きみに幸あらんことを~復讐は愛を呼ぶ~

貴美

文字の大きさ
13 / 16
番外編

生意気なおまえにいつか恋する予感。

しおりを挟む
 妓夫ぎゅうのおれたちは様々な仕事を分担している。客引きから始り、見世の妓女おんなたちの監視。しかし彼女らを護るのもおれたちの仕事だ。不届きな客には容赦しない。そこに身分は関係ない。それが幕府公認、遊郭というおりだ。

(ったく、厄日だな)

 二乃助はわずらわしそうに足下に転がる男を見下ろす。最近入った奴だろう。おれのことを知らないなんて。女顔だと喧嘩を吹っ掛けられたのは久しぶりだった。というのも、吉原に来た当初はしょっちゅう絡まれ、その都度つど片っ端からぶっ飛ばした。なんでそんなに強いかって? そりゃ喧嘩の場数だな。百姓だったおれは幼い頃から畑を耕してただけあって筋肉はある方だ。だが哀しいかな、まっっったく表に出ない体質だった。もっとムキムキに見えたのなら売られる喧嘩の数も減ってたんだろうなぁ。

 軽くたそがれていると足下の男が立ち上がろうとしていたから踏みつけて深く地面に沈める。二度とちょっかいを掛けてこないよう念には念を入れて。

(無駄な時間を食っちまったな)

 頭を掻きながら持ち場に戻ったら……なんかいた。

「おい、そこのみのむし。今日は何やった」

 縄でぐるぐる巻きされ枝から吊るされている人物に脱力感を覚える。

「いいから早くおろしてください。いたいけなおなごをかんさつするのがごしゅみですか」
「その姿で言われてもウケるだけだからな」

 まったく、とあきを下ろす。次いで縄もほどき怪我がないことを確認する。このクッソ可愛げがない禿かむろはおれの二人目の妹だ。名前はあき。今年八歳になった。ついでに言えばおれは二十五になった。

「カナはどうした。つか、最近おまえお仕置き多くないか? 得意の猫はどうした」
「姉さんはおざしきです。は? なぜわたしが姉さんいがいにおべっか使わなきゃいけないのですか。むだなろうりょくはきらいです」

 額を押さえる。頭が痛い。あーこいつの言う姉さんってのは叶絵かなえのことだ。カナはこの見世の遊女で、普段は桔梗っていう源氏名を名乗ってる。初めはおれたち二人だった妓楼暮らしだったが、こいつがカナの世話役になってから生活が一変した。賑やかになったのはいいが苦労も絶えない。主におれの。

「で? 今度は何した」

 折檻せっかんというには甘い仕置きだ。こいつもそこら辺はわきまえていて、おいたも手加減していることを知っている。それが自分の為でなくカナを哀しませない為だ。今回もカナが座敷に上がってからの所業だろう。

「姉さんをかってにこうてきしゅに見ているじょろうのかむろがカエルを投げいれてきたので」

 はあ? なんつー怖いもの知らずな女郎と禿だ。さては新人だな。

「お返しにヘビをおくっただけです」
「……おう」

 可愛い嫌がらせが大惨事じゃねーか。

「わざわざ毒をもたないヘビをえらんだのに、ありがたさを知らない人たちですね」
「一応おれからも手を出さねーよう注意しとくわ。そいつらの為にも」

 上も喧嘩両成敗けんかりょうせいばいにするか悩んだ上でのこの仕置きだろう。

「おまえももう少し優しい仕返しに留まっとけよ」

 優しい仕返しとはこれ如何いかに。だが二乃助は己の発言の矛盾に気づいてない。この辺りが二人が似ていると言われる所以ゆえんだ。

「それでははんせいしないでしょう。二度とつまらないけんかを売らないようにてっていてきにつぶさなければ」
「理屈はわかるんだよなー」

 舌足らずなガキの発言で無ければここまで頭を痛めたりしない。こいつの精神年齢いくつだよ! と頭を抱えた数知れず。唯一カナの前だけは年相応に振る舞っているが……。

「はぁ、おかげで姉さんが戻るまでひまになりました。まぁ今夜はみすごしに曲をひろうするだけと聞いてますし、ふらちなやからもいないでしょう」

 あきは着物に付いた土埃を払いながら言った。そこでふと二乃助の状態に気づく。

「二乃助さん、けんかでもしたのですか?」
「え? ああ、こりゃ返り血だから心配すんな」
「何やってるんですか。姉さんがしんぱいするようなまねはひかえてください」
「そっくりそのまま返すわ」

