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~第五章~
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「つーこともあったな。おれの妹たち最高だろ」
「っス!」
壮碁は袈裟で涙と鼻水を拭いていた。……おい僧侶。
まぁこんな思い出話が出来るのも、あきが寝ているおかげだ。起きてたら絶対に怒る。
楼主がいないとわかり、カナと壮碁の元へ戻ると、あきはカナの膝に体面なく頭を預けた。戻ったら結ってやると意気込んでいた髪も、あきの状態を見たら言う気も無くなった。やはりどこか不調なのだろうか。おれたちの前だけならともかく、壮碁の前で無防備になるとは。それか壮碁が眼中に無かったのか。あ、普通に後者な気がしてきた。
『あきがこんなに疲れているのも珍しいわね』
「ああ、そいつ、今日江戸に着いたばかりみてぇだからな」
カナに膝枕して貰っているあきは当分起きそうにない。さっきまでの威勢はどこに行った。いや、逆に言えば今頃気が抜けたのだろう。こいつ、起きてから壮碁に気づいたら息の根止めに掛かるんじゃないか? それくらいあきは他人に厳しい。もちろん、おれらは除外だ。
「そう言えば、あきさんは今までどこに?」
優越感に浸っていると壮碁がそんなことを訊いてきた。質問の内容はわかる。が、
「あ? 『あき』さん?」
ナニ気安く名前呼んでんだ。
「え、ではなんと呼べば……」
「……つか呼ぶ必要なくね?」
『そうね。あきと呼んでいいのはわたくしたちだけがいいわ』
「叶絵さんまで!」
こう見えて、叶絵も立派な親バカである。壮碁はまた違う理由で泣けた。
(ほんと、ここまでは良かったんだよなぁ)
――全部は話してはいない。というか話せない部分の方が多い気がする。女将のこと、楼主のこと、こいつらは知らなくてもいい情報だ。……知らないままの方がいい。
おれは仰向けの状態で瞳を閉じた。そういや壮碁の質問に答えてねーや。まぁいいか。壮碁だし。しかし、この懐かしい部屋までが想像上とはねぇ……。昔よく通ったカナの私室。にわかには信じられないが、死んだ筈の自分がこうして考え事までするのだから、むしろこっちの方が不思議だ。死んだ。そう、死んじまったんだよなぁおれ……。
『あの時』、最期に見たのは、絶叫するカナの姿だった。
「どうした。膝なんか抱えて」
ある日、あきが珍しく落ち込んでいた。
「昨夜姉さんが、どこの馬のほねか知れない奴に見初められました」
「……おまえ、もう少し子どもらしい発言しろよ」
この頃にはカナも新造から一端の遊女となった。あいつももう十八、座敷もあきだけを連れて務めに励んでいる。さすがに遊女にもなれば、昔のように気軽には会えない。例え家族でもだ。寂しいが、おれが楼主の座を得るまでの辛抱だと言い聞かせる。あきも八歳になった。こっちはますます生意気に拍車が……いや、賢くなった。うん。おれが出るまでもなく、カナに悪い虫を寄り付かせない。頼もしい限りである。
「カナに惚れる奴らが湧いてくんのは今更だろ」
「そうなんですが、何か今までとはちがうんです。ごういんならおしおきもできます。けど、相手がうぶすぎて、しかも……姉さんも気になってるようすなんです」
うう、と膝に顔を埋めるあき。三年も付き合えばこいつの性格もわかってくる。
「で? どこの誰だ」
「反物をあつかう店のちゃくなんで、としは十九、きのしたそうごと言いますね。あ、店の名前も聞きます?」
「遠慮します。つか何がどこの馬の骨だよ! 情報揃えすぎて馬もびっくりするわ! え? 一晩で集めたのか?」
「とりひきさきの相手もいましたからね。よわせて聞き出しました」
「相変わらず手際がいいな。大方その取引先の奴に誘われたんだろ。だっておれ、きのした? なんて奴、記憶にねーし」
客の名前なら必ず確認している。どこの誰に当たるのかも。昨夜、カナの座敷の相手は違う名前だった。連れもいるんならそいつの名前も書いとけよ馬鹿。次は見逃さねぇ。
「初心なモン同士気が合ったんだろ。そんな坊ちゃんがひとりで来れるとも思えねーし、安心しろ、もう来きやしねぇよ」
しかし、その晩も、次の晩も、木ノ下壮碁とかいう男はカナを指名した。色っぽいことは何もない。ただ会話だけして帰っていく。終いにゃカナの身体を気遣う始末だ。おかげでカナは最近ぐっすり眠れているそうだが……。
(まぁムカつくけど、それでカナが安らぎを得てんなら……あ、やっぱムカつくわ)
今度面を拝ませて貰おうと決心した。
……悲報。八歳のガキに殺される美貌の妓夫。いや冗談だけど冗談でなくなりそう。
「何がもう来きやしねぇですか。めっちゃ来るんですけど? どっちから先にしまつしたらいいのでしょうか」
「待て! 絞まってる! 絞まってるから!」
小さい手が無理とわかり、布を使って首を絞めて来る辺り、こいつの本気を感じた。まさかこのおれが寝込みを襲われるとは。まぁあき相手に油断したのもあるけど。
おれの寝床は一度見世から出て、すぐ隣だ。あれ? おかしいな? 今日の不寝番はどうした?
