僕の目があなたを遠ざけてしまった

紫野楓

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 口内裂傷と全身打撲、体中小さな擦り傷や切り傷や痣だらけ。

「骨折しなかったのは運が良かったね」

 と、小川医師に言われた。母の食事のおかげかもしれない。

 両親には泣かれた。特に母は号泣だ。

「なにがあったか一から説明しなさい!」

 と、悲鳴のように叫ばれた。

 口が痛くてあまり喋りたくなかったが、黙っていたら永遠に泣かれそうだったので、入学してからのことをかいつまんで正直に話した。

 全く後ろめたさがなくて拍子抜けする。負い目もない。自己嫌悪もない。昨日あった事なのに遠い昔の出来事を話しているみたいで不思議だった。

「随分やんちゃしたね」

 回診に来た小川医師は困ったように言った。

「うん。でも、僕、一高行ってよかった」

 もっといろいろ話したいことがあったはずなのに、出てきたのはこんな言葉だった。

「そうかい」

「ありがとう、先生」

 小川医師がにっこりと笑った。初めて見る類の笑顔だった。

 意識もしっかりしているし、食欲もあって怪我以外の異常もないので、一日で退院になった。その後は自宅で療養している。

 二葉に起こった一件は高校を巻き込んだ大騒ぎに発展したみたいで、今も続いている。

 高校側は当たり前のようにもみ消しにかかっているようだ。

 なんでも藤木の父親は市議会議員で母は地元の有力者の一族らしい。教育委員会にも圧がかかっていて、今までも藤木の暴行は見逃されていたようだ。

 唯一教頭だけは二葉側を擁護しているが、両親が望むような解決には至っていない。

 ちなみにこれは両親からではなく、頼んでもないのに来栖がLINEで教えてくれたことだ。「面白えことになってんぞ」と連絡が来た時は少し身構えたが、あまり興味がない。

 でも、来栖には感謝している。

 今になって思えば、それとなく藤木と距離ができるように動いてくれていたような気もする。言及したが「調子乗んなバカ」と一蹴されてしまった。

「転校しない? 引っ越して一から始めようよ二葉。今の高校よりも絶対良い所だから」

 朝にはそぐわないもの凄い圧でそんな提案をされる。生活は変えたくなくて、普段通り家族と朝食を囲んでいた時だ。

(またお粥だ……)