 他の誰かに言われてもこいつだけには言われたくない。しかしカナを無暗に怖がらせるのも得策ではないな。

(とりあえず新しいのに着替えるか)

 くそ。あの野郎のせいで余計な手間が増えた。心の中で毒ついていると、あきがじっとこちらを見ているのに気づく。

「どうかしたか?」
「二乃助さんってけんかがおつよいですけど」

 それっきり口を閉ざしたあきに首を傾げる。

「なんだ」
「いえ、やっぱりなんでもないです」

 ああ、何か訊きづらいことだったか。あきは口は悪いし態度も悪いが、勘がいいせいか変に気を遣うところもある。

「おまえなぁ。おれなんかにも気を遣ってどこで本音を出すんだよ。訊けよ好きなだけ。今更おれが傷つく玉だと思うか?」
「でも」
「でももだってもねぇよ。気になって眠れやしねぇじゃねーか。いいから言ってみろ」
「すみません」

 おず、と顔を上げるあきに苦笑する。優しく続きを促せば、あきは戸惑いながらも口を開いた。

「気をわるくするかもしれません」
「聞いてみなきゃわからねーだろ。おれが喧嘩っ早いのが不思議か?」
「いえ、このまちで生きるにはつよくならざるをえないと思うので、二乃助さんがおつよいのもけんかの場かずをかんがえたらわかります」
「お、おう」

 相変わらず鋭い洞察力どうさつりょくだ。これで八つだぞ? 信じられっか?

「……姉さんが売られてきたいきさつは、ききません。ただ、なぜ、あなただけが、と思って。本当はこれもきくつもりはなかったのですが」
「そりゃ身内が心配だからな」
「わたしも、二乃助さんのたちばなら同じよう姉さんのそばにいます。けんかだって買います。でも、なぜあなただけ?」

 あ、もしかして親父たちのことを気にしてんのか。

「大丈夫だ。別にカナは親父たちに売られた訳じゃねーよ」
「……ごりょうしんのことは姉さんからきいています。たいそうやさしかったことも」
「そうか……、その、悪かったな」

 カ、ナ! いや、もしかしたらこいつから訊いたのかも……ねーな! 多分話の弾みで出たんだろうが、両親にも実の兄貴にも見捨てられたこいつが何を思ったのか。

「はい? わたしは聞けてうれしかったですよ。世の中にはすてきなごりょうしんもいるんだなって安心しました。だからなおさら……」
「尚更、なんだ?」

「なおさら……ごきょうだいの話をなさらないのがふしぎだったんです」
「……っ」

 息を呑んだ。なぜ気づいた。カナは兄貴の死を目の辺りにしている。おれにも話題を振らないほどに傷ついている。おれも、そのことを掘り下げるようなことはしなかった。――兄貴を手に掛けた叔父おじを殺したことも話していない。

「……いつから気づいてた」
「名前。あなたの名前を漢字で見たときからです。に、のすけ、って、ふつうにかんがえたら次男に付ける名前じゃないかって」
「……」

 名前。たったそれだけの情報で。

「あ、その、ごぞんめいなのかも知りませんが、もし生きてらっしゃるのならやまいなのかと。あなただけがおつよいのもそのせいかなと」
「死んだ」
「え」
「いや、ちげーな。叔父に殺された」
「なっ」

「だから殺した。叔父を。おれが、この手で」

 今度はあきが息を呑む番だった。ドカリと腰を下ろしあぐらをかく。そして今にも泣きだしそうなあきを見上げる。いや、見上げるほどもねーな。

「身体が弱かったのも確かだよ。けれどおれにはもったいねーくれぇ人が出来た兄貴だった」

 きっとあの事件がなければ、今もカナと兄貴と三人で暮らしていたかもしれない。けど、そこにはあきがいない。こいつもいなければ意味がないとか、随分欲張りな己に笑う。それくらい、あきの存在はデカくなってた。