不寝番とは、寝ずの番をする妓夫のことだ。おれは櫻花に住み込みで働いているが、他の妓夫たちは、吉原をまとめる組から派遣された男だ。遊郭の入り口にある会所だって、吉原の秩序を護るーなんて尤もらしいことを言っているが、やってることは遊女の監視だ。この世界は、遊女の足抜けを絶対に許さない。そしていくつかの組に分けて、吉原を四方から見張っている。楼主が雇う妓夫も、そのうちのひとつから組頭が派遣する。とまぁ、ややこしいこと言っちまったが、とにかく一番逆らっちゃなんねぇお役所ってことさ。
「おまえ、不寝番に何かしたか?」
「ああ、あの人」
あきはおれから降りると、やれやれと肩を竦めた。
「さいきんのわかものはたるんでますね。すすめられても、きんむちゅうにお酒はだめですよ」
「なるほど。眠らせて来たか」
「ねずの番、おつかれさまです。で、いっぱつです。まぁ少しくすりも、もりましたが」
「おまえなぁ、朝になったら会えるだろ? わざわざ危ない橋渡ってまで話すことか?」
「姉さんがいらっしゃるところで、あんさつのお話ができます?」
「するな。ナニ? 何がそんなに気に喰わねぇんだ?」
「そのうち、あげ代もつきると思っていたんですけど、思ったよりもじっかがゆうふくで、もしかしたら、姉さんが身うけされちゃうんじゃないかって……」
シュンとする様子はなるほど子どもらしい。だが見た目に騙されちゃあいけねぇ。八つのガキが吐く台詞じゃねーから。
「とうとう実家の財産まで調べたのか。おっそろしいなおまえ」
「だって、もう一月近くかよっているんですよ? じめつを待っているのに、そのけはいはありませんし、なんだか姉さんともいいふんいきですし。どうしてくれるんですか」
「だからっておれに当たるなよ」
「他にだれに当たればいいんですか」
「当たるな! 誰にも!」
おれは深い溜め息をつく。とりあえずこいつが見つかったら危ない。
「木ノ下はおれも注意しとくから、おまえは帰って寝ろ」
「……ここで寝ます」
「駄目だ。不寝番が起きたら折檻されっぞ」
「禿ふぜいにいっぷくもられた人が、口をわるはずないですよ」
「ワルだなぁ」
だがやはり、おれにとっては可愛い妹だ。多少性格に難ありだが。いや多少でもねぇか。
その日は久しぶりに二人で寝た。後日、朝早く見み世せに戻すことも忘れなかった。
(なるほどなぁ。あいつらどう見ても相思相愛じゃねーの)
一応自分の目でも確かめようと思っていたが、さっそく機会が訪れた。座敷には入れないが、外で会う分なら問題ない。カナから見送られて帰ろうとする木ノ下の衿首を掴む。もちろんカナからは見えてない。米蔵の裏まで連れて行き、男を逃がさないように壁に片足を着く。端から見たら立派なカツアゲ現場である。
「きみが壮碁くん?」
「え、どちら様ですか?」
「んー? 桔梗ちゃんから聞いてない?」
若い男だった。いや自分も十分若いけど! えーっと、確かあきの情報だと十九とか言ってたな。の割に幼く見えんな。まぁお坊ちゃんらしいし、世間に呑まれてなきゃこんなもんか。あきは初心っつってたけど、どっちかと言うと世間知らずっぽいな。二乃助はそう冷静に分析した。
(カナは奥手だからなぁ。きっと助平ではないんだろうが。つか、そういう奴だったらあきが見過ごさねぇか。あいつの撃退の仕方えぐいしな)
じろじろと上から下へと見ていると、壮碁くんが身じろいだ。
「すみません。貴方はとても魅力的ですが、自分にはそっちの気はなくて……」
「おれもねーよ」
あ、こいつバカだ。