 退院してからもう五日も経つのに、未だに消化の良いものばかりが並ぶ食卓に飽き飽きしている。土日を挟んで、三日後には復学する予定なのに。

 心の中で不平を漏らしながら、匙で掬った艶々の五分粥をすう、と口に入れた。

「美味しい。いつもありがとう母さん。でも、もうそろそろお腹いっぱい食べたい……」

 退院してから爆発したように食欲が湧いていた。

 カミナリ司書が「高校生は食ってなんぼ」と言っていたが、ようやく腑に落ちる。

「駄目に決まってるでしょ! まだ怪我も治ってないのに! お腹壊すんだから!」

「もう僕、そんな弱くない……」

「駄目なものは駄目!」

 とりつく島もない母の態度にシュンとしながら、二葉は黙ってお粥を掬った。

「で、転校する気あるのか、二葉」

 この言いかただと、父も転校には前向きらしい。母ほどの圧はないが、同意を求められているような雰囲気がある。

「しない」

 母が言葉を失って箸を置く。

「一高、好きだから」

「誰かに言わされてるのか? 正直に言いなさい、守ってやるから」

「いらない」

 父まで難しい顔をして茶碗を置いた。

「一高卒業して、国立大医学部合格する。前から決めてる」

「強がらなくて良い。無理するな」

「してない」

 最後のひと掬いを口に入れて、丁寧に嚥下した。スプーンを置いて、なにかを言いたそうにしている両親を見据える。

「僕が選んだことだし。一高がいい」

 ごちそうさま、と手を合わせて自分の食具を下膳して、揃って目を見開く両親を置いて食卓を後にした。

 その後二人でどんな話をしたんだろう。二階の自室へ引き上げた二葉には知る由もない。

 でも、両親に言ったことは本心だ。

 両親は一時間後に出かけて行った。高校で今回の一件を再度話し合い、その後市の教育委員会に立ち寄って、警察と弁護士に相談すると言っていた。夕方まで戻らないらしい。

 体は随分回復している。口内の裂傷は塞がったし、打撲も青痣を残すだけだ。自分で自分の回復力に驚いている。

 絶対安静と母に口を酸っぱくして言われているが流石に飽きたので勉強することにした。

 いつも準備運動がてらやっている英単語帳を探し、鞄が家にはないことを思い出す。胸に穴が開いた気分だ。

 仕方なくベッドに横になって目を瞑った。

 どれくらい経ったか分からないが、着信が鳴ってはっと目を覚ます。スマートフォンに表示された名前を一目見るやいなや、二葉はすぐに通話に応答した。

「もしもし」

『もしもし、二葉? 今大丈夫?』

 通話越しに声を聞くだけで、不思議と心臓がトクトクと脈打った。

 声を聞いたのは屋上以来だ。

「うん、大丈夫……声、聞きたかった」

 ぽろりと本音が出て慌ててしまう。普段はもっと言葉を紡ぐのにたくさんの理性が邪魔するのに。こんなに素直なのは、自宅で気が抜けているからだろうか。

『実物に会う気はない?』

「え? でも今日、学校でしょ……?」

『自習だし、部活もできないし抜けてきた。今、二葉の家の前にいるんだけど……?』

「は……?」

 ベッドから飛び起きてレースカーテンをまくり上げる。玄関の前に、見たかった姿を認め、咄嗟に部屋を出て階段を駆け下りた。

 勢いよく玄関を開けると、変わらない笑顔で佇む耀士がいる。

「耀士くんっ!」

 自分でもはっきりと分かるくらい気持ちが高揚した。抱きつきたい衝動を抑えて、駆け寄るだけにとどめた自分を褒めたい。

 制服姿の耀士は、二葉の鞄を肩に下げて二葉に微笑みかけていた。

「二葉、元気になったか」

「うん! 上がって」

「ご両親は? 挨拶したいんだけど」

「今いない。帰ってきたらして。とりあえず上がって、僕の部屋、早くきて」

「なんか妙にグイグイ来るな……」

 毎日連絡を取り合っていたから久しぶりという感じはしないが、五日以上ぶりに直接見る耀士に、気持ちがどうしても逸ってしまう。

 メッセージでは、高校で起こっている出来事をリアルタイムで聞いていた。

 連帯責任で野球部は一月の部活動停止。藤木とその取り巻きは全員退部になり、彼女はとりあえず自宅謹慎になった。

 山形も「これでやっとスタートラインに立てた」と笑顔を見せていたらしい。

 膝を曲げて靴を丁寧に揃え、二葉の家に上がった耀士は二葉に従って部屋に入ると、振り向いた二葉の髪をまじまじと見てくる。

「髪、切ったんだな」

「うん……耀士くんより短くなったかも」

 切ったのは一昨日だ。近所の美容院で藤木に切られた前髪の長さに合わせて整えてもらった。

 耳もフェイスラインもうなじも隠しようがないくらいに短く整えられた髪は、それでも変わらず真っ直ぐな黒髪だ。

 親に黙って行ったことで散々怒られたが、すごく爽やかで前向きな心地がしている。

 二葉がベッドの上に座ると、耀士は躊躇う様子もなく二葉の隣に腰を降ろしてきた。どきりとしたのも束の間、耀士はおずおずと二葉の髪に手を伸ばして触れてくる。なにも言わない。

