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しおりを挟む梅田と山形が藤木たちを落ち着かせて、その場はなんとか丸く収まった。グラウンドには耀士と二葉だけが取り残されている。
日差しは赤みが増し、空気はしっとりとしていた。空は青いが、雲の流れはかなり早い。
「キャッチボールしよっか」
未だに二葉の腰から腕を離さない耀士が、少し弾んだ声で言う。
気乗りはしなかったが、耀士なりの気遣いなのかもしれない。
それに、もう少し耀士といられる理由が欲しかったのも、正直な気持ちだった。
だから断る理由のほうが少ない。
「……できるか分からないよ」
「教える」
二葉から離れると、バックネット裏に置いてあったスポーツバッグから、グローブを二つ取り出す。用意ができすぎている。最初から誘うつもりだったのだと分かると、なぜか胸のあたりがくすぐったい。
二葉はぎこちなくグラウンドに立った。そして、手が届くくらいの場所に鞄を置いた。遠くにあるとそわそわするから。
手渡されたグローブを受け取って、耀士に教えてもらいながら嵌めた。かなり使い込まれていて艶がある黒いグローブだった。耀士の手の大きさに馴染んでいて、二葉の華奢な手には少しぶかぶかだが、なんとかなった。
耀士が隣に並ぶ。そして、「フォームは……」と二葉の体を導いて丁寧に投げかたを教えてくれた。
「理屈は分かった。投げるの見せて」
「分かった。見ててな」
少し遠くから、バックネットに向かって投げる耀士の様子をじっと観察する。そして、教わった理屈を頭の中で反芻した。
耀士のフォームは美しい。理にかなっており、しなやかな筋肉が球に速度を与えていた。
シュン、という風を切る音に、二葉は自然とわくわくしてしまっている。
真似してやってみると、耀士には遠く及ばないがそれなりに投げられた気がした。
「飲み込み早いなあ。目がいいんだな。頭もいいしな」
耀士が感心したように笑った。
「じゃあ、やってみようか」
球を持った耀士が大股で距離を取る。呑気な調子で「投げるぞー」と言われたがとんでもない。二葉は大慌てで首を横に振った。
「いや怖いよ! あんな速いの、僕、受け取れないよ!」
「いい、二葉は胸の前でグローブを広げているだけでいい」
迷いがない。絶対的な確信と自信。こんなに堂々と言われたら断るわけにもいかない……ええい、ままよと覚悟を決めた。
「こう……?」
「ああ、逃げないでな。目、閉じないで」
「う、うん……」
「見てて……ッ!」
耀士が大きく振りかぶる。
投げられる、と思った瞬間にパン! という大きな音が響く。球はものすごい速さで二葉のグローブの中に吸い込まれていった。
「わ……すごい……」
左手がじんじんする。
「二葉も投げて」
感動しながら耀士に向かって球を投げたが、二葉の球はあらぬ方向に跳んでいく。
「あ!」
耀士は軽やかな動きで走り出すと、脚にバネでもついているかのように高く跳び、鮮やかな動きで球をキャッチする。
全ての動きが、スローモーションのように見える。視線が釘付けになってしまった。
「ナイスパス」
耀士が笑って、止まった時間が弾けた。
「かっ、こいい……!」
思わず声に出してしまった。
「え? 本当?」
「うん! かっこいい! すごい。僕、そんなのできない……っ! すごいね!」
耀士の球は、相変わらず二葉のグローブに吸い込まれていく。
小さな子どものようにはしゃいでしまう自分を止められない。思った以上にキャッチボールは楽しいし、そう感じられるのは明らかに耀士の手腕のおかげだ。
それも含めて、耀士はすごいと思う。
「今度、試合観に来てよ。俺、出るから」
「本当? 野球のルール、勉強しておくよ」
「休みの日さ、一緒にバッティングセンターも行こ。絶対すぐ打てるようになるよ」
「それ、なにをする場所なの……?」
「バット振り回す場所だよ」
「……あ、危なくない?」
「危ないかも」
二葉の反応を、耀士は笑う。
しばらく無言で球を投げ合った。パシン、パシン、とグローブが鳴る。
なぜか少し緊張してしまう。
「俺さ、二葉とこれからも関わっていたいんだよな」
真剣な声色に、二葉の心臓が跳ねた。
「考査終わってからも連絡したかったけど、どうすればいいか分からなかった。なに話せばいいかも、どんなふうに始めればいいのかも。二葉の勉強の邪魔したくないって思うし、同じくらい連絡取りたいとも思う」
大きく逸れた二葉の球を、耀士が舞うように跳ね、キャッチして笑う。
「勉強って答えがあっていいな。でも人間関係は答えがない。今までどうやって来たか、思い出せない。難しいって、今すごく思う」
貰った球を緊張で白くなった指先で掴んだ。
「分かる……人間関係って、難しいよね」
妙に力が入った球は地面に一直線。弾けるようにバウンド、土埃が舞う。
だが、ストンと耀士のグローブに収まった。