それが壮碁の第一印象だった。
「お兄様だったのですか! 大変失礼いたしました!」
「マジで失礼だかんな? おめぇさん」
何度もペコペコ頭を下げられる。カナからおれのことは聞いていたようだが、すぐ兄妹だと結びつかないとか鈍すぎねーか? 日頃あきを相手にしているせいか、天然という人種が存在することを忘れていた。あいつはあいつで、もう少し鈍くなった方がいいと思う。
おれも仕事上がりだったし、何なら酒にと誘ったら、
「すみません、自分呑めないんです」
そこは気合で呑めよ。おま、何しにここに来てんだよ。食い物か! そういや最初の夜は呑んだんじゃねーの? 取引先の相手とやらと。あ、そいつ、あきが潰したんだった。
壮碁は真面目な男だった。真面目すぎてからかい甲斐もある。何度かカナと一緒のところを見せたら、妬心を隠さない顔で悔しがっていた。
「お兄様は桔梗さんのことが、その、お好きなんですか?」
「大好きに決まってんだろうが」
「く……っ」
嘘だろ泣いたよ。
「ど、どうしたよ?」
「いえ、桔梗さんはいつも貴方と、もうひとりの妹さんのお話をなさいます」
おまえ、そのもうひとりの妹さんから身辺調査されてっぞ。
「ずっと、そうなのかもと思っていて、もしそうなら、潔く諦めようと、心に決めていたのですが……」
「ごめん。お兄さんにもわかるように話してくんねーかな?」
自分は決して鈍い方ではない。だのに話の先が読めない。
「大丈夫です。自分、偏見はありません。辛いのは当人たちですから」
「誰が当人? 偏見ってナニ?」
「どうか、桔梗さんを泣かせないでやって下さい」
「読めたああああ! おまえ! なんちゅう勘違いしてくれてんの? ここにあきがいたら殺されても文句言えねーぞ!」
壮碁はポカンとしている。いや、こっちがポカンとしたいわ! こいつ、よりにもよっておれとカナが恋仲だと思ってやがった! あきがいなくてよかった。殺されるところだった。こいつが。
「違うのですか?」
「兄妹愛! 美しい兄弟愛ね!」
「本当に?」
「当たり前だろ! 馬鹿かおまえ! 馬鹿だったな!」
ホッと胸を撫で下ろす様子を見て、今後からかう人間は選ぼうと心に誓った。
(おれが楼主になるのが先かと思ってたけど、こいつ、カナのことかなり本気っぽいな)
本当に身請けを視野に入れていそうだ。あきはごねるだろうが、もしカナを身請けするならおれは何も言わないつもりだ。壮碁はまぁ、馬鹿で真面目で天然だが、悪い奴ではない。どうせ誰かに貰われていくのならこいつがいい。ただ、最後にカナと思い出を作っておきたかった。まさかそれのせいで勘違いされるとは思わなかった。
「おれはカナを好きだから、誰かに貰われて幸せになって欲しい」
壮碁が真剣な表情でこっちを見た。
「この意味、わかるよな?」
悪いなあき。おれは、カナの意思を尊重するよ。
いつしか壮碁はカナを本名で呼ぶようになった。あきは荒れに荒れた。頑張れ壮碁。ぶっちゃけ最大の難関はそいつだから。
また幾日経った頃、ようやくあきが折れた。見事壮碁の粘り勝ちである。
そうして予想していた通り、カナの身請け話が上がった。あきは悔しがっていたが祝福もしていた。まぁおれだって手放しに喜べるかと言えば嘘になる。けれど、結局おれらはカナが幸せならそれが一番だった。
しかし、カナの幸せな未来は無情にも潰えることになる。
「おいじじい! なんで勝手にカナを花魁にした!」
「楼主様と呼べ。奴は金を持ってる。どうせなら桔梗の身分を高くして、もっと儲けようと思っただけだ」
「……嘘をつけ」
