「はい」
わらわは産室に向かった。産室の前でとくにしばしお待ちをと止められた。
四半刻(約30分)ほど後、中に入ると、赤子は白い絹の産着に包まれておった。大きな赤子であった。産婆の話では首に臍の緒がからまっており、手の施しようがなかったとのことであった。
阿弥の方は気を失っておった。脈も息もあるものの、すっかり体力を使い果たしているようであった。
わらわは弔いの支度を命じた。また医者を呼び、阿弥の方を診せた。医者の見立てでは、お産で疲れて眠っているとのことだった。子が死んだことも知らぬかもしれぬので、目覚めてもすぐに赤子のことは知らせぬほうがよいと言った。子が死んだと知れば、気力が失われ飲食もできず、回復が遅れるかもしれぬとも言った。
わらわは女中らにくれぐれも赤子のことは伏せておくようにと命じた。
なれど、思うようにはいかぬもの。
夜半目覚めた阿弥の方は、赤子の行方を尋ねた。乳母のところにと言われたものの、母親の勘なのであろうか、香の匂いに気付き、お付きの女中がうとうとしている間に床から起き上がり這うようにして香の元をたどり、別室で小さな棺に入れられた赤子を見つけてしまった。襖の前に控えさせておった女子がたまたま他の者に呼ばれたほんのわずかの間のことであった。泣き叫ぶ声に気付いた女子が部屋に戻ると、棺の前で阿弥の方が身もだえして泣いておった。部屋にいた女子たちが御方様、御方様とそこから引き離そうとしても動かなかった。
眠っていたわらわも泣き声に気付いた。部屋に行くと、阿弥の方はすでに泣き止んでおった。前かがみになって棺の中の赤子をじっと見つめておった。わらわには声をかけることもできなかった。
そこへ阿弥の方が目覚めたと知らせを受けた若殿が来た。
「阿弥、子は腹の中で亡くなったのだ。これは誰の咎でもない。己を責めてはならぬ」
若殿の言葉の通りだとわらわは思ったが、阿弥はそれを聞いておったかどうか。
やがて女子たちに両脇をかかえられて部屋へと戻って行った。
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