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一
よく喋る少女
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この少女、名を氷垂という。本名ではない。
顔立ちなどからすると、年の頃十五、六と見受けられるのだが、実のところ弱冠を迎えた源三郎より二つも年上なのだ。
氷垂は源三郎の鼻先に不満顔を突き出した。
「浜松からおいでの方々は、まっすぐ新しい尼ヶ淵の……上田の新しいお城に向かって来るだろうと、お殿様が仰せでしたよ」
「さもありなん。
そもそもあそこは徳川三河守さまの金で建てた城なのだ。
ご家来衆はまっすぐに『受け取り』に来られよう」
源三郎がいたずら小僧のように笑った。氷垂はまだ不満顔のままだ。
「ええ、敵方様は北国街道をまっすぐ進んでおいでですよ。連絡の忍者衆が逐一知らせてくれてますから、間違いありません。
そうなると陣を張るのは国分寺のお寺のあたりが丁度よろしゅうございますね。なにぶんあそこからならお城までは一里も離れていません。
すこしばかり息を吐いて、あとは一気に攻め寄せられましょうね」
「そうだな」
「殿様は、お城の手前の海野の町から追手門ところまで、千鳥掛に柵をお建てになりましたよ。
来がけに見てまいりましたけど、まるで川に仕掛ける魚取りの罠みたいな形でしたよ。中にはいるのは易し、下がるのは難し……。そうやって、敵方様の大勢の衆をお城前に引きずり込んで、逃がさないおつもりで。
それから、お城の土塁の上に丸太と石塊を準備なさっています。村衆町衆がおかれておりましたから、皆で丸太を落としたり、石を打ったりするのでしょう。
その両脇には、弓組と鉄砲組も潜ませるとか。
ともかく、ギリギリ手前まで敵方様を引き寄せて、後ろに下がれないようにして、一息に叩くのが殿様のご算段。
そうなれば一番の戦場はお城の前でございましょう?」
「そうなろうな」
なんとも覇気のない相づちを打ちながら、源三郎はその決戦の場になるであろう上田城の追手から二の丸のあたりを眺めた。
氷垂は頭から湯気が出るのではないかと思えるほどに顔を赤くして、
「ですからね、若様。若様もそのあたりにおられませんと、お手柄が立てられないことになるように、あたしには思われるのですよ。
それなのに若様は三里よりもずっと離れた砥石の山城に行かされる。
もしかして、ですけれども……殿様は、此度が初陣の弁ま……じゃなくて、源二郎様に功を立てさせるために、若様を山奥へ遠ざけようとなさっているんじゃありませんか?」
まくし立てた。
真田源二郎は、源三郎の四歳下の同母弟だ。先年元服して、源二郎信繁と名乗るようになったが、その前は「弁丸」と呼ばれていた。
源三郎は心中に苦笑いを押し込み、至極真面目な顔つきをして、
「誠に、お前は女にしておくのが惜しいな。実に惜しい。お前が男に生まれておれば、私などよりもずっと良い武士になったにちがいない」
女の立場が著しく弱かった時代だ。女性は女性であるというだけで男性より一段も二段も下に見られ、行動を制限され、一種粗略にすら扱われる。そんな中での領主の御曹司の言葉がこれなのだ。
源三郎は氷垂を最大限に褒めている。
褒めるにしても、世辞や追従ではない。源三郎は本心から言っている。
顔立ちなどからすると、年の頃十五、六と見受けられるのだが、実のところ弱冠を迎えた源三郎より二つも年上なのだ。
氷垂は源三郎の鼻先に不満顔を突き出した。
「浜松からおいでの方々は、まっすぐ新しい尼ヶ淵の……上田の新しいお城に向かって来るだろうと、お殿様が仰せでしたよ」
「さもありなん。
そもそもあそこは徳川三河守さまの金で建てた城なのだ。
ご家来衆はまっすぐに『受け取り』に来られよう」
源三郎がいたずら小僧のように笑った。氷垂はまだ不満顔のままだ。
「ええ、敵方様は北国街道をまっすぐ進んでおいでですよ。連絡の忍者衆が逐一知らせてくれてますから、間違いありません。
そうなると陣を張るのは国分寺のお寺のあたりが丁度よろしゅうございますね。なにぶんあそこからならお城までは一里も離れていません。
すこしばかり息を吐いて、あとは一気に攻め寄せられましょうね」
「そうだな」
「殿様は、お城の手前の海野の町から追手門ところまで、千鳥掛に柵をお建てになりましたよ。
来がけに見てまいりましたけど、まるで川に仕掛ける魚取りの罠みたいな形でしたよ。中にはいるのは易し、下がるのは難し……。そうやって、敵方様の大勢の衆をお城前に引きずり込んで、逃がさないおつもりで。
それから、お城の土塁の上に丸太と石塊を準備なさっています。村衆町衆がおかれておりましたから、皆で丸太を落としたり、石を打ったりするのでしょう。
その両脇には、弓組と鉄砲組も潜ませるとか。
ともかく、ギリギリ手前まで敵方様を引き寄せて、後ろに下がれないようにして、一息に叩くのが殿様のご算段。
そうなれば一番の戦場はお城の前でございましょう?」
「そうなろうな」
なんとも覇気のない相づちを打ちながら、源三郎はその決戦の場になるであろう上田城の追手から二の丸のあたりを眺めた。
氷垂は頭から湯気が出るのではないかと思えるほどに顔を赤くして、
「ですからね、若様。若様もそのあたりにおられませんと、お手柄が立てられないことになるように、あたしには思われるのですよ。
それなのに若様は三里よりもずっと離れた砥石の山城に行かされる。
もしかして、ですけれども……殿様は、此度が初陣の弁ま……じゃなくて、源二郎様に功を立てさせるために、若様を山奥へ遠ざけようとなさっているんじゃありませんか?」
まくし立てた。
真田源二郎は、源三郎の四歳下の同母弟だ。先年元服して、源二郎信繁と名乗るようになったが、その前は「弁丸」と呼ばれていた。
源三郎は心中に苦笑いを押し込み、至極真面目な顔つきをして、
「誠に、お前は女にしておくのが惜しいな。実に惜しい。お前が男に生まれておれば、私などよりもずっと良い武士になったにちがいない」
女の立場が著しく弱かった時代だ。女性は女性であるというだけで男性より一段も二段も下に見られ、行動を制限され、一種粗略にすら扱われる。そんな中での領主の御曹司の言葉がこれなのだ。
源三郎は氷垂を最大限に褒めている。
褒めるにしても、世辞や追従ではない。源三郎は本心から言っている。
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