自分でも驚くほど低い声が出た。地を這うってやつだ。
「おれが気に喰わねぇならおれだけにしろ。妹を巻き込むな」
「何のことだ? お前はしっかり働いてくれてるじゃないか。むしろ気に入っているくらいだ」
「……っ」
この狸じじいめ! どう考えても女将がおれに惚れてることへの腹いせだ。何をどうしたらおれが傷つくかよくわかっている。怒りで頭が沸騰しそうだった。このままで終わらせるか。
その日は互いに火花を散らして終えた。おれと楼主が険悪な仲になってしばらくした頃、あきが古い冊子を片手に会いに来た。
「ろうしゅのへやで見つけたものです」
「おまっ、また危ない真似を……っ」
「ちゃんとあとで返します。その前に、あなたにも目をとおしてもらいたくて」
渡された冊子の中身を確認する。なるほどね。そこには徳川幕府序盤までの実際行われてた様々な処刑法が書かれてあった。ご親切に胸くそ悪い挿し絵つきだ。誰得だよ。中には政で禁止になった筈のものもある。だがそんなもの、この遊里には関係ねぇ。幕府公認といっても、その法は遊郭には通用しない。外とはあまりに遠い。いや、違う。ここだけが別世界なのだ。
「ろうしゅはあなたを殺すきかいをうかがっています。くれぐれも気をつけてください」
「ああ」
「……おっかさまですか?」
「ほんと鋭いよなおまえ」
楼主に憎しみの一割が、おれが楼主の座を狙っているものだとしたら、残り九割が嫉妬だろう。おれに嫌がらせする前に自分てめぇの妻を大事にしやがれと言いたい。
「……死なないでくださいよ?」
……まったく、こいつにここまで心配かけてるなんて、おれも不甲斐ねーな。
「大丈夫だ。おまえたちを残して逝かねぇよ」
そう言って、あきの頭に手を置いた。
だがその後、再びあきと会うことは叶わなかった。
同じ日、壮碁が足抜けの相談を持ちかけて来た。楼主が身請けさせる気がないのは知っていたおれは快く引き受けた。彼らの足抜けが成功したら、おれもあきを連れて逃げようとも考えていた。しかし、おれを訪れて来たのはカナでも壮碁でもなかった。屈強な男たちの前で勝ち誇る楼主の様子に何もかも悟った。バレた。もしくはバラされた。後者だとすると、壮碁の精一杯の仕返しなのだろう。散々弄んだんだ。仕返しされても仕方がない。だがあの優しい青年のことだ。こんなに大事になるとは思ってなかっただろう。
連れて来られた広場には、既に何人もの人間が輪になって待っていた。身なりからして皆、商家か武家の出だろう。なるほど、暇を持て余した金持ちたちか。更に周りを見る。両手、両足を縛られている為、首しか動かせなかった。
視線の先に牛が見えた時、これから何が始まるかわかった。どうやって殺されるのかも。
(……牛裂き、つったか?)
四頭いるってことは四肢裂きか。ちょうどあきの持って来た冊子で読んだばかりだ。うっすら折り目が付いていたから印象に残っていた。内心で溜め息をつく。やられた。こっちが手を打つ前からとっくにおれを殺す準備は出来ていたのだ。
(となると、ここにいる奴らは見物人ってとこか)
あの本の内容によると、牛裂きはあまりの惨さに禁止されている処刑法だ。俗世ではお目に掛かれないと知って、わざわざ金を払ってまで見物に集まったのだろう。まったく、いい趣味をしている。
(さっそくあきとの約束を破ることになったな)
化けて出たら怒るだろうな、と自嘲気味に笑う。
楼主が何か言っている。どうでもいい。どうせありもしない罪状でも読み上げてるんだろ。くだらねぇ。
「兄様……っ」
――え?