「似合わない……? 嫌い……?」

 不安になってしまった。

「うーん。好きも嫌いもないな。どれも似合うし、可愛いよ」

 耀士が笑う。

「かわ、っ、可愛いって……」

「ずっと思ってたよ。二葉は可愛い」

 あまりにも真っ直ぐな言葉に言葉を失ってしまう。困る心とは裏腹に、心臓は早鐘を打って、体は春の日だまりのように温かい。

「これ、全部揃ってるか?」

 耀士が持ってきていた鞄を二葉の膝の上に乗せた。屋上から校庭に向かって投げ落とされた二葉の鞄だ。

 二葉が託した通り、耀士は中身を含めて完璧に拾って持ってきてくれた。教科書やノートの何冊かは折れたりよれたりしていたが、どこにも砂埃が全くついていない。耀士が綺麗にしてくれたのだと分かって、ただでさえ温かい胸がもっと熱くなる。

「うん……全部揃ってる。全部……」

 例えようのない切ない気持ちが胸を締め付けて、それが耀士を慕う気持ちにどんどん生まれ変わっていった。

 この思いにどんな名前を与えればいいんだろう。溢れるのは言葉になりそこなった想いばかりで、そのどれもが二葉の心を震わせる。

「ありがとう、耀士くん……ありがとう」

 口をついて出るのは、こんな他愛もない、飾り気もない単純な言葉だ。

 格好をつけることすら忘れた笑顔が勝手に綻んでいく。どんなに不格好でも、耀士は絶対に貶さないと分かっているから。

 返事の代わりに、耀士は髪の短くなった二葉の頭をくしゃくしゃと撫でた。

 言葉がなくなると視線だけが残った。

 どちらともなく見つめ合った。合図もしていない、息も合わせていないのに、自然と視線が混ざりあって体の中に溶け込む。

 瞬きすら忘れるほど、お互い食い入るように見つめ合った。

 緊張が弛緩したのは、耀士が紅潮した顔を困ったように歪ませて笑ったからだ。

「目、合わせてるだけで、やばい……」

 二葉は膝の上にあった鞄を床に置くと、静かにベッドの上に乗り上げて、耀士の胸に手を伸ばす。

「ふ、たば……?」

 とくとくと二葉と同じ速度で早鐘を打つ耀士の胸に、おずおずと体を預けて顔を上げた。

「嫌……?」

「ううん、っ……全然……」

 言葉と腰を引き寄せられたのは同時だった。いつの間にか耀士もベッドに身を乗り上げて、二葉を全身で包みこんでくれる。

 きっと自分も耀士と同じ顔をしているのだろう。朱に染まった彼の頬に、一瞬の羞恥に見舞われた。

「お前の顔、見たかったよ、ずっと……初めて会ってからずっと見たかった」

 大きな耀士の手が、二葉の尖った華奢な顎を包みこんで持ち上げる。

 鼻先が触れ合う位の距離から、耀士はうっとりした表情で二葉の瞳を覗き込む。まるで瞳の奥に隠れた二葉の気持ちを探るみたいに。

「二葉の目、好きだ。ずっと見ていたい。独り占めしたいくらい綺麗だ」

「……ほんと……?」

「ああ……綺麗だよ」

 耀士の真っ直ぐで力強い瞳が、その言葉が本心であると二葉に訴えかけてくる。

「……っ……」

 耀士の屈託のない笑顔がゆらゆらと揺らいだ。水の中にいるみたいに光が柔らかく屈折して、二葉の目に映る耀士の姿をさらにきらきらと煌めかせている。

「なんで泣くんだ? 見られるの嫌だった?」

「嫌じゃない。もっと見ていいよ。見て……」

 狼狽える耀士が愛しくて、目を細めて笑ったら、堪えきれなかった涙の雫が頬を伝って落ちていった。

「僕のこと、好き?」

「うん。大好き」

「僕も耀士くんのこと……大好き」

 瞳の上に耀士の影が落ちてくる。

 ぎこちなく視界を手放すと、二葉の唇にそれと同じように熱くて柔らかいものが触れて、交わるように重なった。

 とろけるように甘くなる体を持て余し、うっとりとした酩酊感の中をたゆたう。

 開いた目を合わせて、二人で真っ赤になってはにかんだ。


 
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