子檀嶺城始末―こまゆみじょうしまつ―

神光寺かをり

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己の価値

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 杉原四郎兵衛は逃げた。

冗談を言うんじゃオタクラこくでねぇ! なんで俺があんな山猿に頭を下げなけりゃなんねぇンだ!」

 えて、杉原四郎兵衛は塩田平の中を逃げた。逃げて、逃げて、逃げ回った。
 他のさんしゃたちとの違いがあるとすれば、山を越えず、川を渡らなかったこと、だった。
 それはつまり、
『真田から逃げると言いながら真田の勢力圏せいりょくけんに留まり続けている』
 ということなのだが、もしだれかがそれを指摘したならば、四郎兵衛は、

「大きく動けば、いくら真田のヤロウドモが愚鈍トロクサくても、見付かっちまう。だから遠くまで動くようなマネはしねぇんだ」

 などと理由をつけて、己のを自慢することだろう。

 小さく逃げ回ったお陰なのか、それとも真田側に探索する気がなかったからなのか、四郎兵衛は捕らえらることなく、今日まで生き抜いた。
 しかし勢力圏の境を超えないということは、その外側にいて真田と『敵対』している上杉や諏訪、あるいは後北条や徳川には接触できないということでもある。
 彼は真田より大きな大勢力に加わることができなかった。

 狭い範囲を逃げ回るのに疲れて、

「いっそ、侍身分なんぞは捨ててしまえ。どこか山の中を開いて耕せば、喰って行くぐらいのこたぁできる」

 と提案した者がいた。無論、四郎兵衛はそんな「弱音」などはいっしゅうした。

おんでんなんぞ開いたところで、直ぐにぎつけられちまう。そうなりゃ領主に年貢を収めにゃならねぇ。
 つまりは、俺が汗水垂らして作っこさえた物が、あの忌々いまいましい真田のヤロウドモに喰われるってことだぞ。
 そんな胸くその悪いことがあるか!」

 その親族は四郎兵衛と縁を切って、真田方に付いた。
 彼らが自分の元から去ったと知った時、四郎兵衛は恐れ、おびえた。

 あいつらが昌幸に自分のことを密告するのではないか。そうなれば自分は真田に謀殺ころされてしまう!

 真田昌幸に「速やかに切り落とすべし」と思われるほどの値打ちが彼の首にあるのか……彼の周囲には首を傾げる者が多かったが、四郎兵衛は自分の価値を信じて疑わない。

 その後、真田の配下の者が自分を探している風はなかったが、四郎兵衛は不安だった。
 彼は前以上にあちらこちらに逃げ隠れた。それはつまり、ますます飯に困るようになる、ということだ。

 四郎兵衛は、先祖伝来だと称する時代遅れなおおよろいを詰めたよろいびつ打刀かたな一振りを除いて、財産といえそうなものは全て売り払った。
 元々、彼の手元にあった売れそうな物はごくわずかだったのだから、手に入ったかねもまたごく僅かで、直ぐに尽きた。
 空き腹を抱えて、以前には自分の「領地」だったあたりの農民の所へ顔を出した。尾羽打ち枯らした四郎兵衛を哀れんだ彼らがいくらかの食い物を別けてくれた。
 それもすぐに食い尽くした。
 もう一度「領地」に行ったところで、痩せ百姓が二度目のほどこしをしてくれるはずもない。憐憫れんびんの情もくり返す内に軽蔑に変わるだろう。誇り高い塩田衆の武士が、百姓に馬鹿にされるなど、あってはならないことだ。
 だから四郎兵衛は、自分には縁故ユカリのなかった集落に押しかけて、刀を振りかざして「兵糧の徴収」をした。
 四郎兵衛のやっていることは、つまりすりたかりに強盗ぬすっとだった。四郎兵衛は鎧を抱えた賊徒にちた。

『それもこれも、全部真田が悪い』

 四郎兵衛が吐き捨てた唾は、切り立った崖下に落ちて行った。
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