驚いて顔を上げた。すると目の前にカナが立っていた。連れて来られたのか? 嘘だろ。見せるのか? おれの死にざまを、こんな残酷な処刑を……。
「じじい! てめぇええええええええ!」
喉元に噛みついてやりたかった。しかしおれの身体は縄で縛られ身動きが取れない。興奮する牛たちの鼻息が聞こえた。直後、全身に走った痛みは言葉では言い表せない。
カナが悲鳴を上げ、滝のように涙を流していた。いつものように頭を撫でてやりたいが、残念なことに、使いたい腕は遠くに持って行かれてしまった。
何度か血を吐いて、無理に笑顔を作る。これで最期なら、尚更笑顔のおれを残しておきたい。
「生きろ」
ちゃんと言えただろうか? 薄れゆく意識の中、カナの絶叫が辺りに響いた。ああ、泣かしちまってごめんな? あきもこの後知ることになるのだろう。残して逝かねぇって約束したばかりなのに……。本当にごめん。至らねぇ兄貴でごめん。一緒に生きてやれなくてごめん。
二人とも、ずっと愛してる――――
「っス!」
壮碁は袈裟で涙と鼻水を拭いていた。……おい僧侶。
まぁこんな思い出話が出来るのも、あきが寝ているおかげだ。起きてたら絶対に怒る。
楼主がいないとわかり、カナと壮碁の元へ戻ると、あきはカナの膝に体面なく頭を預けた。戻ったら結ってやると意気込んでいた髪も、あきの状態を見たら言う気も無くなった。やはりどこか不調なのだろうか。おれたちの前だけならともかく、壮碁の前で無防備になるとは。それか壮碁が眼中に無かったのか。あ、普通に後者な気がしてきた。
『あきがこんなに疲れているのも珍しいわね』
「ああ、そいつ、今日江戸に着いたばかりみてぇだからな」
カナに膝枕して貰っているあきは当分起きそうにない。さっきまでの威勢はどこに行った。いや、逆に言えば今頃気が抜けたのだろう。こいつ、起きてから壮碁に気づいたら息の根止めに掛かるんじゃないか? それくらいあきは他人に厳しい。もちろん、おれらは除外だ。
「そう言えば、あきさんは今までどこに?」
優越感に浸っていると壮碁がそんなことを訊いてきた。質問の内容はわかる。が、
「あ? 『あき』さん?」
ナニ気安く名前呼んでんだ。
「え、ではなんと呼べば……」
「……つか呼ぶ必要なくね?」
『そうね。あきと呼んでいいのはわたくしたちだけがいいわ』
「叶絵さんまで!」
こう見えて、叶絵も立派な親バカである。壮碁はまた違う理由で泣けた。
(ほんと、ここまでは良かったんだよなぁ)
――全部は話してはいない。というか話せない部分の方が多い気がする。女将のこと、楼主のこと、こいつらは知らなくてもいい情報だ。……知らないままの方がいい。
おれは仰向けの状態で瞳を閉じた。そういや壮碁の質問に答えてねーや。まぁいいか。壮碁だし。しかし、この懐かしい部屋までが想像上とはねぇ……。昔よく通ったカナの私室。にわかには信じられないが、死んだ筈の自分がこうして考え事までするのだから、むしろこっちの方が不思議だ。死んだ。そう、死んじまったんだよなぁおれ……。
『あの時』、最期に見たのは、絶叫するカナの姿だった。
「どうした。膝なんか抱えて」
ある日、あきが珍しく落ち込んでいた。
「昨夜姉さんが、どこの馬のほねか知れない奴に見初められました」
「……おまえ、もう少し子どもらしい発言しろよ」
この頃にはカナも新造から一端の遊女となった。あいつももう十八、座敷もあきだけを連れて務めに励んでいる。さすがに遊女にもなれば、昔のように気軽には会えない。例え家族でもだ。寂しいが、おれが楼主の座を得るまでの辛抱だと言い聞かせる。あきも八歳になった。こっちはますます生意気に拍車が……いや、賢くなった。うん。おれが出るまでもなく、カナに悪い虫を寄り付かせない。頼もしい限りである。
「カナに惚れる奴らが湧いてくんのは今更だろ」
「そうなんですが、何か今までとはちがうんです。ごういんならおしおきもできます。けど、相手がうぶすぎて、しかも……姉さんも気になってるようすなんです」
うう、と膝に顔を埋めるあき。三年も付き合えばこいつの性格もわかってくる。
「で? どこの誰だ」
「反物をあつかう店のちゃくなんで、としは十九、きのしたそうごと言いますね。あ、店の名前も聞きます?」
「遠慮します。つか何がどこの馬の骨だよ! 情報揃えすぎて馬もびっくりするわ! え? 一晩で集めたのか?」
「とりひきさきの相手もいましたからね。よわせて聞き出しました」
「相変わらず手際がいいな。大方その取引先の奴に誘われたんだろ。だっておれ、きのした? なんて奴、記憶にねーし」
客の名前なら必ず確認している。どこの誰に当たるのかも。昨夜、カナの座敷の相手は違う名前だった。連れもいるんならそいつの名前も書いとけよ馬鹿。次は見逃さねぇ。
「初心なモン同士気が合ったんだろ。そんな坊ちゃんがひとりで来れるとも思えねーし、安心しろ、もう来きやしねぇよ」
しかし、その晩も、次の晩も、木ノ下壮碁とかいう男はカナを指名した。色っぽいことは何もない。ただ会話だけして帰っていく。終いにゃカナの身体を気遣う始末だ。おかげでカナは最近ぐっすり眠れているそうだが……。
(まぁムカつくけど、それでカナが安らぎを得てんなら……あ、やっぱムカつくわ)
今度面を拝ませて貰おうと決心した。
……悲報。八歳のガキに殺される美貌の妓夫。いや冗談だけど冗談でなくなりそう。
「何がもう来きやしねぇですか。めっちゃ来るんですけど? どっちから先にしまつしたらいいのでしょうか」
「待て! 絞まってる! 絞まってるから!」
小さい手が無理とわかり、布を使って首を絞めて来る辺り、こいつの本気を感じた。まさかこのおれが寝込みを襲われるとは。まぁあき相手に油断したのもあるけど。
おれの寝床は一度見世から出て、すぐ隣だ。あれ? おかしいな? 今日の不寝番はどうした?