「おれがこえーか?」

 言いながら俯く。情けないことにあきの顔が見られなかった。もし怯えた目をしていたら? それが怖かった。話さなければ良かったとも思う。なぜ話してしまったのか。今更後悔しても遅いことはわかってる。

「ちがい、ますよ」

 そう言ったあきの声音は泣いているようだった。

「ただ、かなしくて。かなしかったんだろうなって、思って……」
「それだけか?」

 驚いた。逃げられるのも覚悟していたのに。思わず顔を上げる。するとあきは怒ったように続けた。

「お兄さまのむねんをはらしたことを、それだけなんておっしゃらないでください」
「いや、そうじゃなくて……俺は人を殺したんだぞ?」
「お兄さまのかたきを討ったことですか? 今の話をきいて、もしそのおじが生きていたらわたしが殺していますよ」
「は?」

 こいつは自分が何を言ってるのかわかってんのか。

「……なんですかその顔は。わたしはあなたの妹なのではなかったのですか。ならそのお兄さまもわたしの兄です。兄をかたきを討つのはおかしいことですか?」

 胸が熱くなるのを感じた。目も。とっさに右手で両目を覆う。そうしなければ泣いてしまいそうだった。

「……誰にも……」

 ずっと仕舞い込んでいた気持ちが溢れ出す。

「カナにも、話せなかった……話して、怖がられ、る……っ」

 駄目だ。唇を噛んで涙をこらえる。すると頭が柔らかいものに包まれた。――あきがおれの頭を抱え込んでいた。

「姉さんがこわがるはずがないでしょう。ぎゃくにしんぱいはなさるでしょうが。あなたはわたしたちを見くびりすぎですね」
「……おれのしたことは自己満足だ。……ゆるされることじゃない」
「だからなんです? じこまんぞく? じょうとうですよ。だって、それしかのこっていないじゃないですか。あなたはやさしすぎますね」
「ハッ、どこがだ。復讐で人を殺める男だぞ?」
「こうかいしているところがです」
「……」
 
 おれはみっともなくあきの袖を掴んだ。

「おれ、は、赦されないことを、した。でも、そうするしか、気持ちが、収まらなかった……っ」

 怖かった。話せなかったなんて言い訳に過ぎない。本当のことを話して怯えられるのが、たまらなく怖かった。他人はどうだっていい。カナとあき、この二人にだけは嫌われたくなかった。

「もし、お天とうさまがゆるさなくても、わたしがゆるします」
 
 バッと顔を上げる。きっと情けない顔をしているに違いない。そんなおれの顔を正面から見つめてあきが言った。

「だから、あなたが気にやむひつようはありません。いいですね?」

 キッパリと言い切るあきに、だんだん可笑しさが込み上げて来た。さっきまで絶望していたのが嘘かのように。

「おまっ、普通逆じゃねそれ」

 お天道さまが赦さなくても赦すって……普通は反対だ。だけど、胸の奥でずっとくすぶっていたもやが晴れていくのがわかった。

「……ありがとう。あき」

 泣き笑いでそう告げると、あきは満足そうに微笑んだ。

 何となくこの時確信した。
 もしこいつが大人になったら、おれはこいつに恋をするだろうと――。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~

めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。  源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。  長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。  そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。  明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。 〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

神様がくれた時間―余命半年のボクと記憶喪失のキミの話―

コハラ
ライト文芸
余命半年の夫と記憶喪失の妻のラブストーリー! 愛妻の推しと同じ病にかかった夫は余命半年を告げられる。妻を悲しませたくなく病気を打ち明けられなかったが、病気のことが妻にバレ、妻は家を飛び出す。そして妻は駅の階段から転落し、病院で目覚めると、夫のことを全て忘れていた。妻に悲しい思いをさせたくない夫は妻との離婚を決意し、妻が入院している間に、自分の痕跡を消し出て行くのだった。一ヶ月後、千葉県の海辺の町で生活を始めた夫は妻と遭遇する。なぜか妻はカフェ店員になっていた。はたして二人の運命は? ―――――――― ※第8回ほっこりじんわり大賞奨励賞ありがとうございました!

処理中です...