きみに幸あらんことを~復讐は愛を呼ぶ~

貴美

文字の大きさ
1 / 16

~序 章~

しおりを挟む
 ザク、ザク、ザク。
 
 あきは無言で灰の海を歩きまわった。時折ときおり、力なく首を傾げてゆったり歩くさまは、まるで死人のようで、見ていた者たちは底知れぬ畏怖いふを感じた。眠らぬ街、吉原よしわらも、この場所だけが火が消えたように静まり返っていた。残ったのは未だ歩みを止めない幼子おさなごと、もうひとり。

「もう、やめて下さい」

 たまらないといった様子で青年が口を開いた。好奇心で集まっていた人間はとっくに帰路に着き、未だ歩みを止めない少女を見守るのは彼だけであった。
 青年の声にピタリと止まる少女。

「全て私のせいです。私を恨んで下さい。もう、探しても、彼女は……」

 あきは、うなだれる青年をじっと見つめる。

「こんな、こんなつもりじゃなかった……っ! こんな、ことに、なるなんて!」

 そのまま泣き崩れる青年の姿も、この一日で何度目にしたことか。やれやれといった様子で側に寄ると、顔を上げた青年をしらけた目で見据みすえる。

「じこけんおなら、よそでやっていただけますか?」

 青年はポカンとした。おおよそ十も満たない子どもの言う台詞せりふではない。

「わたしはただ、このけしき、このかんしょくを、目に、はだに、やきつけている、だけです」
「……私を、恨うらんでは……?」
「あの人はかくごしていました。こうなることも。あなたはきっかけにすぎません。けれど」

 あきは青年の胸倉むなぐらを掴み、目線を合わせる。

「たとえ姉さんのたのみであろうと、わたしをゆうせんしたことだけは、ぜったいに許しません」
「……っ」

 それだけ言って手を離す。青年は再びうつむくと、涙をポロポロこぼし始めた。

「き、君は、これから、どうするんですか?」
「さぁ? どうしましょうかね」

 というか、そもそも主導権は自分にはない。言ったところでわかるとも思えないから適当にあしらう。

「どうか、彼女のあとを追うことだけはやめて下さいますか」

 今度はあきが面食めんくらう番だった。男女の心中が絶えない界隈かいわいだ。意味はすぐに理解できた。

「わたしが死ぬと?」
「……君が、どれほど彼女を慕っていたかを知ってます」
「思いあがらないでいただけます? あなたにわたしを語ってもらいたくありません」
「す、すみま、」
「すぐあやまるのもやめていただけます? 姉さんが見てます。わたしがいじめているようではありませんか」

 青年は無言になった。

「そもそも、あととやらを追って会えるかのうせいは? だれかじっしょうなさったのですか」

 ハッと、少女は鼻で笑う。

「かんしょうほど、むだなものはありませんよ。だからわたしは、あなたがきらいなんです。泣いてばかりいないで、あだのひとつやふたつ、うてないのですか?」
「わ、私、は……」
「まぁ、姉さんは、あなたにそんなことはのぞんでいないでしょうが」

「……死にたい……」

 その呟きに、少女の眉がしかめられる。

「もう、生きていたくない。死にたい。誰か、殺してくれ……っ」
「……」
 
 本音なのだろう。

(こんなつもりじゃなかった、か)

 この男は本当に何も知らずに生きて来たのだろう。人の悪意というものにも触れずに。だから安心していた。この男の性分しょうぶんは知っていた筈だ。追い詰めたのがでも、それに気づかなかったわたしも悪い。結局のところ、誰も責められはしないのだ。皆が皆、己が悪いと思っている。そして、そのことに気づいているのはきっと自分だけ。

(姉さん、うらみますよ)

 こんな面倒な置き土産みやげを残して、わたしを生かしたことを――。

 あきはもう一度、青年の襟首えりくびを掴むと顔を上げさせた。

「いいでしょう。さきほども言いましたが、姉さんよりわたしをゆうせんした一点にかぎっては、あなたをにくいと思っています。なので」

 一呼吸置き、あきは大きな目を細め、うっそりと微笑ほほえむ。


「わたしが殺してさし上げましょう」


「わたしに殺されるために、わたしのために生きなさい」


「せいぜい逃げて」


「わたしのかげにおびえ、これからの日々をおすごしなさい」


「そして、心休まらないまま、さいごをむかえて下さい」


 息を呑み固まる青年にお構いなく、あきは非道な言葉をつづった。最後まで笑顔を保って。彼に――生きる目的を与える為に。


「それが、あなたにはおにあいです」


 この時、あきは八歳。とても子どもが言う台詞ではない。が、あきの言葉は十九の若者を生かした。きっとこの時、あきが優しい言葉をかけていたのなら、青年はこの世を去っていただろう。

 そして十年の月日が流れ、止まっていた時間が動き出す。

 時は幕末。舞台は眠らぬ街、吉原。愛しくも哀しい復讐の物語が今、幕を開ける――。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~

めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。  源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。  長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。  そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。  明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。 〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

神様がくれた時間―余命半年のボクと記憶喪失のキミの話―

コハラ
ライト文芸
余命半年の夫と記憶喪失の妻のラブストーリー! 愛妻の推しと同じ病にかかった夫は余命半年を告げられる。妻を悲しませたくなく病気を打ち明けられなかったが、病気のことが妻にバレ、妻は家を飛び出す。そして妻は駅の階段から転落し、病院で目覚めると、夫のことを全て忘れていた。妻に悲しい思いをさせたくない夫は妻との離婚を決意し、妻が入院している間に、自分の痕跡を消し出て行くのだった。一ヶ月後、千葉県の海辺の町で生活を始めた夫は妻と遭遇する。なぜか妻はカフェ店員になっていた。はたして二人の運命は? ―――――――― ※第8回ほっこりじんわり大賞奨励賞ありがとうございました!

処理中です...