不寝番とは、寝ずの番をする妓夫のことだ。おれは櫻花に住み込みで働いているが、他の妓夫たちは、吉原をまとめる組から派遣された男だ。遊郭の入り口にある会所だって、吉原の秩序を護るーなんて尤もらしいことを言っているが、やってることは遊女の監視だ。この世界は、遊女の足抜けを絶対に許さない。そしていくつかの組に分けて、吉原を四方から見張っている。楼主が雇う妓夫も、そのうちのひとつから組頭が派遣する。とまぁ、ややこしいこと言っちまったが、とにかく一番逆らっちゃなんねぇお役所ってことさ。
「おまえ、不寝番に何かしたか?」
「ああ、あの人」
あきはおれから降りると、やれやれと肩を竦めた。
「さいきんのわかものはたるんでますね。すすめられても、きんむちゅうにお酒はだめですよ」
「なるほど。眠らせて来たか」
「ねずの番、おつかれさまです。で、いっぱつです。まぁ少しくすりも、もりましたが」
「おまえなぁ、朝になったら会えるだろ? わざわざ危ない橋渡ってまで話すことか?」
「姉さんがいらっしゃるところで、あんさつのお話ができます?」
「するな。ナニ? 何がそんなに気に喰わねぇんだ?」
「そのうち、あげ代もつきると思っていたんですけど、思ったよりもじっかがゆうふくで、もしかしたら、姉さんが身うけされちゃうんじゃないかって……」
シュンとする様子はなるほど子どもらしい。だが見た目に騙されちゃあいけねぇ。八つのガキが吐く台詞じゃねーから。
「とうとう実家の財産まで調べたのか。おっそろしいなおまえ」
「だって、もう一月近くかよっているんですよ? じめつを待っているのに、そのけはいはありませんし、なんだか姉さんともいいふんいきですし。どうしてくれるんですか」
「だからっておれに当たるなよ」
「他にだれに当たればいいんですか」
「当たるな! 誰にも!」
おれは深い溜め息をつく。とりあえずこいつが見つかったら危ない。
「木ノ下はおれも注意しとくから、おまえは帰って寝ろ」
「……ここで寝ます」
「駄目だ。不寝番が起きたら折檻されっぞ」
「禿ふぜいにいっぷくもられた人が、口をわるはずないですよ」
「ワルだなぁ」
だがやはり、おれにとっては可愛い妹だ。多少性格に難ありだが。いや多少でもねぇか。
その日は久しぶりに二人で寝た。後日、朝早く見み世せに戻すことも忘れなかった。
(なるほどなぁ。あいつらどう見ても相思相愛じゃねーの)
一応自分の目でも確かめようと思っていたが、さっそく機会が訪れた。座敷には入れないが、外で会う分なら問題ない。カナから見送られて帰ろうとする木ノ下の衿首を掴む。もちろんカナからは見えてない。米蔵の裏まで連れて行き、男を逃がさないように壁に片足を着く。端から見たら立派なカツアゲ現場である。
「きみが壮碁くん?」
「え、どちら様ですか?」
「んー? 桔梗ちゃんから聞いてない?」
若い男だった。いや自分も十分若いけど! えーっと、確かあきの情報だと十九とか言ってたな。の割に幼く見えんな。まぁお坊ちゃんらしいし、世間に呑まれてなきゃこんなもんか。あきは初心っつってたけど、どっちかと言うと世間知らずっぽいな。二乃助はそう冷静に分析した。
(カナは奥手だからなぁ。きっと助平ではないんだろうが。つか、そういう奴だったらあきが見過ごさねぇか。あいつの撃退の仕方えぐいしな)
じろじろと上から下へと見ていると、壮碁くんが身じろいだ。
「すみません。貴方はとても魅力的ですが、自分にはそっちの気はなくて……」
「おれもねーよ」
あ、こいつバカだ。
それが壮碁の第一印象だった。
「お兄様だったのですか! 大変失礼いたしました!」
「マジで失礼だかんな? おめぇさん」
何度もペコペコ頭を下げられる。カナからおれのことは聞いていたようだが、すぐ兄妹だと結びつかないとか鈍すぎねーか? 日頃あきを相手にしているせいか、天然という人種が存在することを忘れていた。あいつはあいつで、もう少し鈍くなった方がいいと思う。