「思い切って本音を言って、関係が変わってしまったらって思うと怖いよね。でも、このままでもいられないって、気持ちが急くし」
相変わらず、耀士の球は真っ直ぐだ。
「失敗すると傷ついて、いろいろ棒に振っちゃう。人生が台無しになるくらいには」
不安定な二葉の球を、耀士は悠々と捕まえる。二葉の口は止まらなかった。
こんな思い、誰にも打ち明けたことがない。親にでさえも。
二葉はつい半年前のことを思い出す。胸がチクリと傷んだ。
「面倒くさいし、無駄だし、嫌だから僕、勉強だけできればいいと思ってる」
あんな思いは二度としたくない。
「でも、耀士くんからの連絡は嬉しい」
「……本当か?」
「僕も連絡していい? 勉強に飽きたら」
「……っ、うん!」
耀士の笑顔が眩しい。はっきりと見つめられるのは口元だけだ。どんな目で笑うんだろう。遠目からだとなんとなく分かるけど、至近距離だと難しい。
「あれ、こんなに近……」
気づいたら三歩先まで耀士が近付いてきていた。投げながら距離を詰められていたらしい。全然気づかなかった。
「俺、二葉の顔、見たいんだけど」
耀士は右手で二葉の手首を掴んだ。
「今どんな顔してる?」
「え……」
言われた言葉の意味が分からなかった。
分かった頃には腰に腕を回されてぴたりと密着している。逃げられない。
二葉の重い前髪の向こう側を覗きたい。
耀士はそう言っているのだ。
耀士の願いは叶えたいと思う。
でも、前髪だけは……。
――そんな目で見んな。気持ち悪いんだよ。
鮮明に残っている言葉が頭を過ぎる。なにも言えないまま、黙りこくっていた。
ぽた、ぽた、と上からなにかが降ってくる。
「あ、雨……っ」
雨脚は一秒ごとに強まっていく。
夕立だ。
大きな雨粒が、ぼた、ぼた、と瞬く間に全身を濡らしていく。
逃げる口実ができたと心の中で安堵している自分が後ろめたい。
「耀士くん、屋根のあるところに行かないの? ねえ、凄い強いよ、痛いくらいなん、だけど……早く行こうよ」
降る雨で視界が白んでいる。雨音が轟いて、少し怖いくらいだった。
もうすでにシャツの肩口はびしょ濡れで肌に張り付き透けて見えている。耀士の腕は離れなかったが、身を屈めて鞄を掴み、体で覆うように抱きかかえた。
大事な鞄だから、少しでも丁寧に扱いたい。
水分を含んだ前髪が額に張り付き、ぽた、ぽた、と雨粒が頬を伝って鞄に落ちていく。一刻も早く乾かしたい。
それに、こんなに濡れたら風邪を引いてしまう。動かない耀士に痺れを切らし「先に行くから」と短く叫ぼうとした時だ。
強い視線を感じてハッとする。
「二葉」
時が止まったように微動だにしない彼の視線は、いつも以上に克明で戸惑う。
なにをそんなに凝視している……?
「どうして俺を見ないんだ?」
言われた言葉は二葉が想定していたものとはかけ離れている。雨よりも冷たいなにかが背中を流れていった。
「え? なに言ってるの?」
「目を合わせてくれないのはどうして?」
「なんのこと?」
しらを切りながら何故そんな質問をするのかと背中がぞわぞわしてしまう。
「二葉……俺を見ろ」
「見てるよ」
心臓がぎゅっと縮こまる。またこれだ。さっき靴を持ち歩いている理由をはぐらかした時も同じように苦しくなった。
「もしかして、目を合わせられないから前髪長くしてる?」
「あ、合わせてるって。なんで今そんな話をするの? それどころじゃないじゃん、雨凄いから早く屋根のあるところに……」
「どうして嘘を吐くんだよ」
どくどくと脈打つ胸の音が耳元にまで響いてくる。耀士は戸惑っているようだった。それは二葉も同じだ。
返す言葉が見つからなくて、二葉は目を泳がせた。なんと答えればいい? どう答えれば角が立たずにこれからも耀士と関わっていけるだろうか?
「嘘だってなんで分かるの?」
目は見えないはずだ。前髪で覆っている。
「見えてるからだよ」
一瞬、頭が真っ白になった。
「雨で濡れて、前髪、束になってる。全部見えてるんだって」
さあ、っと血の気が引き、一気に熱が弾ける。
咄嗟に俯いた。
逃げるように後ずさったけれど、耀士の腕の力は強くてなかなか離れなかった。
「離して」
耀士が力を緩めなければ力で敵うはずもない。
「俺のこと一回も見てくれてなかったのか。俺はこんなに……」
ぐさ、と耀士の言葉が胸に突き刺さった。
耀士が顔を覗き込もうとしているのを感じて身を強張らせた。
「見ないで」
「なんで? 二葉の顔……」
「言わないで……っ!」
夕立も怯んでしまうような雷みたいな声が出た。
耀士がふっと力を抜いた一瞬を捉えて距離を取った。
「待てよ」
「やだ」
震える足を叱咤し、耀士に背中を向けて一目散に駆け出した。
「二葉!」
泥水が跳ねて顔につく。熱い体を雨が冷やすのに、体の芯は死んだように冷たく、気持ちは凍えそうなくらい空っぽだった。
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