おれも仕事上がりだったし、何なら酒にと誘ったら、
「すみません、自分呑めないんです」
そこは気合で呑めよ。おま、何しにここに来てんだよ。食い物か! そういや最初の夜は呑んだんじゃねーの? 取引先の相手とやらと。あ、そいつ、あきが潰したんだった。
壮碁は真面目な男だった。真面目すぎてからかい甲斐もある。何度かカナと一緒のところを見せたら、妬心を隠さない顔で悔しがっていた。
「お兄様は桔梗さんのことが、その、お好きなんですか?」
「大好きに決まってんだろうが」
「く……っ」
嘘だろ泣いたよ。
「ど、どうしたよ?」
「いえ、桔梗さんはいつも貴方と、もうひとりの妹さんのお話をなさいます」
おまえ、そのもうひとりの妹さんから身辺調査されてっぞ。
「ずっと、そうなのかもと思っていて、もしそうなら、潔く諦めようと、心に決めていたのですが……」
「ごめん。お兄さんにもわかるように話してくんねーかな?」
自分は決して鈍い方ではない。だのに話の先が読めない。
「大丈夫です。自分、偏見はありません。辛いのは当人たちですから」
「誰が当人? 偏見ってナニ?」
「どうか、桔梗さんを泣かせないでやって下さい」
「読めたああああ! おまえ! なんちゅう勘違いしてくれてんの? ここにあきがいたら殺されても文句言えねーぞ!」
壮碁はポカンとしている。いや、こっちがポカンとしたいわ! こいつ、よりにもよっておれとカナが恋仲だと思ってやがった! あきがいなくてよかった。殺されるところだった。こいつが。
「違うのですか?」
「兄妹愛! 美しい兄弟愛ね!」
「本当に?」
「当たり前だろ! 馬鹿かおまえ! 馬鹿だったな!」
ホッと胸を撫で下ろす様子を見て、今後からかう人間は選ぼうと心に誓った。
(おれが楼主になるのが先かと思ってたけど、こいつ、カナのことかなり本気っぽいな)
本当に身請けを視野に入れていそうだ。あきはごねるだろうが、もしカナを身請けするならおれは何も言わないつもりだ。壮碁はまぁ、馬鹿で真面目で天然だが、悪い奴ではない。どうせ誰かに貰われていくのならこいつがいい。ただ、最後にカナと思い出を作っておきたかった。まさかそれのせいで勘違いされるとは思わなかった。
「おれはカナを好きだから、誰かに貰われて幸せになって欲しい」
壮碁が真剣な表情でこっちを見た。
「この意味、わかるよな?」
悪いなあき。おれは、カナの意思を尊重するよ。
いつしか壮碁はカナを本名で呼ぶようになった。あきは荒れに荒れた。頑張れ壮碁。ぶっちゃけ最大の難関はそいつだから。
また幾日経った頃、ようやくあきが折れた。見事壮碁の粘り勝ちである。
そうして予想していた通り、カナの身請け話が上がった。あきは悔しがっていたが祝福もしていた。まぁおれだって手放しに喜べるかと言えば嘘になる。けれど、結局おれらはカナが幸せならそれが一番だった。
しかし、カナの幸せな未来は無情にも潰えることになる。
「おいじじい! なんで勝手にカナを花魁にした!」
「楼主様と呼べ。奴は金を持ってる。どうせなら桔梗の身分を高くして、もっと儲けようと思っただけだ」
「……嘘をつけ」
自分でも驚くほど低い声が出た。地を這うってやつだ。
「おれが気に喰わねぇならおれだけにしろ。妹を巻き込むな」
「何のことだ? お前はしっかり働いてくれてるじゃないか。むしろ気に入っているくらいだ」
「……っ」
この狸じじいめ! どう考えても女将がおれに惚れてることへの腹いせだ。何をどうしたらおれが傷つくかよくわかっている。怒りで頭が沸騰しそうだった。このままで終わらせるか。
その日は互いに火花を散らして終えた。おれと楼主が険悪な仲になってしばらくした頃、あきが古い冊子を片手に会いに来た。
「ろうしゅのへやで見つけたものです」
「おまっ、また危ない真似を……っ」
「ちゃんとあとで返します。その前に、あなたにも目をとおしてもらいたくて」
渡された冊子の中身を確認する。なるほどね。そこには徳川幕府序盤までの実際行われてた様々な処刑法が書かれてあった。ご親切に胸くそ悪い挿し絵つきだ。誰得だよ。中には政で禁止になった筈のものもある。だがそんなもの、この遊里には関係ねぇ。幕府公認といっても、その法は遊郭には通用しない。外とはあまりに遠い。いや、違う。ここだけが別世界なのだ。
「ろうしゅはあなたを殺すきかいをうかがっています。くれぐれも気をつけてください」
「ああ」
「……おっかさまですか?」
「ほんと鋭いよなおまえ」
楼主に憎しみの一割が、おれが楼主の座を狙っているものだとしたら、残り九割が嫉妬だろう。おれに嫌がらせする前に自分てめぇの妻を大事にしやがれと言いたい。
「……死なないでくださいよ?」
……まったく、こいつにここまで心配かけてるなんて、おれも不甲斐ねーな。
「大丈夫だ。おまえたちを残して逝かねぇよ」
そう言って、あきの頭に手を置いた。
だがその後、再びあきと会うことは叶わなかった。
同じ日、壮碁が足抜けの相談を持ちかけて来た。楼主が身請けさせる気がないのは知っていたおれは快く引き受けた。彼らの足抜けが成功したら、おれもあきを連れて逃げようとも考えていた。しかし、おれを訪れて来たのはカナでも壮碁でもなかった。屈強な男たちの前で勝ち誇る楼主の様子に何もかも悟った。バレた。もしくはバラされた。後者だとすると、壮碁の精一杯の仕返しなのだろう。散々弄んだんだ。仕返しされても仕方がない。だがあの優しい青年のことだ。こんなに大事になるとは思ってなかっただろう。
連れて来られた広場には、既に何人もの人間が輪になって待っていた。身なりからして皆、商家か武家の出だろう。なるほど、暇を持て余した金持ちたちか。更に周りを見る。両手、両足を縛られている為、首しか動かせなかった。
視線の先に牛が見えた時、これから何が始まるかわかった。どうやって殺されるのかも。
(……牛裂き、つったか?)
四頭いるってことは四肢裂きか。ちょうどあきの持って来た冊子で読んだばかりだ。うっすら折り目が付いていたから印象に残っていた。内心で溜め息をつく。やられた。こっちが手を打つ前からとっくにおれを殺す準備は出来ていたのだ。
(となると、ここにいる奴らは見物人ってとこか)
あの本の内容によると、牛裂きはあまりの惨さに禁止されている処刑法だ。俗世ではお目に掛かれないと知って、わざわざ金を払ってまで見物に集まったのだろう。まったく、いい趣味をしている。
(さっそくあきとの約束を破ることになったな)
化けて出たら怒るだろうな、と自嘲気味に笑う。
楼主が何か言っている。どうでもいい。どうせありもしない罪状でも読み上げてるんだろ。くだらねぇ。
「兄様……っ」
――え?
驚いて顔を上げた。すると目の前にカナが立っていた。連れて来られたのか? 嘘だろ。見せるのか? おれの死にざまを、こんな残酷な処刑を……。
「じじい! てめぇええええええええ!」
喉元に噛みついてやりたかった。しかしおれの身体は縄で縛られ身動きが取れない。興奮する牛たちの鼻息が聞こえた。直後、全身に走った痛みは言葉では言い表せない。
カナが悲鳴を上げ、滝のように涙を流していた。いつものように頭を撫でてやりたいが、残念なことに、使いたい腕は遠くに持って行かれてしまった。
何度か血を吐いて、無理に笑顔を作る。これで最期なら、尚更笑顔のおれを残しておきたい。
「生きろ」
ちゃんと言えただろうか? 薄れゆく意識の中、カナの絶叫が辺りに響いた。ああ、泣かしちまってごめんな? あきもこの後知ることになるのだろう。残して逝かねぇって約束したばかりなのに……。本当にごめん。至らねぇ兄貴でごめん。一緒に生きてやれなくてごめん。
二人とも、ずっと愛してる――――
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